東京師管区

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東京師管区(とうきょうしかんく)は、1945年4月1日に、日本陸軍が徴兵などの軍事行政と地域防衛のために全国を区分けして設けた師管区の一つである。関東地方南部、すなわち東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県・山梨県を範囲とした。宇都宮師管区・長野師管区とともに東部軍管区の下にあった。区内は東京連隊区・浦和連隊区・千葉連隊区・横浜連隊区・甲府連隊区に分けられた。東京師管区司令部が管轄し、東京師管区部隊が置かれた。敗戦後もしばらく続き、翌1946年3月31日に廃止された。
概要
師管区は従来の師管を改称したもので、地域防衛の担当地域であると同時に、徴兵・補充の単位となる地域でもある。東京師管区の前身は東京師管で、区域の変更はない。東京師管は留守近衛第2師団が管轄しており、その司令部を改称して東京師管区司令部とした[1]。留守師団の補充隊はいったん復帰(解散)し、あらたに師管区部隊の補充隊を編成する形式をとった。
発足時から、東京師管区の防衛担任からは、東京都の小笠原島(小笠原諸島)が除かれていた。代わりに、静岡県の富士川以東の地域の防衛を担任した[2]。
東京師管区の管轄である関東地方南部には、本土決戦のために第12方面軍の戦力が集中しており、海岸で上陸軍を迎え撃つ準備をすすめていた。別に近衛第1師団があって皇居の守備にあたり、東京師管区司令部は自らの師管区部隊と3個警備旅団によって首都の防衛にあたった。6月25日に東京防衛軍が新設され、警備旅団をその指揮下に移して首都防衛を主任務とした[3]。ただ、東京防衛軍司令部と東京師管区司令部は、要員のほとんどがその職を併有しており[4]、実質的な変更は小さかった。
師管区部隊
東京師管区司令官
寺倉正三 予備役中将:昭和20年4月 - 昭和20年7月5日
- (兼)飯村穣 中将:昭和20年7月5日 - 昭和20年8月20日(東京防衛軍司令官の兼職)
脚注
^ 昭和20年2月9日制定の軍令陸甲第25号。戦史叢書『本土決戦準備』1、186頁。
^ 2月9日制定、11日施行の軍令陸乙第3号。戦史叢書『本土決戦準備』1、188頁。
^ 6月12日の軍令陸甲第95号により東京防衛軍司令部の編成が命じられた。23日の大陸命第1355号によって東京防衛軍の戦闘序列が令され、25日に部隊転属が実施になった。戦史叢書『本土決戦準備』1、518頁。
^ 戦史叢書『本土決戦準備』1、519頁。同書は併有であって兼職ではないと記す。
参考文献
秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『本土決戦準備』1(関東の防衛)、戦史叢書、朝雲新聞社、1971年。
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