ダスティ・ベイカー


















































ダスティ・ベイカー
Dusty Baker

Dusty Baker in 2017 (33735309423) (cropped).jpg

ワシントン・ナショナルズでの監督時代

基本情報
国籍
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地
カリフォルニア州リバーサイド
生年月日
(1949-06-15) 1949年6月15日(69歳)
身長
体重

6' 2" =約188 cm
183 lb =約83 kg
選手情報
投球・打席
右投右打
ポジション
外野手
プロ入り
1967年 ドラフト26巡目(全体503位)でアトランタ・ブレーブスから指名
初出場
1968年9月7日
最終出場
1986年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)



選手歴



  • デル・カンポ高等学校

  • アメリカンリバー・カレッジ


  • アトランタ・ブレーブス (1968 - 1975)


  • ロサンゼルス・ドジャース (1976 - 1983)


  • サンフランシスコ・ジャイアンツ (1984)


  • オークランド・アスレチックス (1985 - 1986)





監督・コーチ歴



  • サンフランシスコ・ジャイアンツ (1988 - 2002)


  • シカゴ・カブス (2003 - 2006)


  • シンシナティ・レッズ (2008 - 2013)


  • ワシントン・ナショナルズ (2016 - 2017)









シカゴ・カブスでの監督時代(2006)





シンシナティ・レッズでの監督時代(2009)


ジョニー・B・ベイカー・ジュニアJohnnie B. "Dusty" Baker, Jr. , 1949年6月15日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州リバーサイド出身のMLBで活躍した元プロ野球選手、監督。主に外野手。右投右打。


1993年から2002年までサンフランシスコ・ジャイアンツ、2003年から2006年まではシカゴ・カブスの、2008年から2013年までシンシナティ・レッズ[1]、2016年から2017年まではワシントン・ナショナルズの監督を務めた。




目次






  • 1 人物・来歴


    • 1.1 現役時代


    • 1.2 監督時代




  • 2 詳細情報


    • 2.1 年度別打撃成績


    • 2.2 年度別監督成績


    • 2.3 獲得タイトル・表彰・記録


    • 2.4 背番号




  • 3 脚注


  • 4 外部リンク





人物・来歴



現役時代


1967年のMLBドラフト26巡目(全体503位)でアトランタ・ブレーブスに入団。マイナーでのプレー後、1972年には139試合に出場し、打率.321・17本塁打・76打点の好成績を収めてメジャーに定着する。1976年にロサンゼルス・ドジャースに移籍。翌1977年には30本塁打を放ち、一塁手のスティーブ・ガービー(33本塁打)、三塁手のロン・セイ(30本塁打)、外野手のレジー・スミス(32本塁打)と共に30本塁打カルテットの一員となり、ワールドシリーズ進出に貢献する。翌1978年もワールドシリーズに進出するが、いずれもニューヨーク・ヤンキースに敗れている。1984年サンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。1985年オークランド・アスレチックスに移籍。アスレチックス移籍後は一塁手、指名打者での出場も増える。1986年引退。



監督時代


1988年から5年間スプリットフィンガード・ファストボールの生みの親としても知られるロジャー・クレイグ監督の下で一塁コーチ・打撃コーチを歴任し、クレイグが退任した1993年にジャイアンツの監督に就任。ウィル・クラーク、マット・ウィリアムズ、バリー・ボンズを擁する強力打線と2人の20勝投手、ジョン・バーケット、ビル・スウィフトに支えられ、106勝59敗の好成績を収める(ナショナルリーグ西地区2位)。


1997年、2000年には地区優勝を果たすがリーグチャンピオンシップシリーズに勝つことは出来なかった。
2002年には、ワイルドカードからナショナルリーグを制するが、ワールドシリーズでは3勝4敗でアナハイム・エンゼルスに敗れた。第5戦ではバット・ボーイを務めていた3歳の息子ダレンが、本塁上で選手と交錯しそうになったが、機転をきかせたJ.T.スノー選手が拾い上げ難を逃れた。大変危険なプレーであったため、翌2003年のシーズンから年齢制限を設け、14歳以下の子供がバットボーイとしてベンチ入りすることは禁止された。


2003年にはシカゴ・カブスの監督に就任。1年目は地区優勝を果たすが、またしてもリーグチャンピオンシップシリーズに勝つことは出来なかった。年々成績が低下し、最下位になった2006年ついに解任される。


2007年10月13日、前任のジェリー・ナロン監督の解任に伴いシンシナティ・レッズの新監督に就任。球団史上初の黒人監督となった[2]


