キツネ
キツネ(広義) | ||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
アカギツネ(亜種キタキツネ) Vulpes vulpes schrencki | ||||||||||||||||||||||||
分類 | ||||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||||
和名 | ||||||||||||||||||||||||
キツネ(狐) | ||||||||||||||||||||||||
英名 | ||||||||||||||||||||||||
fox | ||||||||||||||||||||||||
属 | ||||||||||||||||||||||||
|
キツネ(狐)は、哺乳綱ネコ目(食肉目)イヌ科イヌ亜科の一部。
狭義にはキツネ属のことである[1][2]。広義には、明確な定義はないがイヌ亜科の数属を総称する[3][4]が、これは互いに近縁でない属からなる多系統である。
最も狭義にはキツネ属の1種アカギツネのことである[5][6]。古来、日本で「狐」といえば、アカギツネの亜種ホンドギツネのことだったが、蝦夷地進出後は、北海道の別亜種キタキツネも含むようになった。
ただし、この記事では広義のキツネを扱うものとする。キツネ属、アカギツネについてはそれぞれの記事を参照。
目次
1 現生種
2 系統
3 生態
4 家畜化の可能性
5 日本人とキツネの関係
5.1 語源
5.2 歴史
5.2.1 アニミズムの時代
5.2.2 神道への吸収
5.2.3 仏教による変遷
5.2.4 民間信仰の開花
5.2.5 廃仏毀釈と近代化
5.3 日本の説話の中のキツネ
5.4 狐憑きと俗信
5.5 近代の狐伝説
6 キツネを主題とする作品
7 観光用のキツネ放し飼い施設
8 脚注
9 参考文献
10 関連項目
11 外部リンク
現生種
最も広義のキツネとして、和名に「キツネ」(英語名に fox)が含まれる6属の種を挙げる。ただし、化石種を除く(近代絶滅種は挙げる)。
大きく3分した「〜クレード」は分子系統による[7]。イヌ亜科は伝統的にはイヌ族 Canini とキツネ族 Vulpini に分けられてきたが、この分類は、系統にも、広義のキツネの範囲とも、対応していない。
- アカギツネ型クレードの大半(タヌキ以外) - 旧大陸と北米のキツネ類。キツネ族の大半。
キツネ属 Vulpes
アカギツネ red fox、Vulpes vulpes
アフガニスタンキツネ (ブランフォードギツネ) Blanford's fox、Vulpes cana
オグロスナギツネ pale fox、Vulpes pallida
オジロスナギツネ Rueppel's fox、Vulpes rueppelli
ケープギツネ Cape fox、Vulpes chama
コサックギツネ corsac fox、Vulpes corsac
スウィフトギツネ swift fox、Vulpes velox
チベットスナギツネ Tibetan fox、Vulpes ferrilata
キットギツネ kit fox、Vulpes macrotis
ベンガルギツネ Bengal fox、Vulpes bengalensis
フェネック (フェネックギツネ) fennec、Vulpes zerda (Fennecus zerda)
ホッキョクギツネ arctic fox、Vulpes lagopus (Alopex lagopus)
- オオミミギツネ属 Otocyon
オオミミギツネ bat-eared fox、Otocyon megalotis
- 南米クレードの一部 - 南米のキツネ類。オオカミ型クレード(イヌ属など)にやや近縁で、イヌ族の一部。
- カニクイキツネ属(カニクイイヌ属) Cerdocyon
カニクイキツネ(カニクイイヌ) crab-eating fox、Cerdocyon thous
クルペオギツネ属 Lycalopex (Pseudalopex)
クルペオギツネ (クルペオ) culpeo、Lycalopex culpaeus
スジオイヌ hoary fox、Lycalopex vetulus
セチュラギツネ Sechura fox、Lycalopex sechurae
チコハイイロギツネ Argentine gray fox, chilla、Lycalopex griseus
