大阪府立大手前高等学校
大阪府立大手前高等学校 | |
---|---|
過去の名称 | 大阪府女学校 大阪府高等女学校 大阪市立大阪高等女学校 大阪市立第一高等女学校 大阪府中之島高等女学校 大阪府立中之島高等女学校 大阪府立堂島高等女学校 大阪府立梅田高等女学校 大阪府立大手前高等女学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪府 |
設立年月日 | 1886年 |
創立記念日 | 5月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程・定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制(全日制) 単位制(定時制) |
設置学科 | 全日制:文理学科 定時制:普通科 |
学科内専門コース | 定時制:生涯学習コース(4年制) 定時制:定通併修コース(3年制) |
学期 | 2学期制 |
高校コード | 27126J |
所在地 | 〒540-0008 |
大阪府大阪市中央区大手前二丁目1番11号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大阪府立大手前高等学校(おおさかふりつおおてまえこうとうがっこう、英語表記:Osaka Prefectural Otemae Senior High School)は、大阪府大阪市中央区大手前二丁目にある公立高等学校。
目次
1 概要
2 沿革
2.1 学校創立
2.2 大阪市への移管・大阪府への再移管
2.3 堂島・梅田時代
2.4 大手前高等女学校
2.5 学制改革
2.6 年表
3 交通
4 出身者
4.1 学者
4.2 文化人
4.3 経済
4.4 政治
4.5 行政
4.6 法曹
4.7 その他
5 関連項目
6 参考文献
7 脚注
8 外部リンク
概要
1886年に大阪府女学校として創立。2016年度の入学生までは出席番号は女子から始まり、校歌のキーもやや高めである。2011年度から大阪府教育委員会のグローバルリーダーズハイスクールの指定校となり、従来の理数科に変わり、専門学科「文理学科」4クラスを設置している。普通科、文理学科共に大阪府全域を通学区域とする。また、2008年にはスーパーサイエンスハイスクールに指定されている。
前・後期制を採用しているため、秋期休業日(秋休み)が数日間ある。普通科の文系理系分けが2年前期終了時点となるため、1年、2年前期、2年後期・3年という変則的な期間でクラス替えが行われる(つまり2年後期からは1年半の間同じクラスとなる)。文理学科も同じくクラス替えが行われる。授業は65分×5コマで、コマ数の都合により2週間サイクルの時間割を組んでいる。2週間の授業数の合計を2で割って、「ユニット」という単位を算出し、留年等を決定している(前期にはその年度中に追認試験があるが、後期の追認試験は次年度であり、3年次には後期の追認試験はない。また、年度末に、6教科12ユニットを超えて単位保留になった場合、留年となる)。2007年からは、年間15回土曜日の午前中の部活を禁止にして、大学別進学講習や希望者補習などの学習活動日にあてている。
また、行事がある日や終業式などの日でも可能な限り授業を行っている。定時制があるため全日制の生徒は17時50分完全下校となっており、部活動が行える時間が限られているが、運動部では、1992、1993、2005と2010年には水泳部が、全国高等学校総合体育大会に出場している。制服の着用が義務付けられているが、校外教授(遠足)および修学旅行には私服での参加となる。
校舎は本館・理科棟・別館・新館・金蘭会館などに分かれている。本館は7階建てでエレベーターが2機あり、生徒が自由に使用できる。施設上の理由(駐輪場が確保できない)から、校内への自転車乗入れは禁止されている(定時制生徒は除く)。不定期で自転車指導があり、本校教員が学校周辺を巡回し、違法駐輪した生徒に厳重注意を促している。また、原動機付自転車の免許を取得することも禁じられている。