指揮官としては、ジャイアンツ時代に三度の最優秀監督に選出され、2002年にはリーグ制覇した実績がある。選手から慕われるプレーヤーズ・マネージャーである反面、出塁率を軽視したり、先発投手に球数を投げさせ過ぎるなど、旧来の野球観に囚われている一面もある。「一番打者は出塁率よりスピード」と硬く信じるベイカーは、レッズの監督就任に際してカブス時代から目をかけていたコーリー・パターソン獲得を上層部に強く要請し、実際に入団してからは一番打者として起用していたが、期待を大きく裏切る惨憺たる成績で、完全に的外れな補強との酷評を受けた。また、若手を信頼せず、ベテランの起用を好む傾向にある。それ故レッズ就任時には、ホーマー・ベイリーとジョニー・クエト両投手やジョーイ・ボット一塁手、ジェイ・ブルース外野手ら新星がひしめくチームには不向きではないか、と疑問視する声も上がった。一発頼みの大味なスタイルから脱却したいとの狙いから細かく手堅い作戦を多用するが、結局空回りに終わることが多く、そのような戦法は本塁打の出易い本拠地球場にふさわしくない、そもそも指揮官としてチームの特徴を把握出来ていない、など批判も多かった[2][3][4][5]


2010年はレッズを15年ぶりの地区優勝に導く。オフに2年間の契約延長を行った。


2012年にも地区優勝を決めたが、その優勝決定試合には姿を見せることができなかった。これは直前に不整脈で入院していた為であった[6]


2015年11月3日、ジャイアンツ監督就任当初の主力選手であり、成績不振で解任されたマット・ウィリアムズの後任として、ワシントン・ナショナルズの新監督に就任することが発表された[7]。就任1年目、最多勝、最多奪三振の2冠を獲得したマックス・シャーザーらの活躍で2年ぶりの地区優勝を果たす。しかし、西地区を制したドジャースとのディビジョンシリーズでは、2勝1敗と先にチャンピオンシップシリーズ進出に王手をかけながら連敗し、2勝3敗で敗退。翌2017年も2位に20ゲーム差をつける独走で2年連続の地区優勝を果たしたものの、ディビジョンシリーズで、かつて自身が2006年まで指揮した古巣カブスに2勝3敗で敗退となり、両年ともリーグチャンピオンシップシリーズ進出を果たすことはできなかった。10月20日、2018年シーズンの監督契約を更新しないことが通告された[8]



詳細情報



年度別打撃成績



























































































































































































































































































































































































































































































































































































































O
P
S

1968

ATL
6 5 5 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .400 .400 .400 .800

1969
3 7 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000

1970
13 27 24 3 7 0 0 0 7 4 0 0 0 1 2 0 0 4 1 .292 .333 .292 .625

1971
29 64 62 2 14 2 0 0 16 4 0 1 1 0 1 1 0 14 1 .226 .238 .258 .496

1972
127 503 446 62 143 27 2 17 225 76 4 7 2 6 45 2 4 68 9 .321 .383 .504 .887

1973
159 686 604 101 174 29 4 21 274 99 24 3 1 9 67 8 5 72 14 .288 .359 .454 .813

1974
149 656 574 80 147 35 0 20 242 69 18 7 3 7 71 9 1 87 12 .256 .335 .422 .757

1975
142 567 494 63 129 18 2 19 208 72 12 7 1 5 67 7 0 57 10 .261 .346 .421 .767

1976

LAD
112 421 384 36 93 13 0 4 118 39 2 4 1 4 31 3 1 54 15 .242 .298 .307 .605

1977
153 604 533 86 155 26 1 30 273 86 2 6 2 5 58 6 6 89 9 .291 .364 .512 .876

1978
149 579 522 62 137 24 1 11 196 66 12 3 4 3 47 2 3 66 10 .262 .325 .375 .700

1979
151 616 554 86 152 29 1 23 252 88 11 4 2 3 56 0 1 70 16 .274 .340 .455 .795

1980
153 638 579 80 170 26 4 29 291 97 12 10 1 12 43 4 3 66 11 .294 .339 .503 .842

1981
103 438 400 48 128 17 3 9 178 49 10 7 3 5 29 1 1 43 9 .320 .363 .445 .808

1982
147 640 570 80 171 19 1 23 261 88 17 10 2 9 56 5 3 62 7 .300 .361 .458 .819

1983
149 616 531 71 138 25 1 15 210 73 7 1 4 7 72 2 2 59 9 .260 .346 .395 .741

1984

SF
100 287 243 31 71 7 2 3 91 32 4 1 0 4 40 1 0 27 5 .292 .387 .374 .761

1985

OAK
111 396 343 48 92 15 1 14 151 52 2 1 0 3 50 0 0 47 12 .268 .359 .440 .799

1986
83 271 242 25 58 8 0 4 78 19 0 1 0 2 27 1 0 37 8 .240 .314 .322 .636

MLB:19年
2039 8021 7117 964 1981 320 23 242 3073 1013 137 73 27 85 762 52 30 926 158 .278 .347 .432 .779


