P-51 (航空機)

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P-51 マスタング

飛行するP-51D-5-NA 44-13357号機
(第361戦闘航空隊所属、撮影年不詳)
用途:護衛戦闘機、戦闘爆撃機、対地攻撃機
分類:戦闘機
設計者:エドガー・シュミュード
製造者:ノースアメリカン・アビエーション社
運用者
アメリカ合衆国
アメリカ陸軍航空軍
アメリカ空軍
イギリス空軍 など
初飛行:1940年10月26日(NA-73X試作機)[1]
生産数:16,766機
運用開始:
1942年1月(イギリス空軍)
1942年8月(アメリカ陸軍航空軍)
退役
1957年(アメリカ空軍)
1984年(ドミニカ共和国空軍)
運用状況:退役
ユニットコスト:50,985米ドル(1945年)
原型機:A-36 アパッチ
派生型:- PA-48 エンフォーサー
- P-82 ツインマスタング
P-51 マスタング(North American P-51 Mustang)は、アメリカ合衆国のノースアメリカン社が開発しアメリカ陸軍航空軍などで運用されたレシプロ単発単座戦闘機である。
第二次世界大戦では同世代機を圧倒する速力に加え、充分な運動性と積載量を有しつつ戦闘機としては長い航続距離や安定した高高度性能により、爆撃機の護衛や対地攻撃で活躍した。アメリカ海軍が採用したF8Fベアキャット戦闘機と並び、最強のレシプロ戦闘機・第二次大戦中の最優秀戦闘機と評される[2]。
愛称の「マスタング(Mustang)」とは、スペイン人によって北アメリカ大陸に持ち込まれ野生化した小型の馬のことである。日本語ではムスタングと表記する場合もあるが、本項ではより発音の近いマスタングに統一する。
目次
1 概要
2 開発
3 タイプ
3.1 初期型
3.2 B型およびC型
3.3 D型およびK型
3.4 H型
4 評価
4.1 機体
4.2 速度性能
4.3 航続力・高高度性能
4.4 火力
4.5 防御力
4.6 運動性
4.7 実戦
4.8 日本
5 戦後
5.1 F-51
5.2 他国での運用
6 民間
6.1 キャヴァリア製マスタング
6.2 レプリカ
7 各タイプと生産機数
7.1 FJ-1 フューリー
8 諸元 F-51H (P-51H)
9 現存する機体
10 登場作品
11 参考文献
12 脚注
13 関連項目
14 外部リンク
概要
機首にV型エンジンを搭載した単発、主翼は低翼配置で尾翼は逆T字という当時の戦闘機では主流の設計である。翼型やラジエーターの配置に工夫が施されたが、初期型は凡庸な性能に加え、諸事情により短期間の設計であったため複数の問題も抱えていた。第二次世界大戦の半ばにイギリスのロールス・ロイス マーリンエンジンを搭載した後は性能が大幅に向上、それまで主力だったカーチス製のP-40 ウォーホークの後継機として導入が進んだ。実戦では航続力と高高度性能を生かしボマーエスコート(爆撃機の護衛)の主力として活躍した。また実戦配備後もパイロットの意見を取り入れた改良により完成度が高まっていった。
マスタングは様々な局面に対応できたことから最強の万能戦闘機[3]、史上最高のレシプロ戦闘機とも評され、アメリカ軍でも第二次世界大戦中に使用した機体で最高と評価している[4]。ただしマスタングが投入された時点で航続距離、高高度性能、加速性、運動性、火力のいずれにおいても同等もしくは上回る機体は存在していた。また最高速度はレシプロ機では最高クラスであったが、既に世界初のジェット戦闘機であるメッサーシュミット Me262が実用化されており『同世代機で最強』とされる性能はない。しかしマスタングはこれらを一定水準で満たしながらより低コストであり、なおかつアメリカ軍が必要とした時期に登場したことが『最優秀』と云われる所以である[5]。
航空業界では後発だったノースアメリカンは、練習機としてアメリカ陸軍航空隊のほか数カ国に採用されたNA-16の開発により、単発機の開発能力は証明されていたものの、戦闘機の自社設計は初めてであった。P-51の成功により躍進し、第二次世界大戦後もアメリカ軍に練習機や戦闘機を多数納品した。
開発
1939年に第二次大戦が勃発してすぐに、イギリス及びフランス政府は共同でニューヨークのマンハッタンに、サー・ヘンリー・セルフを長とする英仏購入委員会(Anglo-French Purchasing Commission)を設立した。この委員会はドイツによるフランス占領後はイギリス単独の機関となった。セルフが抱えていた多くの仕事のなかには、イギリス空軍のためにアメリカの戦闘機製造を組織化することも含まれていた。この時点では、完成しているアメリカ製航空機には、ヨーロッパの水準に達しているものは皆無だった。P-40は要求に近かったが、工場は最大限稼働していたにもかかわらず供給は不足していた。
1940年2月25日、セルフはノースアメリカンの社長である"ダッチ"・キンデルバーガーに「カーチスからライセンス供与を受けてP-40を作れないか」と尋ねた。ノースアメリカンは既にイギリス向けの練習機ハーバード I を生産しており、その品質はイギリス空軍でも高く評価されていた。3月のある日の午後、キンデルバーガーは主任設計士のエドガー・シュミュード[注 1]に相談した。シュミュードはかねてから戦闘機設計の構想を抱いていたため、戦闘機の自社開発は出来ると答えた。キンデルバーガーのヘンリーへの回答は、「ノースアメリカン社は、同じエンジンで、もっといい航空機を、より短い製作期間で、初飛行させることができる」というものだった。委員会ではP-40に採用されている12.7 mm機関銃を4丁、ユニットコストは40000ドル以下という条件を設定[6]、5月29日にはノースアメリカンとイギリス空軍の間に契約が交わされた。
タイプ
初期型
提案は受け入れられ、1940年3月からNA-73開発計画が開始された。設計は以下の特徴を備えていた。
- 層流翼型(層流の範囲を大きくすることを意図した翼型)
NACAが設計した翼型を採用。失速特性(急激な運動時の気流の剥がれ方)が悪いので、ドッグファイトが避けられない戦闘機にはあまり用いられない。翼が厚くなることによる抗力の増大をおさえ、降着装置・機関銃・弾薬・燃料を収納するのに充分なスペースを確保し、翼下に武装や増槽を搭載できる強度も確保できた。
- ラジエーター
メレディス効果を利用する事で空気抵抗を推力に変換[注 2]するラジエーター・ダクトを採用[7][8]。ダクトを機体から突き出す形で設置して機体に沿った乱流を避けて効率化を図った。なお降着装置を下ろすと車輪部分のカバーがダクトの前方にかかってしまうため、カバーだけを畳む機能も追加した[注 3]。
- 生産性
- 設計段階から生産効率を考慮し機体は大きく5分割して製造し、最終工程で結合するブロック工法を採用。工場では自動車の生産手法を取り入れた工程により製造期間を短縮した。
アメリカ陸軍航空隊(USAAC)は当初は全く興味を示さなかったが、後にNA-73の性能に注目した。USAACはこの売買を禁止できる権限を有しており、最終的に、英国空軍に機体を納入する替わりに、USAACに無償で2機のNA-73を提供することで決着した(実際は形式的なものだった)。
NA-73は1940年10月26日に初飛行を行った。計画立案から9カ月未満という、驚異的な短期間での完成だった。全体的に操縦性は良好だった。機体の内部構造は膨大な量の燃料を搭載できた。NA-73は機首に2丁の12.7 mm機関銃、さらに2丁の12.7 mm機関銃と4丁の7.62 mm機関銃を主翼に備えていたが、同時代のドイツ戦闘機Fw 190のプロトタイプの場合、4門の20 mm航空機関砲と2丁の7.92 mm機関銃を搭載できるため、当時としては軽武装の部類に属するものだった
プロペラはカーチス・エレクトリックの3枚プロペラが採用された。
初飛行からすぐに、海面高度(海抜0m)および低高度での性能は大変高いものの高高度での性能が他のヨーロッパ機に及ばないことが判明した。これはP-40と同じ、アリソン・エンジン社製V-1710エンジンを採用したことによる。このエンジンも英国のロールス・ロイス マーリンエンジンも機械式スーパーチャージャーを装備していたが、当時既にマーリンが二段二速過給機を搭載していたのに対して依然として一段一速過給機であり、高高度の希薄な空気に十分に対応できなかった。当時のアリソン社はゼネラルモーターズ(GM)のベンチャー部門ともいえる新興企業であり、技術者は25名程度しかおらず、二段二速過給機の開発にまであまり手が回らないのが実情であった。また合衆国陸軍航空隊は1917年よりゼネラル・エレクトリック(GE)にターボチャージャーの開発を進めさせており、過給機付きエンジンにターボチャージャーを組み込んで高空性能を確保する方針だった。アリソンは後に二段二速過給機を搭載した改良型の開発に着手し、パッカードでの二段二速過給器型マーリンとほぼ同時期に生産できるようになりP-63、F-82に搭載された。また、これを搭載した試作機、XP-51Jも作られたが第二次大戦が終結したこともあり、制式採用されずに終わっている。
約610機のマスタング Mk.I(マークI)がイギリス空軍に送られ、1942年3月10日に初の出撃を行った。航続距離が長く、低空性能に優れていたため、これらの機体はイギリス海峡付近での地上攻撃や写真偵察に好適で、大活躍する。しかし、高高度では性能低下が大きく、対戦闘機戦闘に使うつもりは無かった。マスタング Mk.IAは、性能向上を意図して機首の機関銃を廃止し、主翼の機関銃を20 mm機関砲4門に変更したタイプで、150機が生産された。
アメリカ陸軍航空隊の後身であるアメリカ陸軍航空軍(USAAF)はマスタング Mk.IAの内57機を引き取りP-51の名称で実戦部隊に支給し、後に大多数がカメラを装備した偵察機F-6Aに改造された。同時に、A-32の完成が遅れていたため対地攻撃機に大きな興味を示すようになったUSAAFは、A-36(会社名NA-97)を発注した。これは、6丁の12.7 mm機関銃(機首に2丁、主翼に4丁)とダイブブレーキを備え、500ポンド (230 kg) 爆弾を2つ搭載するものだった。ただしダイブブレーキは性能上使用しなくとも急降下が可能であったため、後に不使用封印されたという。
その後まもなく、A-36からダイブブレーキと機首の機関銃を取り外し、戦闘機としたA型が発注された。P-51Aはエンジンの馬力強化と新型スーパーチャージャーの採用によって低高度性能が向上しており、主に高高度性能の低さが問題にならない中国・ビルマ・インド方面の第10航空軍に配備された。P-51Aを元にした偵察機型はF-6Bと呼ばれた。P-51Aはイギリス空軍にもマスタング Mk.IIの名称で採用されたが、間もなくマーリンエンジン搭載機が配備され始めたため50機という少数の配備に終わった。
P-51の模型を手にするシュミュード
A-36
上から撮影したA型
B型およびC型
Mk.IAやA-36が発注されたのと同じころ、ロールス・ロイスの技術者やテストパイロットがマスタングを調査した。彼らは、すばらしい機動性(スピットファイアなどの既存の戦闘機に比べて)と膨大な燃料搭載量に感銘を受けた。当時、ロールスはマーリンエンジンのシリーズ60の生産を開始していた。これは、アリソン製エンジンと同程度のサイズと重量でありながら、はるかに優れたスーパーチャージング技術が適用されており、それに見合う高高度性能を発揮できるものだった。
ロールスの技術者たちは、マーリン68エンジンを4機のマスタング Mk.IAに載せた[注 4][注 5]。結果は驚嘆すべきもので、最新のイギリス製戦闘機を含め、いかなる機体よりも速く、航続距離が長かった(スピットファイアは航続距離の短さが問題点のひとつだった)。マーリンをV-1650として製造するためのライセンスがアメリカのパッカードに売却され一段過給器型のV-1650-1が生産されていたが、パッカードでの生産のシリーズ60相当への転換に合わせパッカード製のマーリンを積んだマスタングの生産は1943年5月(C型は3ヶ月遅れて)から開始された。
エンジンの出力増加に対応するため、プロペラはより大型のハミルトン・スタンダード製の4枚に変更された。
P-51の機体とマーリンエンジンの組み合わせた機体は当初XP-78と命名されたが、程無くしてP-51B・P-51Cに変更された。カリフォルニア州イングルウッドで作られた機体はB、テキサス州ダラスで作られた機体はCと区別された。この新たなバージョンは、イギリスに基地を置くアメリカ陸軍航空軍の第8・第9航空軍とイタリアに出撃基地をもつ第12・第15航空軍(当時イタリア南半分は既に連合軍に占領されていた)の、あわせて15の戦闘航空群(Fighter Group)で使用された。イギリス空軍ではP-51B/C共にマスタング Mk.IIIと呼称した。また、偵察機型F-6Cも存在した。
ヨーロッパ戦線でのP-51B/Cは主にボマーエスコートに使用された。1943年末頃から、P-51が爆撃機の長距離護衛を開始したことにより、ドイツ領奥地での爆撃が可能となった。
B/C型は航続力と速力は素晴らしかったが、12.7mm機関銃4丁という火力の低さと後方視界の悪さがイギリスのパイロットたちに不評であった。そのため機関銃は後にD型と同じ6丁に増設された。また後方視界改善のため、マルコム社がスーパーマリン スピットファイアのキャノピーに似たセミバブル型のマスタング用キャノピーを作ると、多くのパイロットが自分たちの機体に取りつける現地改修を行っている。ただしスピットファイアやD型に採用されたキャノピーほどの効果はないため、空気抵抗の増加で速力が落ちることを許容し、キャノピー上部にバックミラーを付ける現地改修も行われている。
キャノピー上部にバックミラーを取り付けたB型
C型の後部(Red Tail Projectで復元された(タスキーギー・エアーメン仕様のN61429)
C型の標準キャノピー(米陸軍 S/N 43-25057号機)
