千葉真一








































































ちば しんいち
千葉 真一
JJ Sonny Chiba

千葉 真一 JJ Sonny Chiba

ブロマイド(1961年)

本名
前田 禎穂まえだ さだほ[1]
別名義
和千永 倫道わちなが りんどう
生年月日
(1939-01-22) 1939年1月22日(79歳)
出生地
日本の旗 日本 福岡県福岡市博多区
民族
日本人[1][2][3]
身長
176 cm[4][5]
血液型
O型[4][5]
職業
俳優・体操選手・空手家・歌手・芸能プロモーター・アクション監督・映画監督・映画プロデューサー・作詞家・作曲家・ナレーター・声優
ジャンル
映画・テレビドラマ・演劇・CM
活動期間
1959年 -
活動内容
1959年 東映ニューフェイス
1960年 デビュー
1966年 台・米合作映画出演
1970年 JAC 設立
1973年 香泰韓合作映画出演
1974年 Sonny Chiba
1977年 空手大会出場
1979年 本邦初アクション監督
1981年 米英合作映画出演
1989年 映画プロデューサー
1990年 映画監督
1991年 JAC 売却
1992年 拠点をL.A.
1994年 米墨合作映画出演
2008年 京都造形芸大教授
2010年 芸能生活50周年
配偶者
野際陽子(1973年 - 1994年)
一般人(1996年 - 2015年)
著名な家族
真瀬樹里(長女[注釈 1]
新田真剣佑(長男[注釈 2]
眞栄田郷敦(次男)
矢吹二朗(弟)
事務所
Louis and Leaves
日本映像文化伝導財団
公式サイト
千葉真一オフィシャルサイト
主な作品

日本映画
『風来坊探偵シリーズ』
『ファンキーハットの快男児シリーズ』
『宇宙快速船』 『柔道一代シリーズ』
『太陽に突っ走れ』 『子守唄シリーズ』
『日本暗殺秘録』 『やくざ刑事シリーズ』
『仁義なき戦い 広島死闘篇』
『ボディガード牙シリーズ』
『殺人拳シリーズ』 『地獄拳シリーズ』
『少林寺拳法』 『新幹線大爆破』
『けんか空手シリーズ』 『沖縄やくざ戦争』
『ドーベルマン刑事』 『柳生一族の陰謀』
『戦国自衛隊』 『魔界転生』
『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-
『新 影の軍団シリーズ』 『親父』

海外映画 ※日本との合作含む
『カミカゼ野郎 真昼の決斗』 『海底大戦争』
『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』
『激殺! 邪道拳』 『ゴルゴ13 九竜の首』
『武士道ブレード』
『エイセス / 大空の誓い』
『リゾート・トゥ・キル』
『風雲 ストームライダーズ』
『キル・ビル』

テレビドラマ
『新 七色仮面』 『アラーの使者』
『くらやみ五段』 『キイハンター』
『ザ・ボディガード』 『ザ★ゴリラ7』
『燃える捜査網』 『大非常線』
『七色とんがらし』 『十字路』
『柳生一族の陰謀』 『影の軍団シリーズ』
『東京大地震マグニチュード8.1』
『柳生あばれ旅シリーズ』
『素晴らしきサーカス野郎』
『深夜にようこそ』 『徳川無頼帳』
『風林火山』 『おわこんTV』

演劇
『ゆかいな海賊大冒険』 『酔いどれ公爵』

アクション監督・監督
『将軍家光の乱心 激突』
『リメインズ 美しき勇者たち』

























千葉 真一
JJ Sonny Chiba
学歴
日本体育大学体育学部体育学科卒[6]
ジャンル
歌謡曲・J-POP
レーベル
コダマプレス(1963 - 1965年)
クラウンレコード(1966年)
ミノルフォン(1966年)
キング(1968 - 1973年)
テイチク(1975 - 1976年)
VAP (1985年)

千葉 真一[注釈 3](ちば しんいち、JJ Sonny Chiba [注釈 4], 1939年1月22日 - )は、日本の俳優・体操選手・空手家・歌手・芸能プロモーター・アクション監督・映画監督・映画プロデューサー・作詞家・作曲家・ナレーター・声優。


日本を代表する映画スターとして海外ではSonny Chiba (サニー ちば)の名で知られている[12][13][14][15][16][17]。特技の器械体操や極真カラテ四段[18]・少林寺拳法弐段・乗馬・スキーを活かしたアクロバティックなスタント・擬斗・殺陣に定評がある[12][15][17][19]。吹き替えに頼らないで自ら演じるアクションスターの元祖ともいえる存在で[12][19][20][21][22][23]、映画・テレビドラマ・演劇・コマーシャルメッセージと半世紀以上にわたり、幅広く活躍している。愛称 : 千葉ちゃん[注釈 3]。ジャパンアクションクラブ (JAC ) の創始者。


本名 : 前田 禎穂 (まえだ さだほ)[1]、所属事務所 : Louis and Leaves , 日本映像文化伝導財団。




目次






  • 1 来歴


    • 1.1 オリンピックを目指して


    • 1.2 アクションスター


    • 1.3 転機


    • 1.4 Sonny Chiba


    • 1.5 ジャンルを越えた活躍


    • 1.6 海外進出


    • 1.7 2010年以降




  • 2 事績


    • 2.1 変身ヒーロー


    • 2.2 アクション映画


    • 2.3 音楽


    • 2.4 格闘映画


    • 2.5 キイハンター


    • 2.6 JAC


    • 2.7 ヤクザ映画


    • 2.8 時代劇


    • 2.9 演劇


    • 2.10 Hollywood




  • 3 人物


    • 3.1 器械体操


    • 3.2 空手道


    • 3.3 人柄


    • 3.4 ファン


    • 3.5 交友


    • 3.6 趣味


    • 3.7 家族




  • 4 受賞


  • 5 出演


    • 5.1 映画


      • 5.1.1 国内


      • 5.1.2 海外




    • 5.2 ドラマ


    • 5.3 演劇


    • 5.4 オリジナルビデオ


    • 5.5 ライブ


    • 5.6 ドキュメンタリー


    • 5.7 情報


    • 5.8 語り手・雑誌


    • 5.9 CM




  • 6 監督・演出・監修


  • 7 ディスコグラフィ


  • 8 著書


  • 9 脚注


  • 10 参考文献


  • 11 関連項目


  • 12 外部リンク





来歴



オリンピックを目指して


福岡県福岡市博多区雑餉隈で二男三女の長男(第二子)として生誕[2]。父親は大刀洗町に在った陸軍飛行戦隊に所属する軍人で、母親は熊本県出身で学生時代に陸上競技をしていた[2]。4歳の時、千葉県君津市へ転居[24]。(⇒ #家族


中学生から器械体操を始め[25]、オリンピックで日の丸を掲げたいという夢を抱くようになり[12][19]、千葉県立木更津一高へ入学後、1年生で全国大会上位入賞、3年生で全国大会優勝を成し遂げた[12][26]。1957年、日本体育大学体育学部体育学科に進学[6][23][27][28]。2年生の時に[注釈 5]、跳馬を練習中に着地で失敗し、腰・両膝を痛めてしまう[6][23][29][30]。練習とアルバイトの掛け持ちで身体を酷使していたことも加わり悪化し、医者から「1年間運動禁止」と宣告された[6][28]。1週間も練習を休めば差がつくこの時期に、選手を続けることが困難となる[6][23][28]。休学も検討したが、学費を工面できないので余儀なく退学した[注釈 6]
将来を模索し始めた千葉は実家に帰る途中の代々木駅で「東映第6期ニューフェイス募集!」のポスターを偶然見かける[33]。地元に戻り、相談した親友も賛成してくれたことや[33]、かつてミスタースポーツウエア・コンテストに入賞し[34]、東映ニューフェイスを受験するよう勧められていたことから応募した[33][34]。日本体育大学で器械体操をしていた経歴を珍しがられたが、2万6千人の応募からトップの成績で合格を果たす[33]。(⇒ #器械体操



アクションスター


1959年、大学を中退して[注釈 6]、東映へ入社。男性6名・女性14名の同期生には亀石征一郎・新井茂子・茅島成美・太地喜和子・真山知子・都築克子らがおり、俳優座で6か月の研修を受けた[35]。1960年1月7日にテレビドラマ『新 七色仮面』の二代目・蘭光太郎として主演デビューし、続けてテレビドラマ『アラーの使者』にも主演した。(⇒ #変身ヒーロー


1961年、中山昭二の代役で映画『警視庁物語 不在証明(ありばい)』に出演後[36]、深作欣二の初監督映画『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』に主演して、2期先輩の曽根晴美と「拳銃コンビ」のキャッチコピーで売り出された[37]。吹き替えなしでスタントをこなすことから[38]、「アクションができる素材に演技の磨きを増せば」と期待される新人であった[39]。(⇒ #アクション映画


1962年は映画『事件記者シリーズ』の第1作『恐怖の魔女』に主演したほか、1963年には映画『八州遊侠伝 男の盃』で時代劇初出演や『事件記者シリーズ』の第2作『殺人鬼の誘惑』と『柔道一代シリーズ』第一作に主演。シングル「男一匹生きるなら」をリリースして歌手デビューも果たした。(⇒ #音楽


1966年、映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』(日台合作)、映画『海底大戦争』(日米合作)にそれぞれ主演し、国際的にも活動し始め、後に『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』(1973年、日香泰韓合作)、『激殺! 邪道拳』(1977年、日香泰合作)、『ゴルゴ13 九竜の首』(1977年、日香合作)など、諸外国との共同作品に主演するきっかけになった。その合間に前年のテレビドラマ『くらやみ五段』、遠藤実の自伝を映画化した『太陽に突っ走れ』、『子守唄シリーズ』、『河内遊侠伝』、『陸軍諜報33』など次々と主演していた。(⇒ #アクション映画


1968年からテレビドラマ『キイハンター』に主演。これまで誰も見たことのないスーパーアクションで人気をさらい、千葉ちゃんの愛称で一躍国民的アイドルとして親しまれた[12][40][41][42][注釈 7]。(⇒ #キイハンター#ファン