パンパスギツネ pampas fox, Azara's dog、Lycalopex gymnocercus
- †フォークランドキツネ属(フォークランドオオカミ属、アザライヌ属) Dusicyon
- †フォークランドキツネ(フォークランドオオカミ) Falkland island fox、Dusicyon australis
- †フォークランドキツネ(フォークランドオオカミ) Falkland island fox、Dusicyon australis
- カニクイキツネ属(カニクイイヌ属) Cerdocyon
- シマハイイロギツネクレード - 両米に住む。キツネ族の一部(アカギツネ型クレード以外の残り)。
ハイイロギツネ属 Urocyon
ハイイロギツネ gray fox、Urocyon cinereoargenteus
シマハイイロギツネ island fox、Urocyon littoralis
フェネックギツネ
ホッキョクギツネ
オオミミギツネ
カニクイギツネ
クルペオギツネ
ハイイロギツネ
系統
広義のキツネ(図中の ―◆)は、イヌ亜科(現生イヌ科)の中で単系統を成さず、系統的に分散した多系統である。イヌ亜科の4大系統のうち3つに分散している。
イヌ亜科 |
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
[7][8]
生態
日本では、本州・九州・四国の各本島と淡路島[9]にホンドギツネが、北海道本島と北方領土にキタキツネが生息している。近年、沖縄本島でも自然分布以外の流入で生息が確認されている[要出典]。佐渡島にも人為的な移入がなされたが、定着は確認されていない[10]。
イヌ科には珍しく、群れず、小さな家族単位で生活する。イヌのような社会性はあまりないとされるが、宮城県白石市の狐塚のように、大きなグループで生活していた例も知られる[11]。
生後1年も満たないで捕獲訓練をマスターし、獲物を捕らえるようになる。食性は肉食に近い雑食性。鳥、ウサギ、齧歯類などの小動物や昆虫を食べる。餌が少ないと雑食性となり人間の生活圏で残飯やニワトリを食べたりする。夜行性で非常に用心深い反面、賢い動物で好奇心が強い。そのため大丈夫と判断すると大胆な行動をとりはじめる。人に慣れることで、白昼に観光客に餌をねだるようになる事が問題になっている[11]。
夜行性で、瞳孔はネコと同じく縦長である。
野生のキツネは10年程度の寿命とされるが、ほとんどの場合、狩猟・事故・病気によって、2-3年しか生きられない[12]。
一般的に、キツネの体格は、オオカミ・ジャッカルなど、イヌ科の他の種よりも小型である。平均的なオスのキツネの体重は、5.9kg、メスはそれより軽い5.2kg。俗に言うキツネ顔で、ふさふさした尾を持つ。典型的なアカギツネの毛色は、赤褐色で、通常尾の先は白い[12]。
ロシアでは45年の選択的交配でギンギツネの創出に成功している。この選択的な繁殖により、毛色のバリエーション・丸い耳・巻き尾など、猫・犬・その他の動物で見られるような物理的・行動特性が変化することが分かった[13]。
人畜共通感染症であるエキノコックスについては、エキノコックス症の項が詳しい
家畜化の可能性
ロシアの神経細胞学者リュドミラ・ニコラエブナ・トルットは、ロシア科学アカデミーの遺伝学者ドミトリ・ベリャーエフと共に、キツネの人為選択による馴致化実験を行った[14][15]。100頭あまりのキツネを掛け合わせ、もっとも人間になつく個体を選択して配合を繰り返すことで、わずか40世代でイヌのようにしっぽを振り、人間になつく個体を生み出すことに成功した。同時に、耳が丸くなるなど飼い犬のような形質を発現することも観察された[16][17][18]。これはなつきやすさという性質が、(自然、あるいは人為的に)選択されうることを示している。
日本人とキツネの関係
キツネを精霊・妖怪とみなす民族はいくつかあるが、特に日本(大和民族)においては文化・信仰と言えるほどキツネに対して親密である。キツネは人を化かすいたずら好きの動物と考えられたり、それとは逆に、宇迦之御魂神の神使として信仰されたりしている。アイヌの間でもチロンヌプ(キタキツネ)は人間に災難などの予兆を伝える神獣、あるいは人間に化けて悪戯をする者とされていた。キツネが化けた人間にサッチポロ(乾しイクラ)を食べさせれば、歯に粘り付いたイクラの粒を取ろうと口に手を入れているうちに正体を表すという。