B-17の編隊を護衛するB型(1944年)
C型の復座型であるTP-51C
D型およびK型
D型は課題となっていた後方視界について、コックピット後部胴体を低くし、新たにホーカー タイフーンで採用されていた水滴型のキャノピー(バブルキャノピー)を取りつけた。これにより優れた全周視界を提供したが、その一方でコクピット後部の胴体断面積が減少したことで、横方向の安定性が低下した。これを改善するため、ドーサルフィン(垂直尾翼前側に設置する安定翼)が追加された。こうした背面の設計変更は乱流の増加による速度低下をもたらした。対策としてリベットをパテで埋め、機体表面を磨きあげる仕上げを採用した。
火力不足を補うため新たに2丁の12.7 mm機関銃を増設し、計6丁の機関銃を主翼に装備した。翼下にレールを追加しロケット弾を携行できるようにした機体もあり、対地攻撃で成果を発揮した。
C型までは濃緑色の迷彩と形状からメッサーシュミット Bf109に類似しており、友軍の対空砲火に誤射されたり他機種で編成された友軍機に攻撃される事件があった。D型でバブルキャノピーへ換装された後は、塗装をクリアドープにしたことでインベイジョン・ストライプ[10]が目立ったこともあり、フレンドリー・ファイアも無くなった。なおイギリス空軍は濃緑と灰色の2色迷彩を採用した。
陸軍航空隊はプロペラの生産が追いつかないことを懸念し、エアロプロダクツ製のプロペラを採用したK型を発注した[11]。このプロペラは中空ブレードを採用していたためハミルトン製より軽かったが、振動による故障が相次いぎ生産が遅れたため、1500機製造した時点で打ち切られた。594機はイギリス軍に引き渡され、163機は偵察型のF-6Kとなった[11]。
D型と偵察機型F-6Dは、シリーズ中で最も生産機数の多いタイプとなった。この新型は1943年7月にP-51D型と命名され空軍により2500機の発注がなされ、前線への配備は1944年3月から開始されたため、同年6月6日からのノルマンディー上陸作戦にちょうど間に合った。イギリス空軍でも1945年からD/K型が配備されマスタング Mk.IVと呼称された。オーストラリアではCACによるライセンス生産が行われたが、配備開始は終戦後となった。
右側から見たD型(Red Tail Projectで復元されたタスキーギー・エアーメン仕様)
イギリス空軍のマスタングIV(P-51D)
機首(D型)
機体下部(D型)
冷却システムの解説図(D型)
バブルキャノピー(D型)
ボンネットを外した状態(D型)
降着装置(D型)
K型(F-6K-15-NT)
H型
P-51のプロトタイプ NA-73は、USAAFの荷重倍数基準: 7.33 Gで設計された。強度は充分だったが、イギリス基準の荷重倍数: 5.33Gで設計した場合よりも、かなり重くなってしまった。USAAFとイギリス空軍の双方が、P-51をスピットファイア並に軽量化する計画に興味を示した。これによって、マスタングの性能は大幅に向上すると期待された。このためH型とプロトタイプは『"lightweight" Mustangs』とも呼ばれる。
新たに社内名NA-105と名付けられたこの機体計画において、 P-51Dを軽量化した『XP-51F』、エンジンをマーリン RM 14 SMsに変更した『XP-51G』、アリソン V-1710-119を搭載した『XP-51J』などがテストされた。これらのモデルは高性能であったが、そのまま量産には至らず、実験成果がH型に生かされた。
最終生産型となったH型は新型のV-1650-9エンジンを積んでいた。これはマーリンエンジンの改良型で、より高度なスーパーチャージャー制御機構と水メタノール噴射によって最大出力は2,000 HP(1,490 kW)に達した。プロペラはエアロプロダクツ製が採用された。最終的に数百ポンドの機体軽量化・出力の増加・ラジエーター形状の改善によって、H型は9430 lb(4,277 kg)に高度6,919 m(22,700 ft)で759 km/h(412 knots)に達することができた。
それまでの多くの型が抱える欠点であった方向安定性を改善するため、製造途中から垂直尾翼が高くなった[12]。
日本への侵攻作戦において、全てのモデルをH型によって置き換え、USAAFの標準戦闘機とすることが計画されていた。555機が生産された時点で終戦を迎えたため、残りの1845機はキャンセルされた[12]。太平洋戦線から戻った機体は州兵に回されたがほとんど使われないまま退役した。
生産数が少ないことに加え、民間に放出された機体も人気の高いD型の部品取りにされるなどしたことから現存数は少ない。
XP-51F
XP-51Jの復元機
XP-51の操縦席
飛行中のH型
空軍州兵の整備訓練で使われるH型
Kelly Field Annexに展示されるH型
評価
機体
当時最先端の層流翼と徹底した空気抵抗の低減により、高速性能と航続距離を上昇させた。
当時の航空機の生産体制は個人が工房で制作していた黎明期と変化はなく、外鈑を取り付けた後に配線類を取り付けるなど非効率的な手法が当たり前だった。キンデルバーガーはマスタングの開発前にアメリカやヨーロッパの航空機と自動車の製造工場を見学しており、より効率的な自動車生産の手法を取り入れるべきだと主張した[13]。キンデルバーガーの意見は設計段階から反映されることになり、性能と生産性を両立した機体となった。機体は5分割(機首、中央、尾部、右主翼、左主翼)の設計となり、各工場で製造した部分を最終的に結合するブロック工法となっている。主翼の中央がそのまま操縦席の床となる、配線や配管類は肉抜き穴を通す、各部分を担当する工場では配線や配管類はあらかじめ取り付けておくなど、生産効率を上げるため自動車の生産手法を取り入れたことで、生産数は最大で1日に22機に達した[13]。
操縦席は余裕があり暖房も完備されていたがマーリンエンジンは騒音が大きく、操縦席からエンジンが離れているため比較的静かなP-38から機種転換したパイロットには当初不評で[14]、特に上昇時の騒音は最後まで慣れない者が多かった[14]。
製造途中の降着装置(D型)
主翼と胴体を接合する作業(D型)
製造途中の機体(D型)
製造途中に工場内を移動する際に取り付けられた臨時の木製車輪(1942年)
速度性能
洗練された空力設計とマーリンエンジンの能力により同世代のレシプロ機としては最速クラスの最高速度を有していた。このため一撃離脱戦法は効果的になり敵対するドイツや日本からも脅威と見なされていた[15]。
最高速度についてはアメリカ軍が1946年4月2日から5月10日にかけて、ペンシルベニア州のミドルタウン航空兵站部(Middletown Air Depot)で各国の戦闘機の試験を行った。高度6,096mにおける速度試験ではマスタング(D型)、P-47D、四式戦闘機[注 6]をテストしたが、結果は四式戦が687km/h、マスタングが682km/h、P-47Dが652km/hと5km/hであるが劣っている[16]。またジェット機のメッサーシュミット Me262は870km/hを発揮するため、追従は難しかった。
加速力については、1945年2月、中国戦線の漢口にて第51戦闘航空群第26戦闘飛行隊のサミュエル・マクミラン・ジュニア少尉[注 7][注 8]のC型が日本陸軍の対空砲火で被弾、不時着し鹵獲された。陸軍航空審査部[注 9]は飛行実験部戦闘隊の陸軍准尉2名を派遣、同地にて飛行可能な状態まで修理し、3月にはベテラン操縦者である光本悦二准尉の操縦により、審査部のある多摩陸軍飛行場(現横田基地)に空輸、改めて本格的な調査が行われた。陸軍航空審査部では同様に鹵獲していたP-40E、ドイツから輸入したフォッケウルフ Fw190A-5、三式戦闘機および四式戦と、加速力と全速力の比較を行っている。高度5000mで横一列に並んだ5機は一斉に水平全速飛行を実施。最初の数秒でトップに立ったのはFw190A-5だった。3分後にC型がこれを追い抜き、「疾風」もFw190A-5との距離を縮めた。5分後にストップをかけた時には、マスタングははるか彼方へ、次いで疾風とFw190A-5がほぼ同じ位置、その少し後に飛燕、さらに遅れてP-40Eという順だった[18]。その後、マスタングは飛行実験部戦闘隊のパイロットが搭乗し、内地の各防空飛行部隊機を相手とする巡回戦技指導に用いられたが、7月に発電機不調によって飛行不能となり、日本製部品では修復が不可能だったため放棄された[19]。
このように最高速度・加速力共に優秀ではあったが、最高ではなかった。しかし四式戦はアメリカ軍のテスト時には100オクタン/140グレードのガソリンとアメリカ製の点火プラグに変更し、武装を撤去して3,397kgまで軽量化(四式戦の正規全備重量は3,890kg)するという理想的な状態でも687km/hが頭打ちであり[20]、Me262はエンジンが不安定で加速に時間がかかるという欠点があった。これに対しマスタングは『高度7,600 mで703 km/h』というカタログスペック通りの性能を安定して発揮できることが利点だった[21]。
航続力・高高度性能
設計段階から航続力を重視しているため、左右の主翼付け根付近にメインタンク(それぞれ348リットル)、胴体後部に補助タンク(322リットル)を備えており、ドロップタンクにも対応している。ドロップタンクとの組み合わせで総容量は1851リットルとなり航続距離は3000kmに達するなど、P-47の初期型やスピットファイアでは不可能だった長距離の護衛任務を可能とした。敵地上空で迎撃機と戦える時間が長くなり、パイロットは心理的余裕を持って戦えた。また時間的余裕を生かし、爆撃機から離れ対地攻撃も可能となった。
燃料は110/130グレードが推奨されているが、アメリカでは量質ともに不足無く供給が可能であった。
ドロップタンクはアメリカ軍標準の75ガロン型と110ガロン型の両方に対応しているが、強度の限界により通常は75ガロン型が使用された。
補助タンクは気化した燃料がキャブレターから戻る先になっていることや、残量が25ガロン以上で飛行特性が変化し40ガロン以上で機動飛行に制限が発生することから、マニュアルでは先に補助タンクの燃料を使うことが推奨されている。
マーリンエンジンはカタログスペック通り9000mでも安定した性能を発揮し、高高度を飛行するB-29に随伴することが可能となった。また機体も高速・高高度で運動性が大きく低下しない設計であり、高速域での運動性や高高度性能が劣る日本軍機は爆撃機の迎撃において対策に苦慮した。
B-24の編隊を護衛するP-51(1944年)
ドロップタンクの取り付け作業(タスキーギー・エアーメン所属機)
火力
当初の12.7mm機関銃を4丁という装備は同世代機に比べ軽武装であった。ジャイロを内蔵した照準器(K-14)の命中率と合わせれば十分というパイロットもいたが[14]、防弾性能の高いドイツ軍機と戦う欧州戦線のパイロットの多くは火力不足と認識していた。檜與平は一式戦闘機に搭乗中にC型との空戦で被弾し右足を切断したが墜落を免れ帰投に成功しているなど、さほど重装甲ではない機体を仕留めきれない事例も報告されている。
対策としてD型では12.7mmを6丁に増設した。内側の4丁はそれぞれ380発、外側の2丁はそれぞれ270発の弾薬を有していた。機銃は4丁のまま弾薬を多く積むことも可能で、軽量にしたいパイロットはこちらを選択した(装弾数は同じ)。これでも同世代機では標準的な火力であり、ドイツ軍のパイロットからは12.7 mm機関銃を8丁装備したP-47や、20mm機関砲 2門と13mm機関銃 2丁を備えたFw190と比較し劣るという評価もある[15]。また日本での機銃掃射では被弾した民間人が戦後も生き残っている例があり[22]、対地攻撃でも機銃の威力はやや不足とされる。
翼下のハードポイントには500ポンドまでの爆弾、もしくはレールを介して6~10発の127mmロケット弾(HVAR)を携行でき、対地攻撃で威力を発揮した。ただし積載量は453 kgまでとP-47(1361kg)に比べ対大きく劣っている。この他にもA-20用の4.5インチのロケットランチャーを3本束ねたT30を翼下に2門吊すことも可能であった。
総合的な火力は高い方ではないという評価が多いものの、同じ機体が無改造で爆撃機の護衛と対地攻撃を両立できることは大きな利点であった。
B型への弾薬の補充作業(タスキーギー・エアーメン所属機)
ハードポイントと銃口(D型)
3丁の12.7mm機関銃とパネルに張られた調整法(D型)
2つの爆弾を投下するアメリカ軍のD型
第18戦闘爆撃航空団のF-51Dに搭載するため並べられたHVAR
A-20でテストされるT30
防御力
エンジンの前と操縦席前後に防弾板を備えておりアメリカ軍の要求を満たしてはいたが、複雑なスーパーチャージャーを搭載したV型液冷エンジンであるため投影面積が大きく、被弾に弱い設計となってしまった。実戦ではパイロットが無事でもエンジンの被弾で墜落することが多く、12.7mm機関銃 2丁の一式戦に撃墜された事例もあるなど、F4FやP-47などに比べれば打たれ弱いという印象が持たれていた。
また初期型では強度の不足が指摘されている。
運動性
高速度における性能を重視した層流翼のため失速特性が悪く、低速度域での格闘戦においては不利となるため、ドイツ軍からは低速ではスピットファイアと比べ劣ると指摘され[15]、運動性能を重視した日本軍機との空戦では格闘戦に持ち込まれ撃墜される事例が多く報告されている。このためパイロットは格闘戦に巻き込まれないように速力を活かした一撃離脱戦法やサッチウィーブなどの連携戦術を主軸とするようになり、同じエンジンを搭載しながら楕円翼形により良好な運動性を得たスピットファイアとは対照的な特性となった。一方で坂井三郎は戦後に複座型のTF-51Dを操縦する機会を得たが、高速で舵が効かなくなる零戦と比較し中速度域での操縦性の良さや高速でも思うように動くことを評価しており、高高度や高速時にも運動性が低下しない特徴があった。
