高橋和巳
高橋 和巳 (たかはし かずみ) | |
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河出書房出版社『文芸』第5巻第4号(1966)より | |
誕生 | 1931年8月31日 日本・大阪市浪速区 |
死没 | (1971-05-03) 1971年5月3日(39歳没) 日本・東京都新宿区河田町 |
墓地 | 冨士霊園 |
職業 | 小説家・中国文学者 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
教育 | 修士(文学) |
最終学歴 | 京都大学大学院中国文学科 |
活動期間 | 1962年 - 1971年 |
ジャンル | 小説・評論 |
代表作 | 『悲の器』 (1962年) 『邪宗門』(1965年) 『憂鬱なる党派』(1965年) 『わが解体』(1969年) |
主な受賞歴 | 文藝賞(1962年) |
デビュー作 | 『悲の器』(1962年) |
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高橋 和巳(たかはし かずみ、1931年8月31日 - 1971年5月3日)は、日本の小説家で中国文学者。妻は小説家の高橋たか子。中国文学者として、中国古典を現代人に語る事に努める傍ら、現代社会の様々な問題について発言し、全共闘世代の間で多くの読者を得た。左翼的な思想の持ち主ではあったが、三島由紀夫と交流するなどの人間的な幅の広さがあった。自然科学にも関心が深く、特に相対性理論に関する造詣が深かった。
目次
1 経歴
2 著書
3 共編著
4 対談
5 翻訳・注解
6 回想記・伝記
7 エピソード
8 脚注
経歴
- 1931年8月31日 大阪市浪速区で誕生。
1944年4月 大阪府立今宮中学(現・大阪府立今宮高等学校)入学。
1945年4月 母・慶子の郷里である香川県に疎開し、香川県立三豊中学(現・香川県立観音寺第一高等学校)に編入学。
1948年3月 大阪府立今宮中学卒業。旧制松江高校に入学。漢文の教師に駒田信二がいた[1]。
1949年7月 新制京都大学入学。在学中は、「京大文芸同人会(京大作家集団)」、「ARUKU」、「現代文学」などで活動する。学友に小松左京、大島渚がいた。
1954年3月 京都大学文学部中国語中国文学科卒業。吉川幸次郎に師事する[2]。- 1954年4月 大学院進学、専攻は魏晋南北朝文学。布施市立日新高校(現・東大阪市立日新高等学校)定時制講師に就任。
1959年3月 大学院博士課程単位取得満期退学。同時期同人誌「VIKING」で執筆。- 1959年4月 立命館大学講師就任。白川静や梅原猛と交流を持つ。
1966年4月 明治大学文学部助教授に就任。
1967年6月 京都大学文学部助教授に就任。妻・たか子は同行を拒否し鎌倉に残る。
1969年3月 大学闘争の最中、学生側を支持して京都大学文学部助教授を辞職する。
1971年5月3日 結腸癌のため東京女子医科大学病院で死去した。39歳没[3]。9日に青山斎場で告別式、葬儀委員長は埴谷雄高が務めた。戒名は大慧院和嶺雅到居士[4]。
著書
悲の器(1962年11月、第1回文藝賞)河出書房新社、のち新潮文庫- 文学の責任 河出書房新社 1963 のち講談社文芸文庫
散華(1963年)河出書房、1967 のち新潮文庫- 我が心は石にあらず(1964年12月 - 1966年6月連載)新潮社、1967 のち新潮文庫
邪宗門(1965年1月 - 1966年5月連載)河出書房新社 全2巻、1966 のち新潮文庫、角川文庫、講談社文庫、朝日文庫
憂鬱なる党派河出書房新社(1965年11月)のち新潮文庫- 孤立無援の思想 全エッセイ集 河出書房新社 1966 のち旺文社文庫
- 現代の青春 高橋和巳エッセイ集 旺文社文庫
- 新しき長城 河出書房 1967
- 捨子物語 河出書房 1968 のち新潮文庫
- 日本の悪霊(1966年1月 - 1968年10月連載)新潮文庫、1980
- わが解体(1969年6月 - 10月連載)河出書房新社、1971 のち河出文庫
黄昏の橋(1968年10月 - 未完)
高橋和巳作品集 全9巻 河出書房新社 1969-71- 孤立の憂愁の中で 筑摩書房 1969
- 堕落 河出書房新社 1969 のち新潮文庫、講談社文芸文庫
- 生涯にわたる阿修羅として 対話集 徳間書店 1970
- 暗黒への出発 徳間書店 1971
- 白く塗りたる墓 筑摩書房 1971
- 黄昏の橋 筑摩書房 1971 のち新潮文庫
- 人間にとって 新潮社 1971 のち新潮文庫
- 自立の思想 文和書房 1971
- 世界革命戦争への飛翔(1971年3月 共産主義者同盟赤軍派編、刊行)
高橋和巳全小説 全10巻 河出書房新社 1975
高橋和巳全集 全20巻 河出書房新社 1977-80- 高橋和巳コレクション 全11冊 河出文庫 1996-97
共編著
- 漢詩鑑賞入門 高木正一・武部利男共著 創元社 1962
- 文学のすすめ 筑摩書房 1968 (学問のすすめ)
- ふたたび人間を問う 安田武対談 雄渾社 1968
- 変革の思想を問う 小田実・真継伸彦共編 筑摩書房 1969
- 明日への葬列 60年代反権力闘争に斃れた10人の遺志 合同出版 1970
対談
- 『大いなる過渡期の論理―行動する作家の思弁と責任』(対:三島由紀夫)
- 1969年(昭和44年)、雑誌「潮」11月号に掲載されたもの。三島由紀夫対談集『尚武のこころ』(日本教文社、1970年)に所収。
翻訳・注解
- 中国詩人選集 第15巻 李商隠 岩波書店 1958
- 中国詩人選集二集 第13巻 王士禎 岩波書店 1962
- 世界の文学 第47 魯迅 中央公論社 1967 中公文庫 1973
回想記・伝記
- 高橋たか子 『高橋和巳の思い出』 構想社
- 高橋たか子 『高橋和巳という人 二十五年の後に』 河出書房新社。
川西政明 『評伝高橋和巳』 講談社文芸文庫(新版) - 著者は河出での担当編集者で『高橋和巳全集 第20巻』(391~454頁) の年譜・書誌を編んでいる。- 『高橋和巳 世界とたたかった文学』 河出書房新社、2017年。作家論集
エピソード
森田童子の「孤立無援の唄」に「机の上の高橋和己(ママ)はおこった顔してさかさに見える」というくだりがある。
脚注
^ 駒田信二『遠景と近景』(勁草書房)P.182
^ 駒田信二『遠景と近景』(勁草書房)P.182
^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)183頁
^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)126頁