転機


1969年、オールスターキャスト映画『日本暗殺秘録』では小沼正に扮して主演。同年の京都市民映画祭では本作で主演男優賞を獲得[43]



1970年、アクション・擬斗を演じる相手やスタントマンの不足に悩み[注釈 8]、アメリカ映画で活躍するような俳優・スタントマンの育成、若年層の教育に関心を持っていたことから、ジャパンアクションクラブ (JAC ) を設立。(⇒ #JAC


1973年の映画『仁義なき戦い 広島死闘篇』で演じた大友勝利はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり[41][45][46]、後のヤクザ映画でも「『仁義なき戦い』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている[47]。『広島死闘篇』と同時進行で『柔道一代シリーズ』以来、10年ぶりの格闘映画となる主演作品『ボディガード牙シリーズ』(1973年)の撮影に入り、続けて主演映画『殺人拳シリーズ』もクランクインしたため、『仁義なき戦いシリーズ』の再出演は実現しなかった[48]。これ以降は格闘映画で主演作品が製作されていき、学生時代から極真カラテを修行して、黒帯を允許された技量が生かされることとなった。(⇒ #ヤクザ映画#空手道



Sonny Chiba


1973年に封切公開された映画『ボディガード牙シリーズ[49]』を皮切りに、『殺人拳シリーズ[16]』(1974年 - 1976年)、『地獄拳シリーズ[16]』(1974年)、『少林寺拳法』(1975年)、『けんか空手シリーズ[50]』(1975年 - 1977年)、『激殺! 邪道拳』(1977年)と、前後して『やくざ刑事シリーズ[51]』(1970年 - 1971年)、『狼やくざシリーズ[49][52]』(1971年 - 1972年)、『麻薬売春Gメンシリーズ[49]』(1972年)や、小説・劇画を映画化した『ウルフガイ 燃えろ狼男』(1975年)、1977年は『空手バカ一代』、『ドーベルマン刑事』、『ゴルゴ13 九竜の首[20]』など数々の映画に主演。テレビドラマ『キイハンター』と同様のスタントに、空手道・拳法・器械体操などが加わり、アクロバティックでスリリングとシャープな演技は好評を博した[12][16][19][20][49][50][51][52][53][54]


とりわけカラテをメインにした格闘映画は世界的に大ヒットし[13][55][56][57][58]、海外の著名人ファンが多い[16][59][60][61][62][63]。この頃から海外ではSonny Chiba (サニー ちば)という名前で認知されるようになる[注釈 4][9][10][16]。アメリカ合衆国では最も権威のある総合情報週刊誌「Variety 」の1974年12月18日付にもこの出来事が掲載され、同誌が初めて日本映画を取り上げるという快挙を成し遂げた[64][65]。(⇒ #格闘映画#ファン


上記以外の映画やテレビドラマ『ザ・ボディガード』、『ザ★ゴリラ7』、『燃える捜査網』、『大非常線』にも主演し、若手の育成に追われる日々となったが、1976年の映画『沖縄やくざ戦争』では京都市民映画祭の主演男優賞を受賞した。1977年4月にハワイで開催された「日本代表極真会館チーム対ハワイ代表チーム」というフルコンタクト空手の対抗戦に参戦[12][66]。「前アメリカ東海岸空手チャンピオンのグレッグ・カーフマン」という180cm以上ある黒人で対戦相手を、第2ラウンドに二段蹴りでKO勝ちを収めた[12][67][68]。(⇒ #空手道



ジャンルを越えた活躍


名実共に日本を代表するアクションスターとして活躍していたが[12][20][53][54]、1978年から本格的に時代劇へ進出する。主演映画『柳生一族の陰謀』は興行収入30億円以上の記録的大ヒットし[69][70][71][72]、1979年に第2回日本アカデミー賞の優秀助演男優賞を受賞した。柳生但馬守宗矩(若山富三郎)・宮本武蔵(緒形拳)と華麗で凄みのある一騎討ちを披露した主演映画『魔界転生』(1981年)は観客動員数200万人・配給収入10.5億円を超し[73][74]、映画『赤穂城断絶』(1978年)、『里見八犬伝』(1983年)などにも出演。特に『柳生一族の陰謀』、『魔界転生』、テレビドラマ『柳生あばれ旅シリーズ』(1980年 - 1983年)の柳生十兵衛三厳と[75][76][77][78][79]、傑作と評価されている『影の軍団シリーズ[80]』(1980年 - 1985年)の服部半蔵は[81][82]、十八番である[75][76][77][78][79][81][82]。(⇒ #時代劇


1979年には芸能生活20周年記念作品である映画『戦国自衛隊』で[83]、主演と日本映画初のアクション監督を兼務し[13]、配給収入で13.5億円のヒットをした[84]。その演出が評価され、1980年にブルーリボン賞のスタッフ賞を受賞した。1981年の主演映画『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE- 』は自ら企画し[85]、前年の『忍者武芸帖 百地三太夫』と『吼えろ鉄拳』(1981年)は俳優とアクション監督を兼ね、『燃える勇者』ではアクション監督に専念。1989年の『将軍家光の乱心 激突』では再びアクション監督と俳優を兼務したが、この作品は第39回ベルリン国際映画祭に招待された。1990年にはプロデューサーと初の監督を兼ねた映画『リメインズ 美しき勇者たち』を手がけ、アクション映画の全盛期を牽引していた。(⇒ #アクション映画


この頃は演劇にも進出し、3年間にわたって満員御礼となる記録的な成功を収めたミュージカル『ゆかいな海賊大冒険』(1982年 - 1984年)[86]、『酔いどれ公爵』(1985年)など複数の作品を企画・演出・主演し、JAC ミュージカルとして定期的に公演した。(⇒ #演劇


1970年代から1980年代にかけて、テレビドラマ『七色とんがらし』(1976年)や『十字路』(1978年)、『深夜にようこそ』(1986年)、『夢に見た日々』(1989年)のホームドラマにも主演。1982年には楽曲「誓い(JACのテーマ)」を作詞、1985年には10年ぶりに歌手としてリリースした「曠野」の作曲も手がけ、俳優・歌手に留まらない映画監督・映画プロデューサー・作詞家・作曲家など、その活躍ぶりはジャンルを越えて幅広いものであった。(⇒ #音楽



海外進出





ハワイ国際映画祭(2005年)


日本と諸外国との合作映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』、『海底大戦争』、『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』、『激殺! 邪道拳』、『ゴルゴ13 九竜の首』などに主演し、『武士道ブレード』(1981年、英米合作)にも出演していたが、既述のとおり本格的な海外作品への出演を認めてもらえず、関係者に「あきらめた」と思われていた[22]。しかし水面下のアピールや主演映画の評判などで、1990年頃からアメリカ映画の出演依頼が届き始めていた[22]。折しもロサンゼルスでは映画『激突! 殺人拳』(1974年)、『子連れ殺人拳』(1976年)など、14本の主演格闘映画がリバイバル公開されていた[87]。(⇒ #格闘映画


1991年、ジャパンアクションクラブ (JAC ) の売却を経て、1992年にアメリカ映画『エイセス / 大空の誓い』に出演。これを機に拠点をロサンゼルスへ移して、アメリカでも俳優活動をするようになり、グリーンカードも取得した[88]。日本未公開作品のアクション映画もあるが、長年の経験で培ったそのアクションは高く評価されている[15][89]。(⇒ #ハリウッド


1998年に出演した香港映画『風雲 ストームライダーズ』では、ラスボス“雄覇(ホンパ / ホンファ)”を演じた。原作のイメージを彷彿とさせるその演技は話題に上り、翌年の第18回香港電影金像奨では、外国人として初めて優秀主演男優賞にもノミネートされた。2001年には台湾でも連続ドラマ化された。


2003年、友人でもあるクエンティン・タランティーノのアメリカ映画『キル・ビル』シリーズでは出演と、ユマ・サーマン、ルーシー・リューらハリウッドスターへ剣術指導をした[90]。第30回サターン賞では『キル・ビル』で助演男優賞にノミネートされた。(⇒ #ハリウッド


2005年10月29日に開催されたハワイ国際映画祭では、これまでの功績を讃えた「MAVERICK AWARD 」を受賞した。2006年3月、福島県会津若松市にある會津藩校 日新館を運営する会社の取締役に就任し、9月には映画撮影所「日新館会津撮影所 武士乃陣」をオープンさせた。


2007年には英国放送協会 (BBC )製作の、日本をテーマにしたドキュメンタリー番組『Japanorama 』に出演。「Densetsu (Legends )」(伝説)をテーマにした回で取り上げられ、4月9日に放送された。同年の大河ドラマ『風林火山』に板垣信方役で出演。 11月には海外で通称としていたJJ Sonny Chiba (JJ サニー チバ)を日本でも使うようになり[11][注釈 4]和千永 倫道(わちなが りんどう)の名で、映画監督業への進出を表明した[91]。母親の旧姓・和智永(わちなが)と千葉を併せ、「人の道」を由来としたものである[91]。11月26日には厚生労働省から「健康大使」にも任命された[92]


2008年10月から2009年3月まで京都造形芸術大学の教授を務めた。



2010年以降


2010年10月22日には東京・グランドプリンスホテル赤坂で、結婚披露宴を兼ねた芸能生活50周年記念式典を開いた。もともとはアントニオ猪木・池谷幸雄・石田純一・市川亀治郎・今井雅之・内野聖陽・梅宮辰夫・岡崎二朗・ガッツ石松・川地民夫・神取忍・樹木希林・北の湖敏満・京本政樹・具志堅用高・郷田勇三・小林幸子・コロッケ・高橋英樹・竹本直一・田中好子・谷村新司・津川雅彦・十朱幸代・夏八木勲・白竜・張本勲・布施明・風吹ジュン・松井章圭・松坂慶子・美川憲一・三田佳子・やまさき十三・山本KID徳郁・横峯良郎・ラモス瑠偉ら計60名を発起人とした芸能生活50周年記念式典が先に決まっていたところ、現妻と挙式や披露宴をしていなかったため、千葉の要望で記念式典と合わせて企画された[93][94][95][96][97][98][99]。前半の披露宴には家族でキャンドル点灯のほか、長男の俳優・真剣佑と次男からも千葉夫妻へスピーチが行われた。後半の記念式典では出演した260本の映画・テレビドラマなどが順に紹介され、息子達と空手道の演武で型と杉板の試割りを、まな娘の女優・真瀬樹里とは殺陣を披露した。勝野洋・小堺一機・夏樹陽子らは花環を贈呈し、出席者に上記発起人ほか、太田昭宏・北島三郎・関根勤・高岡早紀・高橋和也、デヴィ・スカルノ、南部虎弾、ビリー・ブランクス、堀田眞三・魔裟斗・松木安太郎ら、多数の芸能人を含む各界から約600人がお祝いに集まった。千葉は「あっという間の50年だった。まだまだ、やり残したことがあるので精進したいと思う。ハリウッドで日本の俳優を育てたい」と新たな目標を掲げた[93][94][95][96][97][98][99]


