汝陰郡




汝陰郡(じょいん-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。三国時代から唐代にかけて、現在の安徽省北部と河南省南部にまたがる地域に設置された。




目次






  • 1 概要


  • 2 僑置汝陰郡


    • 2.1 南汝陰郡


    • 2.2 西汝陰郡


    • 2.3 合州の汝陰郡


    • 2.4 南定州の汝陰郡




  • 3 脚注





概要


238年(景初2年)、三国の魏により沛国の蕭・相・竹邑・符離・蘄・銍・竜亢・山桑・洨・虹の10県を分離して、汝陰郡が立てられた[1]。汝陰郡は豫州に属した。後に廃止された。


266年(泰始2年)、再び設置された。晋の汝陰郡は汝陰・慎・原鹿・固始・鮦陽・新蔡・宋・褒信の8県を管轄した[2]


494年(北魏の太和18年)に東郢州とされたが、後に廃止された。


東魏のとき、汝陰郡は北揚州に属し、汝陰・宋・許昌の3県を管轄した[3]


583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、汝陰郡は廃止されて、潁州に編入された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、潁州は汝陰郡と改称された。汝陰郡は汝陰・潁陽・清丘・潁上・下蔡の5県を管轄した[4]


621年(武徳4年)、唐が王世充を平定すると、汝陰郡は信州と改められた。623年(武徳6年)、信州は潁州と改められた。742年(天宝元年)、潁州は汝陰郡と改称された。758年(乾元元年)、汝陰郡は潁州と改称され、汝陰郡の呼称は姿を消した[5]



僑置汝陰郡


南北朝時代の南朝においては、汝陰郡の本土が北朝の統治下にあったため、幾度か僑郡の汝陰郡が置かれた。



南汝陰郡


南朝宋のとき、南汝陰郡は南豫州に属し、汝陰・慎・宋・陽夏・安陽の5県を管轄した[6]。南朝斉のとき、南汝陰郡は豫州に属し、慎・汝陰・宋・安陽・和城・南頓・陽夏・宋丘・樊・鄭・東宋・南陳左・辺水の13県を管轄した[7]



西汝陰郡


南朝宋のとき、汝陰郡は豫州に属し、汝陰・宋・宋城・楼煩の4県を管轄した[6]。南朝斉のとき、西汝陰郡と改められた。西汝陰郡は楼煩・汝陰・宋・陳・平豫・固始・新蔡・汝南・安城の9県を管轄した[7]



合州の汝陰郡


南朝梁のとき、合州に汝陰郡が立てられた。東魏がその地を奪った。この汝陰郡は汝陰・天水の2県を管轄した[3]



南定州の汝陰郡


南朝梁のとき、南定州に汝陰郡が立てられた。東魏がその地を奪った。この汝陰郡は汝陰県1県を管轄した[3]



脚注




  1. ^ 『三国志』魏書明帝紀


  2. ^ 『晋書』地理志上

  3. ^ abc『魏書』地形志二中


  4. ^ 『隋書』地理志中


  5. ^ 『旧唐書』地理志一

  6. ^ ab『宋書』州郡志二

  7. ^ ab『南斉書』州郡志上







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