明仁



























































































今上天皇

1990年(平成2年)、即位礼

黄櫨染御袍を着用した今上天皇





第125代天皇



在位期間
1989年1月7日 - 在位中
昭和64年1月7日午前6時34分 - 在位中

即位礼
即位礼正殿の儀
1990年(平成2年)11月12日
於 皇居 宮殿
大嘗祭
大嘗宮の儀
1990年(平成2年)11月22日・23日
於 皇居 東御苑大嘗宮
元号
昭和: 1989年1月7日
平成: 1989年1月8日 -
内閣総理大臣

先代
昭和天皇
次代
皇太子徳仁親王

誕生
1933年(昭和8年)12月23日 午前6時39分(85歳)
日本の旗 日本・東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区) 宮城内産殿

明仁
1933年(昭和8年)12月29日命名
称号
継宮(つぐのみや)

元服
1952年(昭和27年)11月10日
父親
昭和天皇
母親
香淳皇后
皇后
美智子(正田美智子)
1959年(昭和34年)4月10日大婚
子女
皇太子徳仁親王(浩宮徳仁親王)
秋篠宮文仁親王(礼宮文仁親王)
黒田清子(紀宮清子内親王→臣籍降嫁)
皇居
皇居 御所
東京都千代田区千代田1-1
栄典
大勲位
JPN Daikun'i kikkasho BAR.svgJPN Kyokujitsu-sho Paulownia BAR.svgJPN Zuiho-sho 1Class BAR.svg
JPN Order of Culture BAR.svg日本赤十字社特別社員Red Cross Order of Merit (Japan).png
Order of the Most Holy Annunciation BAR.svgCavaliere di gran Croce Regno SSML BAR.svgCordone di gran Croce di Gran Cordone OMRI BAR.svg
Order of the Garter UK ribbon.pngUnited-kingdom514.gifエリザベス2世戴冠式記章
Red ribbon bar - general use.svgカルロス3世勲章頸飾カルロス3世勲章
Order of the Rajamitrabhorn (Thailand) ribbon.png三勲章大綬章PRT Order of Prince Henry - Grand Cross BAR.png
Order of the Royal House of Chakri (Thailand) ribbon.pngOrderelefant ribbon.pngセラフィム勲章
Order Sint Olaf 1 kl.pngLegion Honneur GC ribbon.svg白鷲勲章
FIN Order of the White Rose Grand Cross BAR.pngハンガリー共和国国旗勲章レオポルド勲章
贖主勲章GER Bundesverdienstkreuz 9 Sond des Grosskreuzes.svg金鷲勲章
オーストリア共和国功績勲章ペルー太陽勲章ヴィータウタス大公勲章
三星勲章EGY Order of the Nile - Grand Cordon BAR.pngユーゴスラヴ星勲章
功労勲章ETH Order of Solomon BAR.png南十字星国家勲章
EST Order of the Cross of Terra Mariana - 1st Class BAR.pngハンガリー共和国功労勲章隼勲章
ナッサウ家金獅子勲章マリ国家勲章アステカ鷲勲章
オランダ獅子勲章マヌエル・アマドール・ゲレロ勲章シカツナ勲章
フィリピン名誉軍団勲章ボヤカ勲章白獅子勲章
自由太陽勲章アール・ハリーファ勲章喜望峰勲章
アル=フセイン・ビン・アリ勲章リベリア開拓者勲章アフリカの星勲章
獅子勲章レオパルド国家勲章インドネシア共和国の星勲章
マハプートラの星勲章ガンビア共和国勲章金の心臓勲章
ビレンドラ国王戴冠式記章ヤロスラフ賢公勲章最高位太陽勲章
大統領勲章カンボジア王室勲章武勇勲章
コートジボワール国家勲章ムバーラク大王勲章王国王冠勲章
連邦共和国勲章オマーン勲章パキスタン勲章
ラカンドゥラ勲章聖ヤコブ剣勲章独立勲章
獅子勲章国家勲章プーミポン・アドゥンヤデート国王陛下王位継承60周年記念記章
学歴
学習院高等科卒業
副業
魚類学者
親署
明仁の親署
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称号: 天皇


Flag of the Japanese Emperor.svg
敬称
陛下
His Majesty the Emperor







皇室

Imperial Seal of Japan.svg


天皇 明仁
皇后 美智子



  • 皇太子 徳仁親王
    皇太子 徳仁親王妃 雅子
    • 敬宮 愛子内親王





  • 秋篠宮 文仁親王
    秋篠宮 文仁親王妃 紀子

    • 眞子内親王

    • 佳子内親王

    • 悠仁親王






  • 常陸宮 正仁親王
    常陸宮 正仁親王妃 華子




  • 三笠宮 崇仁親王妃 百合子


  • 寛仁親王妃 信子

    • 彬子女王

    • 瑶子女王







  • 高円宮 憲仁親王妃 久子
    • 承子女王





明仁(あきひと、1933年〈昭和8年〉12月23日 - )は日本の第125代天皇(在位: 1989年〈昭和64年〉1月7日 - )[注釈 1]。称号は継宮(つぐのみや)、お印は(えい)[1]。即位翌日より「平成」と改元された。


在位中は、皇室典範に定める敬称である陛下を付して天皇陛下と呼ばれることが多く[2]、「在位中の天皇」に対する呼称である今上天皇とも称される。


昭和天皇(第124代天皇)の第一皇子。母は香淳皇后。大正天皇の皇孫かつ明治天皇の皇曾孫。また、日本国憲法下で即位し、東京で即位の礼を執り行った初めての天皇である。




目次






  • 1 人物


    • 1.1 科学者として


      • 1.1.1 発見したハゼ






  • 2 来歴


    • 2.1 幼少時代


    • 2.2 青年以降


      • 2.2.1 沖縄県訪問に際して




    • 2.3 即位以降




  • 3 譲位


  • 4 逸話


    • 4.1 青年以降


    • 4.2 即位後


    • 4.3 人物に関するもの


      • 4.3.1 乗り物に関すること


        • 4.3.1.1 日産自動車(主に旧プリンス自動車)とのかかわり






    • 4.4 発言




  • 5 病歴


  • 6 栄典


    • 6.1 日本


    • 6.2 日本以外




  • 7 系譜


    • 7.1 今上天皇の男系直系祖先


    • 7.2 オルターナティブ形式




  • 8 后妃


  • 9 皇子孫


    • 9.1 皇子女


    • 9.2 皇孫




  • 10 世界各国訪問歴


  • 11 著書


  • 12 出典・注釈


    • 12.1 注釈


    • 12.2 出典




  • 13 参考文献


  • 14 関連項目


  • 15 外部リンク





人物


1933年(昭和8年)12月23日に東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区)宮城(現:皇居)内の産殿にて、父:昭和天皇、母:香淳皇后夫妻の第五子かつ第一皇子(皇男子)として誕生。


1952年(昭和27年)に皇室典範規定に基づき18歳で成年。1959年(昭和34年)に正田美智子と婚姻し浩宮徳仁親王(現・皇太子)・礼宮文仁親王(現・秋篠宮文仁親王)・紀宮清子内親王(現・黒田清子)の二男一女をもうける。


1989年(昭和64年)1月7日に実父である昭和天皇の崩御[3]に伴い即位し皇位を継承し、第125代天皇となる[4]


2019年(平成31年)1月現在、85歳である。高齢だが年間約1000件の書類に目を通して署名・捺印し、各種行事に約200回出席し(いずれも平成23年度[5])、20件近くの祭儀を執り行うなど精力的に活動している[6]。しかし2015年に施設訪問の一部を皇太子徳仁親王同妃および文仁親王同妃に引き継いでいる[7][8]



科学者として


魚類学者としても知られハゼの分類学的研究者である。日本魚類学会に属して自ら研究して書いた論文28編を同学会誌に発表。1992年(平成4年)には『Science』誌に"Early cultivators of science in Japan"という題で寄稿している[9]。また2000年(平成12年)、2008年(平成20年)、2016年(平成28年)には、日本国外の雑誌『Gene』に第一著者として論文が掲載されている[10][11][12]


魚類学における業績は各国で評価され学界において以下に記述する役職に就いている。




  • 1980年(昭和55年)、ロンドン・リンネ協会外国会員。1986年(昭和61年)、同協会名誉会員。


  • オーストラリア博物館リサーチ・アソシエート。

  • ロンドン動物学会名誉会員。


  • アルゼンチン自然科学研究所永久名誉会員。


この他にも1998年(平成10年)にはロンドン王立協会(ロイヤル・ソサエティ)からチャールズ2世メダルを受賞、2007年(平成19年)の欧州5か国訪問ではスウェーデンウプサラ大学名誉学員に列せられた。また長年のハゼの分類学的研究に対する貢献を称え、新種のハゼの一種の命名に、1992年(平成4年)には Platygobiopsis akihito[13]、2005年(平成17年)には Exyrias akihito[14]、2007年(平成19年)にはハゼの新属にアキヒト属 (Akihito) と[15]、彼の名を織り込んだ献名がなされた。