2011年以降、芸名を日本のみ千葉 真一に戻し、海外ではJJ Sonny Chiba としている[5][注釈 4]。同年9月29日から10月2日にロサンゼルス・ウエストウッドのビッグフット・クレスト・シアターにて開催された、アジア・アメリカ映画を祝す国際フィルムフェスティバル「SINGAFEST 2011 」(ビッグフット・エンターテインメント主催)では、LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD を受賞し、代表作の一つである『魔界転生』が上映された[55][100]。授賞式には長女の真瀬樹里、長男・真剣佑、次男も駆けつけ、息子たちは空手を、千葉と真瀬は殺陣を披露し、集まった多くのファンをわかせた[100]。同年11月、徳島県鳴門市で生産・販売されている「本格焼き芋焼酎“斬”」の監修をした[101]。(⇒ #ハリウッド


2013年3月10日、日本体育大学から正式に卒業を授与され、これにより最終学歴は「日本体育大学体育学部体育学科卒業」となり、学校教育法第104条および学位規則第2条の規定に従って「学士(体育学)」の学位が与えられた[注釈 6]


2014年のテレビドラマ『おわこんTV』に主演し、テレビ業界のウラのウラまで知り尽くす名物社長を[102]、存在感醸し出しながらも軽いタッチで演じた[102][103]。同ドラマは文化庁芸術祭参加作品となっている[104]



事績



変身ヒーロー


デビュー作が1960年1月7日から放送された『新 七色仮面』で、次の『アラーの使者』にも主演し、まずはテレビドラマで人気を得る[16]。『新 七色仮面』は『七色仮面』から引き継がれた作品だが、蘭光太郎は波島進、七色仮面はスーツアクターが演じていた[105]。千葉真一は初代の波島が演じた古典的な仮面ヒーローとは異なるヒーロー像を作り上げ、スーツアクターも兼務した[106][107]。その演技・スタント・擬斗は後に製作されていく変身ヒーローを題材とした特撮作品に大きな影響を与えている[106][108]。『アラーの使者』も児童向け活劇だがアクションは本格的で[109]、翌年の主演映画『宇宙快速船』のアクションヒーローに繋がっていく[110]。(⇒ #アクションスター



アクション映画


1961年に深作欣二の初監督映画『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』に主演。危ないシーンはスタントマンに任せるのが主流な時代に、「吹き替えせずにできる」とスタッフへ言ったので、「さすが日体大だけに凄いことをやる」と評された[38]。深作は文芸作品よりアクションものを好み「肉体こそ俳優の言葉」が口ぐせだったので[注釈 9]、第二作『風来坊探偵 岬を渡る黒い風』でも千葉を主演に据え、更に危険な吹き替え無しのスタントを演じさせた[111]。ニュー東映のホープとして主演した映画『ファンキーハットの快男児シリーズ』では[112]、カーチェイス、左右に開脚して2人の敵を同時に倒す跳び蹴り、器械体操で培った筋骨隆々な肉体美を大車輪で披露している[12][21]。こののち千葉と深作は17の映画でコンビを組み、ヒットを連発していく[22]。(⇒ #キイハンター


深作欣二の評価とは対照的に高倉健から「アクションスターにはアクションしかできないという評価もあるから、そのイメージを世間に持たれないほうがいい」と同年にアドバイスされ、ドンパチの活劇だけでなく青春ものをやりたいなとも思っていた[111]。宣伝担当の福永邦昭は「体操で鍛え上げた肉体と抜群の運動神経で、新しいアクション俳優の誕生と騒がれたが、東映が彼を生かしきれなかった[51]」と振り返っており、それでも東映は映画・テレビドラマとジャンルを問わず、アクションスターであることを千葉へ常に求めていくこととなる[19]。3, 4年ほど悩んだ末、やる以上、誰にも負けない完全にアクションのできる役者に成ろうと決意した[113]。(⇒ #格闘映画


1966年の映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』(日台合作)は台湾でロケーション撮影され、離陸する軽飛行機の翼に飛びつき乗り込むスタントをした[12][114]。疾走する自動車を追いかけアンテナに飛びつくスタントでは、後輪の跳ねた石が脛に突き刺さり、台湾で一週間入院する代償を払っている[115]。傷だらけになりながらもスタントを演じきったが[114]、『柔道一代 講道館の鬼』(1964年)に続いてケガしたため、父親を受取人にして傷害保険・生命保険に加入している[115]。(⇒ #キイハンター#格闘映画


1979年には芸能生活20周年記念作品である映画『戦国自衛隊』で[83]、主演と日本映画初のアクション監督を兼務した[13]。時速100kmで飛ぶヘリコプターにロープ1本でぶら下がり、乗馬では地面にある矢と弓を左右に傾き、拾い上げるスタントを演じたほか、ヘリコプターから宙吊りになるシーンは自前のハイスピードカメラを足に括りつけて撮影し[19]、騎手の目線を写すためにカメラを取り付けたヘルメットを被り乗馬するなど[116][注釈 10]、アクション監督として撮影を自ら行っており、これらの敢行はスタッフをとても心配させた[19]。馬の脇腹に隠れての乗馬は、テレビドラマ『柳生一族の陰謀』第27話「美女と野獣」で千葉が既に演じていたものをジャパンアクションクラブ (JAC ) のメンバーに再現させている。本作の演出には『戦略大作戦』を意識し[16]、1980年にブルーリボン賞のスタッフ賞を受賞した。



東映から「好きな映画を作っていい」と許可され、企画した1981年の主演映画『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE- 』はフランス映画『冒険者たち』をオマージュした作品で、空手・拳法の達人や剣豪・忍者とは異なるしがない大学職員に扮して活劇を演じた[85]。前年の『忍者武芸帖 百地三太夫』ではワイヤーアクションを初めて取り入れ、『吼えろ鉄拳』と同様に俳優とアクション監督を兼ね、『燃える勇者』ではアクション監督に専念。1989年の『将軍家光の乱心 激突』では再び、アクション監督と俳優を兼務したが、この作品は第39回ベルリン国際映画祭に招待された。1990年にはプロデューサーと初の監督を兼ねた映画『リメインズ 美しき勇者たち』を手がけ、アクション映画の全盛期を牽引していた。




これまで話題作に数多く主演してきたが、それとは裏腹に「アメリカで撮影が始まるときには『Ready camera. Action! 』と声がかかる。“アクション”は本来『あらゆる演技』を意味するものだけど[117]、『体が動くからアクション俳優をやれ』と要望通りに何でも演じてきたことで、日本では逆にアクションのみが先行してしまい、あまり良くないイメージを持たれた[117][118]」と複雑な心情を吐露している。(⇒ #アクションスター#ジャンルを越えた活躍



音楽


1963年にシングル「男一匹生きるなら」をリリースして歌手デビューを果たした。1967年にグループ・サウンズの「ザ・サタンズ」というエレキバンドを結成[119][120]。リーダーとして夜は音楽喫茶で歌い[119]、九州巡業や東京のジャズ喫茶でライブをしていた[120]。メンバーにはドラマー兼ライブの司会者で潮健児、もう1人のドラム・サイドギター・ベースギター・電子オルガン・リードギターの全7人編成で、5人は千葉の高校の後輩である[120]。バンド名の由来は漫画『悪魔くん』が好きな千葉が名付けたもの[114]。このほか映画やドラマの主題歌も歌い、作詞・作曲もしている。(⇒ #ディスコグラフィ#ジャンルを越えた活躍



格闘映画


1963年から始まる『柔道一代シリーズ』に主演したのが最初の格闘映画である。第二作『柔道一代 講道館の鬼』(1964年)の乱闘シーンで肩を骨折してしまった[115][注釈 8]


1973年の映画『ボディガード牙シリーズ』に主演後、1974年に主演した映画『激突! 殺人拳』は、ヤクザ映画が下火になっていた東映にとって、久々の大ヒットをとばした作品となった[16][121]。アメリカ合衆国・ヨーロッパ・オーストラリア・カナダの映画会社も『激突! 殺人拳』を買い付けに来ていた[64]。なかでもアメリカのニュー・ライン・シネマは当初ヤクザ映画を購入するつもりだったが、本作を見て心変わりし、「ブルース・リー以上だ。素晴らしい[64]」と評して興行権を買い取り、『The Street Fighter 』とタイトルをつけ、千葉をSonny Chiba (サニー ちば)とネーミング[9][10][16][注釈 4]。同年11月12日から主にアメリカ中南部の都市18館で封切られ、3週間でベスト5に躍り出て千葉の代表作となった[16][64][65]。アメリカで最も権威のある総合情報週刊誌「Variety 」の12月18日付にもこの出来事が掲載され、同誌が初めて日本映画を取り上げるという快挙を成し遂げた[64][65]。大ヒットした要因として「リーの舞踊劇的な功夫と違い、ワザと力もより本物に近く、迫力がある」、「器械体操を利用した、トランジスター的器用さが面白い」が挙げられている[64]。すぐシリーズ化され、全四作の『殺人拳シリーズ』になっている[122]。忍者の末裔に扮した同年の主演映画『直撃! 地獄拳』は、千葉のスピードあるアクションと石井輝男のユーモアとウィットを盛り込んだ演出が組み合わされた作品となった。1974年度に4億1700万円の配給収入を上げ、同年度の日本映画配給収入ランキング第5位に入り、アメリカでは『The Executioner 』というタイトルで1999年現在、10万本以上のビデオが売れている[123]。(⇒ #Sonny Chiba#海外進出