必然的に低速となる着陸時には失速速度になる前にできるだけ滑走路に近づけ、常に余裕を持って3点着陸することが推奨されている[注 10][23]。中高速度域での運動性能は良好で、マニュアルではシャンデル、ウイングオーバー、スローロール、ループ、インメルマンターン、 スプリットSといった基本的な空中戦闘機動は可能である。ただし、スナップロールはスピンするため非推奨となっている[23]。またキャブレターの制約により背面飛行は他の米軍機と変わらず10秒以内に制限されていた。このほかにも補助タンクの残量が25ガロン以上で飛行特性が変化し40ガロン以上で機動飛行に制限が発生することから、マニュアルでは満タンの状態で1~2時間飛行して特性の変化に慣れることが推奨されている[23]。タスキーギー・エアーメンに初めて配備された際にはマニュアルの確認を怠ったパイロットが墜落事故で死亡している。基本的には満タンで離陸するのは長距離の護衛任務時であるため、この状態での機動制限は問題とされなかった。
日本陸軍航空部隊の黒江保彦は中国戦線で鹵獲されたC型を駆って、仮想敵機として日本各地の本土防空飛行部隊機と模擬空戦を行ったが、黒江はこの際「味方が自信を喪失しないため性能をすべて引き出さなかった」という趣旨の発言を行なっている。また黒江が操縦するC型と三式戦の模擬空戦では三式戦が負けているという証言があり、黒江のようなエース・パイロットであれば格闘戦でも十分に戦えたとされる。第二次世界大戦中に主力であったパイロットは早期育成のため経験が浅く、高度な技量が必要な格闘戦は難しいが、それまでボマーエスコートの主力であったP-38では事実上不可能だったことに比べ大きな進展であり、高速ながら運動性能が低いMe262に対しては格闘戦で対抗することが可能となった。
実戦
戦闘機による爆撃機の護衛が必要なことは明らかだったが、当時配備されていたP-38ではドイツの迎撃機に対し有効とは言いがたく、P-47の初期型では航続距離が不足していた。その点、マスタングはドイツへの往復飛行の全行程に渡り爆撃機の護衛が可能だった。マスタングの登場によりP-38は対地攻撃と偵察に集中することとなった。
当初は護衛戦闘機として導入されたが後期には対地攻撃にも使用され、戦闘爆撃機のような運用が行われた。現代では装備を変更するだけで制空・護衛・対地攻撃に対応できるマスタングはマルチロール機の初期の例との評価もある。
度重なる改良でも基本設計に由来する欠点は解消しきれず、改良の度に別な問題が発生するという対症療法的な改造が続いたが、運用側が爆撃機の護衛と対地攻撃に任務を集中し、空戦では一撃離脱戦法や無線で連携するサッチウィーブを徹底することで対処した。またP-38のような一撃離脱戦法に加え技量次第では格闘戦も可能となったことから、同じ機体を使いながら運動性能の高い機体には一撃離脱戦法、運動性能が劣る機体には格闘戦を仕掛けるという戦術が可能となった。航続距離が長く操縦しやすいため、パイロットは心理的余裕を持って戦えたことで新人からも多くのエース・パイロットが生まれた。整備性が良好で生産効率が高く低価格であるため整備士や上層部など地上勤務者からの評価も高い。
マスタングのアメリカにおける評価は非常に高くアメリカ海軍のF8Fと並び「第二次大戦中の最優秀戦闘機」「最強のレシプロ戦闘機」とも評される。実戦前に終戦を迎えたことに加え艦上機のため目撃者が限られるF8Fに対し、近接航空支援でも活躍したことから地上部隊からの知名度もあり、戦後には勝利の象徴として引き合いに出された。
戦争情報局の作成したプロパガンダポスター
エース・パイロットであるグレン・T・イーグルストンの乗機に描かれたキルマーク
1.5機の撃墜に加え、爆撃任務の成果を描いたウィリアム・B・キング中尉のB型
日本
日本陸軍では南方に展開していた航空部隊が最初に遭遇したが、高温多湿の環境下での低空という条件では格闘戦を重視した一式戦に対抗できず多くの被害を出している。初の撃墜は1943年11月25日に一式戦に搭乗した檜與平によるものである。なお檜は後の空戦でマスタングに撃たれ右足を切断したが撃墜を免れ帰投に成功、本土防空戦において五式戦闘機によりD型を撃墜した。
1944年5月30日に1機のA型が河津市付近で日本陸軍に鹵獲されており、こちらも試験飛行が行われている[17]。また敗戦間近の1945年7月15日に、第21戦闘航空群第531戦闘飛行隊のビンセント・A・グァディアーニ大尉が搭乗したD型が零戦との空戦で被弾し、千葉県葛飾郡の水田に胴体着陸し原形を良くとどめた状態で鹵獲されている[17]。
戦闘機には旋回性能・加速力などを重要視し、個人の技量による巴戦を得意とした日本軍の操縦者間において、純粋な格闘性能では零戦や一式戦に劣るものの、それなりの運動性能を中速度でも発揮できることに加え、圧倒的な速度と高高度性能を有するマスタングは重装甲のF6Fとならび「なかなか手強い敵機」との評判であった。多数のマスタングを撃墜し『マスタング・キラー』と称された若松幸禧などエース・パイロットの活躍はあったものの、基本的には格闘戦を避け一撃離脱戦法に徹するため未熟なパイロットには簡単に撃墜できる相手ではなかった。また防空部隊にとっては高高度で性能が低下する日本軍機に対し、高度の影響が少ないという厄介な相手であった。B-29迎撃のため高度を上げすぎ運動性が低下した零戦の後ろを取ったというパイロットの証言もある[22]。
日本軍のパイロットからは、総合的に見てC型は三式戦に勝るが五式戦ならば互角という評価がなされた[24]。
アメリカ軍は日本本土空襲においてB-29の護衛としていたが、大戦末期に組織的な迎撃が不可能になったと判断し任務を対地攻撃に切り替え、爆撃機から離れ低高度まで侵入する許可を出した。当初は工場や鉄道などインフラを狙っていたが、次第に漁船や家屋など徴用された可能性のある目標を攻撃し、最終的には走行中の自動車や民間人を直接機銃掃射するようになった。顔が見えるほどの低空で飛来し『動く物は全て狙う』というマスタングは、絨毯爆撃を行うB-29と共に民間人にも知られた存在であった。これらの様子は搭載されたガンカメラにより記録されている。
戦後
F-51
1948年に、アメリカ空軍(USAF)全体にわたる命名規則一新計画によって、制式名P-51(P:Pursuit airplane、追撃機)からF-51(F:Fighter、戦闘機)へと変更された。偵察機型も同様にRF-51へと変更された。
1948年1月8日(現地時間では1月7日の午後)、アメリカ空軍ゴドマン基地所属のトーマス・F・マンテル大尉が操縦するF-51DがUFOを迎撃し墜落したとされる『マンテル大尉事件』が起きている。ただし事件の概要には諸説がある。
F-51Dは朝鮮戦争の間、戦闘機としては旧式化していたものの、戦闘爆撃機や対地攻撃機として使用された。新型でより高速のF-51Hは、軽量化のため強度が犠牲になっていたことに加え、生産数が少なく実戦向きの補給・整備は困難とされ、使用されなかった。当時、既にジェット戦闘機が登場していたが、滞空時間が短く、敵地上空に長居できないため、レシプロ機は重宝された。F-51も対地攻撃に使用されたため、ペイロードの搭載量が着目され、速度性能はさほど問題にされなかった。アメリカ空軍最後の機体は1957年に退役している。
他国での運用
P-51は戦後余剰となった機体が多くの空軍で採用された。イスラエル空軍は1948年の第一次中東戦争と1956年のカデッシュ作戦に払い下げのD型を使用した。他に使用した国には、大韓民国、中華民国、インドネシア、フィリピン、ニュージーランド、オランダ、スイス、エルサルバドル、キューバ、ドミニカ共和国などがある。特にドミニカ共和国空軍は1984年まで現役であった。
中国共産党は鹵獲したP-51を東北民主連軍(中国人民解放軍)に設置された(関東軍将兵投降捕虜を教官とし、人民解放軍初となる)航空学校(東北民主連軍航空学校)の練習機として使用していた。
1969年のサッカー戦争では、エルサルバドル空軍のP-51DとFG-1D(グッドイヤー社製F4U)と、ホンジュラス空軍のF4U-5が、レシプロ戦闘機同士の最後の空中戦を行った。エルサルバドル空軍のP-51とFGはホンジュラス空軍のF4Uに撃墜され、「レシプロ戦闘機同士の空中戦の最後の敗者」という不名誉を負う事になった。
供与された多くの国では短期間でジェット戦闘機に置き換えられたため、あまり飛行しないまま退役し博物館に送られた。このため世界各地の博物館で状態の良い機体を見ることが出来る。イギリスでは自国のエンジンを搭載し対独戦で活用した戦闘機であるため、あえてアメリカ軍機を展示している博物館もある。
アメリカ軍によるテスト飛行。手前よりシーファイア、四式戦、F6F-5 、P-51D(1945年)
朝鮮戦争時に鎮海区の飛行場に展開した第18戦闘爆撃航空団のD型
スウェーデン空軍博物館に展示されるスウェーデン空軍のD型
イギリス空軍博物館に展示されているアメリカ軍のD型
民間
戦後は過剰となった機体の一部が民間に払い下げられ、スポーツ機として利用されていた。現代でも航空ショーやエアレースなどでは復元機や改造機の飛行を見ることができる。またアメリカ軍の航空祭などでも頻繁に飛行している。新造された部品でレストアされた復元機も多いが、ほぼオリジナルの部品で飛行可能な状態に保たれた機体もある。P-51の情報サイトでは2017年7月時点で295機が現存し、174機が飛行可能となっている[25]。
アメリカではの第二次世界大戦の勝利に貢献した傑作機として人気が高く、特にD型は生産数が多いこともあって多数の機体が残っており、多くの戦争映画では本来B/C型やP-47を使うシーンであっても代役として飛行することがある。また博物館だけでなくポール・アレンやトム・クルーズなどの資産家がコレクションとして保有していることがあり、特にポール・アレンの所有機はフライング・ヘリテージ・コレクションにて公開され、定期的にデモ飛行を行っている。
F-15Dと並んでイギリスの農業地帯上空を飛行するD型。F-15の後席乗員バド・アンダーソンはかつてP-51のパイロットだった(2001年7月)
P-38、F-86、A-10と並んで飛行する(タスキーギー・エアーメン仕様のC型
F-35、F-16と並んで飛行するD型(2017年)
プライベート・ライアンの撮影に使われたD型 44-63634号機。2011年の事故で失われた。
レストアされたTP-51の操縦席。一部をグラスコックピット化している(2011年)
キャヴァリア製マスタング
トランス・フロリダ社が戦後に放出されたP-51を改修して複座の民間スポーツ機として販売したもの。同社は1967年にキャヴァリア社に名称変更したが、民間型を再び軍用型とした練習機やCOIN機、軽戦闘機も製作された。軽戦闘機型はボリビア空軍が採用した。
レプリカ
アメリカでは愛好家向けとして、2000ドル程度で購入できるキット機が多数販売されている[26]。多くは2/3サイズの縮小レプリカで低出力のエンジンを使用しているが、現代の航空法に適合しており、自家用操縦士(PPL)の資格のみで操縦できる。
Titan T-51 Mustang
Bonsall DB-1 Mustang
Loehle 5151 Mustang
Papa 51 Thunder Mustang
Jurca Gnatsum
各タイプと生産機数

- P-51A:310機製造。カリフォルニア州イングルウッド工場製。
- P-51B:650機製造。イングルウッド。
- P-51C:3,750機製造。テキサス州ダラス工場製。
- P-51D/K:7,956機製造。6,502機がイングルウッド。1,454機がダラス。
- P-51H:555機製造。イングルウッド。
総生産機数:15,675機。これはP-47に次いで、米国製戦闘機中では第2位。
戦闘機型の他、復座練習型、偵察型、高速輸送型など様々な派生型が製造された。
FJ-1 フューリー
FJ-1 フューリーは戦後ノースアメリカン社が開発した、アメリカ海軍向の艦載ジェット戦闘機である。これは、P-51の主翼と尾翼をそのまま流用し、胴体のみジェットエンジン搭載の新設計のものに変えた機体である。そのため、P-51のジェット化バリエーションとも解釈でき、そのように紹介される場合もある。
開発当初は画期的とされた層流翼形式の主翼であったが、第二次世界大戦の終結後にドイツで研究されていた後退翼が採用されると、層流翼は陳腐化してしまった。発展型のF-86 / FJ-2〜4は、新設計の後退翼の採用によって素晴らしい高性能を得たが、P-51との共通部分は皆無になってしまった。その後ノースアメリカンが開発した練習機T-2バックアイはFJ-1の主翼を流用しており、P-51の末裔と考えることもできる。
諸元 F-51H (P-51H)
機体名 | F-51H[27] |
||
---|---|---|---|
乗員 |
1名 |
||
ミッション |
BASIC | INTERCEPTOR | FERRY |
全長 |
33.3ft (10.15m) |
||
全幅 |
37ft (11.28m) |
||
全高 |
13.7ft (4.18m) |
||
翼面積 |
236ft² (21.93m²) |
||
空虚重量 |
6,551lbs (2,971kg) |
||
離陸重量 |
11,029lbs (5,003kg) | 9,485lbs (4,302kg) | 11,704lbs (5,309kg) |
戦闘時重量 |
9,430lbs (4,277kg) | 8,740lbs (3,964kg) | 8,275lbs (3,753kg) |
内部燃料 |
260gal (984ℓ) |
||
外部燃料 |
220gal (832ℓ) | ― | 330gal (1,249ℓ) |
エンジン |
Packard V-1650-9 (1,380Bhp 最大:2,220Bhp) ×1 |
||
プロペラ |
Aeroproducts 金属製4枚プロペラ。可変ピッチ |
||
最高速度 |
