グリーンベイ・パッカーズ



























グリーンベイ・パッカーズ
Green Bay Packers

1919年創設
永久欠番



  • 3

  • 4

  • 14

  • 15

  • 66

  • 92



ホームタウン


グリーンベイ・パッカーズの位置(アメリカ合衆国内)
グリーンベイ・パッカーズ



ウィスコンシン州グリーンベイ

Lambeau Field bowl.jpg
ランボー・フィールド


所属地区

  • NFL(1920-現在)


  • NFC(1970-現在)



北地区(2002-現在)


中地区(1970-2001)


  • 西カンファレンス(1953-1969)



中地区(1967-1969)

地区分けなし(1953-1966)



  • ナショナル・カンファレンス(1950-1952)

  • 西地区(1933-1949)

  • 地区分けなし(1920-1932)



  • 独立チーム(1919-1920)

チームデザイン
チームカラー

     ダークグリーン
    
    
チームロゴ

Green Bay Packers logo.svg
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降

















































スーパーボウル・チャンピオン (4回)


  • 1966

  • 1967

  • 1996

  • 2010


カンファレンス・チャンピオン (5回)
NFL西


  • 1966

  • 1967


NFC


  • 1996

  • 1997

  • 2010


地区優勝 (14回)
NFL中地区

  • 1967

NFC中地区


  • 1972

  • 1995

  • 1996

  • 1997


NFC北地区


  • 2002

  • 2003

  • 2004

  • 2007

  • 2011

  • 2012

  • 2013

  • 2014

  • 2016


ワイルドカード(8回)


  • 1966

  • 1993

  • 1994

  • 1998

  • 2001

  • 2009

  • 2010

  • 2015


プレーオフ進出(23/53回)


  • 1966

  • 1967

  • 1972

  • 1982

  • 1993

  • 1994

  • 1995

  • 1996

  • 1997

  • 1998

  • 2001

  • 2002

  • 2003

  • 2004

  • 2007

  • 2009

  • 2010

  • 2011

  • 2012

  • 2013

  • 2014

  • 2015

  • 2016


AFL合併(1969年)以前
NFLチャンピオン


  • 1929

  • 1930

  • 1931

  • 1936

  • 1939

  • 1944

  • 1961

  • 1962

  • 1965


カンファレンス・チャンピオン
NFL西


  • 1960

  • 1961

  • 1962

  • 1965

  • 1966

  • 1967


地区優勝
NFL西地区


  • 1936

  • 1938

  • 1939

  • 1944


NFL中地区

  • 1967

ワイルドカード


  • 1941

  • 1960

  • 1961

  • 1962

  • 1965



球団組織

オーナー: マーク・マーフィー

GM: ブライアン・ギュートカンスト

ヘッドコーチ: マット・ラフルアー

グリーンベイ・パッカーズ(英語: Green Bay Packers、略称: GB)は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州グリーンベイに本拠地をおくNFLチーム。NFC北地区に所属している。1921年、創立2年目のNFLに加盟しており現在あるチームの中ではアリゾナ・カージナルス、シカゴ・ベアーズに次いで3番目に古いチームとなっている。パッカーズは、現在の同国で唯一、一般市民が100%保有しているプロスポーツチームである。


パッカーズは、史上最多の計13回にわたりNFLチャンピオンとなっている。リーグ(旧NFLチャンピオンシップ)3連覇を成し遂げた唯一のチームでもあり、1929年から1931年と、1965年から1967年の2度にわたってこの記録を打ち立てた。スーパーボウル優勝は4回でそのうち2回はAFLとNFLチャンピオンの対戦として行われた第1回スーパーボウル、第2回スーパーボウル、1970年のAFLとNFL統合後の優勝は1996年度の第31回スーパーボウル、2010年度の第45回スーパーボウルである。アメリカでは非常に人気の高いチームであり、人気チームの世論調査においてもダラス・カウボーイズなどと共に常に上位に位置している[1]




目次






  • 1 公有企業


  • 2 フランチャイズ史


    • 2.1 ロンバルディ就任以前


    • 2.2 ヴィンス・ロンバルディの時代


    • 2.3 ロンバルディ退団後の長期低迷


    • 2.4 ファーヴの時代


    • 2.5 ロジャースの時代




  • 3 2019年シーズンの対戦相手


  • 4 応援スタイル


  • 5 歴代ヘッドコーチ


  • 6 主な選手


    • 6.1 永久欠番


    • 6.2 殿堂入り


    • 6.3 その他主な選手




  • 7 成績


    • 7.1 NFC北地区(2002年-現在)


    • 7.2 NFC中地区(1970年-2001年)


    • 7.3 NFL西カンファレンス・中地区(1967年-1969年)


    • 7.4 NFL西カンファレンス(1953年-1966年)


    • 7.5 NFLナショナル・カンファレンス(1950年-1952年)


    • 7.6 NFL西地区(1933年-1949年)


    • 7.7 NFL(1921年-1932年)




  • 8 脚注


  • 9 外部リンク





公有企業


パッカーズは、現在のアメリカのプロスポーツチーム中唯一の、取締役会を持つ公有企業である。約36万人の株主がおり、一人が保有できる株数は全体の約4%以下に限られる。株式は議決権付きであるが、償還価格は最低限であり、配当はなく、株価が上がることもなく、株式を保有していてもシーズンチケットの権利は得られない。株式の売買は禁止され、家族間の贈与のみが可能である。NFLの規則では、1チームの所有者は最大で32人までであり、一人が最低30%の株式を所有しなければならないため、パッカーズは例外とされている。グリーンベイは人口10万余りにすぎず、ローカルテレビ局の視聴者総数も60万人程度である。パッカーズには長年にわたってウィスコンシン州全体に熱心な支持者がおり、またNFLにはレベニュー・シェアリングのシステムが充実しているため、経営が成り立っている。プロスポーツ中唯一、パッカーズは毎年収支を公開している。2014年の収入の内訳は、自前の収入が1億4900万ドルであり、リーグからの分配金は2億2600万ドルであった[1]。会社運営のため、株主の投票で取締役会が選出される。この取締役会により、経営委員会(役員)が選出される。この委員会は、社長、副社長、会計、秘書の各1名ずつと、株主代表の3名の計7名で構成される。このうち報酬が支払われるのは社長のみで、その他の役職は無給である。



