フィラデルフィア・イーグルス



























フィラデルフィア・イーグルス
Philadelphia Eagles

1933年創設
永久欠番



  • 5

  • 15

  • 20

  • 40

  • 44

  • 60

  • 70

  • 92

  • 99



ホームタウン


フィラデルフィア・イーグルスの位置(アメリカ合衆国内)
フィラデルフィア・イーグルス



ペンシルベニア州フィラデルフィア

Philly (45).JPG
リンカーン・フィナンシャル・フィールド
(2003-)
ベテランズ・スタジアム
(1971-2002)
フランクリン・フィールド (1958-1970)
コニー・マック・スタジアム (1940; 1942-1957)[1]
フィラデルフィア・ミュニシパル・スタジアム
(1936-1939; 1941)
ベイカー・ボウル
(1933-1935)


所属地区

  • NFL(1933-現在)


  • NFC(1970-現在)


東地区(1970-現在)

  • 東カンファレンス(1953-1969)



首都地区(1967-1969)

地区分けなし(1953-1966)



  • アメリカン・カンファレンス(1950-1952)

  • 東地区(1933-1949)



チームデザイン
チームカラー

     ミッドナイトグリーン
    
    
     シルバー
チームロゴ
ワシの頭部
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降



































スーパーボウル・チャンピオン (1回)

  • 2017

カンファレンス・チャンピオン (3回)
NFC


  • 1980

  • 2004

  • 2017


地区優勝 (9回)
旧NFC東地区


  • 1980

  • 1988

  • 2001


NFC東地区


  • 2002

  • 2003

  • 2004

  • 2010

  • 2013

  • 2017


ワイルドカード(12回)


  • 1978

  • 1979

  • 1981

  • 1989

  • 1990

  • 1992

  • 1995

  • 1996

  • 2000

  • 2008

  • 2009

  • 2018


プレーオフ進出(21/53回)


  • 1978

  • 1979

  • 1980

  • 1981

  • 1988

  • 1989

  • 1990

  • 1992

  • 1995

  • 1996

  • 2000

  • 2001

  • 2002

  • 2003

  • 2004

  • 2008

  • 2009

  • 2010

  • 2013

  • 2017

  • 2018


AFL合併(1969年)以前
NFLチャンピオン


  • 1948

  • 1949

  • 1960


カンファレンス・チャンピオン
NFL東

  • 1960

地区優勝
NFL東地区


  • 1947

  • 1948

  • 1949



球団組織

オーナー: ジェフリー・ルーリー

GM: ホーウィー・ローズマン

ヘッドコーチ: ダグ・ピーダーソン (2016- )

フィラデルフィア・イーグルス (英語: Philadelphia Eagles、略称: PHI)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアに本拠地をおくNFLチーム。NFC東地区に所属している。イーグルスの愛称の由来はニューディール政策のシンボル、ワシ[2]




目次






  • 1 歴史


    • 1.1 NFL統合前


    • 1.2 統合後


    • 1.3 アンディ・リードの時代


    • 1.4 チップ・ケリーの時代


    • 1.5 ダグ・ピーダーソンの時代




  • 2 2018年シーズンの対戦相手


  • 3 永久欠番


  • 4 殿堂入り


  • 5 Eagles Honor Roll


  • 6 75周年記念チーム


  • 7 歴代ヘッドコーチ


  • 8 成績


    • 8.1 NFC東地区(4地区制、2002年-現在)


    • 8.2 NFC東地区(3地区制、1970年-2001年)


    • 8.3 NFL東カンファレンス・首都地区(1967年-1969年)


    • 8.4 NFL東カンファレンス(1953年-1966年)


    • 8.5 NFLアメリカン・カンファレンス(1950年-1952年)


    • 8.6 NFL東地区(1933年-1949年)




  • 9 脚注


  • 10 関連項目


  • 11 外部リンク





歴史



NFL統合前


フィラデルフィアには1924年から1931年までフランクフォード・イエロージャケッツというNFLチームが存在した。イエロージャケッツは1926年にNFLチャンピオンに輝いたが、世界恐慌と本拠地の火災の影響から財政が悪化し、1931年のシーズン中に活動休止し、フランチャイズ権をNFLに返上した。


イエロージャケッツのフランチャイズ権返上以降、フィラデルフィアに本拠地を構えるオーナーを探していたNFLは、1933年、バート・ベル、ラッド・レイに25,000ドルでイエロージャケッツのフランチャイズ権を与える形でフィラデルフィアでのチーム創設を許可し、設立されたのがフィラデルフィア・イーグルスである[2]。チームの愛称は世界恐慌からの回復するためのニューディール政策のシンボルであった、ワシのようにチームを上昇させたいと願い、ベルが名付けた[2]。10月15日の最初の試合では、ニューヨーク・ジャイアンツに0-56で敗れた。ホームデビュー戦となった翌週のポーツマス・スパルタンズにも0-25で敗れた。11月5日のシンシナティ・レッズ戦で初勝利、この年3勝5敗1分に終わった[2]


チームは当初、イエロージャケッツのユニフォームを着用してプレーしたものの、あくまでもピッツバーグ・スティーラーズ、シンシナティ・レッズと共にエクスパンションチームとして加入したチームであるので、イエロージャケッツの記録は継承していない。