410kn/22,700ft (759km/h 高度6,919m) | 411kn/22,700ft (761km/h 高度6,919m) | 412kn/22,700ft (763km/h 高度6,919m) |
航続距離 |
1,665n.mile (3,084km) | ― | 2,060n.mile (3,815km) |
戦闘行動半径 |
770n.mile (1,426km) | 380n.mile (704km) | ― |
上昇能力 |
5,000ft/m (25.4m/s) | 5,480ft/m (27.83m/s) | 5,850ft/m (29.72m/s) |
実用上昇限度 |
41,700〜44,300ft (12,710〜13,503m) ※重量により変化 |
||
武装 |
12.7mm重機関銃M2 ×6 (計1,820発) or ×4 (計1,780発)、爆弾最大2,000lbs (907kg) or HVAR×10 |

現存する機体

現存するP-51のうちの3機
左から44-72773 Susy・(Big Beautiful Doll、2011年にダックスフォードで墜落)・44-73149 Ferocious Frankie・43-25147 Princess Elizabeth
A-36は除いてある。また、オーストラリアのコモンウェルス社のライセンス型であるCA-18は記載してある。
番号は上が機体番号、下が製造番号。真ん中の()付きの機体番号は、現在の所有者などによる変更や別機体へデザインした際の機体番号であり、上の機体番号は軍配備時の機体番号である。
機体写真は、できる限り最新のものを掲載した。また、各国wikipediaやcommonsに画像のないものは、その機体の愛称がある場合は機体画像検索時の手助けの為それを記した。
公開状況については基本的に飛行状態でない時を表している為、「非公開」の機体でもエアショーで地上展示される場合や、所有者との交渉次第では見学や同乗(複座型)が可能なこともある。- 情報収集量の限界などがあり、全てを網羅しているわけではない。
型名 | 番号 | 機体写真 | 所在地 | 所有者 | 公開状況 | 状態 | 備考 |
|
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
P-51 マスタング | ||||||||
XP-51 |
41-038 73-3101 |
![]() |
アメリカ |
EAAファウンデーション[1] |
公開 |
静態展示 |
[2][3] |
|
P-51A-10-NA |
43-6006 99-22109 |
![]() |
アメリカ |
ジョン・J・ダウド氏 (John J. Dowd) |
非公開 |
修理中 |
[4][5] |
|
P-51A-10-NA |
43-6178 99-22281 |
アメリカ |
ファンタジー・オブ・フライト |
非公開 |
修理中 |
[6] |
||
P-51A-10-NA |
43-6251 99-22354 |
![]() |
アメリカ |
プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館 |
公開 |
飛行可能 |
[7][8] |
|
P-51A-10-NA |
43-6274 99-22377 |
![]() |
アメリカ |
ヤンクス航空博物館 |
公開 |
静態展示 |
[9][10] |
|
P-51B-1-NA |
43-12252 102-24700 |
![]() |
アメリカ |
ジャック・ルーシュ氏 (Jack Roush) |
非公開 |
飛行可能 |
[11][12] |
|
P-51B-1-NA |
43-24837 |
![]() |
アメリカ |
コマンシェ・ファイターズ (Comanche Fighters) |
公開 |
飛行可能 |
[13] |
|
P-51B-10-NA |
42-106638 |
アメリカ |
ジョン・T・セッションズ氏 (John T Sessions) |
非公開 |
飛行可能 |
[14] |
||
P-51B-15-NA |
43-24760 |
アメリカ |
マイク・カッチス氏 (Mike Coutches) |
非公開 |
保管中 |
[15] |
||
P-51C-5-NT |
42-103740 |
アメリカ |
ブレント・ヒゼイ氏 (Brent Hisey) |
非公開 |
修復中 |
[16][17] |
||
P-51C-10-NT TP-51C |
42-103293 103-22730 |
![]() |
アメリカ |
コリングス財団 |
非公開 |
修理中 |
[18][19] |
|
P-51C-10-NT |
42-103645 103-26199 |
![]() |
アメリカ |
記念空軍(CAF) |
公開 |
修理中 |
[20][21] |
|
P-51C-10-NT |
42-103831 103-26385 |
![]() |
アメリカ |
ファンタジー・オブ・フライト |
公開 |
飛行可能 |
[22][23][24] |
|
P-51C-10-NT |
43-24907 |
Lope's Hope 3rd |
アメリカ |
メイ・マスタングC有限会社 (May Mustang C LLC) |
非公開 |
飛行可能 |
[25] |
|
P-51C-10-NT |
43-25057 |
![]() |
アメリカ |
ジョン・ポール氏 (John Paul) |
公開 |
飛行可能 |
[26][27] |
|
P-51C-10-NT |
43-25147 103-26778 |
![]() |
アメリカ |
ダン・フリードキン氏 (Dan Friedkin) |
公開 |
飛行可能 |
[28][29] |
|
P-51C-10-NT |
44-10947 111-29080 |
![]() |
アメリカ |
スティーヴン・F・ウドヴァーヘイジーセンター |
公開 |
静態展示 |
[30][31] |
|
キャヴァリエ F-51D-T.Mk.II |
44-10753 |
![]() |
スウェーデン |
ビルテマ・コーポレーション (Biltema Co.) |
公開 |
飛行可能 |
[32] |
|
P-51D-20-NT |
44-12853 111-36236 |
アメリカ |
トム・レイリー氏 (Tom Reilly) |
非公開 |
修復中 |
|||
P-51D-20-NT TF-51D |
44-12858 121-36241 |
アメリカ |
ヴィスタ・チャーターズ有限会社 (Vista Charters LLC) |
非公開 |
飛行可能 |
[33] |
||
P-51D-20-NT |
44-13009 111-36292 |
アメリカ |
リチャード・ノールトン氏 (Richard Knowlton) |
非公開 |
保管中 |
|||
P-51D-20-NT |
44-13016 111-36299 |
![]() |
ニュージーランド |
ロバート・ブロウク氏 (Robert Broek) |
非公開 |
飛行可能 |
[34][35] |
|
P-51D-20-NT |
44-13105 111-36388 |
![]() |
アメリカ |
ビル・デスティファニ氏 (Bill Destefani) |
非公開 |
飛行可能 |
[36][37] |
|
P-51D-20-NT |
44-13106 111-36389 |
![]() |
オーストラリア |
オーストラリア戦争記念館 |
公開 |
静態展示 |
[38][39] |
|
P-51D-5-NA EF-51D キャヴァリエ Mk.II |
44-13257 109-26890 |
![]() |
アメリカ |
リンデア株式会社 (Lindair Inc.) |
非公開 |
飛行可能 |
[40][41] |
|
P-51D-5-NA |
44-13278 109-26911 |
セルビア |
航空博物館 |
非公開 |
保管中 |
[42] |
||
P-51D-5-NA |
44-13371 109-27004 |
Audrey |
アメリカ |
ヒル航空宇宙博物館 |
公開 |
静態展示 |
[43][44] |
|
P-51D-5-NA |
44-13521 |
Marinell |
イタリア |
カルロ・コルトリ氏 (Carlo Coltri) |
非公開 |
飛行可能 |
[45] |
|
P-51D-5-NA キャヴァリエ T Mk.II |
44-13571 (68-15796) 109-27024 |
アメリカ |
空軍武器博物館 |
公開 |
静態展示 |
[46][47] |
||
P-51D-5-NA |
44-13704 109-27157 |
![]() |
アメリカ |
ミュージアム・オブ・エイヴィエーション[48] |
公開 |
静態展示 |
[49][50] |
|
P-51D-10-NA |
44-13954 109-20587 |
イギリス |
フィリップ・S・ワーナー氏 (Philip S Warner) |
非公開 |
修復中 |
[51] |
||
P-51D-10-NA |
44-14570 (44-14237) 109-21203 |
![]() |
アメリカ |
バークスデール国際勢力博物館 |
公開 |
静態展示 |
[52] |
|
P-51D-10-NA |
44-14574 109-21207 |
Little Zipple |
イギリス |
東エセックス航空博物館 (East Essex Aviation Museum) |
公開 |
静態展示 |
[53] |
|
P-51D-10-NA |
44-14985 109-21618 |
Millie G |
アメリカ |
トレント・レットソー氏 (Trent Latshaw) |
公開 |
飛行可能 |
[54][55] |
|
P-51D-20-NA |
44-63272 122-31067 |
![]() |
アメリカ |
ピマ航空宇宙博物館 |
公開 |
静態展示 |
[56]旧塗装 ![]() |
|
P-51D-20-NA キャヴァリエ TF-51D |
44-63350 122-31145 |
![]() |
カナダ |
テリー・ディエノ氏 (Terry Dieno) |
非公開 |
飛行可能 |
[57] |
|
P-51D-20-NA TF-51D |
44-63473 122-31199 |
Little - ite |
ドイツ |
エアファイターアカデミー有限会社 (Air Fighter Academy GmbH) |
公開 |
飛行可能 |
[58] |
|
P-51D-20-NA |
44-63476 122-31202 |
KWITCHERBITCHEN |
アメリカ |
クレイア・アヴィエーション (Claire Aviation) オーナー:トム・ダフィー氏 (Tom Duffy) |
非公開 |
飛行可能 |
[59] |
|
P-51D-20-NA |
44-63507 (44-72483) 122-31233 |
![]() |
アメリカ |
軍事航空博物館 オーナー:ジェリー・イェイゲン氏(Jerry Yagen) |
非公開 |
飛行可能 |
[60] |
|
P-51D-20-NA |
44-63542 122-31268 |
![]() |
カナダ |
カントリ・ファミリー・LP (Contri Family LP) |
非公開 |
飛行可能 |
[61] |
|
P-51D-20-NA |
44-63576 122-31302 |
アメリカ |
ブラックパール51有限会社 (Black Pearl 51 LLC) |
公開 |
飛行可能 |
[62][63] |
||
P-51D-20-NA |
44-63577 |
Was That Too Fast |
アメリカ |
ローレンス・クラシックス有限会社 (Lawrence Classics LLC) |
非公開 |
飛行可能 |
[64] |
|
P-51D-20-NA |
44-63607 |
![]() |
アメリカ |
ミュージアム・オブ・フライト |
公開 |
飛行可能 |
[65] |
|
P-51D-20-NA |
44-63615 122-31342 |
Bunnie |
アメリカ |
シーモア・ジョンソン空軍基地 |
公開 |
静態展示 |
[66][67] |
|
P-51D-20-NA |
44-63663 122-31389 |
アメリカ |
クリストファー・ゴールズベリー・ジュニア氏 (Christopher Goldsbury Jr.) |
非公開 |
飛行可能 |
[68][69] |
||
P-51D-20-NA |
44-63675 122-31401 |
![]() 右上側の機体 |
アメリカ |
ポール・C・エレン氏 (Paul C. Ehlen) |
非公開 |
修復中 |
[70][71] |
|
P-51D-20-NA |
44-63701 122-31427 |
Grim Reaper |
アメリカ |
サル・ルビノ・ジュニア氏 (Sal Rubino Jr.) |
非公開 |
飛行可能 |
[72] |
|
P-51D-20-NA |
44-63762 122-31488 |
アメリカ |
センターライン・ホールディングス (Centerline Holdings) |
非公開 |
修復中 |
[73] |
||
P-51D-20-NA |
44-63788 122-31514 |
フランス |
不詳 |
非公開 |
修復中 |
[74] |
||
P-51D-20-NA |
44-63791 122-31517 |
アメリカ |
ブラウン・ヘリコプター (Brown Helicopter) |
非公開 |
修復中 |
[75] |
||
P-51D-20-NA |
44-63807 122-31533 |
