レット・イット・ビー
『レット・イット・ビー Let It Be』 | |||||
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ザ・ビートルズ の サウンドトラック | |||||
リリース | イギリス:1970年5月8日 アメリカ合衆国:1970年5月18日 日本:1970年6月5日 | ||||
録音 | 1968年2月4日、8日 アビー・ロード・スタジオ("Across the Universe") 1969年1月2日 - 16日 トゥイッケナム映画撮影所(Lennon's spaech "Queen says 'No' pot-smoking FBI members.") 1969年1月22日 - 31日 アップル・スタジオ(Savile Row)およびその屋上 1969年4月30日 アビー・ロード・スタジオ(Overdub for "Let It Be") 1970年1月3日 - 4日 アビー・ロード・スタジオ("I Me Mine" and overdub for "Let It Be") 1970年1月8日 アビー・ロード・スタジオ(Vocal and guitar part of "For You Blue") 1970年3月23日 - 4月1日 アビー・ロード・スタジオ(Reproduced by Phil Spector) | ||||
ジャンル | ロック[1] ブルース[2] R&B[2] | ||||
時間 | 35分 13秒 | ||||
レーベル | Apple, Parlophone, EMI | ||||
プロデュース | ジョージ・マーティン,グリン・ジョンズ, フィル・スペクター | ||||
専門評論家によるレビュー | |||||
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チャート最高順位 | |||||
ケント・ミュージック・レポート、 ミュージック・ウィーク) | |||||
ビートルズ U.K. 年表 | |||||
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ビートルズ U.S. 年表 | |||||
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ビートルズ 日本 年表 | |||||
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『レット・イット・ビー』("Let It Be")は、イギリスにおいて1970年5月8日に発売されたビートルズの13作目[注釈 1]にして同バンドが活動中に最後に発表されたオリジナル・アルバムである。また、同名映画のサウンドトラックである。
目次
1 解説
1.1 映画とアルバム"Get Back"
1.2 フィル・スペクターとアルバム『レット・イット・ビー』
1.3 チャート
2 収録曲
3 各国での販売形態
4 脚注
4.1 注釈
4.2 出典
5 関連文献
6 関連項目
7 外部リンク
解説
本作は映画『レット・イット・ビー』のサウンドトラック・アルバムとされる。しかし実際に映画に使われたものと同じテイクを収録したケースは多くなく「トゥ・オブ・アス」[注釈 2]、「ディグ・ア・ポニー」[注釈 3]、「ディグ・イット」[注釈 4]、「アイヴ・ガッタ・フィーリング」[注釈 5]、「ワン・アフター・909」の5曲と、全12曲中半数にも満たない。
本作はアルバム『アビイ・ロード』が制作される前に行われた、いわゆる「ゲット・バック・セッション」のレコーディングを基にして制作がなされている。そうしたいきさつから、「ゲット・バック・セッション」の後にレコーディングされた『アビイ・ロード』がラスト・アルバムという見方[注釈 6]がなされていた。しかし1990年代に入りビートルズのレコーディング記録の詳細が公にされたこと[注釈 7]によって、1970年1月にも「ゲット・バック・セッション」は続けられ[3]、なおかつ3月23日~4月2日にフィル・スペクターによって再制作されたこと[4]が判明。本作が名実共にビートルズのラスト・アルバムであることが明らかになった。
ビートルズのオリジナル・アルバムでは、『ハード・デイズ・ナイト』以来2作目となるリンゴ・スターがリード・ヴォーカルをとった楽曲がない作品[注釈 8]。
なお前作『アビイ・ロード』に続いて、本作もステレオ盤のみで制作された。
映画とアルバム"Get Back"