金蘭会という同窓会を持ち、金蘭会中学校・高等学校・千里金蘭大学を設立した学校法人金蘭会学園の母体となっている。なお、金蘭会本部は同高校内にあり、LAN教室(パソコンルーム)及び全校生徒が利用できるトレーニングルームは、全て卒業生の寄附金により創設されたものである。また、1986年には開校100周年を記念し大阪府立国際児童文学館と共同で児童文学に関する優れた研究を表彰する国際グリム賞を創設した[1]。
1955年の映画『ゴジラの逆襲』に登場し、ゴジラとアンギラスの戦いで校舎の一部が破損したエピソードを持つ。また、隣接する大阪府庁舎は1989年公開のアメリカ映画『ブラック・レイン』で大阪府警本部庁舎ロケ地として使用された。
沿革
学校創立
1882年に府立大阪師範学校に設置された附属裁縫場が、学校の源流となっている。小学校の裁縫担当の教員を養成する目的で設置された課程である。なおこの時期は師範学校と女学校の役割が未分化で、女子教育は小学校教員養成を中心におこなわれていた。
附属裁縫場は1886年1月に女学科に改編され、その後1886年9月に大阪府女学校として独立した。創立当初の校地は師範学校と同じ北区常安町(現在の大阪市北区中之島4丁目、大阪大学中之島センター付近)、元大阪府立模範幼稚園跡だった。
1887年1月には高等女学校に改編され、大阪府高等女学校となった。
大阪市への移管・大阪府への再移管
1889年10月1日付で大阪市に移管され、大阪市立大阪高等女学校へと改称されている。大阪市への移管についての経緯は明らかではないが、学校沿革誌『大手前百年史』(1987年)によると内務省からの指示があったとみられると推定している。なお、1889年は市制施行の年であり、大阪市は同年4月1日の発足である。
1890年-91年になると、不況を背景に大阪市は財政難となり、廃校も検討された。しかし在校生や関係者が存続運動をおこし、存続が決定した。1900年4月には大阪市立第二高等女学校が新設されたことに伴い、大阪市立第一高等女学校へ改称した。
一方で1900年2月、当時の大阪府知事・菊池侃二が『大阪府教育十カ年計画』を策定した。高等女学校の生徒や入学希望者の急増をふまえ、府費で高等女学校を大阪市内に増設することを決定した。
これにより大阪府が高等女学校を増設する計画を立て、また普通教育については大阪府が一元的におこなう方針が決まった。大阪市立第一高等女学校は大阪府へ再び移管され、大阪府中之島高等女学校へと改称した。
移管2ヶ月後の1901年6月には、文部省令により大阪府立中之島高等女学校へと改称している。
堂島・梅田時代
創立以来中之島の校舎を使用していたが、校地が狭いことがかねてから問題となっていた。当時堂島にあった堂島中学校(現在の大阪府立北野高等学校)が北野に移転することになったため、跡地を転用して仮校舎とする形で堂島に移転することになった。
1902年には大阪市北区堂島浜通3丁目2番地(現在の大阪市福島区福島1丁目、朝日放送敷地・ほたるまち)へ移転し、大阪府立堂島高等女学校へと改称した。
堂島の校舎は老朽化していたため梅田に移転することが決まり、1909年度より移転予定地で校舎新築工事がおこなわれた。その矢先の1909年7月29日には大阪市街地を襲った大火災(北の大火)で一部校舎を焼失した。授業は焼け残った校舎と江戸堀小学校(1946年廃校。現大阪市立花乃井中学校敷地)の2ヶ所を使用して実施された。
また校舎火災被害のため、校舎新築工事は急ピッチでおこなわれ、火災翌年の1910年4月には大阪駅北側・大阪市北区北梅田町(現在の大阪市北区大深町)に移転した。梅田への移転と同時に、大阪府立梅田高等女学校へと改称している。
なお移転先の隣には、堂島(梅田)高等女学校同窓会「金蘭会」が運営する金蘭会高等女学校(現在の金蘭会中学校・高等学校)があり、遠足や運動会などを合同で実施するなど協力関係にあった。
しかし梅田の敷地は大阪駅(梅田貨物駅)拡張予定地となり、立ち退きを迫られることになった。学校側は1920年以降、北野の北野中学校敷地、十三などを移転候補地として検討し、関係者の検討の結果十三への移転を希望した。