Daddy's Girl |
アメリカ |
ジョン・ヴェスリー氏 (Jon Vesely) |
非公開 |
飛行可能 |
[76][77] |
|
P-51D-20-NA |
44-63810 122-31536 |
アメリカ |
ジョセフ・K・ニューサム氏 (Joseph K. Newsome) |
非公開 |
飛行可能 |
[78][79] |
||
P-51D-20-NA |
44-63864 122-31590 |
![]() |
アメリカ |
フェイゲン戦闘機第二次大戦博物館[80] |
公開 |
飛行可能 |
[81][82][83] |
|
P-51D-20-NA |
44-63865 122-31591 |
アメリカ |
トリプルツリー・エアロドリーム株式会社(Triple Tree Aerodrome In) |
非公開 |
飛行可能 |
[84] |
||
P-51D-20-NA |
44-63871 122-31597 |
フランス |
ル・ブルジェ航空宇宙博物館[85] |
公開 |
静態展示 |
[86] |
||
P-51D-20-NA |
44-63889 122-31615 |
Queen of Hearts |
アメリカ |
ジョン・アンダーソン氏 (John Anderson) |
非公開 |
修復中 |
[87][88] |
|
P-51D-20-NA |
44-63893 122-31619 |
Glamorous Glen III |
アメリカ |
ハフ・エア有限会社 (Huff Air Lcc) |
非公開 |
飛行可能 |
[89][90] |
|
P-51D-20-NA J-26 |
44-63992 122-31718 |
![]() |
スウェーデン |
空軍博物館[91] |
公開 |
静態展示 |
[92][93][94] |
|
P-51D-20-NA |
44-64005 122-31731 |
Mary Mine |
アメリカ |
スカイファイア・コーポレーション (Skyfire Corp) |
非公開 |
飛行可能 |
[95][96] |
|
P-51D-20-NA |
44-64122 122-31848 |
Kansas City Kity |
アメリカ |
オザーク・マネジメント株式会社 (Ozark Management Inc) |
非公開 |
飛行可能 |
[97][98] |
|
P-51D-20-NA |
44-72035 122-31894 |
![]() |
アメリカ |
ハンガー11コレクション[99] |
公開 |
飛行可能 |
[100][101]旧塗装 ![]() |
|
P-51D-20-NA J-26 |
44-72051 122-31910 |
アメリカ |
フェイゲン戦闘機第二次大戦博物館[102] |
公開 |
飛行可能 |
[103][104] |
||
P-51D-20-NA |
44-72123 122-31982 |
ドミニカ共和国 |
ドミニカ空軍 (サン・イシドロ空港) |
公開 |
静態展示 |
[105][106] |
||
P-51D-20-NA |
44-72145 122-38604 |
アメリカ |
ジェフ・プライアー氏 (Jeff Pryor) |
非公開 |
飛行可能 |
[107][108] |
||
P-51D-20-NA |
44-72192 122-38651 |
アメリカ |
カリフォルニア・ウォーバーズ (California Warbirds) |
非公開 |
飛行可能 |
[109][110] |
||
P-51D-20-NA J-26 キャヴァリエ |
44-72202 122-38661 |
![]() |
南アフリカ |
南アフリカ空軍博物館 |
公開 |
飛行可能 |
[111][112]旧塗装 ![]() |
|
P-51D-20-NA |
44-72216 122-38675 |
![]() |
イギリス |
ロバート・ティレル氏 (Robert Tyrrell) |
公開 |
飛行可能 |
[113][114][115] |
|
P-51D-20-NA |
44-72339 122-38798 |
![]() |
アメリカ |
キャヴァナー航空博物館[116] |
公開 |
飛行可能 |
[117][118][119] |
|
P-51D-20-NA |
44-72364 122-38823 |
![]() |
アメリカ |
フライング・ヘリテージ・コレクション[120] |
公開 |
飛行可能 |
[121][122] |
|
P-51D-20-NA J-26 キャヴァリエ |
44-72438 122-38897 |
Hell-er Bust |
アメリカ |
マスタング高高度飛行有限会社 (Mustang High Flight LLC) |
非公開 |
飛行可能 |
[123][124] |
|
P-51D-20-NA |
44-72483 (44-13250) 122-38942 |
![]() |
アメリカ |
ファイター・ファクトリー[125] オーナー:パット・ハーカー氏 (Pat Harker) |
公開 |
修理中 |
[126][127] |
|
P-51D-25-NA |
44-72739 122-39198 |
![]() |
アメリカ |
エルマー・ウォード・エステイト氏 (Elmer Ward Estate) |
非公開 |
飛行可能 |
[128][129] |
|
P-51D-25-NA |
44-72773 122-39232 |
![]() |
ドイツ |
クリストフ・ノーシンゲル氏 (Christoph Nöthinger) |
非公開 |
飛行可能 |
[130][131] |
|
P-51D-25-NA |
44-72777 122-39236 |
![]() |
アメリカ |
ブラント・セゲッティ氏(Brant Sehgetti) |
非公開 |
飛行可能 |
[132] |
|
P-51D-25-NA |
44-72811 122-39270 |
Jay Hawk Jallopy |
ドイツ |
ステファン・バンガルテン氏 (Stefan Bungarten) |
公開 |
飛行可能 |
[133][134] |
|
P-51-25-NA |
44-72826 122-39285 |
Scat VI |
アメリカ |
ジョージ・ヒックマン氏 (George Hickman) |
非公開 |
飛行可能 |
[135][136] |
|
P-51D-25-NA キャヴァリエ |
44-72907 122-39366 |
![]() |
アメリカ |
ドゥアン・ドイル氏 (Duane Doyle) |
非公開 |
飛行可能 |
[137][138] |
|
P-51D-25-NA TF-51D |
44-72922 122-39381 |
ベルギー |
ヤン・ヴァン・デル・フライエル氏 (Jan van der Flier) |
公開 |
飛行可能 |
[139][140] |
||
P-51D-25-NA |
44-72934 122-39393 |
![]() |
メキシコ |
ハンベルト・ロボ氏 (Humberto Lobo) |
公開 |
飛行可能 |
[141][142] |
|
P-51D-25-NA |
44-72942 (44-14151) 122-39401 |
![]() |
アメリカ |
アンソニー・ビューチェラー氏 (Anthony Buechler) |
非公開 |
修理中 |
[143][144] |
|
P-51D-25-NA |
44-72948 122-39407 |
写真 |
アメリカ |
チャールストン空軍基地 |
公開 |
静態展示 |
[145][146] |
|
P-51D-25-NA |
44-72989 122-39448 |
![]() |
アメリカ |
ヴォルクフィールド空軍州兵基地 |
公開 |
静態展示 |
[147][148] |
|
P-51D-25-NA キャヴァリエMk.II |
44-72990 122-39449 |
アメリカ |
アメリカ陸軍航空博物館 |
公開 |
静態展示 |
[149][150] |
||
P-51D-25-NA |
44-73029 122-39488 |
![]() |
アメリカ |
ジェイムズ・E・べスリー氏 (James E. Beasley) |
非公開 |
飛行可能 |
[151][152] |
|
P-51D-25-NA |
44-73079 122-39538 |
Primo Branco |
アメリカ |
リンダ・アンドレイニ氏 (Linda Andreini) |
非公開 |
飛行可能 |
[153][154] |
|
P-51D-25-NA |
44-73129 122-39588 |
Merlin's Magic |
アメリカ |
ストゥアート・エバーハート氏 (Stuart Eberhardt) |
非公開 |
飛行可能 |
[155][156] |
|
P-51D-25-NA |
44-73140 122-39599 |
![]() |
アメリカ |
G・E・エア株式会社 (G E Air Inc) |
公開 |
飛行可能 |
[157][158] |
|
P-51D-25-NA TF-51D |
44-73142 122-39601 |
E Pluribus Unum |
アメリカ |
ギャリー・イェルヴィントン氏 (Gary Yelvington) |
非公開 |
飛行可能 |
[159][160] |
|
P-51D-25-NA |
44-73149 (44-13704) 122-39608 |
![]() |
トルコ |
MSO航空宇宙博物館 |
非公開 |
飛行可能 |
[161][162] |
|
P-51D-25-NA |
44-73163 122-39622 |
アメリカ |
ランドール・ケンフ氏 (Randall Kempf) |
非公開 |
修復中 |
[163][164] |
||
P-51D-25-NA |
44-73206 (44-13586) 122-39665 |
アメリカ |
ハリー・ホーム・ハニー有限会社 (Hurry Home Honey LLC) |
非公開 |
飛行可能 |
[165][166] |
||
P-51D-25-NA |
44-73210 122-39669 |
Miracle Maker |
アメリカ |
アイク・エンス氏 (Ike Enns) |
非公開 |
飛行可能 |
[167] |
|
P-51D-25-NA |
44-73254 122-39713 |
![]() |
ドイツ |
ヴィルヘルム・ハインツ氏 (Wilhelm Heinz) |
公開 |
飛行可能 |
[168][169] |
|
P-51D-25-NA キャヴァリエ |
44-73260 122-39719 |
![]() |
アメリカ |
3ステイト・ウォーバード博物館 |
公開 |
飛行可能 |
[170][171][172] |
|
P-51D-25-NA |
44-73264 122-39723 |
![]() |
アメリカ |
記念空軍(CAF) |
公開 |
飛行可能 |
[173][174] |
|
P-51D-25-NA |
44-73275 122-39734 |
Never Miss |
アメリカ |
MMC株式会社(MMC Inc) |
公開 |
飛行可能 |
[175][176] |
|
P-51D-25-NA |
44-73279 122-39738 |
アメリカ |
ロバート・ベイカー氏 (Robert Baker) |
非公開 |
飛行可能 |
[177][178] |
||
P-51D-25-NA |
44-73287 122-39734 |
Worry Bird |
アメリカ |
マイケル・J・ジョージ氏 (Michael J. George) |
非公開 |
飛行可能 |
[179][180] |
|
P-51D-25-NA |
44-73339 (44-74008) 122-39798 |
![]() |
アメリカ |
T&Tトラッキング株式会社 (T&T Trucking Inc) |
非公開 |
飛行可能 |
[181][182][183][注 11] |
|
P-51D-25-NA |
44-73343 122-39802 |
![]() |
アメリカ |
ルイス戦闘機フリート有限会社 (Lewis Fighter Fleet LLC) |
非公開 |
飛行可能 |
[184] |
|
P-51D-25-NA |
44-73347 122-39806 |
![]() |
カナダ |
カナダ国立航空宇宙博物館[185] |
公開 |
静態展示 |
[186][187] |
|
P-51D-25-NA |
44-73349 122-39808 |
![]() |
スイス |
デューベンドルフ航空博物館 (スイス空軍博物館) |
公開 |
飛行可能 |
[188][189] |
|
P-51D-25-NA |
44-73350 122-39809 |
アメリカ |
リー・メイプルズ氏 (Lee Maples) |
非公開 |
保管中 |
[190][191] |
||
P-51D-25-NA |
44-73415 122-39874 |
![]() |
アメリカ |
ヴードゥー有限会社 (Voodoo LLC) |
公開 |
飛行可能 |
[192][193] |
|
P-51D-25-NA |
44-73420 122-39879 |
![]() |
アメリカ |
アンドリュー・マッケンナ氏 (Andrew McKenna) |
非公開 |
飛行可能 |
[194][195] |
|
P-51D-25-NA |
44-73436 122-39895 |
![]() |
アメリカ |
オリンピック航空博物館 |
公開 |
飛行可能 |
[196][197] |
|
P-51D-25-NA |