1969年1月、ビートルズは原点に返って過剰なオーヴァー・ダビングを排したアルバムを制作するというコンセプトの下、16mmフィルムで映画撮影しながらレコーディングするというプロジェクトに取り組んだ。手始めに1月2日から1月16日にかけてトゥイッケナム映画撮影所において映画撮影およびリハーサルを行い[5]、その後1月22日から1月31日にかけてはアップル・コア本社ビル(及びその屋上)において映画撮影およびレコーディングを行った(「ゲット・バック・セッション」)。アルバムのプロデューサーはデビューから前作『イエロー・サブマリン』まで一貫してジョージ・マーティンが務めたが、発売されなかったアルバムである"Get Back"のプロデュースに関してはポール・マッカートニーの推挙によりエンジニアのグリン・ジョンズが担当した[注釈 9]。
しかし、ビートルズはアップル・コア本社ビルにおけるセッションにおいても、トゥイッケナム映画撮影所でのリハーサルと同様に真面目にレコーディングすることは少なかった。彼らはリハーサルに興じたり私語を交わしたりスタンダード・ナンバーを採り上げたり即興演奏をするなどしており、「ゲット・バック・セッション」の音源をカタログ化することはビートルズ解散後においても不可能であるとされている[6]。その中で1月30日、31日には2年5ヶ月ぶりのライヴ・パフォーマンスも行った(ルーフトップ・コンサートおよびスタジオ・ライヴ)[7]。撮影されたセッションは後に映画「レット・イット・ビー」として劇場公開されている。なお、アップルでのセッションにはキーボーディストのビリー・プレストンが参加している。
4月11日に先行シングル盤「ゲット・バック」(1969年1月28日録音[注釈 10])がリリースされたものの、「ゲット・バック・セッション」をアルバムにまとめる作業は難航した。5月28日、難航した作業のなかグリン・ジョンズによってアルバムは作成され"Get Back"のタイトルで完成され、テスト盤まで作成され関係者内に流布した。しかし"Get Back"はそれまでのビートルズのアルバムと比較し不出来なアルバムであったためリリースは延期されることとなった。2月以降もビートルズは断続的にレコーディングを続けるが「ゲット・バック・セッション」への熱意は冷め、徐々に次作のアルバム録音へと移行しはじめる。7月1日には新アルバムのレコーディングが本格的に始められ、同アルバムは8月25日に完成し、アルバムは『アビイ・ロード』と題され9月26日にリリースされることになった。
しかし契約上さらなるアルバムの発売義務があったこと、および録画されたフィルムのサウンドトラック・アルバムのリリースが必要であったため「ゲット・バック・セッション」をアルバム化すべく、翌1970年1月3日から8日までジョン・レノン不在のまま追加レコーディングが続けられ、セッションなかばの1月5日にはグリン・ジョンズによって再度アルバムが編集された(第2ヴァージョン)[8]。しかし、第2ヴァージョン"Get Back"も不出来であることからリリースは見送られ、ビートルズは自身によるアルバムの完成を放棄する(結局のところ「ゲット・バック・セッション」は1970年1月8日を以てレコーディングは頓挫し、編集作業も1970年2月28日の「フォー・ユー・ブルー」のミキシングを最後に中断された[9])。1970年1月8日を最後にビートルズはグループとしての音楽活動を止め(後述の通り、最終レコーディングはそのあと1度だけ1970年4月1日のオーケストラおよびコーラスのオーヴァー・ダビングのセッションに際しリンゴ・スターのみドラムスで参加している)、それぞれソロ活動に重点を置くようになる。
フィル・スペクターとアルバム『レット・イット・ビー』
プラスティック・オノ・バンドの3枚目のシングル曲のレコーディングに際し、ジョージ・ハリスンはプロデューサーとしてジョン・レノンにアメリカ人プロデューサーのフィル・スペクターを推挙、ジョージ・ハリスンの推挙に応じたジョン・レノンはフィル・スペクターのプロデュースのもと1月27日に新曲「インスタント・カーマ」をレコーディングする(その際、ジョージ・ハリスンもギター奏者として参加)[9]。フィル・スペクターの仕事に満足したジョン・レノンとジョージ・ハリスンは1970年3月23日、頓挫した「ゲット・バック・セッション」のテープをフィル・スペクターに託すことにした[10]。
フィル・スペクターは、音源にオーケストラやコーラスなどのオーヴァー・ダビングを施し、本来のコンセプトとはまったく違った形でアルバムを完成させた[注釈 11]。前述の通り1970年4月1日に行われたオーケストラおよびコーラスのレコーディング・セッションにリンゴ・スターがドラムスで参加しているが、再プロデュースに際してのフィル・スペクターの仕事ぶりは非常に独善的であり「スペクターは考えもなしに『こういう音にしろ!』『ああいう音にしろ!』『こうでなくちゃダメだ!』って駄々っ子みたいにわめくばかりさ。リンゴが見かねて彼を脇へ連れていき、『そんなの無理だよ。みんな精一杯やってるんだ。少しは冷静になってくれ』と言ってた」[11]というエピソードが残っている。