フランチャイズ史



ロンバルディ就任以前




1918年、ノートルダム大学時代のカーリー・ランボー


グリーンベイ・パッカーズは、1919年8月11日に創設された。当初はアクミー・パッカーズといった。創設者のカーリー・ランボー(選手兼ヘッドコーチでパッカーズの本拠地であるランボー・フィールドに名前が残っている。)は、彼の勤めるインディアン・パッキング・カンパニーに、ユニフォーム購入の資金提供を求めた。同社がこのチームを支援していたのは最初のシーズンのみだったが、グリーンベイのフットボールクラブの名称は、今も変わらず「パッカーズ」である。ノートルダム大学出身のランボーは、母校の校歌にちなんで、青と金 (黄) をチームカラーとした。この色は後に、現在の、緑と金 (黄) に変更される。この配色から、「ザ・グリーン・アンド・ゴールド」というチームの愛称が生まれた。


1921年、パッカーズは前年に設立されたプロフェッショナルリーグ(のちのNFL)に加盟したが、同じ年、缶詰会社のスポンサーが手を引いたため財政難によりフランチャイズを失う。ランボーは自ら資金を調達し、再びフランチャイズを得た。1922年から1923年にかけて、ランボーや地元新聞社主アンドリュー・ターンブルをはじめとする5人(通称"ハングリー・ファイブ")が奔走し、グリーンベイ・フットボール・コーポレーションを設立した。こうして、現在も続くパッカーズの基礎が形作られた。


1923年の グリーンベイ・フットボール・コーポレーション定款で、パッカーズのフランチャイズが売却されることになった場合は、米国在郷軍人会のサリバン・ウォーレン・ポストに、"正規兵士記念碑" 建設のため、すべての債務を清算したあとの残金を寄贈するものと定められた。この規定が設けられたのは、このクラブがグリーンベイで存続し続けることと、このクラブは株主の金銭的利益のためにあるものではないことを顕示するためであった。1997年11月の年次会議の株主投票で、受取人がサリバン・ウォーレン・ポストからグリーンベイ・パッカーズ・ファウンデーションへと変更された。1950年、パッカーズは、チーム運営資金調達のために再び株式を発行した。1956年には、新しいスタジアム(後のランボー・フィールド) の建設が承認された。



ヴィンス・ロンバルディの時代


1958年地区最下位となったが、1959年にヴィンス・ロンバルディがヘッドコーチになると開幕から3連勝した後5連敗したが残り4試合に連勝し1947年以来となる勝ち越しを果たした。翌年の1960年にはNFL西地区優勝を果たしポール・ホーナングはNFLトップの176得点をあげた。フィラデルフィア・イーグルスとのNFLチャンピオンシップゲームは一進一退のシーソーゲームとなったが最後の攻撃が敵陣8ヤードで止められて4点差で敗れた。1961年のNFLチャンピオンシップゲームではニューヨーク・ジャイアンツと対戦し1944年以来となるNFLチャンピオンになった。1962年には開幕から10連勝し13勝1敗でシーズンを終えた。2年連続の対戦となったニューヨーク・ジャイアンツとのNFLチャンピオンシップゲームでは16-7で勝利した。


その後2シーズン間をおいて1965年にパッカーズは再びNFLチャンピオンシップゲームに出場した。ウェスタンカンファレンスを制したボルチモア・コルツ戦ではドン・チャンドラーの右に外れたFGが得点を認められるといったことも起きた。NFLチャンピオンシップゲームではクリーブランド・ブラウンズを破りロンバルディが就任以来3回目の優勝をかざった。


1966年、12勝2敗でバート・スターがシーズンMVPに選ばれた。ダラス・カウボーイズとのNFLチャンピオンシップゲームでは最後自陣2ヤードまで攻め込まれたがドン・メレディスのパスをトム・ブラウンがインターセプトし34-27と勝利し、1970年に統合することが決定していたAFLのチャンピオン、カンザスシティ・チーフスと第1回スーパーボウルで対戦し35-10で勝利した。


1967年NFLチャンピオンシップゲームは後にアイスボウルと呼ばれる極寒の中で行われた。この試合残り16秒でバート・スターのQBスニークでタッチダウンをあげてダラス・カウボーイズを破り3年連続NFLチャンピオンとなった[2]


第2回スーパーボウルでオークランド・レイダーズを33-14と破りこの試合を最後にヴィンス・ロンバルディは勇退しゼネラルマネージャーとなり、後任には彼の下でアシスタントコーチを務めたフィル・ベングストンがなった。ロンバルディは1969年にワシントン・レッドスキンズのヘッドコーチとなったが1970年シーズン前の9月に亡くなった。


同チームは第1回と第2回のスーパーボウルを制した。この時代のスター選手はQBバート・スター、RBジム・テイラー、キャロル・デイル、ポール・ホーナング(エクストラポイントやFGも蹴った。)、RGのジェリー・クレイマー、ディフェンスのヘンリー・ジョーダン、ウィリー・ウッズ、レイ・ニチキ、デイブ・ロビンソン、ハーブ・アダリーらであった。1970年にロンバルディが死去すると、スーパーボウル優勝トロフィーは彼の功績を称えて「ヴィンス・ロンバルディ・トロフィー」と名づけられ、今に至っている。