日本における鳴き声の聞きなしについては、古来は「キツ」「ケツ」と表現されており、近代からは「コン」「コンコン」が専ら用いられている。「コン」「コンコン」については(テレビ朝日『シルシルミシルさんデー』の調べによって)親が子を呼ぶ時の鳴き声に由来していると報告されている[19]。
また、キツネは特に油揚げを好むという伝承にちなみ、稲荷神を祭る神社では、油揚げや稲荷寿司などが供え物とされることがある。ここから、嘗ての江戸表を中心とした東国一般においての「きつねうどん」「きつねそば」などの「きつね」という言葉は、その食品に油揚げが入っていることを示す。(畿内を中心とした西国では蕎麦に関してはたぬきと呼ばれる場合がある)
語源
諸説あるが、『大言海』では、古来のなき声の表す「ケツケツ」「キツキツ」と神道系の敬称を表す「ネ」が結びついたと説明している。『万葉集巻十六』には「さすなべに湯わかせて子どもいちい津の檜橋より来るきつにあむせむ」という、鍋とキツネを詠んだ即興歌が残っており、日本では古代より「キツ」と呼んでいたことを示す資料が残っている[20]。仏教系の説では『日本霊異記』やその話を転記した『今昔物語』では「来つ寝」という語呂合わせが語源と説明している。 平安時代に編纂された日本最古の辞書である『和名類聚抄』には、「狐:韻は(コ)日本の読み(きつね)中国の伝説では100歳になると女に化ける妖怪に変化する。」という説明があり、平安時代には、既にきつねと発音していたことが分かる[20]。
歴史
日本の狩猟時代の考古学的資料によると、キツネの犬歯に穴を開けて首にかけた、約5500年前の装飾品[21]やキツネの下顎骨に穴を開け、彩色された護符のような、縄文前期の(網走市大洞穴遺跡)ペンダント[22]が発掘されている。しかし、福井県などでは、キツネの生息域でありながら、貝塚の中に様々な獣骨が見つかる中でキツネだけが全く出てこない[23]。
日本人がキツネを稲と関連させた起源は、文化人類学的推察にもとづく農耕民族の必然だったとする必然起因説と、歴史学的手法に基づいて推察して、神の名に「狐」を宛てたことによるとする、誤解起因説の2通りがあって特定はされておらず、その後大陸より渡来した秦氏の勢力によって、キツネは稲荷神の眷属に収まったという流れになっている。
稲作には、穀物を食するネズミや、田の土手に穴を開けて水を抜くハタネズミが与える被害がつきまとう。稲作が始まってから江戸時代までの間に、日本人はキツネがネズミの天敵であることに注目し、キツネの尿のついた石にネズミに対する忌避効果がある事に気づき、田の付近に祠を設置して、油揚げ等で餌付けすることで、忌避効果を持続させる摂理があることを経験から学んで、信仰と共にキツネを大切にする文化を獲得した[24]。
日本古来の世界観は山はそれ自体が山神であって、山神から派生する古木も石も獣(キツネ)もまた神であるという思想が基としてあると言われている[25]。
民間伝承の狐神信仰の発生がいつ始まったかの特定は難しいとした上で、発生の順番から考えて、土地が開墾される以前にキツネが生息しており、畏敬された狐神と稲荷の結合は、田の神信仰と稲荷の結合に先立つであろうと言われている[25]。
一方、稲荷神社の神は、宇迦之御霊神、別名、御食神(みけつがみ)であって、三狐神と書き誤って、日本中に誤解が定着したという説も、根強く有力な説である。
『日本書紀』によると、斉明5年(659年)、(皇孫建王が唖であったために?)神の宮(島根県松江市八雲町の熊野神社)を改修し始めた直後、狐が現われて柱を曳く蔓の綱を根元から食い切り、狗(山犬)が現われて死人の手を言屋社(いうやのやしろ)(島根県松江市東出雲町の揖屋神社)に残したという記事(つまりみかどの死の予兆が下された)が残されている[26]。
とにかく正史に狐の記事が記載されたのは、『日本書紀』斉明記3年(657年)石見に現れた白狐の記事であり[26]、伝記に狐が記載されたのは『日本霊異記』欽明天皇の時代(540年–571年)とされている[20]。キツネが騙す、化ける妖怪の一種であるという概念は、仏教と共に伝来したもので、中国の九尾狐の伝説に影響されたものである[20]。
以下は日本の文化におけるキツネの歴史の大まかな流れである。
アニミズムの時代
