扇子
扇子(せんす)とは、あおいで風を起こす道具のひとつ。また儀礼、芸能で用いられる。ただし古くは扇(おうぎ)と呼ぶのが普通であった。「おうぎ」という言葉は古くは「あふぐ」(扇ぐ)の派生形の「阿布岐(あふぎ)」と呼ばれたが[1]、日本語の変化により関連がわかりにくくなった。
目次
1 形態
2 構成
3 歴史
4 種類
5 用途
6 家紋
7 文様
8 扇を名称に含む動植物
9 扇子の登場する作品
10 ギャラリー
11 脚注
12 参考文献
13 関連項目
14 外部リンク
形態
数本から数十本の細長い竹や木で出来た骨を束ねて端の一点(要=かなめ)で固定し、使わないときは折りたたみ、使用時に展開する。骨にはたいてい紙が貼られており、展開すると紙を貼られた部分が雁木形の扇面となる。折り畳むことでコンパクトに納めることができる。開閉の方法は、骨を右手親指でずらすように押すことで開く。一般的には右利き用であるが、左利き用も販売されている。また、扇子そのものを振ることで開く方法もある。折りたたんだ際の形状が持ち運びに優れている事から、夏場の外出時での涼みに使えるとして愛用する人も多い。
扇子を開く角度はだいたい90度から180度の間であり、円を三等分した中心角120度前後のものが主流である。扇子を開いた形は「扇形」(おうぎがた/せんけい)と称し、幾何学の用語にもなっている。このような扇子の形状は「末広がり」に通ずるので縁起のよいものとされ、めでたい席での引出物としても用いられる。
構成
- 骨
- 骨の材質は、一般的には竹製または木製の物が多く、先端部ほど薄く細くなるテーパ構造になっている。大抵の扇子の骨は細長く、折り畳んだ和紙を張って開くと段になるように展開する。骨組みのうち一番外側の部分(親骨)はとくに太く、内側の骨とは逆に先端部ほど太くなっている。親骨に装飾として漆塗りや蒔絵などの細工が施されているものもある。また象牙、鼈甲なども骨の素材とすることがあるが、これはもっぱら洋扇で使われる。白檀などの香木を平たく削ったものを重ねて作られる扇子があるが、この形式の扇子はすたれ気味であり、紙を貼ったものが主流である。
- 扇面
- あおぐ時に風を送る部位。骨が完全に開ききらないように固定する働きもある。本来は「糊地」(のりじ)という加工した和紙を貼るが、合成繊維や布を貼ったものもある。この扇面に絵を描く必要から、湾曲した形状(いわゆる扇形)の紙に描く、扇絵と呼ばれる日本画の形式が発展した。この扇絵を得意としたのが、俵屋宗達であるといわれている。
- 要
- かなめ。扇を開く際に根本で止めるもの。扇子の要は、金属やプラスチック、鯨ひげなどで骨を束ねている。この部位が壊れると扇子としての用をなさなくなるため、最も重要な部分である。ここから、「肝心要」の語源となった。なお野球で球場を扇に喩えて要に位置し、守備陣の要所となることから捕手を指して「扇の要」と呼ぶことがある。
- 責
- せめ。扇を止める帯状の輪。
歴史
「扇」という漢字は本来軽い扉のことを意味し、そこから転じてうちわのことをいうようになった。うちわは紀元前の中国で用いられたという記録がある。また古代エジプトの壁画にも、王の脇に巨大な羽根うちわを掲げた従者が侍っている図があり[2]、日本では利田遺跡(佐賀県)において、うちわの柄が出土した例がある[3]。このようにうちわは文明発祥時から存在するが、木の薄板を重ねたり、また紙を折りたたんで製作する扇は日本で発明されたものである。