1934年、開幕から6連敗を喫したが、最後の5試合中4試合に勝ち、4勝7敗で終えた。1935年、2勝9敗と成績は下降した。シーズン終了後、バート・ベルは、ラッド・レイからオーナー権を獲得、単独オーナーとなった[2]


ベルオーナーは、カレッジフットボールの選手獲得に、ドラフト制度を実施することを提案、1936年、イーグルスは全体1位でハイズマン賞受賞のジェイ・バーワンガーを指名した。しかしバーワンガーは入団を拒否、NFLでプレーすることはなかった。この年チームは、ベイカー・ボウルからフィラデルフィア・ミュニシパル・スタジアムに移った。バート・ベルがヘッドコーチに就任し、開幕戦は勝ったものの残り11試合に敗れ、1勝11敗に終わった[2]


1937年、開幕から3連敗し、シカゴ・カージナルスの持つ連敗記録に並んだが、ワシントン・レッドスキンズに敵地で勝利、2勝8敗1分で終えた。1938年は5勝6敗と成績を改善させた[2]


1939年、オールアメリカンのクォーターバック、デイビー・オブライエンと12,000ドルで契約を結んだ。全試合に出場したオブライエンは、1324ヤードを投げてNFL記録を更新した。しかしチームは1勝9敗1分に終わった。10月22日のブルックリン・ドジャース戦がイーグルスの試合としては初めてテレビ放送された[2]


1940年に本拠地をフィラデルフィア・ミュニシパル・スタジアムからシャイブパーク(1953年にコニー・マック・スタジアムに改称)に移した。この年チームは1勝10敗に終わった[2]


1941年、本拠地をミュニシパル・スタジアムに戻した。ヘッドコーチには、グレイシー・ニールが就任した。チームは2勝9敗に終わった。1942年、チームは本拠地をシャイブ・パークに1年で戻した。チームは2勝9敗で最下位に終わった[2]


第二次世界大戦中の1943年には所属選手が不足したため、ピッツバーグ・スティーラーズと合同チームとなり、フィラデルフィア=ピッツバーグ・スティーグルス(Philadelphia-Pittsburgh Steagles)となった。この年チームは5勝4敗1分、シーズン終了後、合同チームは解消された[2]


1946年にバート・ベルはNFLコミッショナーとなった。アール "グリージー" ニールヘッドコーチに率いられたチームはスティーブ・バン・ビューレンなどの活躍で1947年から3年連続でNFLチャンピオンシップゲームに出場を果たし吹雪の中行われた1948年にはシカゴ・カージナルスに7-0、1949年にはロサンゼルス・ラムズに14-0とNFL史上唯一2年連続相手チームを完封して優勝した。1957年に本拠地をペンシルベニア大学のフランクリン・フィールドに移した。同スタジアムは1969年に人工芝となりNFLチームとしては最初に人工芝球場を本拠地としたチームになった。


1960年、バック・ショウヘッドコーチの下、後にプロフットボール殿堂入りを果たしたノーム・バン・ブルックリン、チャック・ベドナリクらの活躍で3度目NFLチャンピオンとなった。また、この年無敗だったヴィンス・ロンバルディのグリーンベイ・パッカーズを17-13で破った。


1963年、チームはジェリー・ウォルマンに買収されたが1969年にレナード・トースが当時プロスポーツチームとしては最高額の1615万5000ドルで買収した。その後直ちに5シーズンで24勝41敗1分の成績しか残せなかったジョー・クハリッチが解任された。ピート・レツラフがGMにジェリー・ウィリアムズがヘッドコーチに就任した。



統合後


1970年のNFLとAFLの統合後、NFC東地区に所属した。その後同地区のライバルであるダラス・カウボーイズ、ワシントン・レッドスキンズの影に隠れプレーオフ出場はなかなか果たせず1962年から1975年に勝ち越したのはわずか1回であった。1976年にUCLAからディック・ヴァーミールを迎えると、1978年には18年ぶりにポストシーズンゲーム出場を果たした。11月19日のニューヨーク・ジャイアンツ戦ではイート・ザ・ボールされれば敗北必至のところ、相手オフェンスのファンブルをハーマン・エドワーズがファンブルリカバーTDをあげて勝利した[3]



1978年から1981年まで4シーズン連続プレーオフに進出した。1980年にはQBロン・ジャコウスキー、WRハロルド・カーマイケルらの活躍で初のNFC東地区優勝を達成、チームは第15回スーパーボウル出場を果たしたがオークランド・レイダーズに敗れた。この試合ではジャコウスキーのパスがロッド・マーティンに3回インターセプトされるスーパーボール記録を作られている[4]


