新日鐵住金君津製鐵所
日本製鉄君津製鐵所(にっぽんせいてつきみつせいてつしょ)は、千葉県君津市と東京都板橋区にある日本製鉄の銑鋼一貫製鉄所である。君津地区と東京地区に分かれている。
目次
1 概要
1.1 生産品
2 設立までの背景
2.1 コンピューターの大々的な利用
3 沿革
4 所内報「きみつ」
5 アクセス
5.1 君津地区
5.2 東京地区
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
概要
木更津港に面する千葉県君津市君津1番地に君津地区、東京都板橋区舟渡4丁目3番1号に東京地区がある。君津地区の敷地面積は約1173万m2(東京ドーム約220個分)で、工場の大半は君津市内にあるが、一部が隣の木更津市に及んでいる。従業員数は約2600人。
高炉を3基有し、2006年度の年間粗鋼生産量は1,002万6,000トンで日本国内第2位であった。
生産品
新日鐵住金の主力製品5種のすべてを製造している。
薄板
熱間圧延鋼板・冷間圧延鋼板・電気亜鉛めっき鋼板・溶融亜鉛めっき鋼板・電気製品用塗装鋼板など
厚板
高張力鋼板・耐火鋼板・耐熱鋼板・耐候性鋼板・耐サワー性鋼板など
- 線材
形鋼
H形鋼・I形鋼・鋼矢板など
鋼管
UOE鋼管・スパイラル鋼管・鍛接鋼管・電縫鋼管など
石炭コークス・硫安
設立までの背景
当時の八幡製鐵では、当初三重県四日市市に製鉄所を建設する方向で調整を進め、既に臨海部の埋め立て工事も進められていた。しかし、1959年に同社内に市場調査部が設置され、厚板の長期需要予測を取りまとめたところ、厚板の需要がそれまでの予想を大幅に上回り、四日市で想定していた規模の製鉄所では需要を賄えないことに加え、需要の大半が京浜工業地帯に集中していることが判明した(阪神工業地帯も需要が大幅に増えると想定されたが、そちらには既に堺製鐵所の建設が進められていた)。また一方で、四日市の埋め立て予定地の地盤が予想よりも悪く、当初計画通りの埋立地が確保できない可能性も浮上した。
これらの要因を受けて、同社では需要地の近隣に大規模な製鉄所を設けるべきとの判断から四日市の製鉄所建設計画を放棄し、急遽東京湾岸で製鉄所の建設候補地を探すことになり、検討の結果君津沖が選ばれたという[1]。なお、この時既に埋め立て工事が進められていた四日市市の水面は、後に四日市工業地帯に転用されている。
コンピューターの大々的な利用
計画時それまで事務処理や科学計算に使われてきた大型コンピューターが現場にも使われ得る時期になり、工場の各現場で書類による作業指示・実績把握の代わりに、オンラインでリアルタイムに行う方式が人員の削減、市場の要求にダイナミックに対応できるように計画され、君津オンライン・コントロール・システム(KOCS)として実施された。[2] こうした方式は米国ホームステッド製鉄所(モンバレー製鉄所のひとつ)でもある程度実施されていたが[3]一貫製鉄所では初め試みで、その後1970年代に新設された他社の製鉄所、加古川製鉄所(神戸製鋼所)、鹿島製鉄所(住友金属工業)、京浜製鉄所・扇島(日本鋼管)[4]などでも行われた。
沿革
1960年(昭和35年)1月 - 木更津・君津地区の立地調査実施。- 1960年(昭和35年)11月 - 君津町(当時)への進出を正式発表。
1961年(昭和36年)8月 - 君津漁協との間の補償協定に調印。
1962年(昭和37年)1月 - 第一期埋立工事開始。
1965年(昭和40年)2月 - 八幡製鐵君津製鐵所として発足。- 1965年(昭和40年)4月 - 冷延工場のみで操業開始。
1968年(昭和43年)11月 - 第1高炉竣工、火入れ。銑鋼一貫体制が確立。
1969年(昭和44年)10月 - 第2高炉竣工、火入れ。
1970年(昭和45年)3月31日 - 新日本製鐵発足に伴い、同社の君津製鐵所となる。
1971年(昭和46年)9月 - 第3高炉竣工、火入れ。
1975年(昭和50年)10月 - 第2高炉吹き止め。第4高炉竣工、火入れ。
1976年(昭和51年)2月 - 第1高炉吹き止め。
1982年(昭和57年)2月 - 第3高炉吹き止め。第2高炉第二次操業開始、火入れ。
1986年(昭和61年)4月17日 - 第3高炉第二次操業開始、火入れ。
1988年(昭和63年)7月4日 - 第4高炉第二次操業開始、火入れ。
1994年(平成6年)11月7日 - 第2高炉第三次操業開始、火入れ。
1995年(平成7年)9月 - 天皇陛下御来訪。
2001年(平成13年)1月19日 - 第3高炉吹き止め。- 2001年(平成13年)5月19日 - 第3高炉第三次操業開始、火入れ。