海外ではマーシャルアーツの大スターである"Sonny Chiba "の熱狂的な人気は根強く[注釈 11][58]、クエンティン・タランティーノ、キアヌ・リーブス[62]、リュ・スンワン[124]、らの著名人の熱烈なファンがおり、谷川貞治は「千葉さんの映画のおかげで格闘技人口がかなり増え、格闘技界の宝だ[125]」と述べている。(⇒ #ファン


岡田茂は「(主人公と)牛との格闘を欧州ではびっくりして、えらく受けている[50]。ショウ・ブラザーズが千葉真一の空手映画を購入してシンガポールでも大ヒット[126]。東南アジア映画祭でジャカルタへ行ったときも、抜群の動員力と人気を上げていた[126]。千葉くんの空手が入って、東南アジア全域で当たり、すごい人気だ[127]。東洋でナンバーワンなんだから、あのアクションをやらせたら世界に(千葉真一以外)いないんじゃないかな[127]」と世界各地の人気・商況・反響を語っている。この頃フランシス・フォード・コッポラは「千葉真一とアル・パチーノの共演で映画を製作したい」と東映へオファーし[50]、千葉も「海外で勝負させてください」と岡田に懇望したが[128]、「まだその時期ではない」と認められなかった[22]



『けんか空手シリーズ』や『子連れ殺人拳』で千葉とタッグを組んだ山口和彦は「常に自分しかできないアクションを見せることに徹していた。熱心な男で現場でいろいろなアイデアを出してくる。全てのアイデアを聞き入れることはできなかったが、自分がアクション映画を変えるんだという、その意気込みは凄かった。そうやって彼は自分の代わりが居ないところまで到達したからね。千葉真一というアクションスターは永遠に残っていくよ」と評している[129]。(⇒ #空手道#Sonny Chiba






キイハンター


『キイハンター』は瞬く間に視聴率は30パーセントを超え、1年の放送予定が5年に延ばされた[40][130]。山頂駅を出発した谷を行き来するロープウェイにワイヤを投げてぶら下がってからよじ登り、走行する列車やバスに飛び降りて屋根で敵と格闘、自動車から並走する軽飛行機に飛び移る、雪渓から回転しながら転落、滑落しそうな滝の前で格闘など、数々のスタントを演じてるがケガを絶えず負い、大きなものでは左足首骨折や日本刀で腕を斬られていた[115][131][132][133]。本作の脚本では、映画よりアクションを詳細に指定されていなかったので、千葉はいいものを作りたいと積極的にアイデアを出すが、経費を気にするスタッフと対立することもあった[113]。しかし視聴率が上がっていき、アイデアはどんどん採用されていくこととなる[113]


国内では1969年の近代映画10月号臨時増刊では『千葉真一特集号』を刊行され、週刊マーガレットでは同年のNo.17から『千葉真一物語』が連載されるなど、人気はさらに上昇していった[12][40]。海外でもオンエアされ、ブルース・リーは千葉の大ファンとなり[51]、その活躍に深い興味を示して共演の申し入れをしてきたが[12]、リーの突然の死により実現しなかった[12][51]。千葉のアクションやスタントを観てから熱狂的なファンとなったジャッキー・チェンは、千葉のようなアクションスターになる夢を抱いていた[134]。香港・タイ王国で映画『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』(1973年)、『激殺! 邪道拳』(1977年)、『ゴルゴ13 九竜の首』(1977年)、『HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅』(1992年)、『地雷原 A mine field.』(1992年)など、千葉の主演・監督作品がロケーション撮影された際には現地で大歓迎されている。中島貞夫は『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』をタイの製作会社から資本参加してもらってロケができた理由の一つに、『キイハンター』が放送されて当地で千葉の人気が高いことを挙げている[135]。(⇒ #ファン


共演者の野際陽子は「ともかく熱意が凄くて、ケガすると普通はビビるのがそれ位以上のことに挑戦して成功する“怖いもの知らず”。でもサボテンだけは怖いですって[114]」と証言している。千葉に比べると役者として駆け出しだった野際だが、放映し始めた頃のギャラは多くの映画に主演経験のある千葉より高かったので、「追い越してやる」と奮起させてくれる間柄でもあった[注釈 12]。谷隼人は「千葉さんは『キイハンター』で身体障害者のファンが増えた。“あなたのアクションは私たちの夢です”と言われ、自分のアクションが希望を与えるならと一層刺激を受けていた。彼らの施設にも寄付をしていた[114]」、大川栄子は「俳優にならなかったら、体育の先生になっていたと、よく基本を教えてくれる[137]」と言っている。宮内洋は千葉が爆発の中を駆け抜けるシーンを横のアングルから見ていた時、「カメラを通して観るように」と言われ、安全のために千葉は火薬と距離を取りアクションをしていたが、レンズの位置からみると「今にも火薬でやられてしまうような迫力だった」とその迫力の違いに驚愕していた[138]。『仮面ライダーV3』のオファーを受けた宮内は演技づくりのために『仮面ライダー』を何本かみて、「“アクションの神様”である千葉真一さんから教えを受けた私なら、変身前のアクションシーンをもっと盛り上げられると思った」とその影響を認めている[138]。このほかにも「(V3の)アクションシーンで必ず手袋を着用したのは怪我を防ぐためだが、これは千葉さんのアイデアを取り入れたものだ[139]」と、アクションのノウハウを千葉から享受されていた。(⇒ #音楽


1969年、オールスターキャスト映画『日本暗殺秘録』では小沼正に扮して主演。『キイハンター』を休んだため、TBSやファンから復帰の要望が高まっていたが[43]、ドラマのイメージから脱皮しようと本作に賭ける思いはとても強かった[43]。中島貞夫と協議しながら小沼を創り上げていき、撮影見学に来ていた小沼本人からもその演技は太鼓判を押された[43]。喜びと共に「人気者になるだけでなく、様々な作品に出演していかなくてはいけない。『キイハンター』を卒業しよう[43]」と決意する転機になった。降板をボス役の丹波哲郎に申し入れ[40][130]、丹波と東映は続けたかったが[130]、丹波は「千葉が居ないのでは『キイハンター』は成り立たない。だったら一度番組を終わらせよう」と理解を示し、大ヒットしていた同ドラマは1973年に終焉[40][130]。千葉は「丹波さんの決断にとても感謝している」と述懐している[130]





JAC


1970年、アクション・擬斗を演じる相手やスタントマンの不足に悩み[注釈 8]、アメリカ映画で活躍するような俳優・スタントマンの育成、若年層の教育に関心を持っていたことから、ジャパンアクションクラブ (JAC ) を設立。結成式には若山富三郎が駆けつけてお祝いをしていた[140]。主な門下生には大葉健二・金田治・斉藤一之・西本良治郎・春田純一・山岡淳二・志穂美悦子・真田広之・関根大学・黒崎輝・崎津隆介・山田一善・山本亨・渡洋史・高木淳也・伊原剛志・堤真一・真矢武・土家歩・村松美香・山口祥行らがおり、俳優・アクション監督・スタントマン・スーツアクターで活躍する人材を輩出[22]。千葉の親友である夏八木勲や[17][141]、桜木健一[142]、ら所属していない俳優も練習に通っていた[17][141][142]。トップスターでありながら、志穂美悦子の『女必殺拳』、真田広之の『忍者武芸帖 百地三太夫』・『吼えろ鉄拳』・『伊賀忍法帖』、大葉健二の『宇宙刑事ギャバン』、黒崎輝の『伊賀野カバ丸』・『コータローまかりとおる』、村松美香の『旅少女』など、教え子たちの主演作品に助演として出演することも多い[143]。共に格闘映画を製作してきた橋本新一(脚本家・助監督)は「東映の大部屋俳優だけでは彼の擬斗を活かせることができなかったから、JAC を作ったことで格闘映画の質は向上した」と評している[144]。(⇒ #演劇#転機



ヤクザ映画


任侠映画『子守唄シリーズ』をヒットさせていたが[51]、1973年の映画『仁義なき戦い 広島死闘篇』がこれまでのイメージをかえることとなる。



配役は予科練出身のヤクザ・山中正治に決まり、セリフも全て覚えて撮影に入る直前だった[41][42][145]。しかし狂犬のようなヤクザ・大友勝利を演じることが決まっていた北大路欣也が「大友は粗暴で下品すぎて、どうしても自分では演じられない。山中をやらせてほしい」と言い出したことから、プロデューサーの日下部五朗と宣伝担当者らは千葉を突然訪ね、「山中と大友を交代してもらえないか」と依頼してきた[41][42][145]。『日本暗殺秘録』に続いて『広島死闘篇』の脚本を執筆した笠原和夫は、小沼正の一面を山中のキャラクターに取り込んでいたこともあり、東映と笠原は「小沼を好演して受賞した千葉に、山中を演じさせよう」とキャスティングしていた[145]。このような経緯から千葉も、小沼と山中に共通点を見出して役作りしてきたため、初めは交代に難色を示した[145]。ほどなくして深作欣二が会議で唯一「千葉に大友を演じさせたほうが、絶対おもしろくなる」と主張していたことを知り、似たような役を再び演じることは俳優として停滞するのではないかと再考し、「役作りし直すから、出番を少し後にずらしてほしい」と交代を了承した[41][42][145]。この時、中島貞夫も「大友をやるべき」と説得しており、「千葉ちゃんはサクさん(深作欣二)ともよく付き合っていたけど、肝心なところでは僕の意見を聞いてくれた」と話している[146]。北大路に役を譲ったのはこれが初めてでなく、1963年の映画『海軍』に続いて二度目であった[注釈 13]





