チャールズ・レノックス (初代リッチモンド公)






初代リッチモンド公チャールズ・レノックス(ゴドフリー・ネラー画)


初代リッチモンド公チャールズ・レノックス(Charles Lennox, 1st Duke of Richmond, KG, 1672年7月29日 - 1723年5月27日)は、イギリスとフランスの貴族。イングランド王チャールズ2世と愛人ルイーズ・ケルアイユの間の庶子。初代リッチモンド公・オウビーニュイ公でレノックス家の祖。ダイアナ元皇太子妃の先祖の1人でもある。


1675年8月9日、3歳で父からイングランド貴族のリッチモンド公、マーチ伯、セトリントン男爵に叙せられ、9月9日にはスコットランド貴族としてレノックス公、ダーンリー伯に叙せられた。1681年にガーター勲章を受勲、主馬頭に任じられ、1684年にフランス王ルイ14世からフランス貴族のオウビーニュイ公に叙爵され、イングランドとフランスの貴族となった。


1685年に父が亡くなり叔父のジェームズ2世が即位すると主馬頭を解任されるもジェームズ2世の下でスコットランド海軍委員会に所属、1701年にスコットランド海軍司令長官に任命されるも1705年に辞職、以後は政治活動から手を引いて趣味に明け暮れ、1723年に50歳で死去、息子のチャールズが爵位を継いだ。


1696年から1697年にかけてフリーメイソンのグランドマスターを務めた[1]。また、クリケットを一般的なスポーツとして広めようと積極的に支援、1697年と1702年に大会を開催するまでになった。この性質は息子チャールズにも受け継がれ、2代にわたるクリケットのパトロンとして活動した。




目次






  • 1 子女


  • 2 脚注


    • 2.1 注釈


    • 2.2 出典




  • 3 参考文献





子女


1692年、ブルデネル男爵フランシスの娘アンと結婚、3人の子を儲けた。



  1. ルイーズ(1694年 - 1716年) - バークレー伯ジェームズ・バークレーと結婚


  2. チャールズ(1701年 - 1750年)

  3. アン(1703年 - 1789年) - アルベマール伯ウィリアム・ヴァン・ケッペルと結婚



脚注


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注釈





出典





  1. ^ Heraldic Media Limited. “Richmond, Duke of (E, 1675)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年9月28日閲覧。




参考文献



  • 森護『英国の貴族 遅れてきた公爵』P189 - P196、大修館書店、1987年。

























公職
先代:
モンマス公

主馬頭
1681年 - 1685年
次代:
ダートマス男爵
先代:
ジェームズ2世

スコットランド海軍司令長官
1701年 - 1705年
次代:
モントローズ侯

イングランドの爵位
先代:
新設

リッチモンド公
1675年 - 1723年
次代:
チャールズ・レノックス

フランスの爵位
先代:
新設

オウビーニュイ公
1684年 - 1723年
次代:
チャールズ・レノックス



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