1985年にチームはフロリダ州で自動車販売業で富を築いたノーマン・ブラマンらに6500万ドルで売却された。この際トース前オーナーがカジノでのギャンブルで2500万ドルの借金を抱えたことが報道された。1986年には第20回スーパーボウルを制したシカゴ・ベアーズのディフェンシブコーディネーター、バディ・ライアンがヘッドコーチに就任した。強力ディフェンスなどでチームは1980年代終わりから1990年代初めにプレーオフにしばしば出場を果たした。しかしプレーオフで勝てないライアンは1991年1月7日に解任されオフェンスコーディネーターのリッチ・コータイトが後任となった。1992年のプレーオフでチームはニューオーリンズ・セインツを破ったが1994年に7勝2敗から終盤7連敗して7勝9敗に終わるとコータイトは契約延長されることなくチームを去った。1988年から1996年までチームは9シーズン中6回プレーオフに出場したが地区優勝は1988年の1回のみであった。この時代のオフェンスのスター選手は走れるQBのランドール・カニンガム、キース・ジャクソン、ハーシェル・ウォーカーなど、ギャンググリーンと呼ばれたディフェンスはレジー・ホワイト、ジェローム・ブラウン、クライド・シモンズ、セス・ジョイナー、ウェズ・ホプキンス、マイク・ゴーリック、バイロン・エバンズ、エリック・アレン、アンドレ・ウォーターズなどである。この時代はNFC東地区がハイレベルであり強力な同地区ライバルチーム相手に善戦するものの上位進出を阻まれ続けた。エースQBのカニンガムは並外れた身体能力を生かした次世代のQBとして期待されたが故障も多く、あと一歩の殻を打ち破れずにいた。


1994年5月6日、ブラマンオーナーから1億8500万ドルでジェフリー・ルーリーにチームは売却された。フォーブスの2006年版によると評価額は10億2400万ドルでありNFLで5番目に高いフランチャイズとなっている。チームユニフォームのカラーも明るいケリーグリーンとシルバー、ホワイトから濃色のミッドナイトグリーンにブラック、ホワイトへと変更された。レイ・ローズが指揮した4年間は世代交代の時期とも重なり、2度プレイオフに進出したのが限度であった。



アンディ・リードの時代


1999年にアンディ・リードがヘッドコーチに就任し、QBドノバン・マクナブの台頭もあってチームは一時期の低迷から脱し、2001年から2004年にかけて4年連続NFCチャンピオンシップゲームに出場した。最初の3回は敗れたが2004年シーズンには第39回スーパーボウルへの出場を果たしニューイングランド・ペイトリオッツと対戦したが21-24で敗れて優勝は果たせなかった。2008年シーズンはぎりぎりでプレーオフ出場を決め前年のスーパーボウル覇者であるニューヨーク・ジャイアンツを敵地で23-11と破ったがNFCチャンピオンシップゲームでアリゾナ・カージナルスに25-32で敗れスーパーボウル出場はならなかった。当時はチャンピオンシップで敗れたヘッドコーチがホノルルで開催されていたプロボウルにてカンファレンスの指揮を執っていたのだが、リードは4回もプロボウルのHCとなっており元スティーラーズHCのビル・カウアーと並んでアロハコレクターと揶揄された。




2しき009年ジェッツ戦(QBマイケル・ヴィック)


2009年、5月にジム・ジョンソンディフェンスコーディネーターが癌性腫瘍の治療のため、チームを離脱、トレーニングキャンプ直前の7月にショーン・マクダモットをディフェンスコーディネーターに昇格させた[5]。7月28日にジム・ジョンソンは68歳で亡くなった[6]


開幕直前に、闘犬賭博罪で収監され18ヶ月の刑期を終えたマイケル・ヴィックを獲得。2009年シーズン終了後、ドラフト権と引き換えにドノバン・マクナブをワシントン・レッドスキンズへ放出した。


2010年には、当初ケビン・コルブを先発QBとして開幕戦を迎えたが、負傷のため途中交代。2戦目以後、マイケル・ヴィックを柱としてチームは連勝を重ね、10勝6敗でNFC東地区優勝を果たす。一時はNFLから無期限出場停止処分を受けていたヴィックの活躍は、サクセスストーリとして全米の注目を集めるとともに、オバマ大統領も再起のチャンスを与えたイーグルスに対して賞賛を送った
[7]


2011年には開幕前にナムディ・アソムーア、ドミニク・ロジャース=クロマティ、ロニー・ブラウン、ヴィンス・ヤングらプロボウルに出場経験のある選手を多く補強し、ドリームチームと呼ばれたが負け星が先行し、8勝8敗でプレーオフを逃した。


2012年は開幕から4試合で3勝1敗の成績をあげたが、その後8連敗するなど最後の12試合はわずか1勝で4勝12敗に終わり[8]シーズン終了後アンディ・リードヘッドコーチは解任された。リードは14シーズンで130勝93敗1分、地区優勝6回、カンファレンスチャンピオンシップに5回出場、スーパーボウル1回出場の成績を残した[9]。この年、チームはマイケル・ヴィックが開幕からターンオーバーを連発、ヴィック、ルショーン・マッコイが脳震盪で数試合欠場、デショーン・ジャクソンはシーズン絶望の負傷をしている。10月16日にはホアン・カスティーヨディフェンスコーディネーターが解雇された[10]