当時の千葉はブロマイドの売上げが俳優部門で4年連続No.1のアイドルでもあったが[40][41][42][45][147]、過激なセリフに悩みながら「これまで良いと思ったものを全て捨てる」という姿勢で、サングラスを常時掛けて眼を隠し、唇を裏返しにして糊付けするなど、役柄にふさわしい演技・扮装を工夫した[42][148]。そして作り上げた大友勝利はシリーズ中1, 2を争う名キャラクターとして人気をつかんでおり[41][45][46]、後のヤクザ映画でも「『仁義なき戦い』の千葉真一さんがやった大友勝利のような」と影響を与え続け、ヤクザ役のひな型となっている[47]。封切り公開されると千葉のイメージチェンジは話題となり[16][41][42][118]、俳優座養成所1期生で千葉と何度か共演している岩崎加根子などからも絶賛され[149]、それを聞いた千葉は「とても自信がついた。悪役の妙味を知ることができ、実に大きなものを与えてくれた作品だった」と語っている[41][42]。大友勝利は人気キャラクターだけあって主人公にした企画が出され[41]、『仁義なき戦い 頂上作戦』にも大友で出演する予定だったが[150]、『広島死闘篇』と同時進行で『柔道一代シリーズ』以来、10年ぶりの格闘映画にクランクインしたため、『仁義なき戦いシリーズ』の再出演は実現しなかった[48]。(⇒ #転機



多くのヤクザ映画を手掛けてきた俊藤浩滋は「役者でいうと高倉健タイプかな。(ヤクザ映画で)行動派を演じさせれば、ピッと光るものがある」と評している[151]



時代劇


1978年から本格的に時代劇へ進出するが、1963年の『八州遊侠伝 男の盃』以来であった。木刀で殺陣の練習を1日8時間行い臨み、主演映画『柳生一族の陰謀』では20mの崖から川へ飛び込むスタントをした。この作品は千葉が『裏柳生』というタイトルで深作欣二へ提出した企画がベースになっている[47][152][153][154][155]。深作は従来の時代劇でなく、もっとテンポのあるアクション時代劇を作りたかったので、その期待に応えられる俳優は千葉真一、ただ一人しかないと見定めていた[156]





千葉が演じる剣豪や忍者は、空手や器械体操の技を取り入れたアクロバティックな殺陣で人気を得ていた[81][82][157]。プロゴルファーの尾崎将司は試合でパターを打つ際に、『影の軍団シリーズ』で千葉演ずる頭領(おかしら)が敵を倒す直前に言う「天魔覆滅」を唱えてから打つと語っている[158]。2012年のハリウッド映画『アベンジャーズ』のサミュエル・L・ジャクソンが扮した役柄は千葉の柳生十兵衛を参考としているなど後の作品にも影響を与え[60]、福岡ソフトバンクホークスの監督・秋山幸二は「あなたにとってサムライとは?」という問いに「千葉真一の柳生十兵衛は、生きるか死ぬか究極の真剣勝負というイメージがいい」と評し[159]、根強い人気がある[60][159]。しかし十兵衛で長時間、左目に眼帯をしていたため千葉の右目は酷使され、視力を失い、人工レンズを入れる代償も払っていた[160]。(⇒ #ジャンルを越えた活躍



2007年の『風林火山』を「いままで大河ドラマに不思議と縁が無く、ようやく(出演のオファーが)来たかと思った」と語っており[161]、共演した内野聖陽は







思い出に残るシーンは、それはもちろん千葉真一さんとの殺陣でしょうね。僕も殺陣が非常に好きで普段から稽古しているんですが、千葉さんといえば世界的にも有名でアクションも凄いじゃないですか。そういう方と殺陣ができるのが、うれしくてしょうがなかった。千葉さんは「どっからでもかかっていらっしゃい」という感じで、どっしりと構えている。僕もこの大きな胸を借りて、思いっきりやってやれという感じで、やらせていただきました。千葉さんはすごく情熱的な方で、収録が終わっても若い人を集めて酒を飲みながら、演技について語っているんですよ。その仲間に僕も入れていただいて、電気が消えて「早く出て行ってください」と言われても、ひたすら飲んで語っていました(笑)。殺陣の極意をいろいろ聞かせていただいて、楽しかったですね。視聴者の方にはお教えできないテクニックも教わって、いろんな意味で勉強になりました(笑)。[162]


と語っている。



演劇


演劇にも進出し、3年間にわたって満員御礼となる記録的な成功を収めたミュージカル『ゆかいな海賊大冒険』(1982年 - 1984年)[86]、『酔いどれ公爵』(1985年)など複数の作品を企画・演出・主演し、JAC ミュージカルとして定期的に公演した。JAC の設立当初は吹き替えしないでアクションを演じられる俳優とスタントマンを育成する場だったが、ウエスト・サイド物語に感動して「いつかはミュージカルをやりたい」という夢を抱いていた[163]、「肉体は俳優の言葉」というポリシーに「五体で喜怒哀楽を表現する」を加えて生徒を育てていく[118]、「役者を育てるにはミュージカルが一番だと気づいた[16]」、などミュージカル公演は悲願のひとつであった。高平哲郎は1980年代後半からミュージカルやショー関係の舞台が多くなってきたときに、「脇を固めてくれるダンサーや役者は、ほとんどがJAC 出身者か劇団四季の退団者だった」と述べている[16]。(⇒ #JAC



Hollywood


高校在学中からハリウッド映画のファンで、アラン・ラッドの『シェーン』やゲイリー・クーパーの『真昼の決闘』など、西部劇・アメリカ映画を夢中で観ていた[26]


友人であるサミュエル・L・ジャクソン[60]、クエンティン・タランティーノのほかには[61]、スティーヴン・セガール[164]、デニス・ヘイスバート、映画プロデューサーのデスティン・パフ[165]、らと親交がある[60][61][164][165]。セガールは流暢な大阪弁で「千葉先生、居てはりまっか?」などと頻繁に連絡してきており[164]、パフは「Sonny Chiba (サニー ちば)のような伝説の俳優と組めるなんて、これ以上の幸せはない[165]」と語っている。(⇒ #格闘映画#ファン


2003年、クエンティン・タランティーノのアメリカ映画『キル・ビル』では出演と、ユマ・サーマン、ルーシー・リューらハリウッドスターへ剣術指導をした[90]。サーマンは「Sonny (サニー)は大好きよ。私にとって彼は大スターだし、偉大な俳優だと思う[166]」と、一方のリューは「Sonny は本当にいろいろなことを教えてくれた[167]」と、それぞれ語っている。


後輩の松方弘樹は千葉が海外で活躍している要因を







むちゃくちゃ仕事熱心な方です。しかも弱音を吐いたところを聞いたことがない。映画の現場では遅刻もしなければ、現場から早く自宅に帰ることもない。まじめなんですね。本当に頭が下がる思いです。もう一つかなわないことがあるんです。僕は割と交友関係は広い方なんですが、千葉さんは僕以上に友達が多い。だれとでもすぐに友達になるんですよね。ホントうらやましい。ハリウッドにポンと挑戦できちゃうのも、気さくな性格とこの交友関係の広さなんでしょうね。[22]


と評している。



人物



器械体操


君津市君津中学校へ進学すると、千葉の進路に影響を与えることとなる体育教師の松本と出会う[25]。松本は千葉を陸上競技・バレーボール・野球(投手で4番打者[29])など、複数の大会に出場させていた[25]。この頃ヘルシンキオリンピックが開催され、日本勢が体操競技でメダルを獲得したことにより、体操競技の一大ブームが発生する[168]。松本はその時勢に乗り、千葉を「体操部を創るから部員になれ」と勧誘したので、運動部を掛け持ちしながら練習し始める日々となった[168]。勧められての体操競技だったが、やがてオリンピックで日の丸を掲げたいという夢を抱くようになり[12][19]、松本に相談すると「体操するなら木更津一高へ行け」とアドバイスされた[168]。進学校のため躊躇していると松本は練習後にも勉強をみてくれる先生を手配し、その甲斐有って合格[168]。入学後は体操競技に専念し、1年生で全国大会上位入賞、3年生で全国大会優勝を成し遂げた[12][26]


1957年、日本体育大学体育学部体育学科へ進学[6][23][27][28]。同級生には東京オリンピックの跳馬金メダリストの山下治広がおり、ヘルシンキオリンピックの跳馬銀メダリスト・竹本正男に指導を受けた[12][23]。オリンピック出場を目指して練習に明け暮れていたが、独力で通学することが条件だったので、学費を稼ぐために時給が高い土工や引越しのアルバイトを、身体鍛錬も兼ねて並行していた[169]。大学2年生の夏[注釈 5]、跳馬を練習中に着地で失敗し、腰・両膝を痛めてしまう[6][23][29][30]。練習とアルバイトの掛け持ちで身体を酷使していたことも加わり悪化し、医者から「1年間運動禁止」と宣告された[6][28]。1週間も練習を休めば差がつくこの時期に、選手を続けることが困難となる[6][23][28]。山下はその実力を「日本の体操選手が不得意にしているあん馬が彼は得意だった。でも大学二年の秋[注釈 5]、跳馬の練習中に着地を失敗してアキレス腱と腰を痛めてしまって…。あのまま体操を続けていれば、間違いなく東京オリンピックでメダルを獲得できたのに惜しかった」と評し、才能を惜しんでいる[169]。(⇒ #オリンピックを目指して



空手道


東映に入る前から大山道場に通っており、きっかけは大学生の時に大山倍達を知っている韓国人から紹介を受けて入門[170]。格闘映画で千葉の敵役を演じた石橋雅史は極真カラテの先輩にあたる[170][171]。大山は「学生時分から千葉は道場へ通ってきており、仕事の関係でまとまった稽古をしていないまでも、門下生の序列でいうと相当古い方になるんだよ[172]」と語っている。千葉は名誉段位ではなく、一般門下生と同様に昇段審査を受け、1965年10月15日に黒帯(初段)を允許[173]、1977年2月3日に弐段を越えて飛び段で参段[174]、1984年1月20日に四段へ昇段した[18]


