三笠宮
































三笠宮

家紋
家祖
三笠宮崇仁親王
(大正天皇第四皇男子)
種別
皇族(宮家)
出身地
東京都
主な根拠地
東京都赤坂御用地内
著名な人物
三笠宮崇仁親王
寬仁親王(第一男子)
甯子内親王(第一女子)
宜仁親王(第二男子)
容子内親王(第二女子)
憲仁親王(第三男子)
支流、分家
桂宮
高円宮

凡例 / Category:日本の氏族







皇室

Imperial Seal of Japan.svg


天皇 明仁
皇后 美智子



  • 皇太子 徳仁親王
    皇太子 徳仁親王妃 雅子
    • 敬宮 愛子内親王





  • 秋篠宮 文仁親王
    秋篠宮 文仁親王妃 紀子

    • 眞子内親王

    • 佳子内親王

    • 悠仁親王






  • 常陸宮 正仁親王
    常陸宮 正仁親王妃 華子




  • 三笠宮 崇仁親王妃 百合子


  • 寛仁親王妃 信子

    • 彬子女王

    • 瑶子女王







  • 高円宮 憲仁親王妃 久子
    • 承子女王









三笠宮(みかさのみや)は、大正天皇の第四皇男子崇仁親王の宮号であり、崇仁親王の妃とその子孫の宮家(直宮家)である。現当主は崇仁親王妃百合子。




目次






  • 1 概要


  • 2 構成


    • 2.1 系図


    • 2.2 離脱・薨去




  • 3 当主


  • 4 寬仁親王家


  • 5 系図


  • 6 脚注


  • 7 関連項目


  • 8 外部リンク





概要


三笠宮の宮号は、1935年(昭和10年)12月2日に崇仁親王が成年式を行った際に賜ったもので、阿倍仲麻呂の和歌「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」に出てくる奈良の三笠山にちなんで命名された。同時に大勲位に叙せられている。


1980年(昭和55年)11月7日、長男の寬仁親王が結婚を機に寬仁親王家として三笠宮本家から独立。


2012年(平成24年)6月6日、寬仁親王が後継者たる男子をもうけないまま薨去。家族である寬仁親王家は三笠宮本家と合流。


2016年(平成28年)10月27日に当主崇仁親王が薨去。それに伴い11月16日、皇室経済会議により崇仁親王妃百合子を2代目当主と認定。


現在の三笠宮家は男子が不在であり、現行皇室典範上においては、崇仁親王妃百合子、および寬仁親王妃信子とその子である彬子女王・瑶子女王の薨去、または皇籍離脱をもって宮家が断絶することになる。



構成

















































読み
性別
生年月日
現年齢
続柄
概要

崇仁親王妃百合子
ゆりこ
女性
1923年6月4日
95歳

三笠宮崇仁親王妃


寛仁親王妃信子
のぶこ
女性
1955年4月9日
63歳

寬仁親王妃
2013年に合流

彬子女王
あきこ
女性
1981年12月20日
37歳

寬仁親王第一女子
2013年に合流

瑶子女王
ようこ
女性
1983年10月25日
35歳

寬仁親王第二女子
2013年に合流


系図










































































































































































































大正天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三笠宮
崇仁親王
 
百合子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
近衞甯子
 
寬仁親王
 
信子
 
桂宮
宜仁親王
 
千容子
 
高円宮
憲仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彬子女王
 
瑶子女王
 
 
 
 
 
 




離脱・薨去




























































読み
性別
生年月日
続柄
概要

三笠宮崇仁親王
たかひと
男性
1915年12月2日

大正天皇第四皇男子

2016年薨去

甯子内親王
やすこ
女性
1944年4月26日

崇仁親王第一女子
1966年婚姻

寛仁親王
ともひと
男性
1946年1月5日
崇仁親王第一男子

2012年薨去

宜仁親王
よしひと
男性
1948年2月11日
崇仁親王第二男子

1988年桂宮家創設、2014年薨去

容子内親王
まさこ
女性
1951年10月23日
崇仁親王第二女子
1983年婚姻

憲仁親王
のりひと
男性
1954年12月29日
崇仁親王第三男子
1984年高円宮家創設、2002年薨去


当主


初代当主・三笠宮崇仁親王は、1915年(大正4年)12月2日に大正天皇と貞明皇后の四男として誕生。御称号は澄宮(すみのみや)。1941年(昭和16年)10月22日、崇仁親王が25歳の折に、子爵高木正得の次女・百合子と結婚し、以下の子女をもうけた。