ビートルズがオーケストラを起用する際にはプロデューサーのジョージ・マーティンがオーケストレイションを行うことを常としていたが、フィル・スペクターによる再プロデュースに際してはリチャード・ヒューソンをアレンジャーに起用した[注釈 12]。ただし、「レット・イット・ビー」にオーヴァー・ダビングされたブラス・アンサンブルはフィル・スペクターによる再プロデュース前の1970年1月4日にレコーディングされたもので、ジョージ・マーティンによるアレンジである[13]。
ジョン・レノンとジョージ・ハリスンは、頓挫した「ゲット・バック・セッション」の音源を短期間のうちにアルバムとしてまとめあげたフィル・スペクターの仕事を高く評価し、それぞれのソロ作品で彼をプロデューサーとして起用している。しかしポール・マッカートニーは「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」に加えられたオーケストラ・アレンジ[注釈 13] に強い不満を持つなど、フィル・スペクターの仕事を評価しなかった。ポール・マッカートニーはアルバム発売の中止を求めて訴訟を検討したが、アルバムリリース契約が1枚残っていたため、不本意ながらも発売を認めざるを得なかった。
ジョージ・マーティンはフィル・スペクターの再制作したアルバム『レット・イット・ビー』を聴いてショックを受け驚きあきれたという[14]。またジョージ・マーティンは「『レット・イット・ビー』はいい曲も入っているが、失敗作だった。我々がやろうとしていたこととは全く違う形でアルバムにされてしまった不幸な作品だ」と語った[15][16]。
なお2003年11月にフィル・スペクターの施したオーヴァー・ダビングを取り除き、本来の演奏にデジタル・テクノロジーによる修正を施したものが『レット・イット・ビー...ネイキッド』として発売された。
チャート
イギリスの「ミュージック・ウィーク」誌では3週連続1位を獲得。アメリカの「ビルボード」誌では4週連続1位を獲得し、1970年度年間ランキング31位だった。「キャッシュボックス」誌では6週連続1位、1970年度年間ランキング14位。アメリカだけで400万枚以上のセールスを記録し、全世界では1,000万枚以上のセールスを記録している。
『ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500』に於いて、392位にランクイン[17]。
収録曲
全作詞・作曲: レノン=マッカートニー(特記を除く)。 | |||||
# | タイトル | 作詞 | 作曲・編曲 | リード・ボーカル | 時間 |
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1. | 「トゥ・オブ・アス Two of Us」 | レノン=マッカートニー(特記を除く) | レノン=マッカートニー(特記を除く) | ポール・マッカートニー ジョン・レノン | 3:36 |
2. | 「ディグ・ア・ポニー Dig a Pony」 | レノン=マッカートニー(特記を除く) | レノン=マッカートニー(特記を除く) | ジョン・レノン ポール・マッカートニー | 3:54 |
3. | 「アクロス・ザ・ユニバース Across the Universe」 | レノン=マッカートニー(特記を除く) | レノン=マッカートニー(特記を除く) | ジョン・レノン | 3:48 |
4. | 「アイ・ミー・マイン I Me Mine」(ジョージ・ハリスン) | レノン=マッカートニー(特記を除く) | レノン=マッカートニー(特記を除く) | ジョージ・ハリスン | 2:26 |
5. | 「ディグ・イット Dig It」(レノン=マッカートニー=ハリスン=スターキー) | レノン=マッカートニー(特記を除く) | レノン=マッカートニー(特記を除く) | ジョン・レノン | 0:50 |
6. | 「レット・イット・ビー Let It Be」 | レノン=マッカートニー(特記を除く) | レノン=マッカートニー(特記を除く) | ポール・マッカートニー | 4:03 |
7. | 「マギー・メイ Maggie Mae」(民謡(編曲:レノン=マッカートニー=ハリスン=スターキー)) | レノン=マッカートニー(特記を除く) | レノン=マッカートニー(特記を除く) | ジョン・レノン ポール・マッカートニー | 0:40 |
合計時間: | 19:17 |
全作詞・作曲: レノン=マッカートニー(特記を除く)。 | |||||
# | タイトル | 作詞 | 作曲・編曲 | リード・ボーカル | 時間 |
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1. | 「アイヴ・ガッタ・フィーリング I've Got a Feeling」 | レノン=マッカートニー(特記を除く) | レノン=マッカートニー(特記を除く) | ポール・マッカートニー ジョン・レノン | 3:37 |
2. | 「ワン・アフター・909 One After 909」 | レノン=マッカートニー(特記を除く) | レノン=マッカートニー(特記を除く) | ジョン・レノン ポール・マッカートニー | 2:54 |