44-73444 122-39907 |
イタリア |
イタリア空軍博物館 |
公開 |
静態展示 |
[198][199] |
||
P-51D-25-NA キャヴァリエ |
44-73454 122-39913 |
This Is It |
アメリカ |
ジェネラル・エアクラフト・サービス有限会社 (General Aircraft Services LLC) |
非公開 |
飛行可能 |
[200][201] |
|
P-51D-25-NA |
44-73463 122-39922 |
![]() |
カナダ |
ヴィンテージ・ウイングス・オブ・カナダ オーナー:マイケル・ポッター氏 (Michael Potter) |
非公開 |
飛行可能 |
[202]旧塗装 ![]() |
|
P-51D-25-NA |
44-73494 122-39957 |
韓国 |
韓国空軍博物館 |
公開 |
静態展示 |
[203][204] |
||
P-51D-25-NA |
44-73518 122-39977 |
![]() |
アメリカ |
レイク・エア株式会社 (Lake Air Inc) |
公開 |
修理中 |
[205][206] |
|
P-51D-25-NA |
44-73543 122-40002 |
Sweetie Face |
アメリカ |
バヴァリアン・バーンストローマーズ株式会社 (Bavarian Barnstrormers Inc) |
公開 |
飛行可能 |
[207][208] |
|
P-51D-25-NA |
44-73656 (44-14273) 122-40196 |
![]() |
フランス |
フレッド・エイカリー氏 (Fred Akary) |
非公開 |
飛行可能 |
[209][210][211] |
|
P-51D-25-NA |
44-73683 122-40223 |
![]() |
アメリカ |
サンディエゴ航空宇宙博物館 |
公開 |
静態展示 |
[212][213] |
|
P-51D-25-NA |
44-73693 (44-13253) 122-40233 |
Risky Business |
アメリカ |
マイク・ブラウン氏(Mike Brown) |
非公開 |
飛行可能 |
[214][215] |
|
P-51D-25-NA |
44-73704 122-40244 |
Weaver's Nude |
アメリカ |
マイケル・マルコム氏 (Michael Malcolm) |
非公開 |
修理中 |
[216][217] |
|
P-51D-25-NA |
44-73751 122-40291 |
![]() |
アメリカ |
ダーレン・モール氏 (Darren Moore) |
公開 |
飛行可能 |
[218] |
|
P-51D-25-NA |
44-73843 122-40383 |
![]() |
アメリカ |
記念空軍(CAF) |
公開 |
飛行可能 |
[219][220]旧塗装 ![]() |
|
P-51D-25-NA |
44-73856 122-40396 |
Double Trouble Two |
アメリカ |
トーマス・H・フリードキン氏 |
公開 |
飛行可能 |
[221][222] |
|
P-51D-25-NA TF-51D |
44-73871 122-40411 |
![]() |
ドイツ |
メイアー・モータース (Meier Motors) |
非公開 |
飛行可能 |
[223][224] |
|
P-51D-25-NA |
44-73877 122-40417 |
![]() |
イギリス |
ショーン・パトリック氏 (Shaun Patrick) |
公開 |
飛行可能 |
[225][226]旧塗装 ![]() ![]() |
|
P-51D-25-NA |
44-73920 122-40460 |
![]() |
中国 |
中国人民革命軍事博物館 |
公開 |
静態展示 |
[227][228] |
|
P-51D-25-NA |
44-73972 122-40512 |
アメリカ |
フレスノ空軍州兵基地 (Fresno Ca ANG base) |
公開 |
静態展示 |
[229][230] |
||
P-51D-25-NA |
44-73973 122-40513 |
cottonmouth |
アメリカ |
スタイン・ウェルディング氏 (Stine Welding) |
公開 |
飛行可能 |
[231][232] |
|
P-51D-25-NA |
44-73979 122-40519 |
![]() |
イギリス |
ダックスフォード帝国戦争博物館 |
公開 |
静態展示 |
[233][234] |
|
P-51D-25-NA |
44-73990 122-40530 |
Alabama Rammer Jammer |
アメリカ |
アラバマ・ラマー・ジャマー有限会社 (Alabama Rammer Jammer LLC) |
非公開 |
飛行可能 |
[235][236] |
|
P-51D-25-NA |
44-74009 122-40549 |
Ain't Misbehavin |
アメリカ |
ビリー・ストリックランド氏 (Billy Strickland) |
非公開 |
飛行可能 |
[237][238] |
|
P-51D-25-NA |
44-74012 122-40552 |
アメリカ |
ジェイムズ・E・スミス氏 (James E. Smith) |
非公開 |
飛行可能 |
[239][240] |
||
P-51D-25-NA |
44-74202 122-40742 |
![]() |
アメリカ |
フォックス51有限会社 (FOX51 LLC) |
非公開 |
飛行可能 |
[241] |
|
P-51D-25-NA |
44-74216 122-40756 |
アメリカ |
タスキギー・アメリカ空軍博物館 |
公開 |
修理待ち |
[242] |
||
P-51D-25-NA キャヴァリエ |
44-74229 122-40769 |
インドネシア |
インドネシア空軍本部 |
公開 |
静態展示 |
[243] |
||
P-51D-25-NA |
44-????? (44-13573) |
![]() |
イギリス |
イギリス空軍博物館コスフォード館 |
公開 |
静態展示 |
長らく放置状態にあった機体を、44-73415の改造の際に使用されなかった部品を用いて修復した機体。[244][245] |
|
P-51D-30-NA |
44-74230 122-40770 |
Gentleman Jim |
アメリカ |
ジャック・ルーシュ氏 (Jack Rousch) |
非公開 |
飛行可能 |
[246][247] |
|
P-51D-30-NA |
44-74311 122-40851 |
![]() |
アメリカ |
ケン・マックブライド氏 (Ken McBride) |
公開 |
飛行可能 |
[248][249] |
|
P-51D-30-NA |
44-74389 122-40929 |
![]() |
アメリカ |
ジュリア・ヴァンス氏(Julia Vance) |
非公開 |
飛行可能 |
[250]旧塗装 ![]() |
|
P-51D-30-NA |
44-74391 122-40931 |
![]() |
アメリカ |
コマンシェ・ファイターズ (Commanche Fighters) |
公開 |
飛行可能 |
[251][252] |
|
P-51D-30-NA |
44-74404 122-40944 |
アメリカ |
国立アメリカ空軍博物館 |
公開 |
飛行可能 |
[253][254] |
||
P-51D-30-NA |
44-74407 122-40947 |
写真 |
アメリカ |
ノースダコタ州ヘリテージパーク |
公開 |
静態展示 |
[255] |
|
P-51D-30-NA |
44-74409 (44-13317) 122-40949 |
![]() |
イギリス |
イギリス空軍博物館ロンドン館 |
公開 |
静態展示 |
[256][257] |
|
P-51D-30-NA |
44-74423 (44-10216) 122-40963 |
Miss Van Nuys |
アメリカ |
H・クレイ・レイシー氏 (H. Clay Lacy) |
公開 |
飛行可能 |
[258][259] |
|
P-51D-30-NA |
44-74425 122-40968 |
![]() |
アメリカ |
西部航空修復有限会社 (Western Aviation Maintenance Inc) |
非公開 |
飛行可能 |
[260] |
|
P-51D-30-NA |
44-74427 122-40967 |
![]() |
アメリカ |
JCBアヴィエーション (JCB Aviation) |
公開 |
飛行可能 |
[261][262] |
|
P-51D-30-NA |
44-74445 122-40985 |
アメリカ |
ポール・ベスターヴェルド氏 (Paul Besterveld) |
非公開 |
飛行可能 |
[263][264] |
||
P-51D-30-NA |
44-74452 122-40992 |
![]() |
アメリカ |
FTR・ESC有限会社 (FTR ESC LLC) |
公開 |
飛行可能 |
[265][266] |
|
P-51D-30-NA キャヴァリエ |
44-74453 122-40993 |
![]() |
アメリカ |
ロバート・バラナスカス氏 (Robert Baranaskas) |
非公開 |
飛行可能 |
[267] | |
P-51D-30-NA |
44-74458 122-40998 |
![]() |
アメリカ |
デイヴィッド・マーコ氏 (David Marco) |
非公開 |
飛行可能 |
[268] |
|
P-51D-30-NA |
44-74466 122-41006 |
Barbara Jean |
アメリカ |
パームリー・アヴィエーション・サービスズ (Parmley Aviation Services) オーナー:ハリー・バール氏 |
非公開 |
飛行可能 |
[269][270] |
|
P-51D-30-NA |
44-74469 122-41009 |
アメリカ |
ローレンス・クラシック有限会社 (Lawrence Classics LLC) |
非公開 |
飛行可能 |
[271][272] |
||
P-51D-30-NA |
44-74474 122-41014 |
![]() |
アメリカ |
ジム・ヘイジダーン氏 (Jim Hagedorn) |
非公開 |
飛行可能 |
[273] |
|
P-51D-30-NA |
44-74483 122-41023 |
アメリカ |
ハンガー121有限会社 (Hangar 121 LLC) |
非公開 |
飛行可能 |
[274][275] |
||
P-51D-30-NA |
44-74494 122-41034 |
Mustang Sally |
アメリカ |
メノ・パーソンズ (Menno Parsons) |
非公開 |
飛行可能 |
[276][277] |
|
P-51D-30-NA TF-51D |
44-74497 122-41037 |
![]() |
アメリカ |
アリエル・ルエディ氏 (Ariel Luedi) |
公開 |
飛行可能 |
[278][279] |
|
P-51D-30-NA TF-51D |
44-74502 122-41042 |
![]() |
アメリカ |
スタリオン51コーポレーション[280] |
非公開 |
飛行可能 |
[281][282] |
|
P-51D-30-NA |
44-74505 122-41045 |
キューバ |
中央軍事革命博物館 (Museo Central de la Fuerza Aerea Revolucionaria) |
公開 |
静態展示 |
[283][284] |
||
P-51D-30-NA |
44-74506 122-41046 |
Lady B |
アメリカ |
フレッド・テリング氏 (Fred Telling) |
非公開 |
飛行可能 |
[285][286] |
|
P-51D-30-NA |
44-74524 122-41064 |
![]() パームスプリングス博物館時の画像 |
アメリカ |
テキサスフライングレジェンズ博物館[287] |
公開 |
飛行可能 |
[288][289] |
|
P-51D-30-NA |
44-74536 122-41076 |
アメリカ |
ブレント・ヒジー氏 (Brent Hisey) |
公開 |
飛行可能 |
[290][291] |
||
P-51D-30-NA |
44-74582 122-41122 |
Crusader |
アメリカ |
ジョー・ティボデュー氏 (Joe Thibodeau) |
非公開 |
飛行可能 |
[292][293] |
|
P-51D-30-NA |
44-74602 122-41142 |
アメリカ |
ジャック・C・ハヴェイ氏 (Jack C. Hovey) |
非公開 |
飛行可能 |
[294][295] |
||
P-51D-30-NA |
44-74627 122-41167 |
フィリピン |
フィリピン空軍航空宇宙博物館 |
公開 |
静態展示 |
[296][297] |
||
P-51D-30-NA |
44-74739 122-41279 |
![]() |
アメリカ |
ジョン・バグレー氏(John Bagley) |
非公開 |
飛行可能 |
[298] |
|
P-51D-30-NA |
44-74813 122-41353 |
Cripes a’ Mighty |
アメリカ |