- 弥生時代、日本に本格的な稲作がもたらされるにつれネズミが繁殖し、同時にそれを捕食してくれるキツネやオオカミが豊作をもたらす益獣となった[27][28]。柳田國男は、稲の生育周期とキツネの出没周期の合致から、キツネを神聖視したという民間信仰が独自に芽生えたと言う説を述べている。必然起因説はその発展系と見られる。
神道への吸収
御饌津神(みけつ)が誤って三狐神と書かれたという説が定説である。しかし秦氏が土着民への懐柔策として使用させたとの説もある。大和時代に入り朝廷が勢力を拡大する中、抵抗する土着の神を持つ民を排除し、狐と呼んで蔑視していた。
- 土着の農民は、独自の「山の神‐田の神」を信仰しており、狐をその先触れとする文化があったものの、『日本書紀』の欽明記の時代に伊勢と交易を行い、後に国庫の管理者となる程の秦氏の経済的な勢力に押され、元は「田の神‐山の神」の祠であった場所が秦氏の神社になった事に、農民たちは旧来の神を祭りながらも抗えなかったであろうと言われている[29]。秦氏の稲荷の眷属の狐は「命婦(みょうぶ)」と呼ばれ、命婦の位を持っているが、最初からそのような位を持っていた訳ではないということは、伏見稲荷の縁起によって示されている。
- こうして土着の神は豊穣をもたらす荒神的な性格から「宇迦之御魂大神」の「稲荷」として認識され、シンボルである狐自体は眷属に納まったと考えられる。
- 鍛冶屋に信仰される金屋子神は、白い狐に乗って現れるとの伝説が有る。
天照皇大御神は豊葦原瑞穂国(日本国)を豊穣の地にせよと豊受明神に命じたため、豊受明神は多くの狐たちに命じ、稲の種を各地に蒔かせたと言われている[30]。
仏教による変遷
平安時代、空海により中国から本格的に密教がもたらされ、キツネは仏典に登場する野干(やかん)の名でも呼ばれるようになる。後には白狐に乗ったダキニ天と、狐を眷属とした稲荷が同一視されることとなる。説話の中で多い、人に化ける悪いキツネが僧によって降参する(仏の勝利)という図式は、ダキニ天の生い立ちそのものである。このころから狐に悪狐が登場し、ある種の精神病を狐の仕業とし、法力で治せるものと宣伝された。また密教では狐霊が使われ呪術が行われた。このようにしてキツネが化ける妖怪(妖狐)であるというイメージが民衆に定着した。
民間信仰の開花
- このような状態はかなり後世まで続いたが、キツネは大衆に憎まれる存在とはならなかった。江戸時代に入り商業が発達するにつれて、稲荷神は豊作と商売繁盛の神としてもてはやされるようになり、民間信仰の対象として伏見のキツネの土偶を神棚に祭る風習が産まれた。
- 明治政府が不敬としてキツネの土偶の製造を禁じると、細々と生産されていたネコの土偶が大流行し定番商品(招き猫)となった。狐霊に白黒赤金銀があるように招き猫にも白黒赤金が存在するのはそのためである。
- 社の裏手にキツネの巣穴があるような稲荷は多く見られることから、キツネの巣穴を供養する風習が江戸時代から昭和にかけて全国各地に広がっていたことが判る。キツネの巣穴に食べ物を供える習慣は穴施行、寒施行となって現在も残っている。またそのような由来を持つ狐塚(田の神の祭場)も数多くある。安倍晴明で有名な葛葉稲荷神社の裏手には石組みの行場が残っている。
廃仏毀釈と近代化
- 明治時代に入り、廃仏毀釈の運動が起こり、稲荷神社は少数の仏教系と、多数の神道系に分かれた。
宗教とは関係ないものの最近では児童文学や絵本、アニメーションに信頼できる友人だったり頼もしいパートナーだったりと従来のイメージを覆すようなキツネが登場するようになってきた。
日本の説話の中のキツネ
キツネ(狐)が霊獣として伝えられる歴史は非常に古く、『日本霊異記』に、すでにキツネの話が記されている。美濃大野郡の男が広野で1人の美女に出会い、結ばれて子をなすが、女はキツネの化けた姿で、犬に正体を悟られて野に帰ってしまう。しかし男はキツネに、「なんじ我を忘れたか、子までなせし仲ではないか、来つ寝(来て寝よ)」と言った。なお、これを元本に発展させた今昔物語にもこの話は収録され、キツネの語源としている。キツネは、人間との婚姻譚において語られることが多く、後に『葛の葉』、『信太妻(しのだづま)』を経、古浄瑠璃『信田妻(しのだづま)』において、異類婚姻によって生まれた子の超越的能力というモティーフが、稀代の陰陽師、安倍晴明の出生となって完成される。