開閉のできる「扇」を中国発祥とする話もあるが[4]、うちわを意味する「扇」の事を誤解したものである。日本では檜扇や紙を折りたたんで製作した「扇」については平安時代以降に記録や遺物が存在するが、中国大陸においてはそれ以前にこの開閉式の「扇」があったという確かな記録もなければ遺物も存在しない。それ以前の中国の古文献において見られる「扇」とは「うちわ」のことであり、「扇子」についても同様である。『両山墨談』(嘉靖18年〈1539年〉跋)には「宋元以前、中国未有摺扇之製」(宋、元の時代以前に、中国には「摺扇」〈折りたたみのできる扇〉はなかった)とあり、また『名物六帖』(伊藤東涯編著)は「扇」について、「今所謂団扇也、摺扇称扇、則亦甚晩、始于明之中葉」(今いうところの団扇のことである。「摺扇」を指して「扇」と称することはずいぶん後になってからのことであり、これは明の時代の半ばに始まったことである)としている[5]。日本の扇は、中国大陸には北宋の時代に伝わった(後述)。
最初に現れた扇は30cmほどの長さに2〜3cm幅の薄い檜の板を重ねて作る檜扇と呼ばれるもので、これは奈良時代の実例が発掘されている[6]。紙は貼られておらず、その起りは一説には木簡を束ね一方の端に穴を開け、そこに紐などを通して縛ったものだという。また檜扇のそもそもの用途は開いて煽ぐものではなく、メモ帳として物を書きつけるものであった。のちに檜扇は冬の季節の扇とされた(詳しくは檜扇の項参照)。
その後平安時代の中頃までに、5本または6本の細い骨に紙を貼った蝙蝠扇(かはほりあふぎ)が夏の扇として現れる。これが現在一般に見られる扇の原型であるが、このころの紙貼りの扇は扇面の裏側に骨が露出する形式であった。平安時代には扇はあおぐという役割だけでなく、儀礼や贈答、コミュニケーションの道具としても用いられた。具体的には和歌を書いて贈ったり、花を載せて贈ったりしたことが、『源氏物語』など、多くの文学作品や歴史書に記されている。このように扇は涼をとったりもてあそび物にされる一方で、時代が下るにつれ儀礼の道具としても重んじられ、公家や武家また一般庶民の別なく、日常や冠婚葬祭での持ち物のひとつとされた。
ほかには、宮中において2組に分かれて扇を持ち合い、その描かれた絵画や材質の優劣を競い合う扇合せという行事が円融天皇の天禄4年(973年)に行われたという記録がある。また近世には毎月一日、天皇が三種の神器が安置されている内侍所へ参拝する時の持ち物として、御月扇と称して月毎に末広の扇が絵所より新調されたが、そのほかに表面に古代中国の賢聖、裏面に金銀砂子に草花を描いた賢聖御末広という末広が献上されることもあった。
『宋史』には北宋の端拱元年(988年)、日本の僧奝然の弟子喜因が中国大陸に渡った際、檜扇と蝙蝠扇すなわち紙を貼った扇を宋の朝廷に献上したという記録がある(列伝・外国七)。以後多くの日本の扇が中国へ渡るが、中国においても日本の扇に倣い、折りたたみのできる紙貼りの扇が作られるようになった。また16世紀に入り日本とポルトガルとの交易が始まると、日本の扇も中国で作られた扇とともにヨーロッパに伝わった。
当時エキゾチックな文物を盛んに取り入れていたスペインで最初に受容された扇子は「スペインの煽具」の名で各国に伝搬し[7]、
貴族の女性の持ち物として、日本や中国のものとは違う独自の様式の扇が作られた[8]。
種類
- 冬の扇
- 檜扇や中啓。主に儀礼用。中啓は能楽をはじめとする諸芸能でも使われる。古くは10本骨の沈折(しずめおり)の扇も広く用いられ、これは夏冬共用の形式であった(「沈折」については中啓の項参照)。
- 夏の扇
- 蝙蝠扇。現在一般に市販されている両面貼りの骨の多い扇子も夏の扇である。なお公家の夏の扇は江戸時代に至るも蝙蝠扇と称し、骨が扇の裏面に露出していた。
- 軍扇
- その昔武将が戦場に携えた扇。その形式は時代によっていくらか相違はあるが、だいたいは骨は黒の塗骨、表は赤地に金の丸で日輪をあらわし、裏は紺色の地に銀で月と星(多くは北斗七星)を描くといったものであった。
- 鉄扇