2003年(平成15年)2月9日 - 第4高炉吹き止め。
2003年(平成15年)5月8日 - 第4高炉三次操業開始、火入れ。
2007年(平成19年)7月1日 - 新日鐵化学君津製造所を統合、コークスの製造を開始。
2009年(平成21年)11月9日 - 管理センターを君津市君津から木更津市築地へ移転。
2012年(平成24年)10月1日 - 新日本製鐵が住友金属工業を吸収合併し、新日鐵住金君津製鐵所となる。
2014年(平成26年)4月 - 東京製造所と統合[5]。
2019年(平成31年)4月1日 - 新日鐵住金が日本製鉄に社名変更し、日本製鉄君津製鐵所となる予定。
所内報「きみつ」
年に10回、社員や関連協力会社、OBや周辺住民、他社などに配布している新聞である。発行部数は11500部。日本経済団体連合会社内広報センターの「推薦社内報」に選ばれたことがある。
アクセス
君津地区
最寄駅は君津駅であり、社宅の多い地域を経由して君津製鐵所までの路線バスが運行されている。特に、八重原地区(君津市)、大和田地区(君津市)、畑沢地区(木更津市)には関連会社などの社宅が多い。これらの社宅を連絡して運行される君津市内循環線は比較的本数が多いが、各社宅からの直行通勤バスも運行されている。2007年11月30日までは清見台団地(木更津市)からの通勤路線として清見製鐵線が運行されていたが利用者の減少により廃止された。
JR内房線君津駅よりタクシーで10分。路線バスでは北口から君津市内循環線「A循環・B循環」、南口から周西線「君津製鐵所行き」(日東交通)で君津製鐵所下車。- JR内房線木更津駅よりタクシー。路線バスでは西口から潮見線「イオンモール木更津経由 君津製鐵所行き」(日東交通)で君津製鐵所下車。
東京駅八重洲口前から東京湾アクアライン高速バス(京成バス・日東交通)、君津製鐵所下車。
羽田空港から東京湾アクアライン高速バス(京浜急行バス・日東交通)で約60分、君津製鐵所下車。
館山自動車道木更津南インターチェンジから国道16号経由で約5分。
東京地区
都営三田線西台駅より徒歩約11分。
脚注
^ NHKスペシャル『新・電子立国』第5巻「驚異の巨大システム」(相田洋著、日本放送出版協会、1996年)pp.187 - 190
^ 新日鐵君津製鐵所における業界初の製造オンラインシステム(伊藤正雄、2008年) (経営情報学会情報システム発展史研究部会)
^ U.S.スチールホームステッド工場などの経験に基づいて概念を記したRed Book『Operations Control System for the Steel Industry』(IBM、1967年)とその翻訳版:『製鉄業界でのオペレーション・コントロール・システム』三分冊(日本IBM、1968年)、
^ 設備他(コンピューターシステム/環境)(製造工程・製品紹介)(JFEスチール東日本製鉄所京浜地区)
^ 製鉄所組織の統合・再編成について - 新日鐵住金株式会社 プレスリリース 2013年10月30日
関連項目
新日鐵住金かずさマジック - 新日鐵君津硬式野球部を母体とする広域複合企業チーム
新日鐵住金君津球場 - 工場敷地南に所在する野球場。かずさマジックの本拠地。
新日本製鐵スパーレッツ - 元々は八幡製鐵所バスケットボール部だったが、休部時は君津製鐵所に移されていた。
大地の子(小説・ドラマ) - ドラマのロケ地に採用された
華麗なる一族(テレビドラマ) - ドラマのロケ地に採用された
水素・燃料電池 - 石炭乾留ガスから水素ガスを抽出して圧縮、東京周辺で試験運行を行う燃料電池自動車に供給。
大同特殊鋼 - 構内に君津工場がある。
日東交通君津運輸営業所 - 当製鐵所の敷地内にある路線バスの営業所。製鐵所従業員の通勤バスや構内巡回バスなどの運行も受託している。
三井淳平 - 日本人初のレゴ認定プロビルダー。2012年から2015年まで当製鐵所に勤務し、高炉や鉱石運搬船のレゴ作品を制作している。
やっさいもっさい - 当製鐵所の従業員が周辺地域に多く転居したことをきっかけに、新旧住民の交流を目的に開催。当製鐵所の従業員も連を結成して、毎年参加している。
外部リンク
- 日本製鉄君津製鐵所
座標: 北緯35度21分17.8秒 東経139度52分28.2秒 / 北緯35.354944度 東経139.874500度 / 35.354944; 139.874500
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