チップ・ケリーの時代


2013年、オレゴン大学のヘッドコーチチップ・ケリーがヘッドコーチに就任した[11]。ケリーは正QBにニック・フォールズを据え、カレッジ仕込みのアップテンポオフェンスと3-4ディフェンスを持ち込み、10勝6敗で地区優勝を果たした。しかしワイルドカードプレーオフでニューオーリンズ・セインツに24-26で敗れた。翌2014年にはGM権も手に入れ多くの選手を入れ替えたが、その特異な攻撃システムも徐々に対策されて勢いを失い、デメリットの方が増えていった。シーズン途中に正QBだったフォールズが鎖骨骨折で戦線離脱してしまい、10勝6敗をあげたもののプレーオフ進出を逃した。2015年はケリーはHC職に専念。フォールズをラムズへ放出し、代わりに獲得したサム・ブラッドフォードを正QBに据えたが7勝9敗と負け越し、ケリーは解雇された。



ダグ・ピーダーソンの時代


2016年にはダグ・ピーダーソンが新HCに就任した。ドラフトでは全体2位でQBカーソン・ウェンツを指名、開幕直前に正QBのサム・ブラッドフォードをミネソタ・バイキングスへ放出した。新人QBらしからぬ落ち着いたプレイを見せたウェンツと守備はチーム伝統の4-3隊形に戻して安定感も取り戻し開幕から3連勝を飾ったが、その後失速して7勝9敗で地区最下位に終わった。


2017年はベテランのWRアルション・ジェフリー、トレイ・スミス、RBリギャレット・ブロウント、CBロナルド・ダービーらを獲得、ドラフトでは守備陣を中心に補強してランディフェンスが向上、シーズン途中には負傷で戦線離脱したRBダレン・スプロールズに代わり、RBジェイ・アジャイを獲得した。QBウェンツの成長もあってチームは8連勝を記録するなどして首位を独走していたが、第14週のロサンゼルス・ラムズ戦でウェンツが左膝の前十字靭帯を断裂し、シーズン絶望となった。3年ぶりにチームに復帰した控えQBのニック・フォールズが先発QBとなった。チームは13勝3敗で地区優勝、NFC第1シードを獲得、ホームアドバンテージを獲得した。第1シードを獲得したもののウェンツを失ったチームはフォールズがシーズン終盤に低調なプレーを見せた試合もあり、プレーオフでは格下と見られた。ディビジョナルプレーオフではアトランタ・ファルコンズを15-10で、NFC チャンピオンシップではミネソタ・バイキングスを38-7でそれぞれ破りカンファレンスチャンピオンとなり、2004年以来となるスーパーボウル出場を果たした。


第52回スーパーボウルではニューイングランド・ペイトリオッツと対戦。下馬評では戦力的にイーグルスが不利と思われていたが、その評価を覆してペイトリオッツを41-33で破り、チーム史上初のスーパーボウルチャンピオンとなった[12]


2018年は連覇が懸かるが主力選手・コーチ陣の移籍、厳しいスケジュール、低いドラフト指名順で苦戦が予想された。ドラフトでは全体32位の1巡指名を行わず2順でTEゴダートを獲得した。スーパーボウルMVPのフォールズが開幕QBの座を得るも序盤から低迷、第3週からウェンツがQBに復帰するがチームの主力に怪我人が続出、特にランニングバックとセカンダリーに怪我人が集中しラン攻撃とパスディフェンスが弱体化した結果プレーオフ出場が厳しい状況に置かれた。シーズン終盤、再びウェンツが負傷してフォールズがスターターに復帰し残り3試合を全勝、最終週で第6シードの座を奪い取りプレーオフ進出を果たした。ワイルドカードプレーオフでは第3シードのシカゴ・ベアーズと対戦、相手の決勝フィールドゴールをブロックし16-15で勝利、ディビジョナルプレーオフは第1シードのニューオーリンズ・セインツに14-20で敗戦した。



2018年シーズンの対戦相手


































































2018年シーズンのイーグルスの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位
チーフス
ジャガーズ
スティーラーズ
ペイトリオッツ
ラムズ
セインツ
バイキングス
イーグルス
2位
チャージャーズ
タイタンズ
レイブンズ
ビルズ
シーホークス
パンサーズ
ライオンズ
カウボーイズ
3位
レイダーズ
コルツ
ベンガルズ
ドルフィンズ
カージナルス
ファルコンズ
パッカーズ
レッドスキンズ
4位
ブロンコス
テキサンズ
ブラウンズ
ジェッツ
49ERS
バッカニアーズ
ベアーズ
ジャイアンツ

    :1度対戦     :2度対戦



永久欠番



  • 5 ドノバン・マクナブ(QB)

  • 15 スティーブ・バン・ビューレン(RB)

  • 20 ブライアン・ドーキンス(S)

  • 40 トム・ブルックシャー(DB)

  • 44 ピート・レツラフ(E)

  • 60 チャック・ベドナリク(C/LB)

  • 70 アル・ウィスタート

  • 92 レジー・ホワイト(DE)

  • 99 ジェローム・ブラウン(DT)



殿堂入り



  • チャック・ベドナリク

  • バート・ベル

  • ボブ・ブラウン

  • マイク・ディトカ

  • ビル・ヒューイット

  • ソニー・ジャーゲンセン

  • ジェームズ・ロフトン


  • ジョン・マッデン - トレーニングキャンプで負傷しプレーすることはなかった。

  • オリー・マトソン

  • トミー・マクドナルド

  • アート・モンク

  • アール "グリージー" ニール

  • ピート・ピホス

  • ジム・リンゴ

  • ノーム・バン・ブルックリン

  • スティーブ・バン・ビューレン

  • レジー・ホワイト

  • アレックス・ウォジコビッツ

  • ブライアン・ドーキンス

  • テレル・オーウェンス



Eagles Honor Roll



  • 1987年 チャック・ベドナリク、バート・ベル、ハロルド・カーマイケル、ビル・ヒューイット、ソニー・ジャーゲンセン、ウィルバート・モンゴメリー、アール・ニール、ピート・ピホス、オリー・マトソン、ジム・リンゴ、ノーム・バン・ブルックリン、スティーブ・バン・ビューレン、アレックス・ウォジコビッツ