民族学者である梅棹忠夫は、1971年(昭和46年)8月26日の仲間内の食事会にて「この前、皇太子殿下にご進講に行った。皇太子殿下の植物学に対する造詣はたいしたもの。立派に東大、京大教授が務まる。帝としてはどうか知らないが、学者としては一流だ。」と述べている[16]



発見したハゼ




  • キマダラハゼ:Astrabe flavimaculata Akihito et Meguro[17]


  • シマシロクラハゼ:Astrabe fasciata Akihito et Meguro


  • ヒメトサカハゼ:Cristatogobius aurimaculatus Akihito et Meguro


  • コンジキハゼ:Glossogobius aureus Akihito et Meguro


  • クロオビハゼ:Myersina nigrivirgata Akihito et Meguro


  • ミツボシゴマハゼ:Pandaka trimaculata Akihito et Meguro



来歴



幼少時代
















父・昭和天皇


母・香淳皇后

父・昭和天皇



母・香淳皇后







1934年(昭和9年)、誕生翌年に母・香淳皇后に抱かれる継宮明仁親王(当時)





1949年(昭和24年)、ヴァイニング夫人と


1933年(昭和8年)12月23日午前6時39分、宮城(現:皇居)内の産殿にて誕生。昭和天皇・香淳皇后の第5子にして初の皇子(第一皇男子)であった。称号「継宮」(つぐのみや)、名前「明仁」(あきひと)は、父・昭和天皇による命名で、いずれも明治3年1月3日(1870年2月3日)の明治天皇の即位に際して発せられた詔勅「大教宣布」より「…立極垂統、列皇相承、之述之…宜治教以宣揚惟神之大道也…(「極(皇位)」を立て「統(皇統)」を垂れ、列皇(歴代天皇)は相承し、之を継ぎ之を述べ…よろしく治教を明らかにし以て「惟神(かんながら)」の大道を宣揚すべき也)」に出典を求め、命名されたものである。お印の「榮」は文字で、「草花が盛んに茂る様子」を意味する[1]。国内の沸き立ち方は並々ならぬものがあり、北原白秋作詞・中山晋平作曲で奉祝歌「皇太子さまお生まれなつた」まで作られた。


1936年(昭和11年)3月29日、満2歳で両親の元を離れ、赤坂離宮構内の東宮仮御所で東宮傅育官によって育てられる。当初日曜日には宮中に帰っていたが、1か月を過ぎる頃から日曜日も東宮仮御所で過ごすようになった[18]。学習院時代は山梨勝之進校長の下で教育を受け、内舎人・信国鉄蔵を師として剣道を練成した。


1944年(昭和19年)、第二次世界大戦の戦火の拡大により、初めは栃木県日光市の田母澤御用邸に、後に奥日光・湯元の南間ホテルに疎開し、当地で終戦を迎えた。終戦後に帰京。


1946年(昭和21年)10月から1950年(昭和25年)12月まで、父・昭和天皇の「西洋の思想と習慣を学ぶ」という新しい教育方針に従い、アメリカ合衆国の著名な児童文学者にしてクエーカー教徒のエリザベス・ヴァイニング(日本では「ヴァイニング夫人」として知られている)が家庭教師として就き、その薫陶を受ける。



青年以降





1952年(昭和27年)、「立太子宣制の儀」で昭和天皇・香淳皇后に拝礼




1952年(昭和27年)、立太子の礼





1952年(昭和27年)、立太子後、市民の歓呼に応える





1955年(昭和30年)11月、
エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世と


1952年(昭和27年)11月10日、皇居・表北ノ間で立太子の礼と皇太子成年式が挙行された。同日、大勲位に叙され、菊花大綬章を授けられる。


1953年(昭和28年)3月30日から同年10月12日までの半年余りにわたり、初の外遊。ヨーロッパ12か国およびアメリカ・カナダを歴訪。同年6月2日、イギリス・エリザベス2世の戴冠式へ昭和天皇の名代として参列。このとき地位は皇太子であったが、昭和天皇名代の格式が加わっていたため、応接する諸国では天皇としての応対を行った。後年、2007年(平成19年)の訪欧前の会見においては、このことを回想して名代の立場の重さを思い、相手国を慮る趣旨の発言を行っている。しかしこの外遊の結果、学習院大学の単位が不足し進級できず、長年の学友たちと学年が異なることを回避するため、以後は聴講生として学問を続ける[19]


外遊からの帰国直後の同年12月に、結核の感染を診断される。このとき、ストレプトマイシンなどの特効薬が発見されており、それの投与による治療を受け、1957年(昭和32年)までにほぼ治癒した。このことは長らく公にされていなかったが、2009年(平成21年)3月に行われた、第60回結核予防全国大会の挨拶にて、自ら明かした[20][21]




結婚の儀に際し


1957年(昭和32年)8月19日、避暑で訪れた軽井沢のテニストーナメントで日清製粉グループ会長の長女・正田美智子と出会う。テニスを通して交際を深めた。宮内庁職員の作品展に「女ともだち」と題した彼女の写真を出品した。しかし皇太子が積極的に美智子との結婚を考えていると分かると、皇室内外から猛反対を受けた。昭和天皇の侍従長を務めた入江相政の著作『入江相政日記』には、「東宮様のご縁談について平民からとは怪しからん」と母・香淳皇后が秩父宮妃勢津子、高松宮妃喜久子の両親王妃と共に昭和天皇に訴えたという内容の記述がある。


1959年(昭和34年)1月14日に納采の儀が、同年4月10日に結婚の儀が執り行われた。明治以降では初の民間出身・皇太子妃であり、また結婚に至る過程が報道されたこともあって、市民からは熱烈に歓迎され、国民的な「ミッチー・ブーム」が興る。成婚のパレードは盛大に行われ、国民の祝福を受けた。2人の成婚の様子を見るために、当時高価であったテレビも普及し始めた。また婚礼を祝して「祝典行進曲」が作曲された。同年7月15日に、美智子妃の懐妊が発表された。





1960年(昭和35年)
日米修好100周年記念晩餐会にて アイゼンハワー大統領夫妻とワシントンD.C.のホワイトハウスにて


1960年(昭和35年)2月23日に第1子・第一男子浩宮徳仁親王が誕生。3月には妹・清宮貴子内親王が、明仁親王の学友だった島津久永と結婚した。同年9月22日から同年10月7日にかけて、美智子妃を伴ってアメリカ合衆国を16日間にわたり訪問した。


1965年(昭和40年)11月30日、第2子・第二男子礼宮文仁親王が誕生。1969年(昭和44年)4月18日、第3子・第一女子紀宮清子内親王が誕生。



沖縄県訪問に際して


沖縄県の祖国復帰(沖縄返還)が実現して3年後の1975年(昭和50年)、沖縄国際海洋博覧会に際し、父・昭和天皇も大正期の皇太子時代に訪問した沖縄県を立太子後、初めて訪問。海洋博の写真を収めた書籍「海 その望ましい未来」、海洋博の記録映画『公式長編記録映画 沖縄海洋博』にも開会式・閉会式に参列した皇太子および同妃の姿が収録される[注釈 2]


この訪沖についてはいくつかの事件もあった。同年7月17日、美智子妃を伴いひめゆりの塔に献花のため訪れたところ、その場に潜んでいた過激派2人(沖縄解放同盟準備会メンバーの知念功と共産主義者同盟のメンバー)から火炎瓶1本を投げつけられる(ひめゆりの塔事件)。同日夜、皇太子は「沖縄戦における県民の傷跡を深く省み、平和への願いを未来へつなぐ。」と県民の心情を思う異例の談話を発表している。


なお、この訪問については同事件の犯人の所属するもの以外にも、各種政治団体が「訪沖阻止」などを叫んで全国で集会、県学連、全学連などが1000人単位のデモなどを行ったほか、沖縄入りした皇太子および同妃の自動車に空き瓶などを投げつけるなどのテロ(犯人は公務執行妨害で逮捕)を行ったが[22]、皇太子および同妃に怪我などはなく、つつがなく予定を終了した。皇太子は当時より沖縄に関心をよせ 琉歌を研究し、琉歌8首を発表している[23]


1976年(昭和51年)1月18日の閉会式にも揃って訪沖している。




1987年(昭和62年)、皇太子としての最後の外国訪問(アメリカ)


1987年(昭和62年)にも、沖縄海邦国体を前に病臥した父・昭和天皇(昭和天皇が在位中の天皇として史上初めて沖縄を訪問する予定だった)の名代として沖縄を訪れ、同年10月24日、南部戦跡の平和祈念堂で「先の大戦で戦場となった沖縄が、島々の姿をも変える甚大な被害を被り、一般住民を含むあまたの尊い犠牲者を出したことに加え、戦後も長らく多大の苦労を余儀なくされてきたことを思う時、深い悲しみと痛みを覚えます」との天皇の言葉を代読した。当時の西銘順治沖縄県知事は「お言葉に接し、感動胸に迫るものがあります。これで、ようやく沖縄の戦後は終わりを告げたと思う。」と談話を発表した。



即位以降




1989年1月(即位直後)