年度別監督成績



















































































































































































































































































年度 球団 地区 年齢 試合 勝利 敗戦 勝率 順位/チーム数 備考 ポストシーズン
勝敗
1993 SF NL 西 44 162 103 59 .636 2 / 7  
1994 45 115 55 60 .478 2 / 4  
1995 46 144 67 77 .465 4 / 4  
1996 47 162 68 94 .420 4 / 4  
1997 48 162 90 72 .556
1 / 4

NLDS敗退
0勝3敗
1998 49 163 89 74 .546 2 / 5  
1999 50 162 86 76 .531 2 / 5  
2000 51 162 97 65 .599
1 / 5

NLDS敗退
1勝3敗
2001 52 162 90 72 .556 2 / 5  
2002 53 162 95 66 .590
2 / 5

WS敗退
10勝7敗
2003 CHC NL 中 54 162 88 74 .543
1 / 6

NLCS敗退
6勝6敗
2004 55 162 89 73 .549 3 / 6  
2005 56 162 79 83 .488 4 / 6  
2006 57 162 66 96 .407 6 / 6  
2008 CIN 59 162 74 88 .457 5 / 6  
2009 60 162 78 84 .481 4 / 6  
2010 61 162 91 71 .562
1 / 6

NLDS敗退
0勝3敗
2011 62 162 79 83 .488 3 / 6  
2012 63 162 97 65 .599
1 / 6

NLDS敗退
2勝3敗
2013 64 162 90 72 .556 3 / 5
PO敗退

2016 WSH NL 東 67 162 95 67 .586
1 / 5

NLDS敗退
2勝3敗
2017 68 162 97 65 .599
1 / 5

NLDS敗退
2勝3敗
通算22年
3500 1863 1636 .532     23勝31敗


  • 太字はプレーオフ進出(ワイルドカードを含む)


獲得タイトル・表彰・記録




  • ゴールドグラブ賞1回(1981年)


  • シルバースラッガー賞2回(1980年、1981年)


  • オールスター出場2回(1981年、1982年)


  • ナ・リーグチャンピオンシップシリーズMVP1回(1977年)


  • ナ・リーグ最優秀監督賞3回(1993年、1997年、2000年)



背番号



  • 12 (1968年 - 1986年、1988年 - 2006年、2008年 - 2013年、2016年 - )


脚注





  1. ^ “Reds give Dusty Baker a three-year deal”. http://www.latimes.com/sports/la-sp-newswire14oct14,1,4876134.story?coll=la-headlines-sports 2007年10月14日閲覧。 

  2. ^ ab『ウェルカム・メジャーリーグ 2008』 白夜書房〈白夜ムック 315〉、194頁。ISBN 978-4861913983。


  3. ^ “Dusty Baker and Pitch Counts”. 2006年5月26日閲覧。


  4. ^ 出野哲也「レッズの進むべき道を探る 迷走の先にあるものは」 『月刊スラッガー No.124 , 2008年8月号』 日本スポーツ企画出版社、39 - 41頁。


  5. ^ 出野哲也「2008後半戦チーム別総点検ナショナル・リーグ編」 『月刊スラッガー No.125 , 2008年9月号』 日本スポーツ企画出版社、48頁。


  6. ^ レッズ 2年ぶり地区V 名将は入院中 主力選手「監督に会いたいよ」 - スポーツニッポン、2012年9月23日


  7. ^ Friedrich, Howard (2015年11月3日). “Washington Nationals hire Dusty Baker as manager”. Associated Press. Toronto Star. http://www.thestar.com/sports/baseball/2015/11/03/washington-nationals-hire-dusty-baker-as-manager.html 2015年11月4日閲覧。 


  8. ^ Steve, Adams (2017年10月20日). “Dusty Baker Will Not Return As Nationals’ Manager In 2018” (英語). MLB Trade Rumors. 2017年10月21日閲覧。




外部リンク





  • 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)





  • 監督の通算成績と情報 Baseball-reference.com

















Popular posts from this blog

CARDNET

Boot-repair Failure: Unable to locate package grub-common:i386

濃尾地震