九重佑三子
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ここのえ ゆみこ 九重佑三子 | |
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生年月日 | (1946-03-21) 1946年3月21日(72歳) |
出生地 | 日本・東京都台東区上野桜木 |
職業 | 歌手、女優 |
活動期間 | 1962年 - |
配偶者 | 田辺靖雄 |
著名な家族 | 田辺晋太郎 |
九重 佑三子(ここのえ ゆみこ、1946年3月21日 - )は、日本の歌手、女優。夫は歌手の田辺靖雄。長男はミュージシャンの田辺晋太郎である。
目次
1 略歴
2 ディスコグラフィー
2.1 ダニー飯田とパラダイスキング(東芝音楽工業・東芝レコード)
2.2 シングル
2.2.1 東芝音楽工業・東芝レコード
2.2.2 ガウスエンタテインメント
2.2.3 テイチクエンタテインメント
2.2.4 徳間ジャパンコミュニケーションズ
2.3 アルバム
3 出演
3.1 テレビドラマ
3.2 テレビアニメ
3.3 バラエティ
3.4 CM
4 NHK紅白歌合戦出場歴
5 脚注
6 関連項目
略歴
東京都台東区上野桜木出身。1962年、ダニー飯田とパラダイス・キングの一員としてデビュー[1]。1963年、「シェリー」でレコードデビューを果たす。1967年、特撮テレビドラマ『コメットさん』(TBS)に主演。本作品の出演で人気を博し、同年のNHK『第18回NHK紅白歌合戦』では当時史上最年少(21歳)で紅組司会を務めた[2]。
1968年、『コメットさん』の演技と「NHK紅白歌合戦」「ファミリー・ショー」の司会に対して第5回ギャラクシー賞を受賞[3]。
1971年、ギルバート・オサリバンのヒット曲「アローン・アゲイン」をなかにし礼の妙訳によってカヴァーした「また一人」をリリース。1973年、田辺靖雄と結婚。育児のため一時芸能活動を休止[4][1]。その後は夫とのコンサート活動や、バラエティ番組のコメンテーターとしても活躍している。
『コメットさん』は中南米で人気で、特にメキシコでは初代「コメットさん」が大ブームとなった。
2018年9月8日に放送された「陸海空 地球征服するなんて」において「あなたの知ってる日本人は?」とメキシコで調査したところ3位にランキングされた。
ディスコグラフィー
ダニー飯田とパラダイスキング(東芝音楽工業・東芝レコード)
- シェリー/ブルージーンのヴィーナス(1963年2月)
- 恋はやせがまん/可愛いチキティーナ(1963年5月、JP-5200)
- 勉強のチャチャチャ(1963年5月)
- ヘイ・ポーラ/ポッカリ歩こう(1963年7月、JP-5208)
- 東京五輪音頭(1963年6月)
- 悪いのはあなた(1963年7月)
- ミスターベースマン/悲しき雨音(1963年7月、JP-5245)
- 悲しきカンガルー/サーフ・シティ(1963年9月)
- ウェディングドレス/愛しているなら食べて(1963年7月、JP-5261)
- ワン・ラスト・キス(1963年12月)
- ワシントン広場の夜は更けて = Washington Square/ロリーポップ・リップス(1964年2月、TR-1016)
- 僕のマシュマロちゃん/ハートでキッス(1964年3月)
- 浮気娘/ネイビー・ブルー(1964年4月)
シングル
東芝音楽工業・東芝レコード
- 道はとこしえに/ピピ・ピピ・シェイク(赤木良輔)(1964年6月)
- レモン片手に/泣いちゃいました(1964年8月、TR-1116)
- ポプラの木陰で/もやもやしちゃうの(1965年1月、TP-1025)
- 君に涙とほゝえみを/いつも心に憧れを(1965年4月、TP-1069)
- ある日ある時/きらい(1965年7月)
- チム・チム・チェリー/ドレミの歌(1965年10月、TP-1164)
- 今日も元気で/幸せのうた(1965年11月5日、TP-1168)- 坂本九と
- 抱きしめて/青い恋(1966年2月)
- ディディンディンドン/しあわせ(1966年5月)
- 涙こらえて/湖畔の娘/サテライトでデイト(1966年12月、TP-1374)
- 悲しきエコー/パパ(1967年3月5日)
- 銀座アフタヌーン/さよならの前に(1967年8月15日、TP-1513)
- レモンの涙/別れのサンタモニカ(1967年10月)
- バイ=ヤン・パム・パム/涙のウエディング・ベル(1968年2月1日、TP-1597)- ディズニーミュージカル映画「最高に幸せ」より、シャーマン兄弟による挿入歌「BYE BYE YUM PUM PUM」の日本語カバー
- チュル・チュ・チュ/青空を歩こう(1968年5月1日、TP-)
- コメットさん/ポロロン・ワルツ(1968年9月1日、TP-2044)- TBSテレピ映画「コメットさん」主題歌