「狐」は、蜘蛛、蛇などと同じく大和朝廷側から見た被差別民であったという見方もある。彼らは、大和朝廷が勢力を伸ばす段階で先住の地を追われた人々であり、人ではない者として動物の名称で呼ばれたという見方である。彼らが、害をもたらす存在として扱われる場合、それは朝廷側の、自分たちが追い出した異民族が復讐してくるのではという恐怖心の現れであると考えられる。また、動物が不思議な能力(特殊能力)を持つというのは、異民族が持つ特殊な技術を暗に意味している場合がある。この考え方に沿えば、異類婚姻は、それらの人々との婚姻を意味することになる。つまり女が身元を偽って(化けて)婚姻したものの里が暴かれ、子の将来を案じて消えてしまった物語と解される。
キツネの子が神秘的能力をもつというのは、稲荷の神の使いとして親しまれてきたキツネが、元来は農耕神として信仰され、豊穣や富のシンボルであったことに由来するものである。狐婚姻の類話には、正体を知られて別れたキツネの女が、農繁期に帰ってきて田仕事で夫を助けると、稲がよく実るようになったという話がある。また江戸の王子では、大晦日の夜、関八州のキツネが集い、無数の狐火が飛んだというが、里人はその動きで豊作の吉凶を占ったと伝えられており、落語「王子の狐」のモチーフとなっている。
人間を助ける役割を果たすキツネの側面は、かつてキツネが、農耕神信仰において重要な役割を果たしていたことの名残りであるといえ、江戸大窪百人町など、郊外にある野原に出没する特定のキツネは名前をつけて呼ばれ、人間を化かすが、災害や変事を報らせることもあった。
岐阜県の老狐「ヤジロウギツネ」は、僧に化けて、高潔な人物の人柄を賞揚したという。群馬県の「コウアンギツネ」もこの類で、 白頭の翁となり、自ら128歳と述べ、常に仏説で人を教諭し、吉凶禍福や将来を予言した。千葉県飯高壇林の境内に住みついた「デンパチギツネ」も、若者に化けて勉学に勤しんでいる。 その他、静岡県の「オタケギツネ」は、大勢の人々に出す膳が足りない場合にお願いに行くと、膳をそろえてくれるといわれていた。岩手県九戸のアラズマイ平に棲む白狐は、村の子どもと仲がよく、一緒に遊んでいたという。また、鳥取県の御城山に祭られている「キョウゾウボウギツネ」は、城に仕え、江戸との間を2、3日で往復したと伝えられている。
宝暦3年(1753年)8月、江戸の八丁堀本多家に、日暮れから諸道具を運び込み、九ツ前、提灯数十ばかりに前後数十人の守護を連れた鋲打ちの女乗物が、本多家の門をくぐった。5、6千石の婚礼の体であったが、本多家の人は誰も知らなかったという。このような「キツネノヨメイリ」には必ずにわか雨が降るとされるが、やはりこれも降雨を司る農業神の性質であろう。
しかし、農耕信仰がすたれるにつれ、キツネが狡猾者として登場することも多くなり、『今昔物語』でも「高陽川の狐、女と変じて馬の尻に乗りし語」では、夕に若い女に化けたキツネが、馬に乗った人に声をかけて乗せてもらうが、4、5町ばかり行ったところでキツネになって「こうこう」と鳴いたとある。『行脚怪談袋』には、僧が団子を喰おうとするキツネを杖で打ったら、翌日そのキツネが大名行列に化けて仕返しをしたという話がある。ほかにも『太平百物語』に、京都伏見の穀物問屋へ女がやって来て、桶を預けていった。ところがその桶の中から、大坂真田山のキツネと名乗る大入道が現われて、この家の者が日ごろ自分の住まいに小便をして汚すと苦情を述べた。そこで主人は入道に詫びて、3日間赤飯と油ものをキツネのすみかの穴に供えて許しを乞うたという。
キツネは女に化けることが多いとされるが、これはキツネが陰陽五行思想において土行、特に八卦では「艮」に割り当てられることから陰気の獣であるとされ、後世になって「狐は女に化けて陽の存在である男に近づくものである」という認識が定着してしまったためと考えられる。関西・中国地方で有名なのは「おさん狐」である。このキツネは美女に化けて男女の仲を裂きにくる妖怪で、嫉妬深く男が手を焼くという話が多数残っている。キツネが化けた女はよく見ると、闇夜でも着物の柄がはっきり見えるといわれていた。女の他、男はもちろん、月や日、妖怪、石、木、電柱、灯籠、馬やネコ、家屋、汽車に化けるほか、雨(狐の嫁入り)や雪のような自然現象を起こす等、実にバリエーションに富んでいる。
霊狐には階級があるとされ、住む場所、妖力によって「地狐」、「天狐」、「空狐」などに分類される。長崎県五島列島でいう「テンコー(天狐)」は、 憑いた者に神通力を与えるが、これに反して「ジコー(地狐)」の方はたわいのないものといわれる。