2005年(平成17年)11月22日、ロシア大統領ウラジーミル・プーチン(右)と


1989年(昭和64年)1月7日、父・昭和天皇の崩御を受け、即座に歴代2位の年長となる55歳で即位(現在は皇室典範により、践祚と即位が統合されたため、従前の践祚に相当)。同日、皇位継承の儀式(剣璽等承継の儀)を執り行い、翌8日、元号法に基づき平成に改元した。即位後朝見の儀では国民とともに日本国憲法を守り、「国運の一層の進展と世界の平和、人類福祉の増進を切に希望してやみません」とのおことばを発した[24]




1990年(平成2年)、大嘗祭




平成の大嘗宮(再現模型)




即位礼および大嘗祭での御祭服


諒闇が明けた1990年(平成2年)の即位の礼に際して、京都御所(京都府京都市上京区)から皇居(東京都千代田区)へ高御座が運ばれるなど大掛かりな準備が行われ、同年11月12日に即位礼正殿の儀が行われた。大正天皇・昭和天皇とも即位の礼を京都御所で行っており、関東の地で即位した初めての天皇となる。同日、即位の礼祝賀御列の儀としてオープンカーでのパレードが行われ、皇居から赤坂御所までの4.7kmの道のりを、約12万人の市民が祝福した。同年11月22日・23日、皇居内で大嘗祭が執り行われた。


1992年(平成4年)10月、中華人民共和国政府の招待で同国を訪問する[25]。日中関係史で中国大陸に渡ったのは歴代天皇で初の出来事だったが[26]、当時の中国外交部長(外務大臣)で昭和天皇の大喪の礼にも出席した銭其シンは回顧録で天皇訪中は六四天安門事件での西側諸国の対中制裁の突破口という側面もあったと明かしている[27]


1999年(平成11年)に即位10周年を迎え、同年11月20日に御即位十年をお祝いする国民祭典が開催され、同日夜には二重橋で祝賀の声に応えた。この折に、宮内庁は即位10年記録集『道』を刊行している。


1993年(平成5年)には、沖縄県行幸を果たした。この折には予定になかったひめゆり学徒隊の慰霊碑にも行幸した。2003年(平成15年)までに、47都道府県のすべてを巡幸している。


2009年(平成21年)11月12日、政府主催の御在位二十年記念式典・民間主催の御即位二十年をお祝いする国民祭典が執り行われた。


2009年(平成21年)12月15日、特例で習近平中華人民共和国副主席と会見することとなり、会見を巡る騒動で、羽毛田信吾・宮内庁長官が記者会見で政府・民主党政権・鳩山由紀夫内閣を批判する発言を行った(天皇特例会見)。


2011年(平成23年)3月16日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の発生とそれに伴う被害に鑑み、国民および被災者に対しビデオメッセージを放送した[28]


2016年(平成28年)7月13日、NHKや毎日新聞が、今上天皇が宮内庁の関係者にその位を生前に皇太子(次期皇位継承者)に譲る「生前退位(譲位)」の意向を示したと一斉に報道[29][30]。諸報道によれば天皇は「憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ」と考えており、数年内の譲位を望んでいるとされ[29][30]、天皇自身が広く内外に気持ちを表わす方向で、調整が進められているとされた[29][30]。しかし、宮内庁の山本信一郎次長(当時、現・宮内庁長官)は、報道を受け、各社の取材に対して「そうした事実は一切ない。陛下は憲法上のお立場から、皇室典範や皇室の制度に関する発言は差し控えてこられた。」と報道内容を否定した[31]。8月8日、約11分間のビデオを通じて、自ら個人の「お気持ち」を「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」として表明。自身が即位後、日々、天皇として望ましい在り方を模索して今日に至ったが、高齢になったため、全身全霊で象徴としての務めを果たしていくことが難しくなってきたと案じていることへの国民の理解を求めた[32][33]


2017年12月1日、天皇の生前退位の日程が2019年4月30日に決定したと発表された。同8日、政府は同日付での退位を閣議決定した。



譲位






天皇の退位等に関する皇室典範特例法第三条

前条の規定により退位した天皇は、上皇とする。


上皇の敬称は、陛下とする。


上皇の身分に関する事項の登録、喪儀及び陵墓については、天皇の例による。


上皇に関しては、前二項に規定する事項を除き、皇室典範(第2条、第28条第2項及び第3項並びに第30条第2項を除く。)に定める事項については、皇族の例による。



2017年(平成29年)6月9日の参議院で天皇の退位等に関する皇室典範特例法が成立し、16日に公布された。このため、その地位と職務をすべて皇太子徳仁親王へ譲り、自らは光格天皇以来約200年ぶりとなる上皇となる予定である。また退位日については、2017年(平成29年)12月1日開催の皇室会議において、2019年(平成31年)4月30日とすることが決まった[34]。この日限りで平成の元号は終わる。


現在、宮内庁では上皇となった際の新組織(上皇職)の設立等の準備、政府では新しい元号などの検討に入っている。また、この影響で日本のシステム業界では新規案件で元号を使用した機能の受注については、新規元号発表までは見合わせるか、西暦のみか、2018年(平成30年)までとするかで動きが分かれ、カレンダー業界では印刷発行と販売に多大なる影響が出ることを危惧している[35][36]


喪儀及び陵墓の格式については天皇と同様としている。従って上皇の崩御に当たっては大喪の礼が執行され、天皇陵が造営される。



逸話





1938年(昭和13年)、三輪車に乗る明仁親王



青年以降




皇太子時代のMGM撮影所見学、1953年(昭和28年)




  • 1953年(昭和28年)6月2日のエリザベス2世戴冠式のために同年3月30日から同年10月12日まで外遊。

    • 出発の際には、皇居から横浜港まで、小旗を持った100万人もの人が見送ったという。また、テレビ開局以来初の大規模イベントとなり、各放送局が実況中継した[37]


    • 大型客船プレジデント・ウィルソン号(アメリカン・プレジデント・ライン社所属、速度19ノット、排水量1万5395トン)に乗船した[38]。三島由紀夫も2年前に同船でハワイに向け出帆し世界旅行に出ている[39][注釈 3]

    • イギリスでは、第二次世界大戦で敵対国であった記憶は未だ褪せておらず、戴冠式において13番目の席次(前列中央の座席で、隣席はネパール王子)を与えられたが、女王との対面まで長時間待たされた。また女王は、握手は交わしたが視線は交わさなかった[37]



  • 半年にわたって外遊した結果、単位不足で進級できず留年を回避するため、学習院大学政治学科を中退し聴講生として大学に残った。聴講生となってからはクラブ活動にも原則として参加できなかった[40]。宮内庁は、学歴を「学習院大学教育ご終了」としている。なお学習院高等科出身者以外の政治学科同級生に両国高校から現役進学した後の日本会議国会議員懇談会初代会長島村宜伸がいる。島村は1956年(昭和31年)3月に政治学士となり、39年5か月後の1995年(平成7年)8月に村山改造内閣で初入閣し文部大臣の認証を受けている。


  • 1959年(昭和34年)4月10日の結婚の儀の記念切手では、4種のうち10円と30円で皇太子妃と一緒の肖像[注釈 4]が発行された。また切手は郵政省から皇室と正田家に「皇太子御成婚記念切手帖」が献上されている[注釈 5]


  • 1960年(昭和35年)にシカゴ市長により寄贈された、ミシシッピ川水系原産のブルーギルを皇太子が日本に持ち帰り、水産庁の研究所に寄贈した。これは当時の貧しい食糧事情を思ってのことであったが、ブルーギルは水生昆虫や魚卵・仔稚魚を捕食して日本固有の生態系を破壊するものであったため、後に「今このような結果になったことに心を痛めています」と異例の(自己批判を意味する)発言をしている[41]



即位後




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国民へ向かって新年の挨拶(2010年)




2005年(平成17年)12月23日、天皇誕生日一般参賀にて




2009年(平成21年)7月15日、ハワイ州ホノルル市にて



  • 昭和天皇崩御にあたり、相続税4億2800万円を納めた[42]。また、皇居のある千代田区には住民税を納めている[42]

  • 1991年に雲仙普賢岳噴火の際には被災地を見舞い、床に膝をついて直接被災者と言葉をかわしたが、歴代天皇で言葉をかわす際に床に膝をついたのは初めてであった。これは皇太子時代から行われているものだったが、その後の被災地の見舞いでも続けられ、平成になってからは皇族もこれにならっている。


  • 2008年(平成20年)9月8日、新潟県行幸の折、被害の大きかった被災当時の山古志村(現・長岡市山古志)を視察。その後、山古志の被災者と懇談し、励ましの言葉をかけた。また、中越地震発生4日後に救出された男児(当時2歳)が無事に成長していることを知り、その成長を喜んだ[43]

  • 2002年(平成14年)2月20日、チェロの師・清水勝雄が死去。その夜、皇后のピアノ伴奏に合わせて演奏を行い、故人を偲んだ[44]

  • 2005年(平成17年)6月28日、サイパン島訪問の際には当初の訪問予定に含まれていなかった韓国・朝鮮人慰霊碑(追悼平和塔)に皇后を連れて立ち寄った。これは天皇の意向だったとされている[45]

  • 2008年(平成20年)11月8日、先代の昭和天皇同様、慶應義塾大学創立150周年記念式典に皇后と共に臨席し「おことば」を述べた[46]