3. | 「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード The Long and Winding Road」 | レノン=マッカートニー(特記を除く) | レノン=マッカートニー(特記を除く) | ポール・マッカートニー | 3:38 |
4. | 「フォー・ユー・ブルー For You Blue」(ジョージ・ハリスン) | レノン=マッカートニー(特記を除く) | レノン=マッカートニー(特記を除く) | ジョージ・ハリスン | 2:32 |
5. | 「ゲット・バック Get Back」 | レノン=マッカートニー(特記を除く) | レノン=マッカートニー(特記を除く) | ポール・マッカートニー | 3:09 |
合計時間: | 15:50 |
各国での販売形態
国 | 発売日 | レーベル | 販売形態 | カタログ番号 |
イギリス | 1970年5月8日 | Apple Records | LP box set | PXS 1 |
アメリカ | 1970年5月18日 | Apple, Capitol Records | LP | AR 34001 |
日本 | 1970年6月5日 | 東芝音楽工業 (東芝EMI→現:EMIミュージック・ジャパン) | LP box set | AP 9009 |
イギリス | 1970年11月9日 | Apple Records | LP | PCS 7096 |
日本 | 1971年2月25日 | 東芝EMI | LP | AP 80189 |
Worldwide reissue | 1987年10月10日 | Apple, Parlophone, EMI | CD | CDP 7 46447 2 |
日本 | 1987年10月19日 | 東芝EMI | CD | CP32-5333 |
日本 | 2004年1月21日 | 東芝EMI | Remastered LP | TOJP 60143 |
- イギリスおよび日本盤初版は「THE BEATLES GET BACK」と題する写真集が付加された。LPは通常のシングル・カバー仕様だったが写真集が付加してないアメリカ盤は抜粋された写真がゲートフォールド・カバーの内側に掲載。日本再版はアメリカ盤と同仕様。
脚注
注釈
^ 1987年のCD化においてイギリス盤公式オリジナル・アルバムと同等の扱いを受けたアメリカ・キャピトルレコード編集アルバムの『マジカル・ミステリー・ツアー』が、2009年9月9日にリリースされたデジタルリマスター盤において発売日順に従い9作目に順番付けられたため、現在は13作目とされているが、イギリス盤公式オリジナル・アルバムとしては12作目である。
^ ただし、映画のものとエンディングが異なる。
^ ただし、映画のものから出だしとエンディングが一部トリミングされている。
^ ただし、映画のものよりも極端に縮めてある。
^ ただし、映画のものでは、街の人々のインタヴューが入る。
^ たとえば論拠としてアルバム『レット・イット・ビー』(東芝EMI / EAS-80561)の解説(筆者:吉成伸幸)に「『レット・イット・ビー』は、ビートルズのアルバムとしては最後に発表されたものである。(中略)しかしながらレコーディングの時期を考えてみれば実質上のラスト・アルバムと呼ぶにふさわしくない事がわかる。この『レット・イット・ビー』の録音は1969年1月、そして『アビイ・ロード』は1969年7月に録音している事からもが、ビートルズの音楽的な歴史に終止符を打ったのが、『アビイ・ロード』である事に気がつくだろう」と記されている。
^ マーク・ルーイスン著「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ」(1990年 シンコーミュージック・エンタテイメント)において、ビートルズの全レコーディング・スケジュールが明らかとなった。
^ ただし、オリジナル・アルバムではないが、準オリジナルと見なされるアルバム『マジカル・ミステリー・ツアー』にもリンゴ・スターのヴォーカル曲は含まれない。
^ ただし、「ゲット・バック・セッション」のレコーディングに関してはジョージ・マーティンが参加した日もあった
^ 「ゲット・バック」および同じ日の録音の「ドント・レット・ミー・ダウン」の2曲は「ゲット・バック・セッション」においては1月30日の「ルーフトップ・コンサート」および翌日のスタジオ・ライヴ以外でビートルズが真面目に取り組んだセッションである。
^ ただし、1969年4月30日に「レット・イット・ビー」へのオーヴァー・ダビングを行っており、1969年1月時点での「一切オーヴァー・ダビングを行わない」というオリジナル・コンセプトは4月30日の時点でビートルズ自身が破棄している。
^ ポール・マッカートニーはアルバム『ラム』のオーケストラによるカヴァー・アルバム『スリリントン』で、リチャード・ヒューソンをアレンジャーに起用している[12]。
