ブラインド・レモン・ジェファーソン


































ブラインド・レモン・ジェファーソン
生誕
1893年9月
米国テキサス州カウチマン
死没
1929年12月
米国イリノイ州シカゴ
ジャンル
ブルース、ゴスペル
職業
シンガー、ギタリスト
担当楽器
ギター
活動期間
1925年 - 1929年
レーベル
パラマウント・レコード、オーケー・レコード

ブラインド・レモン・ジェファーソン (Blind Lemon Jefferson 1893年9月 - 1929年12月) は、アメリカ合衆国で1920年代に演奏活動をしたブルース・シンガーである。いわゆる戦前ブルース、カントリー・ブルースの代表格のひとりとして知られる。ライトニン・ホプキンズ、T-ボーン・ウォーカーなど、のちのブルース・アーティストにも大きな影響を与えている。




目次






  • 1 来歴


  • 2 ディスコグラフィー


  • 3 参考文献


  • 4 外部リンク





来歴


ジェファーソンの生涯については、いまだ不明な点が多い。生まれた年についても、諸説がある。かつては1897年7月生まれ説が広く知られていたが、ジェファーソン自身は徴兵資料に1894年生まれと記載していた。しかし、1893年生まれとの記載がある1900年の国勢調査記録が、生誕100年が経ってから見つかり、今では1893年生まれ説が最も有力である。


いずれにせよ、ジェファーソンは、テキサス州カウチマンにアレックスとクラリーサ・ジェファーソンの7番目の子供として生まれた。生まれながらの盲目だった[1]


10代でギターを始め、ピクニックやパーティーでプレイするようになっていった。1917年にダラスに移り住み、ここでまだ無名時代のレッドベリーに出会った[1]。彼がジェファーソンに感銘を受けたのは、のちに"Blind Lemon's Blues"などの曲を歌っていることからも明らかである。


1920年代前半には結婚をし、子供ももうけている。その一方で、ジェファーソンはミシシッピなど南部を旅しながら演奏活動を続けた。1925年、テキサスでデモ録音をする機会に恵まれ、それを機にシカゴのパラマウント・レコードで初のレコーディングをしている。とは言えその内容はブルースではなくゴスペルであり、名義もディーコンL.J.ベイツなる変名であった。


しかし、翌年3月、2回目のセッションでようやく自己名義でブルースをレコーディング。"Dry Southern Blues"など4曲を吹き込んだ。以後1929年までの約4年の間にジェファーソンは、100曲ほどをレコーディングしている。中でも"Matchbox Blues"、"See That My Grave Is Kept Clean"などは広く知られるようになった楽曲である。後者はボブ・ディランがデビュー・アルバムで取り上げた。また、カール・パーキンズの"Matchbox"はジェファーソンの"Matchbox Blues"をベースにしたものである。


多くのレコーディングはシカゴで行われており、このため故郷を空けることも多くなったジェファーソンだが、そんな中でも機を見てはテキサスに戻ったり、また南部一帯を旅したりもした。


しかし、順調にリリースを続け、キャリアを積んでいた矢先の1929年12月、シカゴで急逝する。嵐の中で遺体となって発見されたのだが、その死については記録がなく、正確な死亡日も含め詳細は現在も判っていない。毒殺された、交通事故死だった、寒さの中で心臓発作を起こしたなど、様々な説があるが、いずれも噂の域を出ていない。



ディスコグラフィー




  • 1985年 King of the Country Blues (Yazoo)


  • 1991年 The Complete Recorded Works (Document)



参考文献


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  1. ^ abAllmusicのバイオ




外部リンク



  • Blues Foundation Hall of Fame induction (英語)








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