1977年3月16日に空手道による真剣勝負をすることが発表され[175]、4月にハワイで開催された「日本代表極真会館チーム対ハワイ代表チーム」というフルコンタクト空手の対抗戦に参戦した[12][66]。他の日本代表メンバーには大石代悟・二宮城光・東孝・中村誠などがおり[注釈 14]、対戦相手は「前アメリカ東海岸空手チャンピオンのグレッグ・カーフマン」という180cm以上ある黒人であった[67][68]。千葉は通常の空手技の他に、跳び右後ろ回し蹴りや胴回し回転蹴りの元となった前方宙返りして踵で蹴るなど攻撃して、第2ラウンドに二段蹴りでKO勝ちを収めた[12][68]。結果的に同年5月14日に封切り公開された映画『空手バカ一代』の宣伝にもなった。大山倍達は「千葉真一の空手映画は欧米で非常なブームとなっており、本職の空手家らの『Sonny Chiba (サニー ちば)の空手は本物』という批評が聞かれていた。極真カラテの黒帯である千葉だからそれも当然で、この対抗試合に出場してその実力を示したのは立派と言うしかない」と述べている[176]。(⇒ #Sonny Chiba


1984年1月20日 - 22日に開催された極真会館主催の第3回オープントーナメント全世界空手道選手権大会では志穂美悦子・真田広之らジャパンアクションクラブ (JAC ) メンバーを率い、演武とテレビのゲスト解説をした。同年8月、極真会館ブラジル支部長・磯部清次の招待により、志穂美・真田・大葉健二を連れてサンパウロへ行き、25日 - 26日に開催された第1回日伯・第8回ブラジル極真空手道選手権大会でも演武を行った[177]


日本・アメリカ・東南アジアと世界各国で後進の育成・空手道の普及に活動しており、毎年10月には旧武徳殿がある京都市武道センターで少年少女オープン空手道選手権大会「千葉真一総裁杯」を催している。『新 影の軍団シリーズ』で共演した高野八誠は「最終章のラストシーンで千葉さんと殺陣をするんですが、休憩中に千葉さんが後ろ回し蹴りを見せてくれて、すっごい感動しましたね。動きは昔と変わってないなって、改めてビックリさせてもらいました[178]」と、当時66歳の千葉について語っている。(⇒ #格闘映画



人柄


スポーツニッポン文化部次長だった脇田巧彦は「何事においても、とことん、のめりこむ性質で、適度ということを知らない熱血漢である[19]」と評し、娘の真瀬樹里は「何があっても進んでいく前向きさと、映画への情熱は世界一。パパは私の誇り[97]」と話している。高平哲郎は「打ち合わせ相手を待っていると、後ろのテーブルには千葉さんが女性と仕事の話をしながら、食事をしていた。思わず『高平です。ご無沙汰しています』と声をかけると、千葉さんは立ち上がり、笑顔で『お元気ですか』と答えてくれた。2回しか会ってない私にきちんと挨拶をしてくれるのが、千葉さんの真面目さと優しさなんだと思う[16]」と記している。


日刊スポーツの記者は「圧倒的な存在感をオーラと呼ぶが、それを感じた[22]」、東映ニューフェイスの後輩である堀田眞三は「かつて大流行した『カッコいい!千葉ちゃん!』の言葉通り、“カッコよさ”の象徴だった[179]。国中を席巻したカリスマであり、正真正銘の映画スターとして、醸し出す雰囲気や存在感が全然違う[179]。共演俳優や東映の後輩らも、威厳とパワフルで圧倒されるけど明るくて格好良いと言ってるし、滲み出る男を感じさせてくれる[180][181][182]」、サミュエル・L・ジャクソンは「タフガイを演じる時には、いつも千葉さんの演技を参考にさせてもらっているんだ。カリスマ的な存在感のある、最高にクールな俳優だと思うよ[60]」、あさ美は「かっこよすぎだし、オーラがすごいし、魅入っちゃった[183]」、大木凡人は「とにかくカッコ良く情熱をもったスターです[184]」、小泉孝太郎は「撮影現場に入られただけで、見えていないのにそれと分かる雰囲気を感じるくらい、ものすごい存在感でした。何かに例えるならば、サッカーコートジボワール代表のディディエ・ドログバのような。千葉さんが画面の前にお立ちになると、一気に何かが激変します[注釈 15][185]」など、異口同音に「(千葉さんには)オーラやカリスマ性がある」と証言している。


真樹日佐夫は「とても折り目正しいところに、淡い好感をおぼえた[186]」、「ニューヨークで酒を酌み交わした時[注釈 16]、いくら飲んでも崩れを見せぬ見事な酒品だった[187]」と述べ、平松伸二は自身の漫画が映画化されたときに、『ドーベルマン刑事』の撮影現場を訪れて主人公の加納錠治を演ずる千葉真一と会っており、「まさかこんな若い人(平松)が漫画を描いているとはねえ~!」「ホンネを言えば、ボクとかより松田優作くんなんかの方が加納にあってると思ってるんじゃないのかなァ!!」と笑いながら話しかけられ、「図星だった!千葉さんは正直で気さくないい人だった」と回想している[188]



ファン


日本ではいしだあゆみ[189]・今井雅之[190][191]・尾崎将司[158]・吉川晃司[192][193]・関根勤[16]・園子温[194]・高平哲郎[16]、吉本真由美などのファンがいる。


いしだあゆみは雑誌の表紙撮影で対面したときに「わたし、千葉さんの大ファンなんです」と伝えていた[189]。いしだ主演のテレビドラマ『雪の朝に』(1987年)で恋人役で念願の共演を果たし、ほかには映画『闇の狩人』(1979年)や千葉主演のテレビドラマ『おわこんTV』(2014年)でも共演している。今井雅之は子供の頃、友達と『キイハンター』ごっこで遊ぶときには、千葉に扮するほどの熱狂的なファン[195]。吉川晃司は幼少期、千葉の活躍に憧れを抱いていた[192][193]。(⇒ #キイハンター#2010年以降


ジャパンアクションクラブ (JAC ) に1980年代初期までに入団したメンバーのほとんどが千葉の勇姿に憧れた者ばかりで、大葉健二[196]・春田純一[197]・志穂美悦子[198][199][200]・関根大学[201]・山田一善[202]、など。(⇒ #JAC


日本国外の熱烈なファンにはサミュエル・L・ジャクソン[59][60]、クエンティン・タランティーノ[61][123]、ジャッキー・チェン[134]、ジョナサン・ノーラン[203][204]、ジャレッド・フェルナンデス[205]、ブルース・リー[51]、キアヌ・リーブス[62][63]、リュ・スンワン[124]、インドネシアの格闘家・俳優のヤヤン・ルヒアン[56]、らがおり、世界の映画人・著名人に影響を与えている。


サミュエル・L・ジャクソンは初めて千葉に会った時、直立不動で「サインをください」と頼んでいた[164]。クエンティン・タランティーノはアメリカ映画『トゥルー・ロマンス』で主人公が『激突! 殺人拳』を映画館で観て、部屋には『カミカゼ野郎 真昼の決斗』、『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』のポスターを貼るなど、千葉の熱狂的ファンである主人公を描いている。キアヌ・リーブスは「僕はSonny Chiba の映画とともに育ったようなものなんだ[62]」、「『The Street Fighter 』からアクションと芝居を学んだ。僕は映画用のカンフーならできるけど、サニー千葉は実際に人をボコボコにできる。情熱を感じる[63]」と語り、リーブスの主演映画『ジョン・ウィック』のプロモーションで来日した2015年10月に千葉と待望の対面を果たした際には、"Oh my god! "を連発、固い握手を交わし、「ハジメマシテ、マエストロ!(巨匠)」と千葉へ挨拶[63]。「あなたはキャラクターを演じるだけでなく、そこにアクションを盛り込んだ。屈強なキャラクターにもあなたが演じると心が感じられる」と身振り手振りを交えながら、千葉と会えたことをリーブスは終始嬉しそうに大はしゃぎしていた[63]。リュ・スンワンは『キネマ旬報』の2015年12月下旬号で対談した際、千葉から『仁義なき戦い 広島死闘篇』のDVDにサインをしてもらい、「今日はDVDを持って来られなかったのですが、千葉さんの『激突! 殺人拳』が本当に好きなんです。僕があまりにも見ているので、うちの子供たちもテーマ曲を口ずさむことができる。お会いできて光栄です」と喜びを語っている[124]。ヤヤン・ルヒアンは映画『ザ・レイド』のプロモーションで2012年に来日した際、「千葉さんのアクションは本当に勉強になります」と日本が誇る世界のアクションスターに敬意を表した[56]。(⇒ #格闘映画#ハリウッド


ジャッキー・チェンはスターとして認められだした頃に東映京都撮影所へ出向き、千葉を表敬訪問して念願であった対面を実現した[134]。ジョナサン・ノーランは「千葉真一の作品を見て育った」と答え[203][204]、広島東洋カープの投手で映画プロデューサー転身の夢があるジャレッド・フェルナンデスは「中学時代から(千葉の)映画をよく見ていた。いい映画を作って彼を呼びたい」と言っている[205]。ブルース・リーは『キイハンター』で千葉を知っており[12]、大ファンとなったリーは[51]、共演をオファーしていた[12]。(⇒ #キイハンター



交友


深作欣二・高倉健・大山倍達を「人生で最も影響を受けた特別な存在で最も敬愛する人物[206]」、尊敬する俳優に「ジェームズ・ディーン、ジャン=ポール・ベルモンド、高倉健、若山富三郎、ゲイリー・クーパー[207]」、「親友は夏八木勲[17][208]」を挙げている。


1967年の映画『あゝ同期の桜』で知己を得て以来、最も共演が多い夏八木勲は千葉を[17][208]







新人で京都にきたばかりで挨拶の仕方も知らなく、そんな僕を千葉ちゃんがいろいろと面倒みてくれた。「何も知らない奴だから、あまりいじめないでくれよ」と周囲に言ってくれたんです。お陰で見知らぬ京都でかなり過ごしやすくなったので、本当に感謝しています。千葉ちゃんのそういう性格はもちろんだけど、あそこまで自分の肉体を意のままに操れるよう、鍛えていたことに僕はビックリしてね。千葉ちゃんから「JACでアクションの練習をしているから、なっちゃんも暇があったら来てみない?」って誘われたので、時間がある時は練習場に行って、紛れて一緒に鍛えたりしていました。[17]