一方で大阪府は大阪市東区大手前之町(現在の大阪市中央区大手前)の輜重兵第4大隊兵舎跡地を買収し、一画を梅田高等女学校の移転用地として充てることを決定した。1922年に大阪府会で建築案が可決され、校舎建設工事がおこなわれた。なお、このとき見送られた十三の地へは後年北野中学校が移転している。
大手前高等女学校
1923年4月に大手前に校舎が完成し移転した。移転と同時に、大阪府立大手前高等女学校へと改称している。校名についてはいくつか候補があったものの、大阪府の学校では地名を校名につけることが慣例となっていたこともあり、所在地の地名からとった「大手前」が学校名として選定されることになった。
昭和時代に入ると太平洋戦争の戦局悪化により、1944年以降勤労動員が実施されることになった。3年生以上の生徒は大阪造兵廠(現在の大阪城公園など)および枚方造兵支廠(北河内郡枚方町大字中宮)へと動員された。
また校舎の戦時転用により、1945年4月には豊中市の大阪府立豊中高等女学校(現在の大阪府立桜塚高等学校)内に一時移転することになった。敗戦後の1945年12月には元の場所に復帰している。
学制改革
1947年には新制中学校を一時的に併設して2・3年の生徒を移行させた。翌1948年には新制高等学校へ改編され、大阪府立大手前高等学校となった。大阪府立北野高等学校(旧制大阪府立北野中学校)と生徒・教職員を交流して男女共学となった。
また、1948年には通信教育部(のち通信制課程と改称)、1950年には定時制課程も併設している。通信制課程はその後大阪府立桃谷高等学校として独立している。
年表
1886年9月21日 - 府立大阪師範学校女学科より分離独立し、北区常安町に大阪府女学校として創立
1887年 - 大阪府高等女学校に改編
1889年 - 大阪市(同年発足)に移管され、大阪市立大阪高等女学校と改称
1900年5月- 大阪市立第一高等女学校と改称
1901年4月 - 大阪府に再移管され、大阪府中之島高等女学校と改称- 1901年5月 - 大阪市北区堂島浜通3丁目の大阪府立堂島中学校跡に移転
- 1901年6月3日 - 大阪府立中之島高等女学校と改称
1902年4月1日 - 大阪府立堂島高等女学校と改称。当時生徒数 本科500人、技芸専修科100人
1904年4月 - 卒業生を収容して1年間教育する補習科が設置される。
1910年 - 大阪市北区北梅田町に新築移転し、大阪府立梅田高等女学校と改称- 1911年 - 技芸専修科を廃止し実科を設置
- 1920年2月 - 実科および補習科を廃止。当時本科生徒定員 760人
- 1920年4月 - 家事裁縫専攻科を設置
- 1921年3月22日 - 従来、本科の修業年限4年のところ、1年延長して5年とする。
- 1922年4月1日 - 家事裁縫専攻科を廃止し高等科を設置。高等科生徒定員 120人
1923年 - 大阪市東区大手前之町の現在地に新築移転し、大阪府立大手前高等女学校と改称。- 1934年1月24日 - 従来高等科の修業年限3年のところを1年短縮し、2年とする。この時より、高等科生徒定員 80人
- 1941年2月18日 - 本科生徒定員1250人に増加
1945年3月 - 戦時中、特例として本科修業年限を1年短縮し、4年とする。- 1945年4月 - 大手前校舎を去り、大阪府立豊中高等女学校内に疎開移転。
- 1945年10月 - 上級生とより逐次大手前校舎に復帰し、12月に復帰完了。
1948年 - 学制改革により大阪府立大手前高等学校に改編。大阪府立北野高等学校と教職員、生徒を半分ずつ交換。- 1948年9月 - 通信教育部を設置
- 1949年3月31日 - 高等女学校高等科および、付設新制中学校を廃止
1950年 - 定時制課程を設置 定時制定員 600人
1962年 - 通信教育部を通信制課程に改称
1966年 - 通信制課程が大阪府立桃谷高等学校として分離独立
1993年 - 理数科を設置
2002年 - エルハイスクール校に指定
2008年 - スーパーサイエンスハイスクール校に指定
2011年 - グローバルリーダーズハイスクールに指定(文理学科を設置、理数科募集停止)