妖怪の狐は九尾の狐など尾が分かれていることを特徴とすることがある。九尾の狐は『山海経』では、「その状は、狐の如くで九つの尾、その声は嬰児の様、よく人を喰う。食った者は邪気に襲われぬ」という。日本ではその正体が九尾の狐とされる玉藻前(たまものまえ)の物語が有名である。
狐憑きと俗信
狐信仰の変種であり、日本独自の現象として、「狐憑き(きつねつき)」が存在する。狸、蛇、犬神憑きなどに比べシェアが広く、全国的(沖縄等を除く)に見られ、かつ根強い。狐憑きは、精神薄弱者や暗示にかかりやすい女性たちの間に多く見られる発作性、ヒステリー性精神病と説明され、実際に自らキツネとなって、さまざまなことを口走ったり、動作をしたりするという話が、平安時代ごろから文献に述べられている。行者や神職などが、「松葉いぶし」や、キツネの恐れる犬に全身をなめさせるといった方法で、キツネを落とす呪術を行っていた。
狐憑きで有名なものは、長篠を中心に語り伝えられる「おとら狐」で、「長篠のおとら狐」とか「長篠の御城狐」などと呼ばれていた。おとら狐は、病人や、時には健康な人にも憑くことがあって、憑いた人の口を借りて長篠の戦いの物語を語る。櫓(やぐら)に上がって合戦を見物しているときに、流れ弾に当たって左目を失明し、その後左足を狙撃されたため、おとら狐にとり憑かれた人は、左の目から目やにを出して、左足の痛みを訴えるという。
狐憑きの一種に「狐持ち」という現象があり、狐持ちの家系の者はキツネの霊を駆使して人を呪うという迷信があった。「飯綱(いづな、イイズナ)使い」と呼ぶ地方もあり、管狐(くだぎつね)や、オサキ、人狐(ニンコ)を操ると信じられていた。これらの狐霊は、人に憑いて憎む相手を病気にしたり、呪いをかけたりすることができると信じられてきた。狐持ちの家系の者はこの迷信のため差別され、自由な結婚も認められなかった。現在でもなお、忌み嫌われている地方がある。
キツネにまつわる俗信には、日暮れに新しい草履(ぞうり)をはくとキツネに化かされるというものがあり、かなり広い地域で信じられていた。下駄はもちろん靴でも、新しい履き物は必ず朝におろさなければならないとされ、夕方、新品を履かねばならないときは、裏底に灰か墨を塗らねばならないといわれている。
キツネに化かされないためには、眉に唾をつけるとよいというが、これは、キツネに化かされるのは眉毛の数を読まれるからだと信じられていたためである。真偽の疑わしいものを「眉唾物(まゆつばもの)」というゆえんである。
また、得体の知れない燐光を「狐火」と呼び、「狐に化かされた」として、説明のつかない不思議な現象一般をキツネの仕業とすることも多かった。 しかし、化けるにしろ報復譚にしろ、キツネの話はどこかユーモラスで、悪なる存在というよりは、むしろトリックスター的な性格が強い。
近代の狐伝説
中には法話や俗信では説明のつかない、比較的新しい伝説や伝承も存在する。大阪府の松原市には、戦後しばらくの間まで人に混じって、化けた狐たちが生計を立てていたという伝承が残っている。彼らは人々と良好な交流関係を保っていただけでなく、姓と名を持ち、住民として住民票が交付されていた。
内山節の『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社現代新書 2007年)によれば、「1965年の精神革命」という心の変化があり、「キツネにだまされる能力」をなくしたという。高度成長、迷信・まやかしを否定する精神風土、ラジオ・テレビの普及、進学率の上昇、自然と共同体を包んでいた世界の消滅、自然と人の分離、原生林や天然林の消滅などで老キツネの消滅などがその理由としてあげられている。
キツネを主題とする作品
- 文学
狐物語:悪賢い狐ルナールを中心とする中世フランスの物語。今日ルナール(renard)がフランス語で「狐」を意味するのはこの物語に由来する。
ごん狐 (童話):新美南吉原作。「ごん」というきつねが主人公。間接的にも兵十の母を死なせた償いの意味を込めて彼に隠れながら栗をあげていたが、それまでのイタズラの報いによって兵十に射殺される。
手袋を買いに:新美南吉の作。手袋を買いにでた子ぎつねの話。一部の国語の教科書にも掲載された。
雪渡り:宮沢賢治の作。キツネの幻燈会に招待された子供たちの物語。古い偏見を払拭するために、キツネたちが子供を啓蒙しようとする。
土神と狐:宮沢賢治の作。樺の木と仲の良いプレイボーイの狐に嫉妬した土神の話。
イソップ寓話 (童話):「からすときつね」「すっぱい葡萄」はじめ、多くの話にキツネが登場する。
- 歌舞伎