  • 2011年(平成23年)3月11日発生の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)については前述のように異例のビデオメッセージを送ったほか、各地の避難所を皇后と共に歴訪している[47]

  • 2013年(平成25年)4月15日、即位後初めて定例の静養や公的行事の出席ではない1泊2日の私的旅行として長野県千曲市にある「あんずの里」に出掛けた[48]。同年7月には福島県を訪れた。その後、年2回程度私的旅行が行われている。2014年5月には栃木県渡良瀬遊水地など、2014年9月には青森県八戸市、2015年6月には宮城県蔵王町の北原尾[49]、2015年7月には福島県の復興公営住宅、2016年11月には愛知県入鹿池[50]、2017年9月には埼玉県高麗神社・渋沢栄一生地などに訪れている[51]



人物に関するもの





1949年(昭和24年)、祖母皇太后節子(後の貞明皇后)と共に





1952年(昭和27年)、父・昭和天皇と共に





1952年(昭和27年)、弟・正仁親王と共に乗馬を楽しむ明仁親王(手前)



  • 学生時代のエピソードとして、「銀ブラ事件」が有名である。学習院高等科3年の試験が終わった日、学友の橋本明、千家崇彦と3人だって周りの人間を出し抜き、銀座をぶらついた。高級喫茶店「花馬車」で橋本の彼女と合流し、皆でお金を出し合い、一杯99円のコーヒーを飲み、洋菓子屋「コロンバン」でアップルパイと紅茶を楽しんだが、すぐに発覚。連れ出した学友は警察と皇室関係者にこっぴどく叱られた。

  • 上述の銀ブラをはじめとする高等科時代のエピソードを基に、同級生だった藤島泰輔が皇太子に捧げて書いた[52]小説が『孤獨の人』(1956年)である。同作は発売前からマスコミに取り上げられ、映画化もされた。一方、戦後の日本において、戦争のイメージがなく、若く清新な「新生日本」にふさわしいともてはやされた皇太子の実像が、学友たちの権力争いの道具となり宮内庁職員らの窮屈な支配に諦めを抱く存在として描かれたことで、その人気は結婚によるミッチー・ブームが起こるまで陰りを見せた。背景には逆コースと呼ばれた民主化に逆行する風潮への批判があり、日本社会党の茜ケ久保重光と江田三郎は国会でこの小説を取り上げ、枠に嵌められる皇太子の状況への同情と落胆を語り、宮内庁への批判を展開した[53]

  • 経済学者の関根友彦元ヨーク大学教授は学習院初等科からの同級生で、特に中等科時代に親しく交流したという[54][55]


  • 靖国神社には皇太子時代に5回参拝しているが、即位後は参拝していない。一方で靖国神社の元宮司である南部利昭には、宮司就任前に「靖国のこと、頼みます」と声をかけている[注釈 6]

  • 「好きなテレビ番組は?」との質問については、「各局の競争が激しいので…」などと回答するのが普通である(これは父・昭和天皇も同様であった)。ただし、皇太子時代には好きなテレビ番組として『暴れん坊将軍』(テレビ朝日)を挙げたことがある。他に即位後の園遊会で水木しげるに「『ゲゲゲの女房』を見ましたが、絵をかくのは大変そうですね」と声をかけた[56]

  • 皇居がある千代田区は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う計画停電の対象外地域であったが、「国民と困難を分かち合いたい」とする天皇の意向により、皇居は停電時間に合わせ電源を落とした[57]。計画停電の実施が終了した後も計画停電発表終了まではこの「自主停電」は続けたという[58]

  • 2011年7月29日から8月10日、アメリカの調査会社GfKとAP通信が、日本全国の成人1000人を対象に電話で行った世論調査では、各国の元首や首脳についての設問で、天皇は「好き」を70%獲得し、オバマ大統領(同41%)などを大幅に超えて1位であった[59]



乗り物に関すること




2016年現在使用しているとされる2代目インテグラ(写真は同型北米仕様車)



  • 1953年、皇太子は葉山において学友の所有するアルファロメオ・1900を運転している。この車は、当時最先端の高性能車であった。このドライブでは、車の所有者の学友が助手席に座り、護衛または侍従が後部座席に収まり、皇太子が実際に運転している[60]

  • 2018年(平成30年)現在、プライベートで運転するのは1991年(平成3年)製のグレーのホンダ・インテグラ(4ドア仕様・MT)[61]。皇居内を移動する際に運転しており、現在は一般公道を走行することはないという[62]。法令に基づき、2007年(平成19年)以降3年ごとに高齢者講習を受講の上運転免許を更新しているが、2016年の更新を最後にする意向である[63]


  • ビクトリアカナダ空軍基地において軍用機のコクピットに座ったこともあり、写真が残されている。またビクトリアからバンクーバーまではこの空軍機で移動した。同機の機長だったデーブ・アダムソン中佐とは2009年(平成21年)のカナダ訪問の際に再会し、「あなたのことはよく覚えています」と旧交を温めていた[64]



日産自動車(主に旧プリンス自動車)とのかかわり




1954年(昭和29年)、妹・清宮貴子内親王(右)と、皇太子のプリンス・セダンの前にて


独身時代にはしばしば、成婚後もしばらくの間、愛車でドライブを楽しんでおり、国産車では1954年に献上されたプリンス自動車(現:日産自動車)のプリンス・セダン(後年、日産自動車に返還され現存)以降、
天皇に即位後に乗り換えたホンダ・インテグラまで、通算9台のプリンス車を用いた。その中にはプリンスの試作1900ccエンジンを先行搭載した初代スカイラインや、高級車「グランド・グロリア」の後席スペースを100mm延長した特注車も含まれていた。なおこのグロリアのストレッチ仕様車は、標準車のスペースでは「私はよいのですが美智子が…」という皇太子妃への気配りにより特別生産された[65]


  • その他、プリンスが納入した公用車については、同様に妃への気配りから「サイドシル(車体側面・ドア部分の敷居)をもっと低くできないか」(乗り降りをしやすくするため)という質問も出している。プリンス側では、後席シート座面を低く下げ、天井内張りの厚みを薄くすることで乗り降りのしやすさを改善した[66]


発言



  • 「さきに、日本国憲法及び皇室典範の定めるところによって皇位を継承しましたが、ここに「即位礼正殿の儀」を行い、即位を内外に宣明いたします。このときに当たり、改めて、御父昭和天皇の六十余年にわたる御在位の間、いかなるときも、国民と苦楽を共にされた御心を心として、常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い、国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします」
    • 1990年(平成2年)11月12日、即位礼正殿の儀にて[67]


  • 「日本国憲法で、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると規定されています。この規定と、国民の幸せを常に願っていた天皇の歴史に思いを致し、国と国民のために尽くすことが天皇の務めであると思っています。天皇の活動の在り方は、時代とともに急激に変わるものではありませんが、時代とともに変わっていく部分もあることは事実です」
    • 1998年(平成10年)12月18日、誕生日に際する記者会見にて[68]


  • 「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています。」

    • 2001年(平成13年)12月18日、誕生日に際する記者会見にて[69]

    • この発言は内外の興味を強く引き、韓国においても大々的に報道された。桓武天皇#今上天皇の発言も参照。



  • 「私にとっては沖縄の歴史を紐解くということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし、それであればこそ沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです。沖縄県の人々にそのような気持ちから少しでも力になればという思いを抱いてきました」

    • 2003年(平成15年)12月18日、誕生日に際する記者会見にて[70]

    • 母方の祖母・俔子妃が島津家の出身である。



  • 「やはり、強制になるということではないことが望ましいですね」
    • 2004年(平成16年)10月28日、秋の園遊会にて、東京都教育委員の米長邦雄の「日本中の学校に国旗を掲げ、国歌を斉唱させるのが私の仕事です」という発言に対して。


  • 「皇太子の記者会見の発言を契機として事実に基づかない言論も行われ、心の沈む日も多くありました」- 人格否定発言を受けて
    • 2004年(平成16年)、誕生日に際する文書回答より[71]


  • 「日本は昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって、また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います」

  • 「皇室の中で女性が果たしてきた役割については、私は有形無形に大きなものがあったのではないかと思いますが、(中略)私の皇室に対する考え方は、天皇および皇族は、国民と苦楽を共にすることに努め、国民の幸せを願いつつ務めを果たしていくことが(中略)、皇室の伝統ではないかと考えているということです」
    • 以上、2005年(平成17年)12月19日、誕生日に際する記者会見にて[72]


  • 「これからの日本の教育の在り方については関係者が十分に議論を尽くして、日本の人々が自分の国と自分の国の人々を大切にしながら世界の国の人々の幸せに心を寄せていくように育っていくことを願っています。戦前のような状況になるのではないかということですが、戦前と今日の状況では大きく異なっている面があります。(中略)1930年から1936年の6年間に要人に対する襲撃が相次ぎ、総理または総理経験者4人が亡くなり、さらに総理1人がかろうじて襲撃から助かるという、異常な事態が起こりました。そのような状況下では議員や国民が自由に発言することは非常に難しかったと思います。先の大戦に先立ち、このような時代のあったことを多くの日本人が心にとどめ、そのようなことが二度と起こらないよう日本の今後の道を進めていくことを信じています。」- 在日外国報道協会代表質問「教育基本法改正に伴い愛国心の表現を盛り込むことが、戦前の国家主義的な教育への転換になるのでは」に対して。
    • 2006年(平成18年)6月6日、シンガポール・タイ王国訪問前の記者会見にて[73]