  • 1988年 ビル・バージェイ、トミー・マクドナルド

  • 1989年 トム・ブルックシャー、ピート・レッツラフ

  • 1990年 ティミー・ブラウン

  • 1991年 ジェリー・シセモア、スタン・ウォルターズ

  • 1992年 ロン・ジャヴォースキー

  • 1993年 ビル・ブラッドリー

  • 1994年 ディック・ヴァーミール

  • 1995年 ジム・ギャラガー、マイク・クイック

  • 1996年 ジェローム・ブラウン

  • 1999年 Otho Davis

  • 2006年 レジー・ホワイト

  • 2009年 アル・ウィスタート、ランドール・カニンガム

  • 2011年 エリック・アレン、ジム・ジョンソン



75周年記念チーム




歴代ヘッドコーチ



  • ラッド・レイ (1933-1935)


  • バート・ベル (1936-1940)

  • アール "グリージー" ニール (1941-1950)


  • ボー・マクミリン (1951)


  • ウェイン・ミルナー (1951)


  • ジム・トリンブル (1952-1956)


  • ヒュー・デヴォア (1956-1957)

  • バック・ショウ (1958-1960)


  • ニック・スコリッチ (1961-1963)

  • ジョー・クハリッチ (1964-1968)

  • ジェリー・ウィリアムズ (1969-1971)


  • エド・ハヤート (1971-1972)


  • マイク・マコーマック (1973-1975)

  • ディック・ヴァーミール (1976-1982)


  • マリオン・キャンベル (1983-1985)


  • フレッド・ブルーニー (1985)

  • バディ・ライアン (1986-1990)

  • リッチ・コータイト (1991-1994)


  • レイ・ローズ (1995-1998)


  • アンディ・リード (1999-2012)

  • チップ・ケリー (2013-2015)

  • ダグ・ピーダーソン (2016- )




成績



NFC東地区(4地区制、2002年-現在)



  • DAL:ダラス・カウボーイズ、NYG:ニューヨーク・ジャイアンツ、WAS:ワシントン・レッドスキンズ、PHI:フィラデルフィア・イーグルス

  • 数字:シード順

  • v:スーパーボウル優勝

  • s:スーパーボウル敗退

  • c:カンファレンス決勝敗退

  • d:ディビジョナルプレーオフ敗退

  • w:ワイルドカードプレーオフ敗退

  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年































































































































































































































































































































































年度 地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム

2018
DAL(4d) 10 6 0
PHI(6d) 9 7 0
WAS 7 9 0
NYG 5 11 0

2017
PHI(1v) 13 3 0
DAL 9 7 0
WAS 7 9 0
NYG 3 13 0

2016
DAL(1d) 13 3 0
NYG(5w) 11 5 0
WAS 8 8 0
PHI 7 9 0

2015
WAS(4w) 9 7 0
PHI 7 9 0
NYG 6 10 0
DAL 4 12 0

2014
DAL(3d) 12 4 0
PHI 10 6 0
NYG 6 10 0
WAS 4 12 0

2013
PHI(3w) 10 6 0
DAL 8 8 0
NYG 7 9 0
WAS 3 13 0

2012
WAS(4w) 10 6 0
NYG 9 7 0
DAL 8 8 0
PHI 4 12 0

2011
NYG(4v) 9 7 0
PHI 8 8 0
DAL 8 8 0
WAS 5 11 0

2010
PHI(3w) 10 6 0
NYG 10 6 0
DAL 6 10 0
WAS 6 10 0

2009
DAL(3d) 11 5 0
PHI(6w) 11 5 0
NYG 8 8 0
WAS 4 12 0

2008
NYG(1d) 12 4 0
PHI(6c) 9 6 1
DAL 9 7 0
WAS 8 8 0

2007
DAL(1d) 13 3 0
NYG(5v) 10 6 0
WAS(6w) 9 7 0
PHI 8 8 0

2006
PHI(3d) 10 6 0
DAL(5w) 9 7 0
NYG(6w) 8 8 0
WAS 5 11 0

2005
NYG(4w) 11 5 0
WAS(6d) 10 6 0
DAL 9 7 0
PHI 6 10 0

2004
PHI(1s) 13 3 0
NYG 6 10 0
DAL 6 10 0
WAS 6 10 0

2003
PHI(1c) 12 4 0
DAL(6w) 10 6 0
WAS 5 11 0
NYG 4 12 0

2002
PHI(1c) 12 4 0
NYG(5w) 10 6 0
WAS 7 9 0
DAL 5 11 0


NFC東地区(3地区制、1970年-2001年)