トーマス・アングリーン氏 (Thomas Ungurean) |
非公開 |
飛行可能 |
[299][300] |
|
P-51-30-NA キャヴァリエ |
44-74827 72-1541[注 12] 122-41367 |
![]() |
ニュージーランド |
ニュージーランド空軍博物館 |
公開 |
静態展示 |
[301][302] |
|
P-51D-30-NA |
44-74829 122-41369 |
![]() |
ニュージーランド |
グリー厶・べセル氏 (Graeme Bethel) |
公開 |
飛行可能 |
[303][304] |
|
P-51D-30-NA |
44-74832 122-41372 |
![]() |
アメリカ |
ファーゴ航空博物館 |
非公開 |
飛行可能 |
[305][306][307] |
|
P-51D-30-NA |
44-74865 122-41405 |
Sweet Mary Lou |
アメリカ |
バナック航空機有限会社 (Bannack Aircraft LLC) |
公開 |
飛行可能 |
[308][309] |
|
P-51D-30-NA |
44-74878 122-41418 |
アメリカ |
トム・ウッド氏 (Tom Wood) |
非公開 |
飛行可能 |
[310][311] |
||
P-51D-30-NA |
44-74902 122-41442 |
アメリカ |
コニー・エドワーズ氏 (Connie Edwards) |
非公開 |
静態展示 |
[312][313] |
||
P-51D-30-NA キャヴァリエ |
44-74908 122-41418 |
![]() |
アメリカ |
ロバート・ポンド氏 (プレーンズ・オブ・フェイム東格納庫) (Robert Pond POF East) |
公開 |
飛行可能 |
[314][315] |
|
P-51D-30-NA |
44-74910 122-41450 |
![]() |
アメリカ |
ヤンクス航空博物館 |
公開 |
静態展示 |
[316][317][318] |
|
P-51-30-NA |
44-74923 122-41463 |
![]() |
オランダ |
アーリー・バーズ・ファウンデーション (Early Birds Foundation) |
公開 |
飛行可能 |
[319][320] |
|
P-51D-30-NA |
44-74936 122-41476 |
![]() |
アメリカ |
国立アメリカ空軍博物館 |
公開 |
静態展示 |
[321][322] |
|
P-51-30-NA |
44-74939 122-41479 |
Willit Run? |
アメリカ |
国立航空宇宙博物館 |
公開 |
静態展示 |
[323][324] |
|
P-51D-30-NA |
44-74942 122-41482 |
Petie 2nd |
アメリカ |
アンソニー・A・ビューチェラー氏 (Anthony A. Buechler) |
非公開 |
飛行可能 |
[325] |
|
P-51D-30-NA TF-51D |
44-74960 122-41500 |
アメリカ |
ステュアート・マクミリアン氏 (Stewart McMillan) |
公開 |
修復中 |
[326][327] |
||
P-51D-30-NA キャヴァリエ |
44-74976 122-41516 |
![]() |
アメリカ |
ジョセフ・R・マイケル氏 (Jeffrey R. Michael) |
公開 |
飛行可能 |
[328][329] |
|
P-51D-30-NA |
44-74977 122-41517 |
![]() |
アメリカ |
ダン・フォーディス氏 (Dan Fordice) |
公開 |
飛行可能 |
[330][331] |
|
P-51D-30-NA |
44-74996 122-41536 |
![]() |
アメリカ |
ホフマン航空機ホールディングス (Hoffman Aircraft Holdings) |
公開 |
静態展示 |
[332][333] |
|
P-51D-30-NA キャヴァリエ |
44-75007 122-41547 |
Paul I |
アメリカ |
EAA博物館[334] |
公開 |
静態展示 |
[335][336] |
|
P-51D-30-NA |
44-75009 122-41549 |
Rosalie |
アメリカ |
テッド・カントリ氏 (Ted Contri) |
非公開 |
飛行可能 |
[337][338] |
|
P-51D-30-NA |
44-75024 122-41564 |
アメリカ |
ウォー・イーグルス航空博物館 |
公開 |
静態展示 |
[339][340] |
||
P-51D-25-NT |
44-84390 124-44246 |
![]() |
アメリカ |
ダグ・ドリスコール氏 (Doug Driscoll) |
非公開 |
飛行可能 |
[341][342] |
|
P-51D-25-NT |
44-84615 124-44471 |
Blood Brother |
アメリカ |
フィル・パトリック氏 (Phil Petrik) |
非公開 |
飛行可能 |
[343][344]旧塗装 ![]() |
|
P-51D-25-NT TF-51D |
44-84655 124-44511 |
![]() |
アメリカ |
コリングス・ファウンデーション |
公開 |
飛行可能 |
[345] |
|
P-51D-25-NT TF-51 キャヴァリエMk.2 |
44-84658 124-44514 |
アメリカ |
ジョン・マクワイアー氏 (John Macquire) |
公開 |
静態展示 |
[346][347] |
||
P-51D-25-NT TF-51D |
44-84669 124-44525 |
韓国 |
朝鮮戦争記念館 |
公開 |
静態展示 |
[348][349] |
||
P-51D-25-NT TF-51D |
44-84745 124-44601 |
![]() |
アメリカ |
ステイリオン51コーポレーション[350] |
公開 |
飛行可能 |
[351][352] |
|
P-51D-25-NT |
44-84753 122-44609 |
![]() |
アメリカ |
シーロス有限会社 (Cielos LLC) |
公開 |
飛行可能 |
[353][354] |
|
F-6D-25-NT (P-51D-25-NT) |
44-84786 (44-73822) 124-44642 |
Lil' Margaret |
イギリス |
(売り出し中) |
公開 |
飛行可能 |
[355][356] |
|
P-51D-25-NT TF-51D |
44-84847 122-44703 |
![]() |
アメリカ |
アングリア航空機修復有限会社 (Anglia Aircraft Restorations Ltd.) |
公開 |
修復中 |
[357][358] |
|
P-51D-25-NT |
44-84850 124-44706 |
![]() |
アメリカ |
センターライン・ホールディングス |
非公開 |
修復中 |
[359][360] |
|
P-51D-25-NT TF-51D |
44-84860 124-44716 |
![]() |
アメリカ |
デリル・ボンド氏 (Daryl Bond) |
非公開 |
飛行可能 |
[361][362] |
|
P-51D-25-NT ETF-51D |
44-84864 124-44720 |
アメリカ |
アメリカ航空機博物館 (Museum of American Aircraft) |
公開 |
飛行可能 |
[363][364] |
||
P-51D-25-NT |
44-84896 124-44752 |
アメリカ |
ブラウンヘリコプター株式会社 (Brown Helicopter Inc) |
非公開 |
修復中 |
[365][366] |
||
P-51D-25-NT TF-51D ETF-51D |
44-84900 124-44756 |
アメリカ |
ウィリアム・C・オールモン氏 (William C.Allmon) |
非公開 |
飛行可能 |
[367][368] |
||
P-51D-25-NT |
44-84933 124-44789 |
![]() |
アメリカ |
ダグ・マソーズ氏 (Doug Matthews) |
非公開 |
飛行可能 |
[369][370] |
|
P-51D-25-NT |
44-84952 124-44808 |
![]() |
アメリカ |
イントル航空サービス株式会社 (Intl Air Services Inc) |
公開 |
飛行可能 |
[371][372] |
|
P-51D-25-NT |
44-84961 (44-73053) 122-39504 |
![]() |
アメリカ |
プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館 |
公開 |
飛行可能 |
[373][374][375] |
|
P-51D-25-NT |
44-84962 124-44818 |
アメリカ |
リー・シャラー氏 (Lee Schaller) |
非公開 |
静態展示 |
[376][377] |
||
P-51D-30-NT |
45-11391 124-48144 |
![]() |
アメリカ |
マスタング航空#2株式会社 (Mustang Aero #2 Inc.) |
公開 |
飛行可能 |
[378][379] |
|
P-51D-30-NT |
45-11439 124-48192 |
![]() |
アメリカ |
ランチョ・リンダ・ヴィスタ有限会社 (Rancho Linda Vista LLC) |
公開 |
飛行可能 |
[380][381] |
|
P-51D-30-NT TF-51D |
45-11471 124-48224 |
Diamondback |
アメリカ |
マスタング高高度飛行有限会社 |
飛行可能 |
[382][383] |
||
P-51D-30-NT |
45-11495 124-48248 |
Little Rebel |
アメリカ |
ロバート・ベイカー氏 (Robert Baker) |
非公開 |
飛行可能 |
[384] |
|
P-51D-30-NT |
45-11507 124-48260 |
![]() |
アメリカ |
ファンタジー・オブ・フライト |
公開 |
飛行可能 |
[385][386] |
|
P-51D-30-NT キャヴァリエ |
45-11525 124-48278 |
![]() |
アメリカ |
ウィリアム・アンダース氏 (William Anders) |
非公開 |
飛行可能 |
[387][388] |
|
P-51D-30-NT |
45-11526 124-48279 |
![]() |
オーストラリア |
ジョソニPTY有限会社 (JOSONI PTY LTD) |
非公開 |
飛行可能 |
[389][390] |
|
P-51D-30-NT |
45-11540 124-48293 |
![]() |
チェコ |
ピーター・トゥレク氏 (Peter Turek) |
公開 |
飛行可能 |
[391][392] |
|
P-51D-30-NT |
45-11553 124-48306 |
Shangri-La |
アメリカ |
51飛行有限会社 (Fiftyone Flight LLC) |
非公開 |
飛行可能 |
[393][394] |
|
P-51D-30-NT |
45-11558 124-48311 |
アメリカ |
DK・ウォーバーズ (DK Warbirds) |
非公開 |
飛行可能 |
[395][396] |
||
P-51D-30-NT キャヴァリエMk.II TF-51D |
45-11559 124-48312 |
![]() |
アメリカ |
ブラックパールファイターズ (Black Pearl Fighters) |
公開 |
飛行可能 |
[397][398] |
|
P-51D-30-NT |
45-11559 (44-11153) |
![]() |
アメリカ |
アンソニー・バンタ氏 (Anthony Banta) |
非公開 |
飛行可能 |
[399] |
|
P-51D-30-NT |
45-11571 124-48324 |
アメリカ |
アンソニー・D・アレサンドリス氏 (Anthony D Alessandris) |
非公開 |
静態展示 |
[400] |
||
P-51D-30-NT |
45-11582 (44-72861) 124-48335 |
![]() |
アメリカ |
プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館 |
公開 |
飛行可能 |
[401][402][403]b旧塗装 ![]() ![]() |
|
P-51D-30-NT |
45-11586 124-48339 |
![]() |
アメリカ |
リトルホース有限会社 (Little Horse LLC) |
非公開 |
飛行可能 |
[404][405] |
|
P-51D-30-NT |
45-11628 124-48381 |
![]() |
アメリカ |
ホー・フン株式会社 (Ho Hun Inc) |
公開 |
飛行可能 |
[406][407] |
|
P-51D-30-NT |
45-11633 124-48386 |
![]() |
アメリカ |
ワグナーP-51コーポレーション (Wagner P-51Corp) |
公開 |
飛行可能 |
[408][409] |
|
P-51D-30-NT |