  • 「残念なことは、愛子は幼稚園生活を始めたばかりで、風邪をひくことも多く、私どもと会う機会が少ないことです。(中略)いずれ会う機会が増えて、打ち解けて話をするようになることを楽しみにしています」
    • 2006年(平成18年)12月20日、誕生日に際する記者会見にて[74]


  • 「ブルーギルは50年近く前、私が米国より持ち帰り、水産庁の研究所に寄贈したものであり、当時食用魚としての期待が大きく養殖が開始されましたが、今このような結果になったことに心を痛めています」
    • 2007年(平成19年)第27回全国豊かな海づくり大会にて[41]


  • 「皇太子妃が病気の今、家族が皆で、支えていくのは当然のことです。私も、皇后も、将来重い立場に立つ皇太子、皇太子妃の健康を願いつつ、2人の力になっていきたいと願っています」
    • 2008年(平成20年)12月23日、誕生日に際する文書回答にて[75]


  • 「大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば、日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います」

  • 「2人のそれぞれの在り方についての話し合いも含め、何でも2人で話し合えたことは幸せなことだったと思います。皇后はまじめなのですが、面白く楽しい面を持っており、私どもの生活に、いつも笑いがあったことを思い出します。(中略)結婚によって開かれた窓から私は多くのものを吸収し、今日の自分を作っていったことを感じます。結婚50年を本当に感謝の気持ちで迎えます。」
    • 以上、2009年(平成21年)4月8日、結婚満50年に際する記者会見にて[76]


  • 「今日の世界は決して平和な状態ではあるとはいえません。明るい面として考えられるのは、世界がより透明化し、多くの人々が事実関係が共有できるようになったことです。拉致の問題も、それが行われた当時は今と違って、日本人皆が拉致を事実として認識することはありませんでした。このため拉致が続けられ、多くの被害者が生じたことは返す返すも残念でした。それぞれの家族の苦しみはいかばかりであったかと思います」

  • 「皇位継承の制度にかかわることについては、国会の論議にゆだねるべきであると思いますが、将来の皇室の在り方については、皇太子とそれを支える秋篠宮の考えが尊重されることが重要と思います。2人は長年私と共に過ごしており、私を支えてくれました。天皇の在り方についても十分考えを深めてきていることと期待しています」
    • 以上、2009年(平成21年)11月11日、即位20年に際する記者会見にて[77]


  • 「(公務の)負担の軽減は、公的行事の場合、公平の原則を踏まえてしなければならないので、十分に考えてしなくてはいけません。今のところしばらくはこのままでいきたいと考えています。私が病気になったときには、昨年のように皇太子と秋篠宮が代わりを務めてくれますから、その点は何も心配はなく、心強く思っています」
    • 2012年(平成24年)12月23日、誕生日に際する記者会見にて[78]


  • 「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」

  • 「天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています」
    • 以上、2013年(平成25年)12月23日、誕生日に際する記者会見にて[79]


  • 「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。


天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」
  • 2016年(平成28年)8月8日、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」にて[80]



  • おことば中では一貫して「日本」を“にほん”と読んでいる(NHKは2016年から「にっぽん」と読むようになった)。


病歴





2014年(平成26年)4月24日、皇居にてアメリカ合衆国の大統領バラク・オバマ(左)と



  • 2003年1月に前立腺がんの手術を受けて回復した[81]

  • 2008年12月に不整脈を発症したが回復した[82][83]

  • 2011年11月に気管支炎と肺炎の治療を受けて回復した[84]

  • 2012年3月に心臓冠動脈のバイパス手術を受けて回復した[85]



栄典



日本




  • JPN Daikun'i kikkasho BAR.svg - 大勲位菊花章頸飾


  • JPN Kyokujitsu-sho Paulownia BAR.svg - 勲一等旭日桐花大綬章


  • JPN Zuiho-sho 1Class BAR.svg - 瑞宝大綬章


  • JPN Order of Culture BAR.svg - 文化勲章


  • Red Cross Order of Merit (Japan).png - 日本赤十字社特別社員


  • Red Cross Order of Merit (Japan).png - 日本赤十字社金色有功章




日本以外


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ガーター


ガーター騎士団員としての紋章



金羊


金羊毛騎士団員としての紋章



金羊


セラフィム騎士団(英語版)員としての紋章




イギリスの旗 イギリス



  • ガーター勲章(ガーター騎士団員): 1998年5月26日受勲[86] 2018年現在ヨーロッパ人以外では唯一の叙勲

スペインの旗 スペイン



  • 金羊毛勲章(金羊毛騎士団員)(スペイン)[87]

タイ王国の旗 タイ




  • Order of the Rajamitrabhorn (Thailand) ribbon.png - ラーチャミトラーポーン勲章[88]


  • Order of the Royal House of Chakri (Thailand) ribbon.png - 大チャクリー勲章


フランスの旗 フランス



  • Legion Honneur GC ribbon.svg - レジオンドヌール勲章グランクロワ

ドイツの旗 ドイツ



  • GER Bundesverdienstkreuz 9 Sond des Grosskreuzes.svg - ドイツ連邦共和国功労勲章特等大十字章


系譜





















































































































































































































































































































 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

122明治天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

123大正天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

124昭和天皇
 
秩父宮雍仁親王
 
高松宮宣仁親王
 
三笠宮崇仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

125今上天皇
 
常陸宮正仁親王
 
寛仁親王
 
桂宮宜仁親王
 
高円宮憲仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
皇太子徳仁親王
 
秋篠宮文仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
悠仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


































明仁(今上天皇)

父:
昭和天皇

祖父:
大正天皇

曾祖父:
明治天皇

曾祖母:
柳原愛子

祖母:
貞明皇后

曾祖父:
九条道孝

曾祖母:
野間幾子

母:
香淳皇后

祖父:
邦彦王(久邇宮)

曾祖父:
朝彦親王(久邇宮)

曾祖母:
泉萬喜子

祖母:
俔子

曾祖父:
島津忠義

曾祖母:
山崎寿満子


  • 高祖父:孝明天皇(第121代天皇)

  • 高祖母:中山慶子(典侍、明治天皇生母)

  • 曾祖父:明治天皇(第122代天皇)

  • 曾祖母:柳原愛子(正二位・典侍、大正天皇生母)

  • 祖父:大正天皇(第123代天皇)

  • 祖母:貞明皇后(華族・九条道孝公爵第四女子)

  • 父:昭和天皇(第124代天皇)

  • 母:香淳皇后(久邇宮邦彦王第一王女)

  • 伯父:久邇宮朝融王(第3代久邇宮家当主)

  • 伯父:久邇邦久(侯爵)

  • 叔母:三条西信子(三条西公正伯爵夫人)

  • 叔母:大谷智子(大谷光暢伯爵夫人)

  • 叔父:東伏見慈洽(伯爵、天台宗青蓮院門跡門主)



今上天皇の男系直系祖先























































































































































































1 神武天皇

2 綏靖天皇

3 安寧天皇

4 懿徳天皇

5 孝昭天皇

6 孝安天皇

7 孝靈天皇

8 孝元天皇

9 開化天皇

10 崇神天皇


11 垂仁天皇

12 景行天皇
日本武尊
14 仲哀天皇

15 応神天皇
稚野毛二派皇子 意富富杼王 乎非王 彦主人王
26 継体天皇


29 欽明天皇

30 敏達天皇

押坂彦人
大兄皇子

34 舒明天皇

38 天智天皇
志貴皇子
49 光仁天皇

50 桓武天皇

52 嵯峨天皇

54 仁明天皇


58 光孝天皇

59 宇多天皇

60 醍醐天皇

62 村上天皇

64 円融天皇

66 一条天皇

69 後朱雀天皇

71 後三条天皇

72 白河天皇

73 堀河天皇


74 鳥羽天皇

77 後白河天皇

80 高倉天皇

82 後鳥羽天皇

83 土御門天皇

88 後嵯峨天皇

89 後深草天皇

92 伏見天皇

93 後伏見天皇

北1 光厳天皇


北3 崇光天皇

栄仁親王(伏見宮)

貞成親王(伏見宮)

102 後花園天皇

103 後土御門天皇

104 後柏原天皇

105 後奈良天皇

106 正親町天皇
誠仁親王
107 後陽成天皇


108 後水尾天皇

112 霊元天皇

113 東山天皇

直仁親王(閑院宮)

典仁親王(閑院宮)

119 光格天皇

120 仁孝天皇

121 孝明天皇

122 明治天皇

123 大正天皇


124 昭和天皇

125 今上天皇




オルターナティブ形式



  • 各人の囲み上部の数字は生年と没年、下部の数字は即位年と退位年、「前」は紀元前、「?」は不詳を示す。

  • 太字は漢風諡号、生没年に併記されているのは諱、斜体字は別名。


  • 赤色の囲みは女性を示す。

  • カッコ付きの太数字は天皇の代数。

















































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































前711-前585
神武天皇
前660–前585(1)
 