  • DAL:ダラス・カウボーイズ、NYG:ニューヨーク・ジャイアンツ、WAS:ワシントン・レッドスキンズ、PHI:フィラデルフィア・イーグルス、StL→PHO→ARI:セントルイス・カージナルス→フェニックス・カージナルス→アリゾナ・カージナルス

  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。

  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。

































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































年度 地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム

2001
PHI(3c) 11 5 0
WAS 8 8 0
NYG 7 9 0
ARI 7 9 0
DAL 5 11 0

2000
NYG(1s) 12 4 0
PHI(4d) 11 5 0
WAS 8 8 0
DAL 5 11 0
ARI 3 13 0

1999
WAS(3d) 10 6 0
DAL(5w) 8 8 0
NYG 7 9 0
ARI 6 10 0
PHI 5 11 0

1998
DAL(3w) 10 6 0
ARI(6d) 9 7 0
NYG 8 8 0
WAS 6 10 0
PHI 3 13 0

1997
NYG(3w) 10 5 1
WAS 8 7 1
PHI 6 9 1
DAL 6 10 0
ARI 4 12 0

1996
DAL(3d) 10 6 0
PHI(5w) 10 6 0
WAS 9 7 0
ARI 7 9 0
NYG 6 10 0

1995
DAL(1v) 12 4 0
PHI(4d) 10 6 0
WAS 6 10 0
NYG 5 11 0
ARI 4 12 0

1994
DAL(2c) 12 4 0
NYG 9 7 0
ARI 8 8 0
PHI 7 9 0
WAS 3 13 0

1993
DAL(1v) 12 4 0
NYG(4d) 11 5 0
PHI 8 8 0
PHO 7 9 0
WAS 4 12 0

1992
DAL(2v) 13 3 0
PHI(5d) 11 5 0
WAS(6d) 9 7 0
NYG 6 10 0
PHO 4 12 0

1991
WAS(1v) 14 2 0
DAL(5d) 11 5 0
PHI 10 6 0
NYG 8 8 0
PHO 4 12 0

1990
NYG(2v) 13 3 0
PHI(4w) 10 6 0
WAS(5d) 10 6 0
DAL 7 9 0
PHO 5 11 0

1989
NYG(2d) 12 4 0
PHI(4w) 11 5 0
WAS 10 6 0
PHO 5 11 0
DAL 1 15 0

1988
PHI(3d) 10 6 0
NYG 10 6 0
WAS 7 9 0
PHO 7 9 0
DAL 3 13 0

1987
WAS(3v) 11 4 0
DAL 7 8 0
StL 7 8 0
PHI 7 8 0
NYG 6 9 0

1986
NYG(1v) 14 2 0
WAS(4c) 12 4 0
DAL 7 9 0
PHI 5 10 1
StL 4 11 1

1985
DAL(3d) 10 6 0
NYG(4d) 10 6 0
WAS 10 6 0
PHI 7 9 0
StL 5 11 0

1984
WAS(2d) 11 5 0
NYG(5d) 9 7 0
StL 9 7 0
DAL 9 7 0
PHI 6 9 1

1983
WAS(1s) 14 2 0
DAL(4w) 12 4 0
StL 8 7 1
PHI 5 11 0
NYG 3 12 1

1982
WAS(1v) 8 1 0
DAL(2c) 6 3 0
StL(6w) 5 3 1
NYG 4 5 0
PHI 3 6 0

1981
DAL(2c) 12 4 0
PHI(4w) 10 6 0
NYG(5d) 9 7 0
WAS 8 8 0
StL 7 9 0

1980
PHI(2s) 12 4 0
DAL(4c) 12 4 0
WAS 6 10 0
StL 5 11 0
NYG 4 12 0

1979
DAL(1d) 11 5 0
PHI(4d) 11 5 0
WAS 10 6 0
NYG 6 10 0
StL 5 11 0

1978
DAL(2s) 12 4 0
PHI(5w) 9 7 0
WAS 8 8 0
StL 6 10 0
NYG 6 10 0

1977
DAL(1v) 12 2 0
WAS 9 5 0
StL 7 7 0
PHI 5 9 0
NYG 5 9 0

1976
DAL(2d) 11 3 0
WAS(4d) 10 4 0
StL 10 4 0
PHI 4 10 0
NYG 3 11 0

1975
StL(3d) 11 3 0
DAL(4s) 10 4 0
WAS 8 6 0
NYG 5 9 0
PHI 4 10 0

1974
StL(d) 10 4 0
WAS(d) 10 4 0
DAL 8 6 0
PHI 7 7 0
NYG 2 12 0

1973
DAL(c) 10 4 0
WAS(d) 10 4 0
PHI 5 8 1
StL 4 9 1
NYG 2 11 1

1972
WAS(s) 11 3 0
DAL(c) 10 4 0
NYG 8 6 0
PHI 4 9 1
StL 2 11 1

1971
DAL(v) 11 3 0
WAS(d) 9 4 1
PHI 6 7 1
StL 4 9 1
NYG 4 10 0

1970
DAL(s) 10 4 0
NYG 9 5 0
StL 8 5 1
WAS 6 8 0
PHI 3 10 1


NFL東カンファレンス・首都地区(1967年-1969年)



  • DAL:ダラス・カウボーイズ、WAS:ワシントン・レッドスキンズ、PHI:フィラデルフィア・イーグルス、NY:ニューヨーク・ジャイアンツNO:ニューオーリンズ・セインツ