ロンバルディ退団後の長期低迷


1968年から1991年までの24シーズン中パッカーズが勝ち越したのはわずか5シーズンであった。この間プレーオフに出場したのは2回で5人のヘッドコーチ(フィル・ベングストン、ダン・ディバイン、バート・スター、フォレスト・グレッグ、リンディー・インファンテ)が交代した。1974年のドラフトでは1巡目指名権2つ、2巡目指名権2つ、3巡目指名権をロサンゼルス・ラムズのピークを過ぎたQBジョン・ヘイドルを獲得するために手放した。ヘイドルは1年半しかパッカーズでプレイしなかった。1989年のドラフトでは、ほとんどのスカウトから高く評価されていたOTのトニー・マンダリッチを全体2位指名したものの、歴史的な大失敗に終わった。


1975年9月29日のデンバー・ブロンコスとのマンデーナイトフットボールで、ケン・ペインが12レシーブと活躍したが、13-23で敗れた[3]


1982年9月20日、ニューヨーク・ジャイアンツとのマンデーナイトフットボールで、ジェームズ・ロフトンは83ヤードのTDランをあげた。これはアール・キャンベルが持っていたMNF記録を更新するものであった[4]



ファーヴの時代


1991年にロン・ウルフがゼネラルマネージャーに就任、1992年、サンフランシスコ・フォーティナイナーズのオフェンスコーディネーターであったマイク・ホルムグレンがヘッドコーチに就任した。エースQBのドン・マコウスキーがシンシナティ・ベンガルズ戦で負傷退場したが、ロン・ウルフによってドラフト1巡目指名権と引き換えにアトランタ・ファルコンズから獲得したブレット・ファーブがリリーフ、キトリック・テイラーへのTDパスで逆転勝利した[5]


翌週のピッツバーグ・スティーラーズ戦以降ファーヴはプレーオフも含めて271試合に先発出場する不動のエースQBとなった。


1993年にはフリーエージェントになっていたフィラデルフィア・イーグルスのDE、レジー・ホワイトを獲得した。12月26日のロサンゼルス・レイダーズ戦でファンブルリターンタッチダウンをあげたリロイ・バトラーがランボー・フィールドの観客席に飛び込んだ。これが「ランボー・リープ」の始まりとなった[6]。この年チームは1982年以来11年ぶりとなるプレーオフ進出を果たした。


1994年にもチームはプレーオフ2回戦まで勝ちあがるようになった。


1995年には1972年のNFL以来となるNFC中地区優勝を果たした。プレーオフではアトランタ・ファルコンズに37-20、前年のスーパーボウルチャンピオンであるサンフランシスコ・フォーティナイナーズに27-17と勝ったがNFCチャンピオンシップゲームでダラス・カウボーイズに38-27で敗れた。シーズン終了後、3シーズン連続でオールプロに選ばれていたWRスターリング・シャープが首の負傷の影響で引退した[7]


1996年にはリーグベストの13勝3敗でプレーオフのホームフィールドアドバンテージを取るとフォーティナイナーズに35-14、カロライナ・パンサーズに35-14で勝利し第31回スーパーボウルではニューイングランド・ペイトリオッツを35-21で破り12度目のNFLチャンピオンとなった。この試合では第3Qにキックオフリターンタッチダウンを決めたデズモンド・ハワードがMVPとなっている[8]


1997年シーズンもプレーオフでタンパベイ・バッカニアーズに21-7、フォーティナイナーズを23-10で破り第32回スーパーボウルに出場した。この試合ブックメーカーはパッカーズが11.5得点有利としたが24-31でデンバー・ブロンコスに敗れた[9]


1998年、1995年9月17日から続いていたホームでの連勝を10月5日、25連勝まで伸ばした。これはNFL歴代2位の記録であった[10]。10月5日まで11勝5敗でシーズンを終えてプレーオフで3シーズン連続破っていたフォーティナイナーズと対戦したがこの試合に敗れた。この試合を最後にホルムグレンヘッドコーチは退団し[10]、シアトル・シーホークスの副社長、ゼネラルマネージャー、ヘッドコーチを兼ねるようになった。この時に多くのコーチがホルムグレンに従った。またレジー・ホワイトも現役を引退した。(彼は2000年現役復帰してカロライナ・パンサーズでプレイした。)


1999年、レイ・ローズがヘッドコーチとなり8勝8敗でシーズンを終えた。シーズン終了と共にローズは解任された。この年チームには規律が欠けていたとロン・ウルフは語った[10]


2000年、マイク・シャーマンが就任し9勝7敗でシーズンを終えた[10]


地元で行われたプレーオフでは1933年以来13勝0敗であったが2002年1月4日にアトランタ・ファルコンズに敗れてこの記録は途絶えた。


2005年、マイク・ホルムグレンの下で働いていたテッド・トンプソンがゼネラルマネージャーに就任した[11]。このシーズン、4勝12敗となり1991年以来となるシーズン負け越しを喫するとチームはマイク・シャーマンヘッドコーチを解任し、1999年にパッカーズのQBコーチ、その後サンフランシスコ・フォーティナイナーズのオフェンシブ・コーディネーターを務めていたマイク・マッカーシーが新ヘッドコーチとなった[11]。2006年は8勝8敗でシーズンを終えた。


2007年、チームはフリーエージェントとなったエースRBのアーマン・グリーンを失い、WRランディ・モスの獲得に敗れるなど十分な補強がされなかったと見られていたが最初の11試合中10試合に勝利するなど13勝3敗でNFC第2シードとなりNFCチャンピオンシップゲームでニューヨーク・ジャイアンツにオーバータイムの末20-23と敗れてシーズンを終えた。チーム躍進の立役者としてトンプソンGMが最優秀エグゼクティブ賞を受賞した。2008年3月4日、ブレット・ファーヴが引退を表明したためアーロン・ロジャースをエースQBに指名した。その後ファーヴは同年7月29日に引退を撤回したがチームはロジャースをエースQBとして起用する姿勢を崩さず8月6日、ファーヴをニューヨーク・ジェッツへ放出した[12]



ロジャースの時代


2008年、ファーヴの引退表明によりエースQBに指名されたQBアーロン・ロジャースは好成績を残したがチームは4点差以内で7敗するなど6勝10敗でシーズンを終えた。