- 親骨を鉄製にした扇。鉄の短冊を重ねたもの、また閉じた状態の扇子の形を模しただけで開かない(つまり、扇子の親骨型の鉄塊)鉄扇も存在する。携帯用の護身具、または鍛錬具として用いられる。鍛錬具として用いられるものは、手馴し鉄扇(てならしてっせん)とも呼ばれる。
- 舞扇
- 沈折の扇。日本舞踊や歌舞伎で使われる。
- 祝儀扇
冠婚葬祭に用いられる扇。一般には男性は白扇、女性には金や銀の扇子だが、用途によって格式が細かく定められており、葬儀に用いられるものは「不祝儀扇」(ぶしゅうぎせん)とも呼ばれ黒い扇子である。- 唐扇(中国扇)
- 中国大陸で作られた扇。またその形式を模したもの。日本から伝わった扇が中国でも作られるようになり、日本の扇が骨の片面にだけに紙を貼っていたのに対し、両面貼りとして骨の数も多くなった。この形式の扇は日本にも逆輸入され、室町時代には中啓が現れるに至った。現在、日本の夏に見られる扇子の多くはこの形式によるものである。
- 洋扇
ヨーロッパで作られた扇。またその形式を模したもの。日本の扇は大航海時代に中国を経由するなどして西洋にまで輸出され独自の発展を遂げ、17世紀のパリには扇を扱う店が150軒を数えるほど、上流階級の女性のコミュニケーションの道具として大流行した。ヨーロッパでは絹やレースを貼った洋扇に発展し、孔雀の羽根を用いた扇子も作られた。18世紀には扇子言葉というボディランゲージが生まれるなど、ヨーロッパの上流階級に根付いていた(参照:en)。- 羽根扇子
- 羽で飾った洋扇。日本でこれを用いた例は宝塚歌劇に見る事ができる。主に歌劇中の女性貴族の持ち物として用いられ、劇中の華やかさを彩る物となっている。1990年代にはディスコで踊る時に使うのが流行し、ジュリアナ東京でも多く用いられたことからジュリ扇とも呼ばれた。またこの羽根扇子はストリップティーズなどの舞台でも小道具として使われることがある。
- 飾り扇
- 部屋に飾り物として置く。たいていの場合飾り物としてそれ専用に作られたもの。上にあげたそれぞれの扇の規格に沿って製作してはいないので、たとえば能楽や日本舞踊などで飾り扇を使うことはできない。飾り扇の中には、扇車、扇子車と呼ばれる開くと完全な円になるものもあり、上棟式などの儀式に用いられる[9]。
ほかには、沖縄では扇面にヤシ科のビロウ(クバ)の葉を使ったクバ扇(クバおーじ)というものがある。
用途
- 風を送る
- 扇子の主用途。暑いときに、手元で扇子を開いて自ら風を送ることで涼しさを得る目的で扇ぐ。繊細な構造であるため、強い風を送るのには向いていない。成田山などの寺社で護摩を焚く場合には、点火後、扇子を広げて火を扇ぐ所作が見られる。
- 口を隠す
- 礼儀として、笑うときに歯が見えないように口の前を覆う。
- 贈答
- 古くは江戸時代の正月に、親しい相手に白扇を贈る習慣があった。またほかに儀礼用として、杉原紙1帖に白扇1本をひと組の贈答品にした。現在は能楽で節目の舞台をする時に、出演者や贔屓の方に配る(被き扇)。落語などでも行われる慣習である。かつては販売促進の物品に使われていたこともあったようだが、うちわにその座を追われた格好である。
- この他、平安時代などにおける貴族階級で上位の階級の者が、親しい下位階級の者に下賜するときの贈答品としても用いられた。
- 芸能・諸芸道における持ち物
能狂言と仕舞で用いられる。曲目や役柄において、またシテ方・ワキ方としてそれぞれがどのような扇を持つべきかは流派で細かく規定がある。囃子方、地謡方においても舞台上で開くことはないが、それぞれの流派で定められた扇を持つ。- 日本舞踊においても用いられる。笠や盃など、色々なものに見立てる。(舞扇の項も参照)
- 歌舞伎の舞台においても扇は必須のものである。特に劇中で「物語」といって以前に起きた事件や出来事を扇を使って物語る場面がある。『熊谷陣屋』の熊谷直実の「物語」が好例。