  • 甯子内親王:日本赤十字社社長・近衛忠煇夫人。お印は楠。


  • 寬仁親王:三笠若宮(生誕時から2012年まで)。お印は柏。


  • 宜仁親王:桂宮。お印は桂。


  • 容子内親王:茶道裏千家第16代家元・千宗室夫人。お印は楓。


  • 憲仁親王:高円宮。お印は柊。


5人の子女は、名前が「宀(うかんむり)」、お印が「木(きへん)」と、それぞれ同じ漢字の部首で統一されている。


2016年(平成28年)、崇仁親王薨去に伴い、崇仁親王妃百合子が三笠宮家の当主となった。



寬仁親王家


崇仁親王第一男子・寬仁親王は生前、将来的に「三笠宮」の宮号を継承すると考えられていた存在であったが、現行制度では宮号は宮家の当主に授けられるものとされているので、当主ではなかった寬仁親王を「三笠宮寬仁親王」と呼称することは、厳密に考えれば誤用であるといえる。なお、かつて宮家の後嗣は「○○若宮」と呼ばれていたが、宮家自体の数の減少や、宮家に男子が生まれることがほとんどなくなったため、現在は一般的な呼称ではない。


なお、寬仁親王は宮号は賜っていなかったものの、寬仁親王家として三笠宮本家から独立した生計を営んでおり、同家の当主となっていた。寬仁親王の薨去に伴い、同家の当主は不在となった。宮内庁は2013年6月10日、寬仁親王の薨去時にさかのぼって寛仁親王家が廃されたものとして扱い、同家の成員については職員や皇族費はそのままで三笠宮家に合流することを発表した[1]。同年7月31日には、当主のいなくなった寬仁親王邸を「三笠宮東邸」に改めることになった。


秩父宮家や高松宮家(共に絶家となるまで)、また高円宮家では親王の薨去後に親王妃が当主となっており、それが事実上慣例化していた。しかし寬仁親王家では後継の当主が定まらず、信子妃も、また喪主を務めた彬子女王も当主にはならなかった。












































読み
性別
生年月日
続柄
概要

寛仁親王
ともひと
男性
1946年1月5日

崇仁親王第一男子
2012年薨去

寛仁親王妃信子
のぶこ
女性
1955年4月9日

寬仁親王妃
2013年に寬仁親王家から三笠宮家に合流

彬子女王
あきこ
女性
1981年12月20日

寬仁親王第一女子
2013年に寬仁親王家から三笠宮家に合流

瑶子女王
ようこ
女性
1983年10月25日

寬仁親王第二女子
2013年に寬仁親王家から三笠宮家に合流


系図


Taisyoutennou kinjyoutennou.png


123
大正天皇  三笠宮   ┏甯子内親王(近衞甯子)
 ┣━━━━崇仁親王  ┣寛仁親王
貞明皇后   ┣━━━━┫ ┣━━━━┳彬子女王
      百合子妃  ┃ 信子妃   ┗瑶子女王
             ┃
           ┃桂宮
            ┣宜仁親王
           ┃
           ┣容子内親王(千容子)
            ┃
            ┃高円宮
            ┗憲仁親王    ┏承子女王
              ┣━━━━╋典子女王(千家典子)
              久子妃    ┗絢子女王(守谷絢子)


脚注


[ヘルプ]




  1. ^ 朝日新聞デジタル:寛仁親王家廃し三笠宮家に合流 逝去1年、当主決まらず - 社会






関連項目


  • 三笠山


外部リンク



  • 三笠宮家 - 宮内庁 (日本語)








Popular posts from this blog

宮崎県

濃尾地震

シテ島