2009年、チームはディフェンスコーディネーターにドム・ケイパースを招きそれまでの4-3ディフェンスから3-4ディフェンスに変更を行った[13]。前半8試合を4勝4敗で折り返したが[14]11勝5敗でワイルドカードでプレーオフに進出を果たしたが[15]アリゾナ・カージナルスにオーバータイムの末、45-51で敗れてシーズンを終えた[16]


2010年、開幕戦のフィラデルフィア・イーグルス戦でエースRBのライアン・グラントがシーズン絶望となり[17]、第5週のワシントン・レッドスキンズ戦でアーロン・ロジャースが脳震盪、ニック・バーネット、ジャーマイケル・フィンリーがシーズン絶望となった[18][19]。第14週のデトロイト・ライオンズ戦でアーロン・ロジャースが再度脳震盪を起こし途中退場して敗れるなどプレーオフ出場が一時危ぶまれた[20]。第15週をロジャースは欠場したが第16週にプレーオフを争うニューヨーク・ジャイアンツを破り[21][22]、最終週でシカゴ・ベアーズを下してNFC第6シードでプレーオフ出場を果たした[23][24]


この年チームには故障者リスト入りする選手が続出したがワイルドカードプレーオフではフィラデルフィア・イーグルス戦でロジャースが3タッチダウンパスをあげて21-16で[25][26]、ディビジョナルプレーオフではNFC第1シードのアトランタ・ファルコンズをロジャースがパス36回中31回を成功させ48-21と大差で勝利[27]、NFCチャンピオンシップゲームで地区ライバルのシカゴ・ベアーズを下しNFCのチームとしては初めて第6シードからのスーパーボウル出場を決めた[28]。スーパーボウルではピッツバーグ・スティーラーズを31-25で破り14年ぶりにタイトルを取り戻した[29]。MVPには3TDパスをあげたアーロン・ロジャースが選ばれた[30]


2009年から2016年までプレーオフに8年連続出場したが、2010年を最後にスーパーボウルには出場できていない。
2017年には途中ロジャースを負傷で欠き、2008年以来初めてプレーオフを逃した。長らくGMを務めたテッド・トンプソンはシーズン終了後に退任し、ブライアン・ギュートカンストが後継となった。


2018年12月2日、成績不振のためにHCのマイク・マッカーシーは解任され、ジョー・フィルビーが暫定HCとなった。2018年シーズンは二年連続してプレーオフを逃した。元タイタンズOCのマット・ラフルアーが後継HCとなった。



2019年シーズンの対戦相手


































































2019年シーズンのパッカーズの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位
チーフス
テキサンズ
レイブンズ
ペイトリオッツ
ラムズ
セインツ
ベアーズ
カウボーイズ
2位
チャージャーズ
コルツ
スティーラーズ
ドルフィンズ
シーホークス
ファルコンズ
バイキングス
イーグルス
3位
ブロンコス
タイタンズ
ブラウンズ
ビルズ
49ERS
パンサーズ
パッカーズ
レッドスキンズ
4位
レイダーズ
ジャガーズ
ベンガルズ
ジェッツ
カージナルス
バッカニアーズ
ライオンズ
ジャイアンツ

    :1度対戦     :2度対戦



応援スタイル


パッカーズのファン層は、献身的なことで有名である。チームの成績に関わらず、1960年以後、ランボー・フィールド(1シーズン8試合)での試合の入場券はすべて完売している。シーズンチケットのキャンセル待ちの人数は、あらゆるプロスポーツチームの中で最も多い(6万5000人以上)。現在、シーズンチケット入手までには実に40年を要する。このため、ファンがシーズンチケット権の相続人を遺言で指名することも珍しくない。


パッカーズファンの通称は、「チーズヘッド」(穴あきチーズのようにスカスカの脳、というのが元々の意味)である。これは、ウィスコンシン州がチーズの生産地として有名なこととファンとしての熱狂ぶりとを掛けたあだ名である。ファンは、この名になぞらえてチーズ形の帽子をかぶり、「チーズヘッド」の名をますます高めている。




歴代ヘッドコーチ






























































































シーズン 氏名 勝-敗-分
1921-1949
カーリー・ランボー
(212-106-21)
1950-1953

ジーン・ロンザーニ
(14-31-1)
1953
ヒュー・デボー
(0-2-0)
レイ・スクーター・マクリーン
1954-1957
ライル・ブラックボーン
(17-31-0)
1958
レイ・スクーター・マクリーン
(1-10-1)
1959-1967

ヴィンス・ロンバルディ
(98-30-4)
1968-1970
フィル・ベングストン
(20-21-1)
1971-1974

ダン・ディバイン
(25-28-4)
1975-1983
バート・スター
(53-77-3)
1984-1987
フォレスト・グレッグ
(25-37-1)
1988-1991
リンディー・インファンテ
(24-40-0)
1992-1998
マイク・ホルムグレン
(84-42-0)
1999

レイ・ローズ
(8-8-0)
2000-2005

マイク・シャーマン
(59-43-0)
2006-2018
マイク・マッカーシー
(102-55-1)
2018
ジョー・フィルビー(暫定)
(2-2-0)
2019-
マット・ラフルアー


※2014シーズン終了時点



主な選手



永久欠番




ランボー・フィールド内部、奥に見える写真はパッカーズの永久欠番となった選手たち



  • 3 トニー・キャナデオ

  • 4 ブレット・ファーブ

  • 14 ドン・ハトソン

  • 15 バート・スター

  • 66 レイ・ニチキ

  • 92 レジー・ホワイト (彼の背番号は実質1999年以降使用されていなかったが、2004年12月26日の不慮の死を追悼し、2005年9月18日の試合のハーフタイムセレモニーで、永久欠番と定められた)[32]



