河西郡








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北海道河西郡の位置(1.芽室町 2.中札内村 3.更別村 黄:明治期 薄緑:後に他郡から編入した区域 薄黄:後に他郡に編入された区域)


河西郡(かさいぐん)は、北海道(十勝国)十勝総合振興局の郡。


人口25,791人、面積983.24km²、人口密度26.2人/km²。(2018年9月30日、住民基本台帳人口)


以下の1町2村を含む。




  • 芽室町(めむろちょう)


  • 中札内村(なかさつないむら)


  • 更別村(さらべつむら)




目次






  • 1 郡域


  • 2 歴史


    • 2.1 郡発足までの沿革


    • 2.2 郡発足以降の沿革




  • 3 脚注


  • 4 参考文献


  • 5 関連項目





郡域


1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね上記1町2村から芽室町の一部(上芽室の一部および概ね十勝川以北)、中札内村の一部(元更別・上札内・南札内の各一部)、更別村の一部(上更別・更南・勢雄および更別・弘和の一部)を除き、帯広市の大部分(桜木町・以平町および泉町の一部を除く)、上川郡清水町の一部(羽帯・旭山および御影の一部)を加えた区域にあたる。



歴史



郡発足までの沿革


江戸時代の河西郡域は、松前藩によって開かれたトカチ場所に含まれた。今から二百年ほど前に十勝に侵入した北見アイヌ(一説によると日高アイヌ)と十勝アイヌの戦いがチョマトー(河西郡域、現帯広市)で行われたという伝説がある。


江戸時代後期、河西郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年河西郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこない、同6年の6藩分領以降は仙台藩領であった。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して河西郡が置かれた。



郡発足以降の沿革




北海道一・二級町村制施行時の河西郡の町村(8.帯広町 9.伏古村 10.芽室村 11.上帯広村 12.売買村 13.幸震村 紫:帯広市 赤:芽室町 左黄:上川郡清水町 青:合併を経ていない町村および合併を経ていない町村 水色:分立して現存する町村 22.中札内村 23.更別村)




  • 明治2年


    • 8月15日(1869年9月20日) - 北海道で国郡里制が施行され、十勝国および河西郡が設置される。開拓使が管轄。


    • 8月28日(1869年10月3日) - 鹿児島藩の領地となる(北海道の分領支配)。

    • 10月 - 再び開拓使の管轄となる。



  • 明治3年1月9日(1870年2月9日) - 徳川茂徳(一橋徳川家)の領地となる(同上)。

  • 明治4年8月20日(1871年10月4日) - 廃藩置県により再び開拓使の管轄となる。

  • 明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての河西郡が発足。

  • 明治13年(1880年)3月 - 浦河郡外十郡役所(浦河三石様似幌泉広尾当縁十勝中川郡河西河東上川役所)の管轄となる。

  • 明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により札幌県の管轄となる。

  • 明治19年(1886年)1月26日 - 廃県置庁により北海道庁札幌本庁の管轄となる。

  • 明治20年(1888年)6月 - 釧路郡外十一郡役所(釧路阿寒白糠足寄川上広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所)の管轄となる。

  • 明治22年(1890年)1月 - 釧路郡外十郡役所(釧路阿寒白糠足寄広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所)の管轄となる。

  • 明治24年(1892年)3月 - 釧路郡外十二郡役所(釧路阿寒白糠足寄広尾当縁十勝中川河西河東上川厚岸川上郡役所)の管轄となる。

  • 明治30年(1897年)

    • 7月 - 河西郡外五郡役所(河西河東上川中川十勝当縁広尾郡役所)の管轄となる。


    • 11月5日 - 郡役所が廃止され、河西支庁の管轄となる。



  • 明治35年(1902年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町4村)


    • 帯広町(二級町) ← 下帯広村、荊苞村(現・帯広市)


    • 上帯広村(二級村、単独村制、現・帯広市)


    • 伏古村(二級村、単独村制、現・帯広市、芽室町)


    • 幸震村(二級村、単独村制、現・帯広市、中札内村、更別村)


    • 売買村(二級村) ← 迫別村、戸蔦村、鵺抜村(現・帯広市、中札内村)



  • 明治39年(1906年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、芽室村、美生村、羽帯村および河東郡美蔓村、西士狩村の区域をもって芽室村が発足。(1町5村)


  • 大正4年(1915年)4月1日(1町2村)

    • 帯広町が北海道一級町村制を施行[1]

    • 上帯広村・幸震村・売買村が合併して大正村(二級村)が発足。

    • 伏古村の一部が帯広町、残部が芽室村にそれぞれ編入。



  • 大正6年(1917年) - 人口:28,118名。マラリア患者:35名。

  • 大正8年(1919年)4月1日 - 芽室村が北海道一級町村制を施行。

  • 大正9年(1920年)9月 - 芽室村の一部(大字美蔓村の一部)が上川郡人舞村に編入。

  • 大正10年(1921年)4月1日 - 芽室村の一部(大字羽帯村および芽室村の一部)が分立して御影村(二級村)が発足。(1町3村)

  • 大正13年(1924年)2月1日 - 大正村の一部(大字上帯広村および売買村の一部)が分立して川西村(二級村)が発足。(1町4村)

  • 大正15年(1926年)4月1日 - 大正村が中川郡幕別村の一部(大字幕別村・別奴村の各一部)を編入。


  • 昭和7年(1932年)8月15日 - 河西支庁が改称して十勝支庁となる。

  • 昭和8年(1933年)4月1日 - 帯広町が市制施行して帯広市となり、郡より離脱。(4村)

  • 昭和13年(1938年)4月1日 - 川西村が北海道一級町村制を施行。

  • 昭和14年(1939年)4月1日 - 大正村が北海道一級町村制を施行。

  • 昭和17年(1942年)5月1日 - 芽室村が町制施行して芽室町(一級町)となる。(1町3村)

  • 昭和18年(1943年)6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。二級町村は指定町村となる。

  • 昭和21年(1946年)10月5日 - 指定町村を廃止。

  • 昭和22年(1947年)


    • 5月3日 - 地方自治法の施行により北海道十勝支庁の管轄となる。


    • 9月1日(1町5村)

      • 大正村の一部(大字幸震村・売買村・幕別村の各一部)が分立して中札内村が発足。

      • 大正村の一部(大字幸震村・幕別村・別奴村の各一部)が分立して更別村が発足。





  • 昭和23年(1948年)4月1日 - 中川郡幕別町の一部(勢雄および弘和の一部)が更別村に編入。

  • 昭和31年(1956年)9月30日 - 御影村が上川郡清水町に編入。(1町4村)

  • 昭和32年(1957年)4月1日 - 川西村・大正村が帯広市に編入。(1町2村)

  • 昭和33年(1958年)4月1日 - 芽室町が上川郡清水町の一部(上芽室のうち100戸653人)を編入。


  • 平成22年(2010年)4月1日 - 十勝支庁が廃止され、十勝総合振興局の管轄となる。

  • 平成23年(2011年)6月1日 - 更別村が中川郡幕別町の一部(忠類の一部)を編入。



脚注





  1. ^ 帯広市『帯広市史 平成15年編』帯広市、2003年、205頁。




参考文献




  • 角川日本地名大辞典 1 北海道

  • 内務省衛生局保健衛生調査室編『各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況』1919年(大正8年)発行(2008年1月21日現在、国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で閲覧可能)



関連項目



  • 松前藩

  • 箱館奉行

  • 商場(場所)知行制

  • 場所請負制

  • 北海道の分領支配


  • 加西郡 - 兵庫県(播磨国)にあった同音の郡。







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