^ ライヴで「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」を演奏する際は、必ず本来のアコースティック・ヴァージョンで披露する。また、ある授賞式で「早く家に帰らないとフィルにオーケストラをオーヴァー・ダブされちゃう」という強烈な皮肉を残して帰ったこともある。
出典
^ Unterberger, Richie. “Review: Let It Be”. Allmusic. 2018年11月17日閲覧。
- ^ abClassic Rock Magazine, September 2014, "Let It Be saw the band return to their R&B and blues roots"
^ マーク・ルーイスン著「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」(2009年 シンコーミュージック・エンタテイメント)316~319頁。
^ マーク・ルーイスン著「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」(2009年 シンコーミュージック・エンタテイメント)320~324頁。
^ マーク・ルーイスン著「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」(2009年 シンコーミュージック・エンタテイメント)267頁。
^ マーク・ルーイスン著「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」(2009年 シンコーミュージック・エンタテイメント)266~277頁。特に269頁。
^ マーク・ルーイスン著「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」(2009年 シンコーミュージック・エンタテイメント)274~276頁。
^ マーク・ルーイスン著「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」(2009年 シンコーミュージック・エンタテイメント)317~318頁。
- ^ abマーク・ルーイスン著「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」(2009年 シンコーミュージック・エンタテイメント)319頁。
^ マーク・ルーイスン著「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」(2009年 シンコーミュージック・エンタテイメント)319~321頁。
^ マーク・ルーイスン著「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」(2009年 シンコーミュージック・エンタテイメント)323頁。
^ マーク・ルーイスン著「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」(2009年 シンコーミュージック・エンタテイメント)322頁。
^ マーク・ルーイスン著「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」(2009年 シンコーミュージック・エンタテイメント)316~317頁。
^ マーク・ルーイスン著「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」(2009年 シンコーミュージック・エンタテイメント)324頁。
^ 「ザ・ビートルズ・アンソロジー」第8巻
^ バリー・マイルズ著「メニー・イヤーズ・フロム・ナウ」767頁~
^ 500 Greatest Albums of All Time: The Beatles, 'Let It Be' | Rolling Stone
関連文献
- 『バンドスコア ビートルズ / レット・イット・ビー』(シンコーミュージック、2002年10月17日)ISBN 978-4401361519
関連項目
- レット・イット・ビー (映画)
- ゲット・バック・セッション
- ルーフトップ・コンサート
- ビリー・プレストン
- ザ・ビートルズ・アンソロジー3
- レット・イット・ビー...ネイキッド
ライバッハ - アルバムから、タイトル曲『レット・イット・ビー』を除いてアレンジした作品を製作している。原曲の面影はほとんど無くなっている。
外部リンク
EMIミュージック・ジャパン公式サイト内の紹介 (日本語)
- Album Lyrics
- The Lost Beatle Tapes / The Making of Let It Be
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