落語でのうどん・蕎麦などを食べるしぐさをする場面で、畳んだ状態での扇子を箸に見立てて用いる。少し開けて傾け酒を注ぐ銚子を表す。他、場面に応じて、刀や望遠鏡など様々な見立てがなされる。手拭と並んで重要な落語の小道具。噺家の隠語では扇子は風(かぜ)と呼ばれる(ちなみに手拭はマンダラ)。
蹴鞠、茶道、香道においても、実際には開いて煽ぐような事はないが、それぞれ定められた扇を持つ。
フラメンコでは舞手の小道具としてアバニコ(Abanico)と呼ばれる扇子が用いられる[7]。- 中国では、説話、扇子舞、功夫扇に使用される。
- 呪具
- 座って挨拶をするときに、胸元から畳んだ状態の扇子を自らの膝前に置き、それを境にするように相手に礼を行う。これは扇子に自他のさかいをつくる結界としての役割をもたせたものである。葬儀の際に喪主に挨拶する場合なども同様に行う。
中世には、公界の場で突発的に起きた異常事態を敢えて見るとき、扇の骨の間から覗き見る習俗があった。網野善彦は、扇は一時的な覆面であり、外部からの穢れを払い、内から発する穢れを遮る道具となり得たと推論している[10]。- 遊び道具
- 古くから扇子を使った遊びがいくつも行われていた。中世には投扇興(とうせんきょう)と呼ばれる、扇子を的に向かって投げ、的を落とす遊びに用いられた。技の名前に『源氏物語』の帖名や百人一首などが用いられる。江戸時代のお座敷遊びでは、水を張った茶碗に渡した割り箸を扇子で叩き折り、水をこぼさなければ勝ちとする「腕さだめ」や、3本の扇子を組んで円錐状に立てたあとにバランスを崩して倒し、キセルで持ち上げて再度立てる「三本扇」などが行われていた[11]。
- 弓矢の的
- かつては、日の丸の扇子(白地に赤い丸が描かれている)を開いて、弓の的にした事例がある。治承・寿永の乱(源平合戦)で弓の達人といわれた那須与一が、平氏の船の上に掲げられた的である扇の要を射抜いて落とした故事がある。
- 棋士の思考の際の手すさび
将棋や囲碁の対局時、将棋の棋士や囲碁の棋士が考える際に手で開け閉めしていることがある。これは数十手先の着手を読む際に、開閉の単調なリズムが思考へ好影響をもたらすためである。なお扇子の開け閉めは相手にとって雑音として受け取られる場合もあることから、極力自分の考慮時間中に行うことが相手に対する礼節とされている。- 張扇
講談師が講談の最中に、調子取りと音を出すために、釈台を叩く。
- 人を叩く
- 落語で自分の頭を叩いたり、踊りの師匠が弟子をたしなめるのに、手ではなく扇子を使って頭を叩く。空中で叩く所作をもって叩いたことにすることもある。(ただし、武士階級では扇子で頭を叩かれる(叩く)行為は非常に屈辱を与える(あるいは受ける)ものとされた。扇子で頭や手足を叩く行為は明治以降に行われるようになったと思われる。)
- 応援
- 応援団が和装で声援を送る時、手に「必勝」などの文字が描かれた扇子を振って調子を取る。鉢巻に挿す場合もある。
盆の代用として(贈答時)- 扇子に金封をのせてさしだすこともある。このとき要を手前にして、金封をのせ、相手の膝前に要がむくように、転回してさしだす。これは本来盆にのせてさしだすところを扇子で代用するという意味をもつ。
- 扇子腹
切腹の際、本来は実際に短刀で腹を切るのであるが、次第に形式化して短刀に手をかけた時点で介錯を行うようになり、さらに実際には用いられなくなった短刀は扇子で代用されるようになった。- 軍扇(ぐんせん)- 軍配団扇の一種で、指揮用に用いられた。
戦国時代の武将が、戦の采配を揮うのに用いた。軍扇、陣笠、太鼓の三点を「三品」という。また、軍扇と采配の組み合わせを「軍扇揃い」とも。川中島の合戦で武田信玄が、陣中に単騎斬り込んできた上杉謙信の太刀を軍扇で受け止めたという逸話は有名。
