埼玉村
さきたまむら 埼玉村 | |
---|---|
小埼沼の万葉歌碑 | |
廃止日 | 1954年7月1日 |
廃止理由 | 編入合併 北埼玉郡埼玉村 → 行田市 |
現在の自治体 | 行田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 北埼玉郡 |
総人口 | 5,148人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 行田市、北埼玉郡太田村、下忍村、川里村、 北足立郡箕田村 |
埼玉村役場 | |
所在地 | 埼玉県北埼玉郡埼玉村大字埼玉 |
ウィキプロジェクト |
埼玉村(さきたまむら)は、埼玉県の北部北埼玉郡に属していた村である。
埼玉県(さいたまけん)の県名発祥の地であるが、この埼玉は「さきたま」と読む[1]。
目次
1 地理
2 歴史
3 名所・旧跡
4 出身有名人・ゆかりの人物
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
地理
河川:旧忍川
池沼:埼玉沼、小埼沼
歴史
もとは江戸期より存在した忍藩領に属した埼玉村であった[2]。
幕末時点では埼玉郡に所属。知行は忍藩領。
1871年(明治4年) - 埼玉県に所属する。
1873年(明治6年) - 安楽寺の境内を借用して埼玉学校(現、行田市立埼玉小学校)を開設する。
1879年(明治12年) - 北埼玉郡に所属する。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、埼玉村、渡柳村、利田村、野村が合併し北埼玉郡埼玉村が改めて成立する[2]。旧村は埼玉村の大字埼玉となる。
1952年(昭和27年) - 行田市大字佐間の一部、下忍村大字樋上・堤根の各一部が編入され、埼玉村の一部を分離して下忍村に併合する[2]。
1954年(昭和29年)
広田村大字赤城の一部が編入され、埼玉村の一部を分離して広田村に併合する[2]。
7月1日 - 行田市へ編入され消滅[3][4]。大字は行田市に継承された。
名所・旧跡
埼玉古墳群
- 稲荷山古墳
- 丸墓山古墳
- 二子山古墳
前玉神社 - 「さきたまじんじゃ」と読み、埼玉の地名の起源のひとつとされている[2]。万葉歌碑がある。- 小埼沼の万葉歌碑 - 1753年(宝暦3年)建立[2]。
出身有名人・ゆかりの人物
濱梨花枝(歌人・作詞家)
脚注
^ 谷川彰英 『埼玉 地名の由来を歩く』 KKベストセラーズ、2017年8月10日、初版、35-38,294頁。ISBN 978-4-584-12561-8。
- ^ abcdef『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』400-401頁。
^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1428頁。
^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1022頁。
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
関連項目
- 日本の廃止市町村一覧
- 埼玉県の廃止市町村一覧
- 難読地名