 
 

前632-前549
綏靖天皇
前581–前549(2)
 
 
 

前577-前510
安寧天皇
前549–前510(3)
 
 
 

前553-前476
懿徳天皇
前510–前476(4)
 
 
 

前506-前393
孝昭天皇
前475–前393(5)
 
 
 

前427-前291
孝安天皇
前392–前291(6)
 
 
 

前342-前215
孝靈天皇
前290–前215(7)
 
 
 

前273-前158
孝元天皇
前214–前158(8)
 
 
 

前208-前98
開化天皇
前157–前98(9)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

前148-前29
崇神天皇
前97–前29(10)
 
 
 
 
彦坐王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

前68–紀元後70
垂仁天皇
前29–70(11)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

前13–130
景行天皇
71–130(12)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

82?–113?
日本武尊
 

84–191
成務天皇
131–191(13)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 148? –200
仲哀天皇
192–200(14)
 
 
 
 

170-269
神功皇后
摂政 201–269
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

200-310
應神天皇
270–310(15)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

257–399
仁徳天皇
313–399(16)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
稚野毛二派皇子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 336? –405
履中天皇
400–405(17)
 

 336? –410
反正天皇
406–410(18)
 

 376? –453
允恭天皇
413–453(19)
 
忍坂大中姫
 
意富富杼王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
市辺押磐皇子
 
 
 
 
 

401-456
安康天皇
454–456(20)
 

418-479
雄略天皇
456–479(21)
 
乎非王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

440-484
飯豊青皇女
臨朝秉政 484
 

大脚 449-498
仁賢天皇
488–498(24)
 

450-487
顯宗天皇
484–487(23)
 

444-484
清寧天皇
480–484(22)
 
彦主人王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

489-507
武烈天皇
498–507(25)
 
手白香皇女
 
 
 
 
 
 
 
 
 

450-531
繼體天皇
507–531(26)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

509-571
欽明天皇
540–571(29)
 

465-536
安閑天皇
531–536(27)
 

高田 467-539
宣化天皇
536–539(28)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

538-585
敏達天皇
572–585(30)
 

額田部 554-628
推古天皇
593–628(33)
 

 540? -587
用明天皇
585–587(31)
 

泊瀬部  553? –592
崇峻天皇
587–592(32)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
押坂彦人大兄皇子
 
 
 
 
 

574-622
厩戸皇子
(聖徳太子)
摂政 593-622
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
茅渟王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

軽 596-654
孝徳天皇
645–654(36)
 

宝 594-661
皇極天皇
642–645(35)
齊明天皇
654–661(37)
 
 
 

田村 593-641
舒明天皇
629–641(34)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

葛城 626-672
天智天皇
661–672(38)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

大友 648-672
弘文天皇
672(39)
 
 
 
 

鸕野讚良 645-701
持統天皇
690–697(41)
 
 
 

大海人 631?-686
天武天皇
672-686(40)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

668?–716
志貴皇子
(春日宮天皇)
 
 
 

阿閇 661-721
元明天皇
707-715(43)
 

662–689
草壁皇子
(岡宮天皇)
 
 

676–735
舎人親王
(崇道尽敬皇帝)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

氷高 680-748
元正天皇
715–724(44)
 

珂瑠 683-707
文武天皇
697–707(42)
 
 

大炊 733-765
淳仁天皇
758–764(47)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

首 701-756
聖武天皇
724-749(45)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

? -790
高野新笠
 

白壁 709-782
光仁天皇
770–781(49)
 

717–775
井上内親王
 

阿倍 718-770
孝謙天皇
749–758(46)
称徳天皇
764–770(48)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

山部 737-806
桓武天皇
(柏原帝)
781–806(50)
 

750?–785
早良親王
(崇道天皇)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

安殿 774-824
平城天皇
(奈良帝)
806–809(51)
 

神野 786-842
嵯峨天皇
809–823(52)
 

大伴 786-840
淳和天皇
(西院帝)
823–833(53)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

正良 810-850
仁明天皇
(深草帝)
833–850(54)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

道康 827-858
文徳天皇
(田邑帝)
850–858(55)
 

時康 830-887
光孝天皇
(小松帝)
884–887(58)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

惟仁 850-880
清和天皇
(水尾帝)
858–876(56)
 

定省 867-931
宇多天皇
887–897(59)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

貞明 869-949
陽成天皇
876–884(57)
 

敦仁 885-930
醍醐天皇
897–930(60)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

寛明 923-952
朱雀天皇
930–946(61)
 

成明 926-967
村上天皇
946–967(62)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

憲平 950-1011
冷泉天皇
967–969(63)
 
 
 
 
 

守平 959-991
圓融天皇
969–984(64)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

師貞 968-1008
花山天皇
984–986(65)
 

居貞 976-1017
三條天皇
1011–1016(67)
 
 
 

懐仁 980-1011
一條天皇
986–1011(66)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

1013-1094
禎子内親王
 

敦良 1009-1045
後朱雀天皇
1036–1045(69)
 

敦成 1008-1036
後一條天皇
1016–1036(68)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

尊仁 1034-1073
後三條天皇
1068–1073(71)
 

親仁 1025-1068
後冷泉天皇
1045–1068(70)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

貞仁 1053-1129
白河天皇
1073–1087(72)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

善仁 1079-1107
堀河天皇
1087–1107(73)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

宗仁 1103-1156
鳥羽天皇
1107–1123(74)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

顕仁 1119-1164
崇徳天皇
1123–1142(75)
 
 
 

雅仁 1127-1192
後白河天皇
1155–1158(77)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

憲仁 1161-1181
高倉天皇
1168–1180(80)
 
 
 
 
 

守仁 1143-1165
二條天皇
1158–1165(78)
 

1140-1202
藤原多子
 

体仁 1139-1155
近衞天皇
1142–1155(76)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

1179-1223
守貞親王
(後高倉院)
 

言仁 1178-1185
安徳天皇
1180–1185(81)
 

尊成 1180-1239
後鳥羽天皇
1185–1198(82)
 

順仁 1164-1176
六條天皇
1165–1168(79)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

茂仁 1212-1234
後堀河天皇
1221–1232(86)
 
 
 

為仁 1196-1231
土御門天皇
1198–1210(83)
 

守成 1197-1242
順徳天皇
1210–1221(84)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

秀仁 1231-1242
四條天皇
1232–1242(87)
 
 
 

邦仁 1220-1272
後嵯峨天皇
1242–1246(88)
 

懐成 1218-1234
仲恭天皇
1221(85)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

1242-1274
宗尊親王
1252-1266(鎌倉将軍6)
 
 
 
 

久仁 1243-1304
後深草天皇
1246–1260(89)
 
 
 
 
 
 

恒仁 1249-1305
龜山天皇
1260–1274(90)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

1264-1326
惟康親王
1266-1289(鎌倉将軍7)
 

熈仁 1265-1317
伏見天皇
1287–1298(92)
 
 
 

1279-1308
久明親王
1289-1308(鎌倉将軍8)
 
 
 

世仁 1267-1324
後宇多天皇
1274–1287(91)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

胤仁 1288-1336
後伏見天皇
1298–1301(93)
 

富仁 1297-1348
花園天皇
1308–1318(95)
 

1301-1333
守邦親王
1308-1333(鎌倉将軍9)
 

邦治 1285-1308
後二條天皇
1301–1308(94)
 

尊治 1288-1339
後醍醐天皇
1318–1339(96)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

量仁 1313-1348
光厳天皇
1332–1334(北朝1)
 

豊仁 1322-1380
光明天皇
1336–1348(北朝2)
 
 
 

義良 1328-1368
後村上天皇
1339-1368(97)
 

1308-1335
護良親王
征夷大将軍 1333-1334
 

1326-1338/1344
成良親王
征夷大将軍 1334-1338
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

興仁 1334-1398
崇光天皇
1348–1351(北朝3)
 

弥仁 1336-1374
後光嚴天皇
1352–1371(北朝4)
 

寛成 1343-1394
長慶天皇
1368–1383(98)
 

熙成 1350?-1424
後龜山天皇
1383-1392(99)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

1351-1416
伏見宮栄仁親王
 

緒仁 1339-1393
後圓融天皇
1371–1382(北朝5)
 

参照:
南朝北朝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

1372-1456
伏見宮貞成親王
(後崇光院)
 

幹仁 1377-1433
後小松天皇
1382-1392(北朝6)
1392–1412(100)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

彦仁 1419-1471
後花園天皇
1428–1464(102)
 

躬仁 1401-1428
称光天皇
1412–1428(101)
 
 
 
 
 
 
 

成仁 1442-1500
後土御門天皇
1464–1500(103)
 
 
 
 
 
 
 

勝仁 1464-1526
後柏原天皇
1500–1526(104)
 
 
 
 
 
 
 

知仁 1497-1557
後奈良天皇
1526–1557(105)
 
 
 
 
 
 
 

方仁 1517-1593
正親町天皇
1557–1586(106)
 
 
 
 
 
 
 

1552-1586
誠仁親王
(陽光院)
 
 
 
 
 
 
 

和仁 1572-1617
後陽成天皇
1586–1611(107)
 