  • 括弧内の文字はv:スーパーボウル(AFL-NFLワールドチャンピオンシップゲーム)優勝、s:スーパーボウル敗退・NFL優勝、n:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退

  • プレイオフは地区優勝チームのみ出場





















































































地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム

1969
DAL(c) 11 2 1
WAS 7 5 2
NO 5 9 0
PHI 4 9 1

1968
DAL(c) 12 2 0
NY 7 7 0
WAS 5 9 0
PHI 2 12 0

1967
DAL(n) 9 5 0
PHI 6 7 1
WAS 5 6 3
NO 3 11 0


NFL東カンファレンス(1953年-1966年)



  • CLE:クリーブランド・ブラウンズ、CHC→StL:シカゴ・カージナルス→セントルイス・カージナルス、PHI:フィラデルフィア・イーグルス、WAS:ワシントン・レッドスキンズ、PIT:ピッツバーグ・スティーラーズ、NY:ニューヨーク・ジャイアンツ、DAL:ダラス・カウボーイズ、ATL:アトランタ・ファルコンズ

  • 括弧内の文字はv:NFL優勝、n:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝









































































































































































































































































































































































































































































優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム

1966
DAL(n) 10 3 1
CLE 9 5 0
PHI 9 5 0
StL 8 5 1
WAS 7 7 0
PIT 5 8 1
ATL 3 11 0
NY 1 12 1
スーパーボウル開始

1965
CLE(n) 11 3 0
DAL 7 7 0
NY 7 7 0
WAS 6 8 0
PHI 5 9 0
StL 5 9 0
PIT 2 12 0


1964
CLE(v) 11 3 0
StL 9 3 2
PHI 6 8 0
WAS 6 8 0
DAL 5 8 1
PIT 5 9 0
NY 2 10 2

1963
NY(n) 11 3 0
CLE 10 4 0
StL 9 5 0
PIT 7 4 3
DAL 4 10 0
WAS 3 11 0
PHI 2 10 2

1962
NY(n) 12 2 0
PIT 9 5 0
CLE 7 6 1
WAS 5 7 2
DAL 5 8 1
StL 4 9 1
PHI 3 10 1

1961
NY(n) 10 3 1
PHI 10 4 0
CLE 8 5 1
StL 7 7 0
PIT 6 8 0
DAL 4 9 1
WAS 1 12 1

1960
PHI(v) 10 2 0
CLE 8 3 1
NY 6 4 2
StL 6 5 1
PIT 5 6 1
WAS 1 9 2


1959
NY(n) 10 2 0
CLE 7 5 0
PHI 7 5 0
PIT 5 6 1
WAS 1 9 2
CHC 2 10 0

1958
NY(n) 9 3 0
CLE 9 3 0
PIT 7 4 1
WAS 4 7 1
CHC 2 9 1
PHI 2 9 1

1957
CLE(n) 9 2 1
NY 7 5 0
PIT 6 6 0
WAS 5 6 1
PHI 4 8 0
CHC 3 9 0

1956
NY(v) 8 3 1
CHC 7 5 0
WAS 6 6 0
CLE 5 7 0
PIT 5 7 0
PHI 3 8 1

1955
CLE(v) 9 2 1
WAS 8 4 0
NY 6 5 1
CHC 4 7 1
PHI 4 7 1
PIT 4 8 0

1954
CLE(v) 9 3 0
PHI 7 4 1
NY 7 5 0
PIT 5 7 0
WAS 3 9 0
CHC 2 10 0

1953
CLE(n) 11 1 0
PHI 7 4 1
WAS 6 5 1
PIT 6 6 0
NY 3 9 0
CHC 1 10 1


NFLアメリカン・カンファレンス(1950年-1952年)



  • CLE:クリーブランド・ブラウンズ、CHC:シカゴ・カージナルス、PHI:フィラデルフィア・イーグルス、BOS→WAS:ワシントン・レッドスキンズ、PIT:ピッツバーグ・スティーラーズ、NYG→NY:ニューヨーク・ジャイアンツ

  • 括弧内の文字はv:NFL優勝、n:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝























































































































優勝 2位 3位 4位 5位 6位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム

1952
CLE(n) 8 4 0
NY 7 5 0
PHI 7 5 0
PIT 5 7 0
CHC 4 8 0
WAS 4 8 0

1951
CLE(n) 11 1 0
NYG 9 2 1
WAS 5 7 0
PIT 4 7 1
PHI 4 8 0
CHC 3 9 0

1950
CLE(v) 10 2 x
NYG 10 2 x
PHI 6 6 x
PIT 6 6 x
CHC 5 7 x
WAS 3 9 x


NFL東地区(1933年-1949年)



  • NY→NYG:ニューヨーク・ジャイアンツ、PIT:ピッツバーグ・パイレーツ→ピッツバーグ・スティーラーズ、BOS→WAS:ボストン・レッドスキンズ→ワシントン・レッドスキンズ、PHI:フィラデルフィア・イーグルス、BOS→NYB:ボストン・ヤンクス→ニューヨーク・ブルドッグス、BK:ブルックリン・ドジャース→ブルックリン・タイガース、Phil-Pitt:フィラデルフィア・イーグルスとピッツバーグ・スティーラーズの合同チーム