殿堂入り



  • ハーブ・アダリー

  • トニー・キャナデオ

  • ウィリー・デービス

  • レン・フォード

  • フォレスト・グレッグ

  • テッド・ヘンドリックス

  • アーニー・ハーバー

  • クラーク・ヒンケル

  • ポール・ホーナング

  • カル・ハバード

  • ドン・ハトソン

  • ヘンリー・ジョーダン

  • ウォルト・キースリング

  • カーリー・ランボー

  • ジェームス・ロフトン

  • ヴィンス・ロンバルディ

  • ジョン・ブラッド・マクナリー

  • マイク・ミカルスキ

  • レイ・ニチキ

  • ジム・リンゴ

  • バート・スター

  • ジャン・スティーネルード

  • ジム・テイラー

  • エムレン・タネル

  • レジー・ホワイト

  • ウィリー・ウッド



その他主な選手



  • エドガー・ベネット

  • トニー・ベネット

  • ジョン・ブロッキントン

  • ロバート・ブルックス


  • リロイ・バトラー - 1993年パッカーズの選手として初めてランボー・リープ(TD後観客席に飛び込むセレブレーション)を行った[33]

  • チャック・セシル

  • マーク・チュムラ

  • リン・ディッキー

  • アントニオ・フリーマン

  • ティム・ハリス

  • セシル・イズベル

  • ショーン・ジョーンズ


  • ジェリー・クレイマー (『Instant Replay』の著者)

  • マーク・リー

  • ドーシー・レベンズ

  • ドン・マコウスキー

  • スティーブ・マクマイケル

  • ブライス・パウプ

  • ユージン・ロビンソン

  • スターリング・シャープ

  • ダレン・シャーパー

  • クリス・ジャック

  • ヴィンス・ワークマン



成績



NFC北地区(2002年-現在)



  • GB:グリーンベイ・パッカーズ、MIN:ミネソタ・バイキングス、CHI:シカゴ・ベアーズ、DET:デトロイト・ライオンズ

  • 数字:シード順

  • v:スーパーボウル優勝

  • s:スーパーボウル敗退

  • c:カンファレンス決勝敗退

  • d:ディビジョナルプレーオフ敗退

  • w:ワイルドカードプレーオフ敗退

  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年































































































































































































































































































































































地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム

2018
CHI(3w) 12 4 0
MIN 8 7 1
GB 6 9 1
DET 6 10 0

2017
MIN(2c) 13 3 0
DET 9 7 0
GB 7 9 0
CHI 5 11 0

2016
GB(4c) 10 6 0
DET(6w) 9 7 0
MIN 8 8 0
CHI 3 13 0

2015
MIN(3w) 11 5 0
GB(5d) 10 6 0
DET 7 9 0
CHI 6 10 0

2014
GB(2c) 12 4 0
DET(6w) 11 5 0
MIN 7 9 0
CHI 5 11 0

2013
GB(4w) 8 7 1
CHI 8 8 0
DET 7 9 0
MIN 5 10 1

2012
GB(3d) 11 5 0
MIN(6w) 10 6 0
CHI 10 6 0
DET 4 12 0

2011
GB(1d) 15 1 0
DET(6w) 10 6 0
CHI 8 8 0
MIN 3 13 0

2010
CHI(2c) 11 5 0
GB(6v) 10 6 0
DET 6 10 0
MIN 6 10 0

2009
MIN(2c) 12 4 0
GB(5w) 11 5 0
CHI 7 9 0
DET 2 14 0

2008
MIN(3w) 10 6 0
CHI 9 7 0
GB 6 10 0
DET 0 16 0

2007
GB(2c) 13 3 0
MIN 8 8 0
DET 7 9 0
CHI 7 9 0

2006
CHI(1s) 13 3 0
GB 8 8 0
MIN 6 10 0
DET 3 13 0

2005
CHI(2d) 11 5 0
MIN 9 7 0
DET 5 11 0
GB 4 12 0

2004
GB(3w) 10 6 0
MIN(6d) 8 8 0
DET 6 10 0
CHI 5 11 0

2003
GB(4d) 10 6 0
MIN 9 7 0
CHI 7 9 0
DET 5 11 0

2002
GB(3w) 12 4 0
MIN 6 10 0
CHI 4 12 0
DET 3 13 0


NFC中地区(1970年-2001年)



