クリスチャン9世 (デンマーク王)
クリスチャン9世 Christian 9. | |
---|---|
デンマーク国王 | |
クリスチャン9世 | |
在位 | 1863年11月15日 – 1906年1月29日 |
全名 | Christian クリスティアン |
出生 | (1818-04-08) 1818年4月8日 シュレースヴィヒ、ゴットルプ城 |
死去 | (1906-01-29) 1906年1月29日(87歳没) デンマーク、コペンハーゲン、アマリエンボー宮殿 |
埋葬 | 1906年2月15日 デンマーク、ロスキレ、ロスキレ大聖堂 |
配偶者 | ルイーゼ・フォン・ヘッセン=カッセル |
子女 | 一覧参照
|
王家 | シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク家 |
王朝 | リュクスボー朝 |
父親 | フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク |
母親 | ルイーゼ・カロリーネ・フォン・ヘッセン=カッセル |
宗教 | キリスト教ルーテル教会 |
クリスチャン9世(デンマーク語: Christian 9., 1818年4月8日 - 1906年1月29日)は、リュクスボー朝初代のデンマーク国王(在位:1863年11月15日 - 1906年1月29日)。グリュックスブルク家は前王家オレンボー家の遠い支族で、男系の先祖をデンマーク=ノルウェー王クリスチャン3世(在位:1534年 - 1559年)にたどることができる。
生涯
グリュックスブルク公フリードリヒ・ヴィルヘルムの四男として生まれる。母はヘッセン=カッセル方伯カールの娘ルイーゼ・カロリーネ。1831年に幼くして父を亡くした後、フレゼリク6世の王妃で母方の伯母にあたるマリーの後見の下に育った。
1842年、母と同じヘッセン=カッセル家出身で又従姉に当たるルイーゼと結婚したが、名家の生まれとはいえ財力がなかったため、デンマーク王室から無料で借りたコペンハーゲン市内の小さな家に一家で暮らした。子女の教育は家庭教師を雇う余裕がなかったため、夫妻が自ら行った。
ルイーゼの母ルイーセ・シャロデはデンマーク王クリスチャン8世の妹であった。またクリスチャン自身も、デンマーク王フレゼリク5世の女系の曾孫の一人であった。そのため、1852年の王位継承法で嗣子のいないデンマーク王フレゼリク7世の継承者に選ばれ、同年のロンドン議定書で国際的にも承認された。そして1863年にフレゼリク7世の死去によって即位した。
即位後すぐに第2次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争に巻き込まれ、1864年にプロイセンとオーストリアにシュレースヴィヒ・ホルシュタイン両公国に加えてザクセン=ラウエンブルク公国を割譲した。
家族
ルイーゼ妃との間に3男3女を儲けた。
クリスチャン・フレゼリク・ヴィルヘルム・カール(1843年 - 1912年) - デンマーク国王フレゼリク8世
アレクサンドラ・カロリーネ・マリー・シャーロッテ・ルイーセ・ユリア(1844年 - 1925年) - イギリス国王エドワード7世妃
クリスチャン・ヴィルヘルム・フェルディナンド・アドルフ・ゲオルク(1845年 - 1913年) - ギリシャ国王ゲオルギオス1世
マリー・ソフィー・フレデリケ・ダウマー(1847年 - 1928年) - ロシア皇帝アレクサンドル3世皇后、ロシア語名マリア・フョードロヴナ
テューラ・アマーリア・カロリーネ・シャーロッテ・アンネ(1853年 - 1933年) - 元ハノーファー王太子エルンスト・アウグスト2世妃
ヴァルデマー(1858年 - 1939年)
息子たちは国王になり、娘たちはヨーロッパの諸王家に嫁いだため、「ヨーロッパの義父」と呼ばれた。
ロシア皇帝ニコライ2世やイギリス国王ジョージ5世 、ノルウェー国王ホーコン7世、ギリシャ国王コンスタンティノス1世はいずれもクリスチャン9世の孫である。
関連項目
- シュレースヴィヒとホルシュタインの統治者一覧
|
地位の継承 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|