家紋
日本の家紋の意匠としても用いられ、摺り畳扇を図案化した扇紋(おうぎもん)と板扇を図案化した檜扇紋(ひおうぎもん)がある[12]。扇紋には「五本骨扇」などの骨の数によって表されるものや、より写実的な図案の「雁木扇」や反り返りの付けられた「反り扇」、また、扇の部位を用いた「扇骨」(おうぎぼね)や「地紙」(じがみ)といったものもある。佐竹氏の「佐竹扇」、島原藩の「島原扇」や浅野氏の「浅野扇」などがあり、高崎藩や三遊亭の紋である「高崎扇」(三つ雁木扇)は小説などにも出てくる。檜扇紋では、「山崎扇」や「秋田扇」などがある。
文様
文箱や硯箱、染織の意匠としても用いられた。「扇面源氏蒔絵文庫」には文庫の蓋表から側面にかけて、『源氏物語』の一場面が描かれた扇を2面描いている。。
扇を名称に含む動植物
ヒオウギガイ - 貝の形が檜扇に似ていることから名付けられた。
ヒオウギアヤメ(檜扇菖蒲) - 葉が檜扇に似ていることから名付けられた。
オウギバショウ - 葉の付き方が扇に似ていることから名付けられた。
扇子の登場する作品
末広がり (狂言) - 傘を「末広」(扇)と称して売りつける「すっぱ」(詐欺師)が登場する。
天稚彦草子 - 鬼から隠れるために、長者の末娘が姿を変えられて扇子になる。
ギャラリー
男子用の檜扇。彩色などせず白木のままとし、白糸で上端を緘じて扇を形作る。
彩絵檜扇。平安時代、厳島神社。女子・児童用の形式。
蝙蝠扇。平安時代ごろの五本骨の形式を模したもの。
軍扇。
葛飾北斎の描いた扇。東京国立博物館所蔵。
葛飾北斎『肉筆画帖』第一図。北斎館所蔵。
JR熊谷駅北口にある熊谷之次郎直實像(北村西望作ブロンズ製)。扇を掲げている。
赤富士の扇子。
脚注
^ 高橋 2011, pp. 25.
^ 図説、初期王朝時代
^ 吉野ヶ里遺跡(弥生時代)-出土遺物1
^ 崎岡洋右『三国古典の散歩』(文芸社、2007年)251 - 252頁。『早慧的文明』(上海古籍出版社)という本に、「扇子は中国人が発明したものであるとの説」があることを紹介している。
^ 『古事類苑』服飾部「扇」の項および諸橋轍次編『大漢和辞典』第五巻「扇」の項、『扇と扇絵』(中村清兄)参照。
^ 『扇面画(古代編)』(『日本の美術』319)17頁。ただしこの発掘品は、木の細長い薄板を重ねて扇状に広げるが、その端を切って形を倒卵形に整えたものである。この形から中村清兄は、これが檜扇であるとすることを否定し批判している(『扇と扇絵』1 - 2頁)。
- ^ ab河野 2011, pp. 82-84.
^ 『扇面画(近世編)』(『日本の美術』321)巻末「西の国の扇の話」
^ 高橋 2011, pp. 7-11.
^ 服部幸雄『江戸歌舞伎の美意識』平凡社 1996 ISBN 4582260233 p.254-255.
^ 高橋 2011, pp. 54-57.
^ 本田總一郎監修 『日本の家紋大全』 梧桐書院、2008年
参考文献
中村清兄 『扇と扇絵』〈『日本の美と教養』23〉 河原書店、1969年
- 『古事類苑』(33) 吉川弘文館、1970年 ※ 服飾部「扇」の項
江上綏 『扇面画(古代編)』〈『日本の美術』319〉 至文堂、1992年
宮島新一 『扇面画(中世編)』〈『日本の美術』320〉 至文堂、1993年
小林忠 『扇面画(近世編)』〈『日本の美術』321〉 至文堂、1993年- 高橋貴、河野眞 『扇の文化』 あるむ〈愛知大学フォークライフ研究会〉、2011年。ISBN 9784863330436。
関連項目
- うちわ
末広(すえひろ)- ハリセン
- 扇状地
徳川家康 - 馬印が扇子- 扇絵
外部リンク
投扇興研究室 (日本語)
京都扇子団扇商工協同組合 (日本語)
扇子の種類 (日本語)