と評しており、千葉と夏八木を知る関係者も「夏八木さんの口からは、千葉さんを絶賛する言葉しか聞いたことがない。千葉さんも夏八木さんを『僕の人生の中で最高の俳優』と認めていて、事あるごとに仕事に誘っていた。互いによき理解者で、尊敬し合えるかけがえのない友だった」と証言している[208]


深作欣二は「ともかく熱心だった。特にアクションシーンになると、自分からアイデアを出して急にイキイキしてくる。スティーブ・マックイーンみたいになりたいというのが口癖だった[209]」、東映ニューフェイスの先輩でもある高倉健は「お互いに無口なところが妙に気が合ってね。普通なら男同士、酒でも飲んで語り合うもんだが、酒を飲めない俺に気を使ってか、喫茶店でコーヒーを飲んだりメシを食いに行ったりで、内気な恋人同士のデートみたいだった。それでも楽しいんだなあ[36]」、同期の亀石征一郎は「方言が抜けないから研修が終わっても、一人で発音の練習をしていたのが印象的だった[36]」と語る。


デビュー当時から相談に乗っていた潮健児は「東京オリンピックのあった昭和39年(1964年)前後に一番悩んでいた。日本体育大学の友人はオリンピックで名を上げ、『網走番外地』で高倉健さんがスターになった。映画をやめたいと漏らしていた[137]」と苦悩する様子を、鶴田浩二は「融通の利かないところが損しているな。絶対に弁解しないから、誤解されやすい[137]」と、それぞれ慮っている。


中尾彬は千葉県立木更津第一高等学校の後輩で、「前田さん(千葉の本名)」と挨拶する[210]。日体大に在学していた千葉が教育実習で指導した生徒が中尾で、教師と教え子の関係でもあったが、理由もなく反抗し、授業をよくサボっていた[210]。芸能界で再会したときに、中尾は非礼を陳謝[210]。中尾の出演ドラマ『二人の刑事』(TBS)を千葉が「観ているぜ」と言うと、中尾は「光栄です」と低頭する間柄である[210]


特別後援者としてピラニア軍団に関わっており、軍団の結成式が1975年に大阪市の御堂会館で催され、深作欣二・渡瀬恒彦と共に立会った[211]。千葉は舞台へ上がらず、カメラ片手に客席からメンバーに声をかけて裏方に徹し、場を盛り上げていた。そんな千葉に川谷拓三は感謝し「ワシ、生まれて初めてこんな派手なスポットライトを浴びましたわ。ホンマおおきに!」と号泣していた[211]



趣味


趣味は水彩画[39]。日記をつけている[119]。愛車は白のマツダ・コスモスポーツとフォード・マスタング・Mach1[212]。選んだ理由は「小回りが利くから」と実にアクションスターらしい動機である。マーキュリー・クーガーへと乗り継いだ。トヨタ・カリーナのCMに出演した頃、トヨタよりカリーナの新車を毎年提供されていたので1年間乗った後、志穂美悦子や真田広之らジャパンアクションクラブ (JAC ) のメンバーに譲っていた。



家族


福岡県福岡市博多区雑餉隈で二男三女の長男(第二子)として生誕[2]。父親は大刀洗町に在った陸軍飛行戦隊に所属する軍人で、母親は熊本県出身で学生時代に陸上競技をしていた[2]。テストパイロットの父親は初めて建造された空母へ初着艦を成功させるなど、危険な重責業務で給料の半分が飲み代となり、家庭は裕福でなかった[3]。4歳の時、父親が千葉県木更津市へ異動となったため、家族で千葉県君津市へ転居した[24]。終戦後、軍が解体され、父親は漁業組合の役員へ転職したが、家計は厳しかった[3]。小学生の頃から、新聞・牛乳配達をして家計を助けた[169]。しかし「貧乏だったものの大自然に囲まれていたため、米以外は不自由せずにいろいろな食物を食べることができ、自分の土台となった」と当時を述懐している[213]。父親は芸能界入りを猛烈に反対して勘当していたが[33]、作品を観てからは考えを変え[214]、その後は観るのを楽しんでいる[169]。1971年初めには地元の君津市に実家を新築して親孝行をした[215]。(⇒ #オリンピックを目指して


弟の矢吹二朗が中学生になると東京都へ呼び寄せ、学校にも通わせ、育ち盛りの矢吹にはご飯を食べさせ、千葉はコッペパンに水という日々もあった[169]。「ときどき兄貴の腕時計や無理して買ったテープレコーダーが無くなったのは、きっと質屋へ持って行っていたと思う。僕には心配させまいと、一言も言わなかった」と語る[169]


テレビドラマ『キイハンター』で共演した野際陽子と1973年に結婚し、一人娘の真瀬樹里を儲ける。おしどり夫婦として有名だったが、ハリウッドで仕事が増え始めて拠点を移したい千葉と[216]、日本に居たい野際の意志不一致から[216]、1994年に離婚。記者会見を野際と一緒に行うなど憎みあっての離婚ではないため、真瀬共々良好な関係を続けており、真瀬とはテレビ時代劇『寺子屋ゆめ指南』、『風林火山』で共演し、複数のトーク番組へ一緒に出演している。その後、千葉は28歳年下の一般女性と1996年に再婚して長男・新田真剣佑と次男・眞栄田郷敦を授かり、アメリカ合衆国カリフォルニア州ビバリーヒルズに在住している[22][95][96][98]。2015年に離婚した[217]



受賞


☆ノミネートを含む。



  • ミスタースポーツモデル : ウェアモデル入賞 (1958年)


  • エランドール賞 : 新人賞 (1962年)


  • 日本映画製作者協会 : 新人賞 (1967年)


  • 京都市民映画祭 : 主演男優賞 『日本暗殺秘録』(1969年)

  • 京都市民映画祭 : 主演男優賞 『沖縄やくざ戦争』(1976年)


  • 第2回日本アカデミー賞 : 優秀助演男優賞 『柳生一族の陰謀』(1979年)


  • 第22回ブルーリボン賞 : スタッフ賞

  • 第18回香港電影金像奨 : 優秀主演男優賞 『風雲 ストームライダーズ / 雄覇天下』(1999年)


  • 第30回サターン賞 : 助演男優賞ノミネート 『キル・ビル』 (2004年)

  • 第25回ハワイ国際映画祭 : MAVERICK AWARD 〔映画への貢献を称える特別賞〕(2005年)

  • 第15回日本映画批評家大賞 : ゴールデン・グローリー賞 〔日本映画の発展に貢献した俳優〕 (2006年)


  • OKINAWA シネマ&ミュージックアワード 映画部門功労賞 (2006年)


「おきなわシネマ&ミュージックフェスタ2006」にて、映画の発展に貢献したクリエイターとして表彰



  • 天草映画祭 風の賞 : 特別賞 (2007年)


  • SINGAFEST 2011 〔ビッグフット・エンターテインメント主催〕 : LIFETIME ACHIEVEMENT AWARD (2011年)



MARTIAL ARTS LEGEND Sonny Chiba を表彰


出演





1961年の主演映画『宇宙快速船』



映画



国内


☆太字は主演やスタッフ兼務作品。諸外国との合作映画は#海外作品を参照。社名のない作品は東映。




  • 警視庁物語シリーズ (1961年) - 中川刑事

    • 警視庁物語 不在証明(ありばい)

    • 警視庁物語 十五才の女

    • 警視庁物語 十二人の刑事




  • 風来坊探偵シリーズ (1961年、ニュー東映) - 主演・西園寺五郎

    • 風来坊探偵 赤い谷の惨劇

    • 風来坊探偵 岬を渡る黒い風



  • 宇宙快速船 (1961年、ニュー東映) - 主演・立花真一 / アイアンシャープ


  • ファンキーハットの快男児シリーズ (1961年) - 主演・天下一郎

    • ファンキーハットの快男児 (ニュー東映)

    • ファンキーハットの快男児 二千万円の腕




  • 次郎長社長と石松社員シリーズ


    • 進藤の社長シリーズ 石松社員は男でござる (1961年) - 長島


    • 次郎長社長と石松社員 安来ぶし道中 (1963年) - 塩見寛




  • 南太平洋波高し (1962年) - 結城


  • 恋愛学校 ラブ・スクール (1962年、ニュー東映) - 木暮慎一


  • 二・二六事件 脱出 (1962年、ニュー東映) - 篠原上等兵


  • 恋と太陽とギャング (1962年、ニュー東映) - 山内


  • あの空の果てに星はまたゝく (1962年) - 堀本義夫


  • 残酷な月 (1962年) - 正木


  • 山麓 (1962年) - 速水信吉


  • 八月十五日の動乱 (1962年) - 大森医師


  • ギャング対Gメン (1962年) - 梶修


  • 王将 (1962年) - 毛利


  • 事件記者シリーズ - 主演・城野大助

    • 恐怖の魔女 (1962年)

    • 殺人鬼の誘惑 (1963年)




  • こまどりのりんごっ子姉妹 (1963年) - 梅さん


  • 暴力街 (1963年) - 市ノ木一夫


  • 特別機動捜査隊シリーズ (1963年) - 主演・内藤刑事

    • 特別機動捜査隊

    • 特別機動捜査隊 東京駅に張り込め




  • こまどり姉妹 未練ごころ (1963年) - 富沢健一


  • 柔道一代シリーズ - 主演・本郷四郎

    • 柔道一代 (1963年)

    • 柔道一代 講道館の鬼 (1964年)