  • GB:グリーンベイ・パッカーズ、MIN:ミネソタ・バイキングス、CHI:シカゴ・ベアーズ、DET:デトロイト・ライオンズ、TB:タンパベイ・バッカニアーズ

  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。

  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。

  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年






































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム

2001
CHI(2d) 13 3 0
GB(4d) 12 4 0
TB(6w) 9 7 0
MIN 5 11 0
DET 2 14 0

2000
MIN(2c) 11 5 0
TB(5w) 10 6 0
GB 9 7 0
DET 9 7 0
CHI 5 11 0

1999
TB(2c) 11 5 0
MIN(4d) 10 6 0
DET(6) 8 8 0
GB 8 8 0
CHI 6 10 0

1998
MIN(1c) 15 1 0
GB(5w) 11 5 0
TB 8 8 0
DET 5 11 0
CHI 4 12 0

1997
GB(2s) 13 3 0
TB(4d) 10 6 0
DET(5w) 9 7 0
MIN(6d) 9 7 0
CHI 4 12 0

1996
GB(1v) 13 3 0
MIN(6w) 9 7 0
CHI 7 9 0
TB 6 10 0
DET 5 11 0

1995
GB(3c) 11 5 0
DET(5w) 10 6 0
CHI 9 7 0
MIN 8 8 0
TB 7 9 0

1994
MIN(3w) 10 6 0
GB(4d) 9 7 0
DET(5w) 9 7 0
CHI(6d) 9 7 0
TB 6 10 0

1993
DET(3w) 10 6 0
MIN(5w) 9 7 0
GB(6d) 9 7 0
CHI 7 9 0
TB 5 11 0

1992
MIN(3w) 11 5 0
GB 9 7 0
TB 5 11 0
CHI 5 11 0
DET 5 11 0

1991
DET(2c) 12 4 0
CHI(4w) 11 5 0
MIN 8 8 0
GB 4 12 0
TB 3 13 0

1990
CHI(4d) 11 5 0
TB 6 10 0
DET 6 10 0
GB 6 10 0
MIN 6 10 0

1989
MIN(3d) 10 6 0
GB 10 6 0
DET 7 9 0
CHI 6 10 0
TB 5 11 0

1988
CHI(1c) 12 4 0
MIN(4d) 11 5 0
TB 5 11 0
DET 4 12 0
GB 4 12 0

1987
CHI(2d) 11 4 0
MIN(5c) 8 7 0
GB 5 9 1
TB 4 11 0
DET 4 11 0

1986
CHI(2d) 14 2 0
MIN 9 7 0
DET 5 11 0
GB 4 12 0
TB 2 14 0

1985
CHI(1v) 15 1 0
GB 8 8 0
MIN 7 9 0
DET 7 9 0
TB 2 14 0

1984
CHI(3c) 10 6 0
GB 8 8 0
TB 6 10 0
DET 4 11 1
MIN 3 13 0

1983
DET(3d) 9 7 0
GB 8 8 0
CHI 8 8 0
MIN 8 8 0
TB 2 14 0

1982
GB(3d) 5 3 1
MIN(4d) 5 4 0
TB(7w) 5 4 0
DET(8w) 4 5 0
CHI 3 6 0

1981
TB(3d) 9 7 0
DET 8 8 0
GB 8 8 0
MIN 7 9 0
CHI 6 10 0

1980
MIN(3d) 9 7 0
DET 9 7 0
CHI 7 9 0
TB 5 10 1
GB 5 10 1

1979
TB(2c) 10 6 0
CHI(5w) 10 6 0
MIN 7 9 0
GB 5 11 0
DET 2 14 0

1978
MIN(3d) 8 7 1
GB 8 7 1
DET 7 9 0
CHI 7 9 0
TB 5 11 0

1977
MIN(3c) 9 5 0
CHI(4d) 9 5 0
DET 6 8 0
GB 4 10 0
TB 2 12 0

1976
MIN(1s) 11 2 0
CHI 7 7 0
DET 6 8 0
GB 5 9 0


1975
MIN(1d) 12 2 0
DET 7 7 0
CHI 4 10 0
GB 4 10 0

1974
MIN(s) 10 4 0
DET 7 7 0
GB 6 8 0
CHI 4 10 0

1973
MIN(s) 12 2 0
DET 6 7 1
GB 5 7 2
CHI 3 11 0

1972
GB(d) 10 4 0
DET 8 5 1
MIN 7 7 0
CHI 4 9 1

1971
MIN(d) 11 3 0
DET 7 6 1
CHI 6 8 0
GB 4 8 2

1970
MIN(d) 12 2 0
DET(d) 10 4 0
GB 6 8 0
CHI 6 8 0


NFL西カンファレンス・中地区(1967年-1969年)



  • GB:グリーンベイ・パッカーズ、MIN:ミネソタ・バイキングス、CHI:シカゴ・ベアーズ、DET:デトロイト・ライオンズ

  • 括弧内の文字はv:スーパーボウル(AFL-NFLワールドチャンピオンシップゲーム)優勝、s:スーパーボウル敗退・NFL優勝、n:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退

  • プレイオフは地区優勝チームのみ出場

  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年





















































































地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム

1969
MIN(s) 12 2 0
DET 9 4 1
GB 8 6 0
CHI 1 13 0

1968
MIN(c) 8 6 0
CHI 7 7 0
GB 6 7 1
DET 4 8 2

1967
GB(v) 9 4 1
CHI 7 6 1
DET 5 7 2
MIN 3 8 3


NFL西カンファレンス(1953年-1966年)



  • SF:サンフランシスコ・49ERS、GB:グリーンベイ・パッカーズ、DET:デトロイト・ライオンズ、LA:ロサンゼルス・ラムズ、BAL:ボルチモア・コルツ、CHB→CHI:シカゴ・ベアーズ、DAL:ダラス・カウボーイズ、MIN:ミネソタ・バイキングス

  • 括弧内の文字はV:スーパーボウル勝利、v:NFL優勝、n:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝

  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年



































































































































































































































































































































































































































































優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム

1966
GB(V) 12 2 0
BAL 9 5 0
LA 8 6 0
SF 6 6 2
CHI 5 7 2
DET 4 9 1
MIN 4 9 1
スーパーボウル開始

1965
GB(v) 10 3 1
BAL 10 3 1
CHI 9 5 0
SF 7 6 1
MIN 7 7 0
DET 6 7 1
LA 4 10 0

1964
BAL(n) 12 2 0
GB 8 5 1
MIN 8 5 1
DET 7 5 2
LA 5 7 2
CHI 5 9 0
SF 4 10 0

1963
CHI(v) 11 1 2
GB 11 2 1
BAL 8 6 0
DET 5 8 1
MIN 5 8 1
LA 5 9 0
SF 2 12 0

1962
GB(v) 13 1 0
DET 11 3 0
CHI 9 5 0
BAL 7 7 0
SF 6 8 0
MIN 2 11 1
LA 1 12 1

1961
GB(v) 11 3 0
DET 6 7 1
BAL 8 6 0
CHI 8 6 0
SF 7 6 1
LA 4 10 0
MIN 3 11 0

1960
GB(n) 8 4 0
DET 7 5 0
SF 7 5 0
BAL 6 6 0
CHI 5 6 1
LA 4 7 1
DAL 0 11 1

1959
BAL(v) 9 3 0
CHB 8 4 0
GB 7 5 0
SF 7 5 0
DET 3 8 1
LA 2 10 0


1958
BAL(v) 9 3 0
CHB 8 4 0
LA 8 4 0
SF 6 6 0
DET 4 7 1
GB 1 10 1

1957
DET(v) 8 4 0
SF 8 4 0
BAL 7 5 0
LA 6 6 0
CHB 5 7 0
GB 3 9 0

1956
CHB(n) 9 2 1
DET 9 3 0
SF 5 6 1
BAL 5 7 0
GB 4 8 0
LA 4 8 0

1955
LA(n) 8 3 1
CHB 8 4 0
GB 6 6 0
BAL 5 6 1
SF 4 8 0
DET 3 9 0

1954
DET(n) 9 2 1
CHB 8 4 0
SF 7 4 1
LA 6 5 1
GB 4 8 0
BAL 3 9 0

1953
DET(v) 10 2 0
SF 9 3 0
LA 8 3 1
CHB 3 8 1
BAL 3 9 0
GB 2 9 1


NFLナショナル・カンファレンス(1950年-1952年)



