ギャンジャ




















































ギャンジャ
Ganja
Gəncə
アゼルバイジャンの旗






ギャンジャの市章

市章

位置

アゼルバイジャンにおけるギャンジャの位置の位置図
アゼルバイジャンにおけるギャンジャの位置

座標 : 北緯40度40分58秒 東経46度21分38秒 / 北緯40.68278度 東経46.36056度 / 40.68278; 46.36056
行政



アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
 市

ギャンジャ
地理

面積
 
  市域
110 km2 (40 mi2)

標高
408 m (1,339 ft)
人口

人口
(2009年現在)
  市域
313,300人
    人口密度
  2,848人/km2(7,380人/mi2
その他

等時帯

アゼルバイジャン時間 (UTC+4)

公式ウェブサイト : http://www.ganca.net

ギャンジャ(アゼルバイジャン語: Gəncəゲンジェガンジャとも)は、アゼルバイジャン共和国の都市。人口は約30万人で、首都バクーに次ぐ、アゼルバイジャン第2の都市である。ロシア帝国時代にはエリザヴェトポリЕлизаветполь, Elizavetpol)、ソヴィエト連邦時代にはキロヴァバードКировабад, Kirovabad)と呼ばれた。


有名なアゼルバイジャン人の詩人ニザーミーの生地として有名で、1991年に建設されたニザーミー廟がある。ギャンジャ国際空港があり、空路で首都バクーなどと結ばれている。




目次






  • 1 歴史


  • 2 姉妹都市


  • 3 ゆかりの人物


  • 4 外部リンク





歴史


5世紀ごろに建設された。ギャンジャという名称については、ペルシア語の ganj ( گنج 「宝物」の意)が語源であるという説が有力。


この地方の商業・文化の中心として栄えたが、1139年の地震、1231年のモンゴル人の来襲により衰退した。サファヴィー朝の支配下で復興する。1747年、アッバース1世にちなんで、一時的にアッバサバード(Abbasabad)と改称された後、ギャンジャ・ハン国(英語版)の首都となる。第一次ロシア・ペルシア戦争にロシアが勝利した後、1813年10月、ゴレスターン条約によってロシア帝国に併合され、アレクサンドル1世の妻エリザベータにちなんでエリザベトポルと改称。


1918年、バクーが赤軍から奪還されるまでのあいだ、一時的にアゼルバイジャン民主共和国の首都となる。1920年にソヴィエト権力がアゼルバイジャンに樹立されると、町の名はギャンジャに戻された。1935年、スターリンは革命家セルゲイ・キーロフにちなんで町の名をキロヴァバードと改めた。1991年、アゼルバイジャンの独立にともない、町の名は再びギャンジャに戻された。



姉妹都市




  • ロシアの旗 モスクワ、ロシア


  • アメリカ合衆国の旗 ニューアーク、アメリカ合衆国


  • ジョージア (国)の旗 ルスタヴィ、ジョージア


  • ジョージア (国)の旗 クタイシ、ジョージア


  • トルコの旗 イズミル、トルコ


  • ロシアの旗 デルベント、ロシア


  • トルコの旗 カルス、トルコ



ゆかりの人物




  • ニザーミー・ギャンジャヴィ(詩人)


  • イワン・バグラミャン(軍人)


  • トグルル・アスガロフ(2012年ロンドン五輪レスリングフリースタイル60kg級金メダリスト)



外部リンク



  • ウィキメディア・コモンズには、ギャンジャに関するカテゴリがあります。




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