45-11636 124-48389 |
Stang Evil |
アメリカ |
マイケル・ビンガム氏 (Michael Bingham) |
非公開 |
飛行可能 |
[410][411] |
|
P-51D-?-?? |
44-????? |
![]() |
グアテマラ |
? |
公開 |
静態展示 |
[412][413] |
|
P-51D-??-?? |
44-????? |
インドネシア |
ハリム空軍基地 |
公開 |
静態展示 |
[414][415] |
||
P-51D-??-?? |
44-????? |
インドネシア |
空軍博物館 |
公開 |
静態展示 |
[416][417] |
||
P-51D-??-?? |
44-????? |
![]() |
インドネシア |
空軍兵器博物館 |
公開 |
静態展示 |
[418][419] |
|
P-51D-??-?? |
44-????? |
インドネシア |
パラガン博物館 |
公開 |
静態展示 |
[420][421] |
||
P-51D-??-?? |
44-????? |
インドネシア |
マラング空軍基地 |
公開 |
静態展示 |
[422] |
||
P-51D-??-?? |
44-72228? |
イスラエル |
イスラエル空軍博物館 |
非公開 |
保管中 |
[423] |
||
P-51D-??-?? |
44-12126? |
![]() |
イスラエル |
イスラエル空軍博物館 |
公開 |
静態展示 |
[424][425] |
|
P-51D-??-?? |
44-????? |
![]() |
イスラエル |
イスラエル空軍博物館 |
公開 |
静態展示 |
[426] |
|
P-51D-??-?? |
44-12843? |
イスラエル |
イスラエル空軍博物館 |
公開 |
静態展示 |
[427] |
||
P-51D-??-?? TF-51D |
左奥の機体 |
韓国 |
陸軍士官学校 |
公開 |
静態展示 |
[428] ![]() |
||
P-51H-5-NA |
44-64203 |
アメリカ |
マイク・カッチス氏 |
非公開 |
修復中 |
[430] |
||
P-51H-5-NA |
44-64265 (44-64195) 126-37691 |
![]() |
アメリカ |
オクターヴ・シャヌート博物館 (Octoave Chanute Museum) |
公開 |
静態展示 |
[431][432] |
|
P-51H-5-NA |
44-64314 (44-64551) 126-37740 |
![]() |
アメリカ |
スティーヴ・カッチス氏 (Steve Coutches) |
公開 |
飛行可能 |
[433][434] |
|
P-51H-5-NA |
44-64375 126-37801 |
アメリカ |
P-51H有限会社 (P-51H LLC) |
非公開 |
修復中 |
[435][436] |
||
P-51H-5-NA |
44-64376 126-37802 |
![]() |
アメリカ |
ラックランド空軍基地 |
公開 |
静態展示 |
[437][438] |
|
P-51H-5-NA |
44-64415 126-37841 |
アメリカ |
イェスタデイ博物館 (Yesterday Museum) |
公開 |
飛行可能 |
[439][440] |
||
p-51H-10-NA |
44-64697 126-38123 |
アメリカ |
ケン・ウィリアムズ氏、ロバート・ケンバーズ氏 (Ken Williams, Robert Cambers) |
非公開 |
保管中 |
[441] |
||
P-51K-5-NT |
44-11807 111-29940 |
アメリカ |
フランシス・バットラー氏 (Francis Butler) |
公開 |
修復中 |
[442] |
||
P-51K-10-NT |
44-12016 111-30149 |
![]() |
アメリカ |
コマンシェ・ファイターズ (Comanche Fighters) |
非公開 |
飛行可能 |
[443][444] |
|
P-51K-10-NT |
44-12116 111-30249 |
アメリカ |
クローフォード航空博物館 |
公開 |
静態展示 |
[445][446] |
||
P-51K-10-NT |
44-12119 111-30252 |
アメリカ |
アアドゥ・カレマ氏 (Aadu Karemaa) |
非公開 |
保管中 |
[447] |
||
P-51K-10-NT |
44-12125 111-30258 |
![]() |
オランダ |
オランダ空軍航空博物館 |
公開 |
静態展示 |
[448][449] |
|
P-51K-10-NT |
44-12126 111-30259 |
イスラエル |
イスラエル空軍博物館 |
公開 |
静態展示 |
[450][451] |
||
P-51K-10-NT |
44-12458 111-30591 |
中国 |
中国人民解放軍空軍博物館 (People's Liberation Army Air force Museum) |
公開 |
静態展示 |
[452][453] |
||
F-6K-15-NT EP-51K レストア後P-51D |
44-12840 111-36123 |
アメリカ |
ヴァルハラ航空株式会社 (Valhalla Aviation Inc.) オーナー:トム・クルーズ氏 |
非公開 |
飛行可能 |
[454][455] |
||
F-6K-15-NT EP-51K キャヴァリエ レストア後P-51D |
44-12852 111-36135 |
![]() |
アメリカ |
ダン・フリードキン氏 (Dan Friedkin) |
非公開 |
飛行可能 |
[456][457] |
|
CA-18 マスタング | ||||||||
CA-18 |
A68-175 |
![]() |
アメリカ |
ジェイムズ・グッドウィン氏 (James Goodwin) |
非公開 |
飛行可能 |
[458] |
|
CA-18 |
A68-198 45-11483 (44-15622) |
![]() |
アメリカ |
フレスコ株式会社(Fesco LTD) |
公開 |
飛行可能 |
[459]1993年の不時着後にP-51Dとして製造し直された。 |
登場作品
P-51は第二次世界大戦後半の機体であるため、第二次大戦後半を題材にした作品への出演が見られる。
参考文献
- Army Air Forces 編 Pilot Manual for the P-51 Mustang Pursuit Airplane 2015年 ISBN 978-1522724865
- ロバート・グリンセル 著 『P-51マスタング 世界の偉大な戦闘機 2』 河出書房新社 2000年 ISBN 4-309-70582-0
- James A.Goodson 著 『P51ムスタング空戦記:第4戦闘航空群のエースたち』早川書房、1993年、ISBN 4-15-203558-7
- George Loving 著 『Woodbine Red Leader: A P-51 Mustang Ace in the Mediterranean Theater』 ISBN 978-0891418139
- Delve, Ken 著『The Mustang Story』 London: Cassell & Co., 1999. ISBN 1-85409-259-6
脚注
- 注
^ ドイツからブラジルを経てアメリカに帰化した人物。独学した航空機技術によりゼネラルモーターズ航空部門のブラジル支社で頭角を現し、アメリカ移民が認められGM傘下のノースアメリカンに職を得ていた。
^ 流入した空気がダクト内部を通過する際、高温となったエンジン冷却液と接触し空気は膨脹してから排気されるため若干の推力を発生し空気抵抗が相殺される。ノースアメリカン社には効果を検証できる風洞が無かったため理論的な予測しか出来ず、カリフォルニア工科大学のグッゲンハイム航空研究所の協力を得て大型風洞で検証しデータを収集した
^ 離陸時にはエンジンスタート後にカバーを畳み、離陸後にカバーを開けて降着装置を格納、再度カバーを畳むという手順を踏むため、他の機体と比べ若干だが引き込みの時間が増えている。
^ マーリンへの換装を提案したのは、ロンドン駐在のアメリカ武官であったと言われる。堀越二郎は「イギリスとアメリカとの友好関係をもってしても、イギリス人の間からは、本機のよき生まれを発動機によって活かしてみたいという親身の愛情と理解が生まれなかった事実もおもしろい」と評している[9]
^ 当時はイギリス向けのマーリンエンジンでさえ不足しており、イギリス側からエンジン換装の申し出がなかったのは当然である。また米国側も戦闘機用のエンジンは将来的にプラット・アンド・ホイットニー R-2800一本に絞る考えであり、マスタング改造機の高性能を目の当たりにするまでは、マーリンを採用する意図はなかった。
^ フィリピンの戦いで鹵獲した飛行第11戦隊所属機
^ 本来はオリバー・ストローブリッジ大尉の搭乗機であったが、当日はマクミラン少尉が搭乗し空戦に参加していた
^ マクミラン少尉は不時着後日本兵に取り囲まれ捕虜となり、上海経由で東京、北海道に転送されここで日本の敗戦を迎え、戦後にアメリカ本国に帰還している[17]
^ 試作航空兵器の審査等を行う日本陸軍の組織、輸入機や鹵獲機の飛行研究も担当
^ 理想は失速直前に地上1インチとされている。
^ 1984年に、劣化したため廃棄された「44-74008」号機のナンバーを受け継いだ。
^ キャヴァリエにて改修された後、軍へ復帰した際つけられたコード。
- 出典
^ ボーイング社資料より。
^ グリンセル 2000 , p48
^ グリンセル 2000 , p48
^ North American P-51D Mustang - 国立アメリカ空軍博物館
^ グリンセル 2000 , p48
^ Delve, Ken. The Mustang Story. London: Cassell & Co., 1999. ISBN 1-85409-259-6.
^ The P-51 Mustang As an Escort Fighter: Development Beyond Drop Tanks to an Independent Air Force
^ グリンセル 2000 , p4-5
^ 「名機マスタングについての考察」 光人社NF文庫『最強兵器入門』堀越二郎
^ 敵味方識別用の塗装。主翼に白黒の縞模様を塗装する
- ^ abグリンセル 2000 , p24
- ^ abグリンセル 2000 , p23
- ^ abグリンセル 2000 , p35
- ^ abcグリンセル 2000 , p3
- ^ abcSmith, J. Richard, Eddie J. Creek and Peter Petrick. On Special Missions: The Luftwaffe's Research and Experimental Squadrons 1923–1945 (Air War Classics). Hersham, Surrey, UK: Classic Publications, 2004. ISBN 1-903223-33-4.
^ R. J.FRANCILLON"Japanese Aircraft of the Pacific War"(New Edition 1979,London,ISBN 0-370-30251-6)p.236
- ^ abc押尾一彦・野原茂 『日本軍鹵獲機秘録』 光人社、2002年、130頁。ISBN 978-4769810476。
^ 鈴木五郎『疾風』第二次世界大戦ブックス64 pp180-181
^ 押尾一彦・野原茂 『日本軍鹵獲機秘録』 光人社、2002年、128-129頁。ISBN 978-4769810476。
^ http://www.wwiiaircraftperformance.org/japan/Ki-84-156A.pdf
^ グリンセル 2000 , p3
- ^ ab『本土空襲~日本はこうして焼き尽くされた~』NHK 2017年
- ^ abcArmy Air Forces 編 Pilot Manual for the P-51 Mustang Pursuit Airplane 2015年 ISBN 978-1522724865
^ 渡辺, 洋二 (2010), “生産を戦力に結ぶ者”, 空の技術 - 設計・生産・戦場の最前線に立つ, 光人社, ISBN 978-4769826354
^ P-51 Mustang Survivors - 現存するP-51を追跡するサイト。シリアルと機体記号を照合できる。
^ "Where Dreams Take Flight." Titan Aircraft, 2012. Retrieved: 24 April 2012.
^ F-51H Mustang Specifications STANDARD AIRCRAFT CHARACTERISTICS
関連項目
- ノースアメリカン
- ロールス・ロイス
フォッケウルフ Ta152 - 『究極のレシプロ戦闘機』と紹介されることもある。
外部リンク
P-51 Mustang Fighter - ノースアメリカンの事業を引き継いだボーイングによる紹介。
P51操縦士訓練教本 (九州大学航空模型部のホームページ内の一コンテンツ)- P-51 Pilot Training Manual
- The North American P-51 Mustang
North American P-51D Mustang - 国立アメリカ空軍博物館
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