- 花が好き夢が好き/恋のゆりかご(1968年10月1日、TP-2063)
- はなの上のニキビくん/私の心はとてもちいさい(1969年1月10日)
- 白い蝶の歌/青空を返して(1969年4月1日)
- 高校時代/ふたつのコーヒー(1969年5月1日)
- 咲いたひらいた(1969年8月10日)- ジェリー藤尾、万国博こどもの歌
- 愛の世界/今日も言えない(1969年9月1日)
- きいろタンポポ/この森の向こうに(1969年11月1日、TP-2215)
- うちあげばなし/ツァイネルリン(1970年4月5日、TP-2272)
- くちづけからもう一度/こわれたギタ-と燃えないランプ(1970年10月5日)
- 天使が汽車でやってくる/明日天気になーれ(1971年7月5日)
- どうせ生きてゆくなら/脱出(1971年9月)
- また一人(アロ一ン・アゲイン)/春がおそすぎて(1971年12月1日、TP-2779)
ガウスエンタテインメント
- FOREVER GOLD/LOVE AND DREAM(1997年12月3日)- with 田辺靖雄
- 帰ってくるのは~ここだぞ~/帰ってくるのは~ここよ~(1998年11月21日)- with 田辺靖雄
- 帰ってくるのは~Duet Version~/やさしくしてますか-(1999年6月23日) with 田辺靖雄
テイチクエンタテインメント
- いっしょ/ISSYO(2005年12月16日)
徳間ジャパンコミュニケーションズ
- 明日がまだある/勝手にセタ・ガヤ/明日がまだある(オリジナルカラオケ)/勝手にセタ・ガヤ(オリジナルカラオケ)/ヘイ・ポーラ(ボーナストラック)(2014年5月14日、TKCA-90624)- with 田辺靖雄
アルバム
- うちあげばなし(1970年12月1日)
- 九重佑三子オンステージ(1971年3月5日)
出演
テレビドラマ
若い季節(1961年 - 1964年、NHK)
コメットさん(1967年 - 1968年、TBS系) - コメットさん 役[5]
三匹の侍 第6シリーズ 第22話「苦い米」(1969年、フジテレビ) - お若 役
おむすびコロリン(1969年、TBS系) - 細野文江 役
90日の恋(1969年、日本テレビ)
銭形平次 第244話「猪のくれた百万両」(1971年、フジテレビ)
土曜ワイド劇場「風の訪問者」(1979年、テレビ朝日)
テレビアニメ
Cosmic Baton Girl コメットさん☆(2001年 - 2002年、テレビ東京系)ハモニカ星国王妃(初代コメット) 役
バラエティ
夢であいましょう(1963年、NHK)
題名のない音楽会(1964年8月 - 1966年3月、東京12チャンネル[6]) 初代アシスタント
昭和とんちんかん(1967年、日本テレビ系)
午後は○○おもいッきりテレビ(日本テレビ系)
スターと対抗! 家族カウントダウン(フジテレビ) 審査員としてレギュラー出演
CM
ライオン 無りんブルーダイヤ
ロッテチョコレート(1964年 - )
リベレステ(夫・田辺靖雄と共演)
アサヒ緑健「緑効青汁」(田辺靖雄、田辺晋太郎と共演)
NHK紅白歌合戦出場歴
- 1964年 第15回「ウエディング・ドレス」
1965年 第16回「抱きしめて」
1966年 第17回「ディディンド・ディンドン」
1968年 第19回「ラスト・ワルツ」
脚注
- ^ ab石橋春海 『’60年代 蘇る昭和特撮ヒーロー』 コスミック出版〈COSMIC MOOK〉、2013年12月5日、111頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"""""""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}
ISBN 978-4-7747-5853-4。
^ 同回はNHKの方針に則り、出場歌手としては選出されなかった。
^ “第5回ギャラクシー賞”. 放送批評懇談会. 2014年11月13日閲覧。
^ “プロフィール”. 田辺靖雄&九重佑三子オフィシャルサイト. 2011年9月8日閲覧。
^ “コメットさん”. メディア芸術データベース. 2016年11月26日閲覧。
^ 九重の降板と同時にNETテレビ(現:テレビ朝日)へ放送局が移行した。また、その後は黛敏郎が逝去まで31年間に渡り単独で司会を務めた。
関連項目
- 田辺靖雄
本村由紀子(長男の妻)
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題名のない音楽会歴代司会・アシスタント | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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