 
 
 
 
 
 

政仁 1596-1680
後水尾天皇
1611–1629(108)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

興子 1624-1696
明正天皇
1629-1643(109)
 

紹仁 1633-1654
後光明天皇
1643–1654(110)
 

良仁 1638-1685
後西天皇
1655–1663(111)
 

識仁 1654-1732
靈元天皇
1663–1687(112)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

朝仁 1675-1710
東山天皇
1687–1709(113)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

1704-1753
閑院宮直仁親王
 

慶仁 1702-1737
中御門天皇
1709–1735(114)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

昭仁 1720-1750
櫻町天皇
1735–1747(115)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

1733-1794
閑院宮典仁親王
(慶光天皇)
 

遐仁 1741-1762
桃園天皇
1747–1762(116)
 

智子 1740-1813
後櫻町天皇
1762–1771(117)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

英仁 1758-1779
後桃園天皇
1771–1779(118)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

1780-1843
勧修寺婧子
 

師仁 1771-1840
光格天皇
1780–1817(119)
 

1779-1846
欣子内親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

恵仁 1800-1846
仁孝天皇
1817–1846(120)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

統仁 1831-1867
孝明天皇
1846–1867(121)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

睦仁 1852-1912
明治天皇
1867–1912(122)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

嘉仁 1879-1926
大正天皇
1912–1926(123)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

裕仁 1901-1989
昭和天皇
摂政 1921-1926
1926–1989(124)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

明仁 1933-
今上天皇
1989– (125)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

1960-
皇太子徳仁親王
 

1965-
秋篠宮文仁親王
 

1969-
黒田清子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2001-
愛子内親王
 

1991-
眞子内親王
 

1994-
佳子内親王
 

2006-
悠仁親王


后妃






















身位


生年月日

結婚の儀
出身
子女

第125代天皇
皇后

Empress Michiko cropped 20140424.jpg

みちこ
美智子

1934年(昭和9年)
10月20日(84歳)

1959年(昭和34年)
4月10日/ 7001590000000000000♠59年321日

正田家

徳仁親王
文仁親王
清子内親王




皇子孫



皇子女




天皇一家と諸王


皇后美智子との間に3子がいる。





































読み
生年

御称号

続柄
現在

徳仁親王
なるひと

昭和35年(1960)
2月23日(59歳)

ひろのみや
浩宮

第1皇男子

皇太子

文仁親王
ふみひと

昭和40年(1965)
11月30日(53歳)

あやのみや
礼宮
第2皇男子

秋篠宮家当主

清子内親王
さやこ

昭和44年(1969)
4月18日(49歳)

のりのみや
紀宮
第1皇女

黒田家に皇籍離脱


皇孫








































読み
生年

御称号

続柄

愛子内親王
あいこ

平成13年(2001)
12月1日(17歳)

としのみや
敬宮

皇太子徳仁親王第1女子

眞子内親王
まこ

平成3年(1991)
10月23日(27歳)


秋篠宮文仁親王第1女子

佳子内親王
かこ

平成6年(1994)
12月29日(24歳)

秋篠宮文仁親王第2女子

悠仁親王
ひさひと

平成18年(2006)
9月6日(12歳)

秋篠宮文仁親王第1男子

※順序は皇位継承の順序に準ずる[89]



世界各国訪問歴











































































































































































































































































































































































第125代天皇在位中の外国訪問
出国 帰国 訪問地 同行
備考

1991年
(平成3)
9月26日 10月6日
タイ王国の旗 タイ、マレーシアの旗 マレーシア、 インドネシア
皇后 国際親善 各国からの招待

1992年
(平成4)
10月23日 10月28日
中華人民共和国の旗 中国
皇后 国際親善 中国からの招待

1993年
(平成5)
8月6日 8月9日
ベルギーの旗 ベルギー
皇后 国王ボードゥアン1世の国葬参列
9月3日 9月19日
イタリアの旗 イタリア・ベルギーの旗 ベルギー・ドイツの旗 ドイツ(バチカンの旗 バチカン立寄り)
皇后 国際親善 各国からの招待

1994年
(平成6)
6月10日 6月26日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
皇后 国際親善 アメリカからの招待
10月2日 10月14日
フランスの旗 フランス・スペインの旗 スペイン( ドイツの旗 ドイツ立寄り)
皇后 国際親善 両国からの招待

1997年
(平成9)
5月30日 6月13日
ブラジルの旗 ブラジル・アルゼンチンの旗 アルゼンチン(ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク・アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国立寄り)
皇后 国際親善 両国からの招待

1998年
(平成10)
5月23日 6月5日
イギリスの旗 イギリス・ デンマーク(ポーランドの旗 ポーランド立寄り)
皇后 国際親善 両国からの招待

2000年
(平成12)
5月20日 6月1日
オランダの旗 オランダ・ スウェーデン(スイスの旗 スイス、 フィンランド立寄り)
皇后 国際親善 両国からの招待

2002年
(平成14)
7月6日 7月20日
ポーランドの旗 ポーランド・ ハンガリー( チェコ、 オーストリア立寄り)
皇后 国際親善 両国からの招待

2005年
(平成17)
5月7日 5月14日
 ノルウェー(アイルランドの旗 アイルランド立寄り)
皇后 国際親善 ノルウェーからの招待
6月27日 6月28日
北マリアナ諸島の旗 サイパン島
皇后
平和祈念 戦没者慰霊

2006年
(平成18)
6月8日 6月15日
シンガポールの旗 シンガポール・タイ王国の旗 タイ(マレーシアの旗 マレーシア立寄り)
皇后 国際親善 シンガポールからの招待
タイ国王即位60年記念式典臨席

2007年
(平成19)
5月21日 5月30日
 スウェーデン・ エストニア・ ラトビア リトアニア・イギリスの旗 イギリス
皇后 国際親善 各国からの招待[91]

2009年
(平成21)
7月3日 7月17日
カナダの旗 カナダ・ハワイ州の旗ハワイ
皇后 国際親善 カナダからの招待
ハワイ州皇太子明仁親王奨学金財団50周年記念行事[92]

2012年
(平成24)
5月16日
5月20日

イギリスの旗 イギリス
皇后
女王エリザベス2世即位60周年の記念午餐会招待[93]

2013年
(平成25)
11月30日 12月6日
インドの旗 インド
皇后
国際親善 インド政府からの招待[94]

2015年
(平成27)
4月8日 4月9日
パラオの旗 パラオ
皇后 戦没者慰霊 平和祈念 パラオ国の招請[95]

2016年
(平成28)
1月27日 1月30日
フィリピンの旗 フィリピン
皇后 国際親善 フィリピン政府からの招請 戦没者慰霊 平和祈念[96]

2017年
(平成29)
2月28日 3月6日
 ベトナム(タイ王国の旗 タイ立寄り)
皇后 国際親善 ベトナム政府からの招請 戦没者慰霊 平和祈念
タイ国前国王プミポン・アドゥンヤデートの弔問[97]






2005(平成17)年6月28日、
米国自治領・サイパン島訪問時、皇后と共に





2009(平成21)年7月10日、
カナダ・ブリティッシュコロンビア州訪問時



著書



  • 『ともしび 皇太子同妃両殿下御歌集』宮内庁東宮職編、婦人画報社、1986年(昭和61年)12月 ISBN 9784573143012

  • 『道 平成元年〜平成10年 天皇陛下御即位十年記念記録集』宮内庁編、日本放送出版協会、1999年(平成11年)10月 / 新装版2009年(平成22年)9月、ISBN 4140813903

  • 『道 平成11年〜平成20年 天皇陛下御即位二十年記念記録集』宮内庁編、日本放送出版協会、2009年(平成22年)9月、ISBN 414081389X

  • 『天皇陛下科学を語る』宮内庁侍従職監修、朝日新聞出版、2009年10月 ISBN 4023304522

  • 『日本産魚類大図鑑=The fishes of the Japanese archipelago』 東海大学出版会、1984年(昭和59年)12月


    • ISBN 4-486-05053-3(図版)


    • ISBN 4-486-05053-3(解説)


    • ISBN 4-486-05054-1 (Text)

    • 論文『ハゼ科魚類の進化』を所収(他に第2版で、ハゼ亜目魚類の項目を共同執筆)、益田一ほか編。



  • 『日本の淡水魚』 山と溪谷社、1989年(平成元年)11月、ISBN 4-635-09021-3
    • (チチブ類の項目を執筆)、川那部浩哉、水野信彦編・監修


  • 『日本産魚類検索 全種の同定』 東海大学出版会、1993年(平成5年)10月 / 第2版2000年(平成12年)12月 / 第3版2013年(平成25年)3月、ISBN 4486018044
    • (ハゼ亜目魚類の項目を共同執筆)、中坊徹次編




出典・注釈



注釈


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  1. ^ 代数は皇統譜による。


  2. ^ 後者は2006年7月21日、DVDが発売されている(ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントより、定価5250円)。開会式で宣言を読み上げる姿はテレビ中継もされ(7月19日、NHK総合テレビ)、後年ドキュメンタリー番組にもそのまま使用された(「映像でつづる復帰30周年」)