葛の葉:有名な信太の森の葛の葉狐の伝説を歌舞伎にしたもの。
義経千本桜:四段目に、狐の化身である狐忠信が登場する。
- 落語
王子の狐:美女に化けた狐を男が逆に化かすという滑稽噺。
- 狂言
釣狐:狐の役は狂言ではもっとも難しいとされ、「狂言師は猿に始まり、狐に終わる」ともいわれる。
- オペラ
利口な女狐の物語:レオシュ・ヤナーチェクのオペラ。
- 映画
日照り雨:黒澤明監督『夢』の第一話。見てはならないという母の言葉を無視して少年は狐の嫁入りを覗いてしまう。家に帰ると母から自殺用の短刀を渡され、死ぬ気で狐に謝罪してこいと叱られる。自然を侮辱する者への警告が込められた作品。
キタキツネ物語:1978年に公開されたサンリオ映画。2013年には撮影素材を用いて再構成した『キタキツネ物語【35周年リニューアル版】』が上映された。
子ぎつねヘレン:北海道在住の獣医師で作家の竹田津実原作の小説『子ぎつねヘレンがのこしたもの』の映画化作品。2006年3月に劇場公開。河野圭太監督作品。配給は松竹。
- 絵本
おれたちともだち:内田麟太郎(作)、降矢なな(絵)の絵本。オオカミとキツネの間の友情を描く。- チロヌップのきつね:高橋宏幸作・絵。孤島で生まれたこぎつねが優しい老夫婦と、密猟者の二種類の人間に出会う。雪の降る中、ワナにかかったこぎつねを暖めるために母ぎつねは毛布になって死んでいく。戦争が激しくなったころの話。
- こんとあき:林明子作・絵。キツネのぬいぐるみのこんはあきちゃんが怖い思いをしたときは「だいじょうぶ、だいじょうぶ」といって勇気づけてくれる。犬に噛まれたこんを直すために、あきはこんを背負って走る。だいじょうぶ、だいじょうぶ…。こんの声はだんだん小さくなって聞こえなくなってしまう。
- きつねとぶどう:坪田譲治作、いもとようこ絵。自分を犠牲にして息子を守った母ぎつねの物語。
- きつねのきんた:かこさとし作、いもとようこ絵。人間に家を壊され、森を逃げ出したこぎつねの物語。ある屋敷に逃げ込んだきんたは毛皮になり果てたお母さんの姿を見てしまう。
- きつねのおきゃくさま:あまんきみこ作、二俣英五郎絵。やせっぽちのヒヨコ、アヒル、ウサギを太らせて食べようと、はらぺこキツネは家に招いて御馳走をふるまう。ヒヨコ、アヒル、ウサギから優しくて、親切で、神様みたいな友達と言われてキツネの心は変わっていく。最後は三匹を食べにきたオオカミと戦って追い払い、力尽きて死んでしまう。
- アニメーション
かいけつゾロリ (テレビアニメ):イタズラ道を極める旅をするキツネのゾロリはおっちょこちょいでいつも大騒動を起こす。でもガラクタからすごい発明品を作る才能がある。
きつねと猟犬/きつねと猟犬2:ディズニーアニメ。キツネのトッドと猟犬のコッパーの友情の物語。
- 歌謡
きつねのコンピューター (童謡):三浦徳子作詞、小杉保夫作曲、西内としおアニメ。乗りの良いメタボのキツネの歌。
小ぎつね (ドイツ民謡、文部省唱歌) :勝承夫作詞。原曲の翻訳:忠告するよきつねさん泥棒にはならないで、ガチョウ料理なんか必要ないでしょ、ねずみで我慢してよ。
秋ぎつね (童謡) 谷山浩子作詞・作曲。女の子に片想いして失恋したきつねの物語になっている。アルバム『しっぽのきもち』に収録。
The Fox ノルウェイのコメディアンイルヴィスによるコミックソング。誰もキツネの鳴き声を知らないとし、それをあてずっぽうに想像するという趣向。キツネの姿は天使の化身のごとくと唄われている[31][32]。
観光用のキツネ放し飼い施設
- 北きつね牧場
- キタキツネ 約100頭規模、『北の国から』スペシャルエディションのロケ地
- 北海道きつね村・トナカイ観光牧場
- オホーツク観光株式会社が経営している施設。
- フクロウとキタキツネの森
- フクロウのアトラクションも見られる、キタキツネの放し飼い施設。
- キツネやフクロウに関する小規模な学習コーナーもあり、専門書や写真集もおいている。
- くまがい北きつね牧場
- 木彫り職人が経営する個人経営のドライブイン。作者のサインが入った木彫りのキツネが直接買えたり、成獣のキツネ(季節によっては仔狐も)が抱っこできる店。 放し飼いの狐は1-2頭ほど。
宮城蔵王キツネ村- キタキツネ・銀ギツネ・十字ギツネ・ホッキョクギツネ・ブルーフォックス混合 約100頭規模、映画『子ぎつねヘレン』役のキツネの里
脚注
^ 三省堂編修所, ed. (2012), “キツネ”, 三省堂 生物小事典, 三省堂, ISBN 978-4-385-24006-0