  • SF:サンフランシスコ・49ERS、GB:グリーンベイ・パッカーズ、DET:デトロイト・ライオンズ、LA:ロサンゼルス・ラムズ、BAL:ボルチモア・コルツ(初代)、CHB:シカゴ・ベアーズ、NYY:ニューヨーク・ヤンクス、DAL:ダラス・テキサンズ

  • 括弧内の文字はv:NFL優勝、n:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝

































































































































優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム

1952
DET(v) 9 3 0
LA 9 3 0
SF 7 5 0
GB 6 6 0
CHB 5 7 0
DAL 1 11 0


1951
LA(v) 8 4 0
DET 7 4 1
SF 7 4 1
CHB 7 5 0
GB 3 9 0
NYY 1 9 2

1950
LA(n) 9 3 x
CHB 9 3 x
NYY 7 5 x
DET 6 6 x
GB 3 9 x
SF 3 9 x
BAL 1 11 x


NFL西地区(1933年-1949年)



  • 1944年は、太平洋戦争の影響により、スティーラーズとカージナルスが合同チームで西地区に参加した。

  • GB:グリーンベイ・パッカーズ、CHC:シカゴ・カージナルス、CHB:シカゴ・ベアーズ、POR→DET:ポーツマス・スパルタンズ→デトロイト・ライオンズ、CLE→LA:クリーブランド・ラムズ→ロサンゼルス・ラムズ、CIN:シンシナティ・レッズ、StL:セントルイス・ガンナーズ、Card-Pitt:シカゴ・カージナルスとピッツバーグ・スティーラーズの合同チーム

  • 括弧内の文字はv:NFL優勝、n:NFL決勝敗退・地区優勝









































































































































































































































































































































































































































優勝 2位 3位 4位 5位 6位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム

1949
LA(n) 8 2 2
CHB 9 3 0
CHC 6 5 1
DET 4 8 0
GB 2 10 0


1948
CHC(n) 11 1 0
CHB 10 2 0
LA 6 5 1
GB 3 9 0
DET 2 10 0

1947
CHC(v) 9 3 0
CHB 8 4 0
GB 6 5 1
LA 6 6 0
DET 3 9 0

1946
CHB(v) 8 2 1
LA 6 4 1
GB 6 5 0
CHC 6 5 0
DET 1 10 0

1945
CLE(v) 9 1 0
DET 7 3 0
GB 6 4 0
CHB 3 7 0
CHC 1 9 0

1944
GB(v) 8 2 0
CHI 6 3 1
DET 6 3 1
CLE 4 6 0
Card-Pitt 0 10 0

1943
CHB(v) 8 1 1
GB 7 2 1
DET 3 6 1
CHC 0 10 0


1942
CHB(n) 11 0 0
GB 8 2 1
CLE 5 6 0
CHC 3 8 0
DET 0 11 0

1941
CHB(v) 10 1 0
GB 10 1 0
DET 4 6 1
CHC 3 7 1
CLE 2 9 0

1940
CHB(v) 8 3 0
GB 6 4 1
DET 5 5 1
CLE 4 6 1
CHC 2 7 2

1939
GB(v) 9 2 0
CHB 8 3 0
DET 6 5 0
CLE 5 5 1
CHC 1 10 0

1938
GB(n) 8 3 0
DET 7 4 0
CHB 6 5 0
CLE 4 7 0
CHC 2 9 0

1937
CHB(n) 9 1 1
GB 7 4 0
DET 7 4 0
CHC 5 5 1
CLE 1 10 0

1936
GB(v) 10 1 1
CHB 9 3 0
DET 8 4 0
CHC 2 8 1


1935
DET(v) 7 3 2
GB 8 4 0
CHB 6 4 2
CHC 6 4 2

1934
CHB(n) 13 0 0
DET 10 3 0
GB 7 6 0
CHC 5 6 0
StL 1 2 0
CIN 0 8 0

1933
CHB(v) 10 2 1
POR 6 5 0
GB 5 7 1
CIN 3 6 1
CHC 1 9 1



NFL(1921年-1932年)



  • 1932年以前はチームの入れ替わりが激しかったため、現存チームのみを表記する。

  • NY・NYG:ニューヨーク・ジャイアンツ、GB:グリーンベイ・パッカーズ、BOS:ボストン・ブレーブス(現レッドスキンズ)、POR:ポーツマス・スパルタンズ(現ライオンズ)、CHS→CHB:シカゴ・ステイリーズ→シカゴ・ベアーズ、CHC:シカゴ・カージナルス









































































































































































































































































































































