李美子
李美子 イ・ミジャ | |
---|---|
生誕 | (1941-10-30) 1941年10月30日(77歳) |
出身地 | 京城漢南洞 |
ジャンル | 大衆歌謡、トロット |
職業 | 歌手 |
李美子(イ・ミジャ、이미자、1941年10月30日 - )は、大韓民国の女性歌手[1]。「トロットの女王」や「エレジーの女王」、「韓国の美空ひばり」の異名を持ち、韓国大衆歌謡を代表する人物である[2][3]。娘は歌手のチェウニ。本貫は全州李氏。カトリック信者[4]。
略歴
貧しい家庭に生まれ、祖母に育てられる[4]。
1957年、KBSののど自慢番組「歌の花束」に出場して1位を獲得する[4]。
公民学校卒業後、デパート勤務を経て[1]、1959年に「十九の純情(열아홉 순정)」で地球レコードから歌手デビューする[2]。
1964年、「椿娘」の大ヒットで一躍スターダムに躍り出た。同曲は韓国歌謡史上初の100万枚セールスを記録した(同年の国内レコード売上全体の7割を占めた)。1966年7月からビクターレコード専属[5]として日本で活動を行った際に名前の読みを「り・よしこ」としたことや、日本語で歌ったことが問題となる。1967年、同曲は曲調が日本風(倭色)だという理由で、放送倫理委員会により放送禁止曲に指定された[6]。(1987年9月、同様に放送禁止となった曲とともに解禁された[7]。)
1995年、花冠文化勲章。1999年、宝冠文化勲章[1]。
脚注
- ^ abc『李 美子』 - コトバンク
- ^ ab[K스타] 이미자, KBS ‘전국노래자랑’ 출연해 재능기부
KBSニュース- 2017年9月16日
^ チェウニ、母を本格カバー「誇りに思う」“韓国のひばり”李美子スポーツニッポン 2015年11月10日
- ^ abc連合アーカイブ
^ 京郷新聞 1966年7月6日号
^ 「それでも“歌”は海峡を越えた―激動の日韓文化交流史」林夏生
^ 東亜日報 1987年9月5日号