  3. ^ 学習院の先輩であった三島は、皇太子外遊にあたり「愉しき御航海を――皇太子殿下へ」を書き、同船についても触れている[38]


  4. ^ 『郵趣』2009年4月号によれば、宮内庁から服装の変更申し出により、原案から皇太子は背広からモーニング、皇太子妃は洋装から和服に変更されている。


  5. ^ 実物と同じものが逓信総合博物館で所蔵されている。


  6. ^ 『週刊朝日』2004年12月3日。ただし、南部は「どうやら、久邇さまが陛下にお願いしていたようです」と『週刊朝日』に述べており、天皇の発言は南部を宮司に推挙した久邇邦昭(天皇の従兄)からの依頼によるものとしている。




出典


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  1. ^ ab“皇室の系図-皇室とっておき”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社. 2016年1月29日閲覧。


  2. ^ 松本敦 (2014年). “朝日新聞における皇族の呼称および待遇表現の変遷”. 学習院大学大学院日本語日本文学 第10号. 学習院大学大学院人文科学研究科日本語日本文学専攻. 2017年11月10日閲覧。[リンク切れ] 大手新聞三紙では「天皇陛下」を使用


  3. ^ 昭和64年1月7日内閣告示第1号 天皇陛下崩御に関する件


  4. ^ 昭和64年1月7日内閣告示第2号 皇太子明仁親王殿下が皇位を継承された件


  5. ^ 宮内庁. “天皇皇后両陛下のご活動” (日本語). 2012年6月11日閲覧。


  6. ^ 宮内庁. “宮中祭祀” (日本語). 2009年6月11日閲覧。


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  9. ^ “Early Cultivators of Science in Japan”. Science 258 (5082): 578. (October 1992). doi:10.1126/science.1411568. PMID 1411568. 


  10. ^ “Evolutionary aspects of gobioid fishes based upon a phylogenetic analysis of mitochondrial cytochrome B genes”. Gene 259 (1-2): 5-15. (December 2000). doi:10.1016/S0378-1119(00)00488-1. PMID 11163956. ※所属はImperial Residence=「皇居」となっている。なお、共著者に山階鳥類研究所総裁の秋篠宮文仁親王の名前もある。


  11. ^ “Evolution of Pacific Ocean and the Sea of Japan populations of the gobiid species, Pterogobius elapoides and Pterogobius zonoleucus, based on molecular and morphological analyses”. Gene 427 (1-2): 7-18. (December 2008). doi:10.1016/j.gene.2008.09.026. PMID 18848978. 文仁親王の所属は総合研究大学院大学となっている。


  12. ^ “Speciation of two gobioid species, Pterogobius elapoides and Pterogobius zonoleucus revealed by multi-locus nuclear and mitochondrial DNA analyses”. Gene 576 (2-1): 593–602. (February 2016). doi:10.1016/j.gene.2015.10.014. PMID 26475939. 文仁親王の所属は東京大学総合研究博物館および東京農業大学となっている。


  13. ^ Platygobiopsis akihito, new genus and species of gobiid fish from Flores, Indonesia”. Japanese Journal of Ichihyology 38 (4): 349-355. (1992). http://www.wdc-jp.biz/pdf_store/isj/publication/pdf/38/384/38402.pdf. 


  14. ^ Exyrias akihito, A New Species of Coral-Reef Goby (Gobiidae) from the Western Pacific”. The Raffles Bulletin of Zoology 53 (2): 231-235. (2005). オリジナルの2006年10月16日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20061016053320/http://rmbr.nus.edu.sg/rbz/biblio/53/53rbz231-235.pdf. 


  15. ^ Akihito vanuatu Watson, Keith & Marquet, 2007 FishBase


  16. ^ 楠田實『楠田實日記―佐藤栄作総理首席秘書官の二〇〇〇日』中央公論新社、2001年、635頁(1971年8月26日の条)。ISBN 978-4120031601。


  17. ^ Meguro=目黒勝介


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  24. ^ 主な式典におけるおことば(平成元年):天皇陛下のおことば - 宮内庁


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  26. ^ “天皇陛下「中国訪問はよかった」 渦巻く思惑、親善貫く” (日本語). 朝日新聞. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2017年10月30日). https://www.asahi.com/articles/ASKBY5WNGKBYUTIL01D.html 2017年12月23日閲覧。 


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    ISBN 978-4198126346。


  38. ^ ab三島由紀夫「愉しき御航海を――皇太子殿下へ」(発表誌未詳 1953年3月10日)。『亀は兎に追ひつくか』(村山書店、1956年10月)、28巻 & 2003-03, pp. 56-58


  39. ^ 三島由紀夫『アポロの杯』(朝日新聞社、1952年10月)。27巻 & 2003-02, pp. 507-641


  40. ^ 河原敏明『天皇家の50年』p.161

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  44. ^ 読売新聞・2002年2月21日ほか


  45. ^ 日刊ベリタ2005年06月28日掲載 天皇、韓国・朝鮮人戦没者慰霊碑にも立ち寄り(追加)


  46. ^ 慶應義塾創立150年、天皇陛下お言葉全文


  47. ^ 両陛下、避難所訪問…膝つきながら被災者励ます 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)[リンク切れ]


  48. ^ “宮内庁主導「両陛下初の私的なご旅行」 ご健康を考え苦心の企画”. 産経新聞. (2013年4月15日). http://sankei.jp.msn.com/life/news/130415/imp13041520540002-n1.htm 2013年4月17日閲覧。 


  49. ^ 両陛下、「北のパラオ」訪問 宮城・北原尾


  50. ^ (皇族方の素顔)両陛下、7回目の私的旅行


  51. ^ 両陛下、私的旅行で埼玉へ 渡来人ゆかりの神社を初参拝


  52. ^ 序文前の献辞。藤島, 泰輔 『孤獨の人』 岩波書店〈岩波現代文庫〉、2012年。
    ISBN 978-4-00-602201-3。



  53. ^ この段落の出典。河西秀哉「解説」、藤島, 泰輔 『孤獨の人』 岩波書店〈岩波現代文庫〉、2012年、235-241頁。
    ISBN 978-4-00-602201-3。



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  81. ^ の中の皇室のご活動の中の天皇皇后両陛下のご日程の中の平成15年(1月~3月)の中の天皇陛下のご入院・ご手術・ご退院について


  82. ^ 宮内庁の中の広報・報道の中の公表事項の中の今後の御公務及び宮中祭祀の進め方について


  83. ^ *宮内庁の中の広報・報道の中の公表事項の中の天皇陛下のご体調と天皇皇后両陛下のご日程について


  84. ^ 宮内庁の中の広報・報道の中の公表事項の中の天皇陛下のご体調について


  85. ^ 宮内庁の中の広報・報道の中の公表事項の中の天皇陛下のご検査の結果と今後の治療方針について


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  88. ^ 君塚(2008) p.275


  89. ^ 男女関係なく直系優先・兄弟姉妹間長子優先


  90. ^ 『皇族 天皇家の近現代史』 小田部雄次 中公新書 2011


  91. ^ “ヨーロッパ諸国ご訪問(平成19年)”. 宮内庁 (2006年12月15日). 2015年7月14日閲覧。


  92. ^ “カナダ・アメリカ合衆国ご訪問(平成21年)”. 宮内庁 (2009年3月13日). 2015年7月14日閲覧。


  93. ^ “英国ご訪問(平成24年)”. 宮内庁 (2012年5月8日). 2015年7月14日閲覧。


  94. ^ 天皇皇后両陛下のインド御訪問(在インド日本国大使館ウェブサイト、2013年12月6日閲覧)


  95. ^ “天皇皇后両陛下のパラオ国御訪問について”. 宮内庁. 2015年7月14日閲覧。


  96. ^ “天皇皇后両陛下のフィリピン国御訪問について”. 宮内庁. 2016年2月4日閲覧。


  97. ^ “天皇皇后両陛下のベトナム国御訪問について”. 宮内庁. 2017年4月30日閲覧。




参考文献




  • 君塚直隆 『女王陛下の外交戦略――エリザベス二世と「三つのサークル」』 講談社、2008年3月。ISBN 978-4062145664。 


  • 三島由紀夫 『決定版 三島由紀夫全集27巻 評論2』 新潮社、2003年2月。ISBN 978-4106425677。 


  • 三島由紀夫 『決定版 三島由紀夫全集28巻 評論3』 新潮社、2003年3月。ISBN 978-4106425684。 


  • 小林彰太郞 『天皇の御料車』 二玄社、1993年。(別冊CG)



関連項目











  • 宮内庁

  • 上皇陛下

  • ハゼ

  • ティラピア

  • ヒレナガニシキゴイ

  • 郁沃会

  • 小泉信三



外部リンク



  • 宮内庁ホームページ

  • 皇太子さまご結婚- NHKニュース(動画・静止画) NHKアーカイブス

  • 天皇陛下即位の礼 - NHKニュース(動画・静止画) NHKアーカイブス


  • NHK映画 寿ぐ御成婚 -NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブスカラー映像













明仁

皇室

1933年12月23日 -
存命中



日本の皇室
先代:
昭和天皇
(裕仁)

皇位
1989年(平成元年) – 現在
次代:
徳仁親王












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