^ 増井光子 (1974), “キツネ”, in 相賀徹夫, 万有百科大事典 20 動物, 小学館
^ ミステリアス“ウルフ” - 中村一恵(生命の星・地球博物館名誉館員)
^ Sillero-Zubiri, Claudio; et al., eds., Status Survey and Conservation Action Plan, Canids: Foxes, Wolves, Jackals and Dogs, IUCN/SSC Canid Specialist Group, http://www.carnivoreconservation.org/files/actionplans/canids.pdf
^ 今泉吉典「キツネ」[リンク切れ] - Yahoo!百科事典
^ 今泉吉晴 (2009), “キツネ”, in 下中直人, 世界大百科事典, 2009年改定新版, 平凡社
- ^ abLindblad-Toh, Kerstin; et al. (2005), “Genome sequence, comparative analysis and haplotype structure of the domestic dog”, Nature 438: 803–819, doi:10.1038/nature04338, http://www.nature.com/nature/journal/v438/n7069/full/nature04338.html
^ Austin, Jeremy J.; et al. (2013), “The origins of the enigmatic Falkland Islands wolf”, Nature Communications 4, doi:10.1038/ncomms2570, http://www.nature.com/ncomms/journal/v4/n3/full/ncomms2570.html
^ 洲本川水系河川整備基本方針(案) 概要 - 兵庫県
^ 佐渡島のテンの生息に関する研究 - 箕口秀夫(新潟大学農学部助教授)他 (2004)
- ^ ab宮城蔵王キツネ村公式ウェブサイト
- ^ abJournal of Mammalogy
^ Early Canid Domestication: The Fox Farm Experiment
^ 動物好きな研究者の夢 -- 40年の研究からペットギツネが誕生
^ 実験飼育場で遊ぶキツネ
^ 地球ドラマチック「不自然な“進化”〜今 動物に何が!?〜」
^ 特集:野生動物 ペットへの道
^ ロシア科学アカデミーシベリア支部 細胞学・遺伝学研究所の「キツネの家畜化研究」
^ 2010年8月29日放送シルシルミシルさんデー『キツネは本当に「コンコン」鳴くの?』
- ^ abcd『怪異・きつね百物語』pp.1,7,12 笹間良彦著
^ 『発掘された日本列島2009』p.27 文化庁
^ 『貝塚の獣骨の知識』pp.127–128 金子浩昌著
^ 『鳥浜貝塚』森川昌和
^ 食農教育 No.53 2007年3月号『ごんぎつねがいたころ』(東京農業大学客員教授)守山弘
- ^ ab『稲荷信仰』pp.15,143 (筑波大学客員教授・民族学者)直江広治著
- ^ ab『日本書紀(四)』岩波文庫 ISBN 4-00-300044-7
^ 上智大学紀尾井文学会 公式ブログ
^ 『「共生」のシンボル・狐』 岩井国臣公式HP【私の旅】
^ 『稲荷信仰』p.8 直江広治著
^ 岡田茂吉著『明日の医術 第三編』昭和18(1943)年発行
^ Ylvis - The Fox (What Does the Fox Say?) [Official music video HD]
^ Ylvis Q&A: What 'The Fox' (Viral Stars) Say About Their Surprise Hit
参考文献
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2013年5月) |
松村潔『日本人はなぜ狐を信仰するのか』講談社現代新書 講談社 ISBN 978-4-06-149829-7
関連項目
- キツネの入った言葉一覧
- オサキ
外部リンク
『芸術資料』第三期第八冊「狐、狸」金井紫雲編 (芸艸堂, 1941 - 狐に関するさまざまな芸術資料について