チーム
チーム
チーム
チーム
チーム
チーム

1932
8
1
CHB 7 1 6
2
GB 10 3 1
3
POR 6 2 4
4
BOS 4 4 2
5
NY 4 6 2
7
CHC 2 6 2

1931
10
1
GB 12 2 0
2
POR 11 3 0
3
CHB 8 5 0
4
CHC 5 4 0
5
NY 7 6 1

1930
11
1
GB 10 3 1
2
NY 13 4 0
3
CHB 9 4 1
7
CHC 5 6 2
8
POR 5 6 3

1929
12
1
GB 12 0 1
2
NY 13 1 1
4
CHC 6 6 1
9
CHB 4 9 2

1928
10
4
GB 6 4 3
5
CHB 7 5 1
6
NYG 4 7 2
9
CHC 1 5 0

1927
12
1
NYG 11 1 1
2
GB 7 2 1
3
CHB 9 3 2
9
CHC 3 7 1

1926
22
2
CHB 12 1 3
5
GB 7 3 3
6
NY 8 4 1
10
CHC 5 6 1

1925
20
1
CHC 11 2 1
4
NY 8 4 0
7
CHB 9 5 3
9
GB 8 5 0

1924
18
2
CHB 6 1 4
6
GB 7 4 0
8
CHC 5 4 1

1923
20
2
CHB 9 2 1
3
GB 7 2 1
6
CHC 8 4 0

1922
18
2
CHB 9 3 0
3
CHC 8 3 0
8
GB 4 3 3

1921
21
1
CHS 9 3 2
7
GB 7 2 1
9
CHC 3 3 2


脚注


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  1. ^ Dallas Cowboys are Again America's Favorite Football Team Harris Interactive. 2013年2月1日閲覧。


  2. ^ VHS 『グレーテスト・タッチダウン ベスト100』(Number)


  3. ^ “MNF History: 1975”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月1日閲覧。


  4. ^ “MNF History: 1982”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月1日閲覧。


  5. ^ “The record starts here”. ロサンゼルス・タイムズ. 2012年6月6日閲覧。


  6. ^ “パッカーズ本拠地の名物“ランボー・リープ”が生まれて15年”. NFL JAPAN (2008年12月27日). 2011年2月7日閲覧。


  7. ^ “【スーパーボウルまで追いかけ隊】コルツはワンマンアーミーだったのか”. アスキー (2011年11月4日). 2012年6月6日閲覧。


  8. ^ “Super Bowl XXXI MVP: Desmond Howard”. nfl.com (1997年1月27日). 2012年6月6日閲覧。


  9. ^ “Packers Open as Super Bowl Favorite”. topsportsbooks.com (2011年1月25日). 2012年6月6日閲覧。

  10. ^ abcd“Packers Manager Steps Down”. ABC (2001年2月1日). 2012年6月6日閲覧。

  11. ^ ab生沢浩 (2011年4月7日). “ドラフトはポリシー発露の場、名人の戦略に注目【前編】”. NFL JAPAN. 2011年4月28日閲覧。


  12. ^ “ロジャース抜擢の賭けに成功したパッカーズ”. NFL JAPAN (2011年2月2日). 2011年2月7日閲覧。


  13. ^ “パッカーズ指揮官、守備の3-4隊形移行に好感触”. NFL JAPAN (2009年6月19日). 2011年2月7日閲覧。


  14. ^ “パッカーズHC、プレイオフ出場も「まだ仕事は残っている」”. NFL JAPAN (2009年12月28日). 2011年2月7日閲覧。


  15. ^ “【第17週】パッカーズ、プレイオフ前哨戦に圧勝”. NFL JAPAN (2010年1月4日). 2011年2月7日閲覧。


  16. ^ “【WC】カーディナルスがOT勝利、壮絶な点取り合戦制す”. NFL JAPAN (2010年1月11日). 2011年2月7日閲覧。


  17. ^ “パッカーズに衝撃、エースRBグラントがシーズン絶望に”. NFL JAPAN (2010年9月15日). 2011年2月7日閲覧。


  18. ^ “【第6週プレビュー】故障者続出のパッカーズ、試金石の一戦”. NFL JAPAN (2010年10月16日). 2011年2月7日閲覧。


  19. ^ “パッカーズひと安心、QBロジャースが次戦先発へ”. NFL JAPAN (2010年10月16日). 2011年2月7日閲覧。


  20. ^ “プレイオフ進出へ黄信号? ジェッツ&パッカーズ”. NFL JAPAN (2010年12月14日). 2011年2月7日閲覧。


  21. ^ “ロジャース大活躍のパッカーズ圧勝、プレイオフ戦線に生き残る”. NFL JAPAN (2010年12月27日). 2011年2月7日閲覧。


  22. ^ “QBロジャース完全復活、「ポジション奪回しなくちゃ」”. NFL JAPAN (2010年12月27日). 2011年2月7日閲覧。


  23. ^ “パッカーズ、ロースコアの戦い制しプレイオフの切符つかむ”. NFL JAPAN (2011年1月3日). 2011年2月7日閲覧。


  24. ^ “最終切符ゲットのパッカーズ、第6シードからの波乱に自信”. NFL JAPAN (2011年1月3日). 2011年2月7日閲覧。


  25. ^ “QBロジャース3TDパス、パッカーズが敵地で熱戦制す”. NFL JAPAN (2011年1月10日). 2011年2月7日閲覧。


  26. ^ “ディビショナル・プレイオフ進出、好調パッカーズの強みとは?”. NFL JAPAN (2011年1月11日). 2011年2月7日閲覧。


  27. ^ “QBロジャース大暴れ、パッカーズが第1シードのファルコンズ粉砕”. NFL JAPAN (2011年1月16日). 2011年2月7日閲覧。


  28. ^ “パッカーズ堅守で勝利、第6シードからスーパーボウルへ”. NFL JAPAN (2011年1月24日). 2011年2月7日閲覧。


  29. ^ “パッカーズ、14年ぶりスーパーボウル制覇!”. NFL JAPAN (2011年2月7日). 2011年2月7日閲覧。


  30. ^ “スーパーボウルMVPは3TDパスのQBロジャース”. NFL JAPAN (2011年2月7日). 2011年2月7日閲覧。


  31. ^ マット・ミレンがフロント入りしてからというもの同地区ライバルのデトロイト・ライオンズは低迷し彼の解任の噂が絶えなかった。2008年シーズン16戦全敗したライオンズはミレンを解任した。


  32. ^ Packers To Retire Reggie White's Number Sept. 18 packers.com


  33. ^ パッカーズ本拠地の名物“ランボー・リープ”が生まれて15年 NFL JAPAN 2008年12月27日




外部リンク




  • Green Bay Packers (英語)


  • NFL JAPANプロフィール (日本語)

  • Packer Zone












































































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