2014年 - 骨太の英語力養成事業対象校に指定
交通
大阪シティバス(62号系統)大阪城大手前バス停より徒歩約2分
Osaka Metro(谷町線)天満橋駅より徒歩約7分
- ※谷町線および中央線の谷町四丁目駅を最寄り駅として通学経路に指定することも可能
京阪(京阪本線)天満橋駅より徒歩約7分
JR西日本(JR東西線)大阪城北詰駅より徒歩約15分
出身者
学者
山本義隆(元東大全共闘の議長、駿台予備学校講師、物理学者)60卒
河田惠昭(京都大学名誉教授、関西大学社会安全学部教授)64卒
吉岡一男(京大法学部長03-)64卒
加護野忠男(経営学者、神戸大学大学院経営学研究科教授)66卒
中村一基(武庫川女子大学薬学部准教授)
佐伯とも子(東京工業大学社会理工学研究科教授)
小畑精和(明治大学政治経済学部教授)
土居次義(京都工芸繊維大学名誉教授)
村上輝康(産業戦略研究所代表)64卒- 小路淳(広島大学生物生産学部准教授)90卒
- 宮島一彦(同志社大学工学部元教授)65卒
谷直樹(大阪市立大学名誉教授、大阪くらしの今昔館館長)67卒
中川淳司(東京大学社会科学研究所教授)74卒- 山下剛(京都大学数理解析研究所 )97卒
文化人
湯川スミ(湯川秀樹夫人、世界連邦世界協会名誉会長)
北村兼子(ジャーナリスト、婦人運動家)
桂信子(俳人、現代俳句協会顧問)
俵萌子(評論家)48卒
新家靖之(旅行作家、随筆家)65卒
桂歌之助 (2代目)(落語家)65卒
佐々木幹郎(詩人)67卒
三田誠広(作家、芥川賞受賞)68卒(一留)
季里(ビジュアルプロデューサー)80卒
谷崎光(作家)
格清政典 - 産経新聞社記者
石井遊佳(作家、芥川賞受賞)82卒
経済
福井俊彦(第29代日本銀行総裁)54卒
大坪清(レンゴー社長、関西経済連合会副会長、日本製紙連合会副会長)57卒
森詳介(関西電力社長、関西経済連合会会長)58卒
小林哲也(近鉄グループホールディングス及び近畿日本鉄道会長、関西経済連合会副会長)62卒
十市勉(財・日本エネルギー経済研究所)64卒
田中孝司(KDDI社長)75卒
蔭山秀一(ロイヤルホテル社長、三井住友銀行副会長、関西経済同友会代表幹事)75卒
政治
中島章夫(元衆議院議員・日本新党)54卒
池田幹幸(よしたか)(元衆議院議員・共産党)58卒
肥田美代子(民主党)60卒
松原脩雄(しゅうお)(元衆議院議員・社会党、東大全共闘・安田講堂被告)64卒
山崎博昭(十・八羽田闘争で死亡)67卒
辻恵(前衆議院議員・民主党、東大全共闘)67卒
山田茂樹(革労協木元派の指導者)68卒
浅田均(参議院議員・日本維新の会政務調査会長)68卒
中田厚仁(国際連合選挙監視ボランティア、カンボジアにて活動中に襲撃を受け死去/阪大法学部卒)
行政
西広整輝(元防衛事務次官)
横田捷宏(日本電子計算機社長、元中小企業金融公庫副総裁、元通産省官房審議官、元日銀政策委員会審議委員)60卒
鈴木隆史(元特許庁長官、元経済産業省経済産業政策局長)
平田竹男(内閣官房参与、早稲田大学教授、元日本サッカー協会専務理事、元通産官僚)
法曹
佐々木静子(弁護士)
その他
市口順亮(よしあき)(京大ラグビー部監督、元新日鐵ラグビー部監督)59卒
木山裕策(歌手)87卒
初音(シンガーソングライター)
三好誠(作曲家、ミュージシャン)
亀井登志夫(作曲家、ミュージシャン、音楽プロデューサー)
本屋敷俊介(プロ野球コンディショニングコーチ)
季里(CGアーティスト)
横井久(元ラグビー選手、元ラグビー日本代表監督、旧制北野中学の生徒だったが、新制高校制度に伴い当校の卒業生となった)
横井章(元ラグビー日本代表選手、横井久の実弟)
pha (ニート、著述家)
武野一起 読売テレビプロデューサー
関連項目
- 大阪府高等学校一覧
- スーパーサイエンスハイスクール
参考文献
- 大阪府立大手前高等学校百年史編集委員会 『大手前百年史』 大阪府立大手前高等学校同窓会・金蘭会、1987年。
- 大阪府立大手前高校 全日制課程 生徒手帳
脚注
^ 国際グリム賞(大阪府立国際児童文学館)
外部リンク
- 大阪府立大手前高等学校
- 金蘭会(大手前高校同窓会)