  • 1943年は太平洋戦争の影響により、スティーラーズとイーグルスが合同チームで東地区に参加した。

  • 括弧内の文字はv:NFL優勝、n:NFL決勝敗退・地区優勝





































































































































































































































































































































































































































優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム

1949
PHI(v) 11 1 0
PIT 6 5 1
NYG 6 6 0
WAS 4 7 1
NYB 1 10 1

1948
PHI(v) 9 2 1
WAS 7 5 0
NY 4 8 0
PIT 4 8 0
BOS 3 9 0

1947
PHI(n) 8 4 0
PIT 8 4 0
BOS 4 7 1
WAS 4 8 0
NY 2 8 2

1946
NY(n) 7 3 1
PHI 6 5 0
WAS 5 5 1
PIT 5 5 1
BOS 2 8 1

1945
WAS(n) 8 2 0
PHI 7 3 0
NY 3 6 1
BOS 3 6 1
PIT 2 8 0

1944
WAS(n) 6 3 1
NY 6 3 1
PHI 7 3 0
BOS 2 8 1
BK 0 10 0

1943
WAS(n) 6 3 1
NY 6 3 1
Phil-Pitt 5 4 1
BK 2 8 0


1942
WAS(v) 10 1 0
PIT 7 4 0
NY 5 5 1
BK 3 8 0
PHI 2 9 0

1941
NY(n) 8 3 0
BK 7 4 0
WAS 6 5 0
PHI 2 8 1
PIT 1 9 1

1940
WAS(n) 9 2 0
NY 8 3 0
BK 6 4 1
PIT 2 7 2
PHI 1 10 0

1939
NY(n) 9 1 1
WAS 8 2 1
BK 4 6 1
PHI 1 9 1
PIT 1 9 1

1938
NY(v) 8 2 1
WAS 6 3 2
BK 4 4 3
PHI 5 6 0
PIT 2 9 0

1937
WAS(v) 8 3 0
NY 6 3 2
PIT 4 7 0
BK 3 7 1
PHI 2 8 1

1936
BOS(n) 7 5 0
PIT 6 6 0
NY 5 6 1
BK 3 8 1
PHI 1 11 0

1935
NY(n) 9 3 0
BK 5 6 1
PIT 4 8 0
BOS 2 8 1
PHI 2 9 0

1934
NY(v) 8 5 0
BOS 6 6 0
BK 4 7 0
PHI 4 7 0
PIT 2 10 0

1933
NY(n) 11 3 0
BK 5 4 1
BOS 5 5 2
PHI 3 5 1
PIT 3 6 2


脚注


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  1. ^ シャイブ・パーク
    (1940-1953)


  2. ^ abcdefghijk“Philadelphia Eagles (1933-Present)”. sportsecyclopedia.com. 2019年1月14日閲覧。


  3. ^ “Miracle at the Meadowlands”. プロフットボール殿堂. 2012年1月2日閲覧。


  4. ^ Steve Wulf (1981年2月2日). “He Had The Winning Hands”. スポーツ・イラストレイテッド. 2013年1月2日閲覧。


  5. ^ “イーグルス、キャンプ2日前に新守備コーディネーター発表”. NFL JAPAN (2009年7月25日). 2013年1月2日閲覧。


  6. ^ “イーグルスの鉄壁守備築いた名コーチ、ジョンソン氏が68歳で死去”. NFL JAPAN (2009年7月29日). 2013年1月2日閲覧。


  7. ^ “オバマ大統領がイーグルス称賛、ビックに再起のチャンス”. NFL JAPAN (2010年12月28日). 2010年12月29日閲覧。


  8. ^ “2012年スケジュール”. NFL JAPAN. 2013年1月2日閲覧。


  9. ^ “イーグルス、14年に渡るリードHC時代に終止符”. NFL JAPAN (2013年1月1日). 2013年1月2日閲覧。


  10. ^ 河田剛 (2012年10月18日). ““数字は嘘をつかず”、イーグルスDC解雇の真意とは”. NFL JAPAN. 2013年1月2日閲覧。


  11. ^ “イーグルス新HC、心変わりの理由明かさず”. NFL JAPAN (2013年1月17日). 2013年1月18日閲覧。


  12. ^ “【第52回スーパーボウル】イーグルスの初勝利なるか、ペイトリオッツの2連覇か!?”. NFL JAPAN (2018年2月5日). 2018年2月5日閲覧。



関連項目



  • メドウランズの奇跡 - ニューヨーク・ジャイアンツとの試合でリードされて残り時間わずかで相手QBがイート・ザ・ボールをすればそのまま敗れるところだったが、イーグルスのディフェンスが相手QBに激しく当たっていたためジャイアンツはフルバック(ラリー・ゾンカ)にボールを持たせるプレーを選択したがハンドオフミスによるファンブル、ハーマン・エドワーズがリカバーしてタッチダウンをあげて奇跡的な勝利をもたらした。


外部リンク








  • フィラデルフィア・イーグルス公式サイト (英語)


  • NFL JAPANプロフィール (日本語)


  • イーグルス歴代プレイヤーTOP10 (NFL JAPAN)








































































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