蒲郡町
がまごおりちょう 蒲郡町 | |
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廃止日 | 1954年4月1日 |
廃止理由 | 新設合併 蒲郡町、三谷町、塩津村 → 蒲郡市 |
現在の自治体 | 蒲郡市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 宝飯郡 |
総人口 | 26,080人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 宝飯郡三谷町、塩津村、大塚村、御津町、長沢村 額田郡本宿村、山中村、竜谷村、幸田町 |
蒲郡町役場 | |
所在地 | 愛知県宝飯郡蒲郡町 |
ウィキプロジェクト |
蒲郡町(がまごおりちょう)は、愛知県宝飯郡にかつて存在した町。現在の蒲郡市の一部であり、蒲郡市の中心部に該当する。
南は三河湾に面し、蒲郡港があり漁業が盛んである。北部は3方を山に囲まれた盆地状の地形である。温暖で、南側に斜面があることから、1800年代後半から[1]温州みかんが栽培され始め、後の蒲郡みかんとなっている[2]
地名は旧・蒲形村と西之郡村の「蒲」と「郡」を一字ずつ取った、合成地名である。
目次
1 歴史
2 学校
3 交通機関
4 道路・橋梁
5 神社・仏閣
6 史跡
7 観光
8 脚注
9 関連項目
歴史
江戸時代末期、この地域は旗本領、三河吉田藩領、寺社領などであった。
1876年(明治9年)4月 - 蒲形村と西之郡村が合併し、蒲郡村となる[3]。
1889年(明治22年)10月1日 - 蒲郡村、府相村、小江村、新井形村が合併し、蒲郡村となる。
1891年(明治24年)10月6日 - 町制施行し、蒲郡町となる。
1906年(明治39年)7月4日 - 蒲郡町、豊岡村、静里村、神之郷村 が合併し、蒲郡町となる。
1954年(昭和29年)4月1日 - 蒲郡町、三谷町、塩津村が合併し、蒲郡市となる。
学校
- 愛知県立蒲郡高等学校
- 蒲郡町立蒲郡中学校(現・蒲郡市立蒲郡中学校[4])
- 蒲郡町立蒲郡東部小学校(現・蒲郡市立蒲郡東部小学校)
- 蒲郡町立蒲郡南部小学校(現・蒲郡市立蒲郡南部小学校[5])
- 蒲郡町立蒲郡西部小学校(現・蒲郡市立蒲郡西部小学校)
- 蒲郡町立蒲郡北部小学校(現・蒲郡市立蒲郡北部小学校)
交通機関
国鉄東海道本線
- 蒲郡駅
名古屋鉄道蒲郡線
- 蒲郡駅
道路・橋梁
- 蒲郡街道
- 平坂街道
- 西郡道
- 国坂街道
- 柏原街道
神社・仏閣
- 長存寺
- 八百富神社
- 若宮神社
- 大宮神社
- 赤日子神社
史跡
- 上ノ郷城
観光
- 竹島
脚注
^ 天保年間から栽培されていたという説もある。
^ 当時の産地の村名より、「西郡みかん」「神ノ郷みかん」と称していた。いずれも後の蒲郡町の一部である。
^ 県の正式承認日は、1878年12月28日。
^ 蒲郡市制後、中部中学校を分離。
^ 蒲郡市制後、中央小学校、竹島小学校を分離。
関連項目
- 愛知県の廃止市町村一覧