  • 八州遊侠伝 男の盃 (1963年) - 佐太郎


  • 浅草の侠客 (1963年) - 葉山新介


  • 海軍 (1963年) - 牟田口隆夫

  • やくざの歌 (1963年) - 主演・新田俊次


  • ギャング忠臣蔵 (1963年) - 矢頭七郎

  • 白い熱球 (1963年) - 主演・荻原要太


  • わが恐喝の人生 (1963年) - 小沢伍郎


  • 地獄命令 (1964年) - 大松信一


  • 東京アンタッチャブル 売春地下組織 (1964年) - 原田芳夫


  • 君たちがいて僕がいた (1964年) - 矢吹誠


  • 竜虎一代 (1964年) - 松橋新一


  • あの雲に歌おう (1965年) - 戸野村淳


  • 可愛いあの娘 (1965年) - 森本


  • おゝい、雲! (1965年) - 辰巳三郎


  • にっぽん泥棒物語 (1965年) - 大木弁護士


  • 逃亡 (1965年) - 立石三郎


  • やくざGメン 明治暗黒街 (1965年) - 柴山徹


  • 無頼漢仁義 (1965年) - 陣内壮一


  • 網走番外地シリーズ


    • 網走番外地 北海篇 (1965年) - 葉山


    • 網走番外地 南国の対決 (1966年) - 谷村




  • 夜の牝犬 (1966年) - 大月辰男

  • 太陽に突っ走れ (1966年) - 主演・進藤孝


  • 子守唄シリーズ - 主演・遠藤文吾

    • 浪曲子守唄 (1966年)

    • 続 浪曲子守唄 (1967年)

    • 出世子守唄 (1967年)



  • 黄金バット(1966年) - 主演・ヤマトネ博士

  • 組織暴力 (1967年) - 主演・高杉晋次


  • あゝ同期の桜 (1967年) - 半沢少尉


  • 北海遊侠伝 (1967年) - 間修一


  • ギャングの帝王(1967年) - 松本

  • 河内遊侠伝 (1967年) - 主演・杉本駒吉


  • 人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊 (1968年) - 滝口航海長

  • 陸軍諜報33 (1968年) - 主演・山本和夫


  • あゝ予科練 (1968年) - 児玉少尉


  • 不良番長 猪の鹿お蝶 (1969年) - 藤木光男

  • 日本暗殺秘録 (1969年) - 主演・小沼正 ※京都市民映画祭主演男優賞、昭和44年度芸術祭参加作品


  • やくざ刑事シリーズ - 主演・隼田志郎

    • やくざ刑事 (1970年)

    • やくざ刑事 マリファナ密売組織 (1970年)

    • やくざ刑事 恐怖の毒ガス (1971年)

    • やくざ刑事 俺たちに墓はない (1971年)




  • 最後の特攻隊 (1970年) - 三島大尉


  • 狼やくざシリーズ

    • 狼やくざ 殺しは俺がやる (1971年) - 主演・氷室剛介

    • 狼やくざ 葬いは俺が出す (1972年) - 主演・伊吹徹




  • 麻薬売春Gメンシリーズ (1972年)

    • 麻薬売春Gメン - 主演・菊池靖男

    • 麻薬売春Gメン 恐怖の肉地獄 - 主演・菊地春夫




  • 銀蝶流れ者 牝猫博奕 (1972年) - 東隆次


  • 仁義なき戦い 広島死闘篇 (1973年) - 大友勝利


  • ボディガード牙シリーズ (1973年) - 主演・牙直人

    • ボディガード牙

    • ボディガード牙 必殺三角飛び




  • 殺人拳シリーズ

    • 激突! 殺人拳 (1974年) - 主演・剣琢磨

    • 殺人拳2 (1974年) - 主演・剣琢磨

    • 逆襲! 殺人拳 (1974年) - 主演・剣琢磨

    • 子連れ殺人拳 (1976年) - 主演・坂田周平



  • ルバング島の奇跡 陸軍中野学校 (1974年) - 主演・菊地一郎


  • 地獄拳シリーズ (1974年) - 主演・甲賀竜一

    • 直撃! 地獄拳

    • 直撃地獄拳 大逆転




  • 女必殺拳 (1974年) - 響征一

  • 少林寺拳法 (1975年) - 主演・宗道臣


  • 若い貴族たち 13階段のマキ (1975年) - 日向健一

  • ウルフガイ 燃えろ狼男 (1975年) - 主演・犬神明


  • 新幹線大爆破 (1975年) - 青木運転士


  • けんか空手シリーズ - 主演・大山倍達

    • けんか空手 極真拳 (1975年)

    • けんか空手 極真無頼拳 (1975年)

    • 空手バカ一代 (1977年)




  • 爆発! 暴走族 (1975年) - 津上


  • 新仁義なき戦い 組長の首 (1975年) - バーテンダー ※カメオ出演[47]


  • 激突! 合気道 (1975年) - 名取新兵衛


  • 必殺女拳士 (1976年) - 桧垣一真


  • 横浜暗黒街 マシンガンの竜 (1976年) - 小松啓市


  • ラグビー野郎 (1976年) - 大館力男

  • 脱走遊戯 (1976年) - 主演・神木渡

  • 沖縄やくざ戦争 (1976年) - 主演・国頭正剛 ※京都市民映画祭主演男優賞


  • やくざ戦争 日本の首領 (1977年) - 迫田常吉


  • 北陸代理戦争 (1977年) - 金井八郎


  • 日本の仁義 (1977年) - 木暮勝次

  • ドーベルマン刑事 (1977年) - 主演・加納錠治


  • トラック野郎・度胸一番星 (1977年) - 新村譲次


  • 瞳の中の訪問者 (1977年、ホリ企画) - 酔っ払い ※カメオ出演

  • 柳生一族の陰謀 (1978年) - 主演・柳生十兵衛三厳 ※第2回日本アカデミー賞優秀助演男優賞


  • 宇宙からのメッセージ (1978年、東映 / 東北新社) - ハンス王子


  • 沖縄10年戦争 (1978年) - 伊波朝勇


  • 赤穂城断絶 (1978年) - 不破数右衛門


  • 白昼の死角 (1979年) - 太田洋助


  • 闇の狩人 (1979年、俳優座 / 松竹) - 下国左門


  • 蘇える金狼 (1979年、角川春樹事務所) - 桜井光彦

  • 戦国自衛隊 (1979年、角川春樹事務所) - 主演・伊庭義明三尉 兼 アクション監督


  • 復活の日 (1980年、角川春樹事務所 / TBS) - 山内博士

  • 忍者武芸帖 百地三太夫 (1980年) - 不知火将監 兼 アクション監督


  • ちゃんばらグラフィティー 斬る! (1981年)

  • 魔界転生 (1981年) - 主演・柳生十兵衛光厳[注釈 17]

  • 吼えろ鉄拳 (1981年) - 太刀川俊介 兼 アクション監督

  • 冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE- (1981年) - 主演・神風大介


  • 蒲田行進曲 (1982年、角川春樹事務所 / 松竹) - 本人 ※友情出演


  • 伊賀忍法帖 (1982年、角川春樹事務所 / 東映) - 柳生新左衛門

  • 伊賀野カバ丸 (1983年) - 伊賀野才蔵 兼 企画


  • 里見八犬伝 (1983年、角川春樹事務所) - 犬山道節

  • コータローまかりとおる! (1984年) - ムーア公国大佐 兼 企画


  • 最後の博徒 (1985年) - 加納良三 〔モデル : 美能幸三〕


  • キャバレー (1986年、角川春樹事務所) - 関東連合組長 ※ゲスト出演


  • 必殺4 恨みはらします (1987年、ABC / 松竹) - わらべや文七

  • 将軍家光の乱心 激突 (1989年) - 伊庭庄左衛門 兼 アクション監督 ※第39回ベルリン国際映画祭招待作品


  • 丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる (1989年、丹波企画 / 学習研究社) ※特別出演

  • せんせい (1989年、トム・ソーヤ企画) - 牛山誠 兼 プロデューサー


  • 極道戦争 武闘派 (1991年) - 笠井高次


  • いつかギラギラする日 (1992年、NTV / バンダイ / 松竹) - 柴


  • ちんちろまい (2000年、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント) - 黒田武士


  • 実録 安藤昇侠道伝 烈火 (2002年、東映ビデオ) - 阪東連合幹事長 土方泰典


  • 伝説のやくざ ボンノシリーズ (東映ビデオ)


    • 伝説のやくざ ボンノ 烈火の章 (2002年)

    • 伝説のやくざ ボンノ 落日の章 (2003年) OV




  • 新 影の軍団シリーズ (シネマパラダイス) - 主演・初代服部半蔵

    • 新 影の軍団 (2003年) - 兼 企画


    • 新 影の軍団II (2003年) - 兼 企画 OV

    • 新 影の軍団III 地雷火 (2003年) - 兼 製作総指揮


    • 新 影の軍団IV 地雷火 (2003年) - 兼 製作総指揮 OV


    • 新 影の軍団V (2005年)  

    • 新 影の軍団 最終章 (2005年)




  • バトル・ロワイアルII 鎮魂歌 (2003年、東映 / EX) - 三村真樹雄


  • 銭道シリーズ (シネマパラダイス) - 神開浩次郎


    • 銭道 (2004年)

    • 銭道2 借金地獄抜け道指南 (2004年)

    • 銭道3 なにわ金融指南 (2004年)

    • 銭道4 男と女の金融講座 (2004年) OV

    • 銭道5 無限連鎖講 (2004年) OV

    • 銭道6 (2005年)




  • SURVIVE STYLE5+ (2004年、東北新社) - 薬品会社社長 風間


  • 猿飛佐助 闇の軍団シリーズ (2005年) - 柳生十兵衛三厳


    • 猿飛佐助 闇の軍団3 風の巻

    • 猿飛佐助 闇の軍団4 火の巻 完結篇




  • THE WINDS OF GOD -KAMIKAZE- (2006年、松竹) - 太田信忠 飛行隊長


  • マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔龍虎伝 (2006年、日活) - 源流和尚

  • 親父 (2007年、チェイスフィルムエンタテインメント) - 主演・沼田竜道 兼 監督


  • 修羅の花道シリーズ (2012年、コンセプトフィルム) - 須玉誉士夫 ※特別出演

    • 修羅の花道

    • 修羅の花道 2 OV




  • 日本統一シリーズ (2013年、オールインエンタテインメント) - 初代侠和会会長 権田誠蔵

    • 日本統一

    • 日本統一 2 OV




  • ニンジャセオリー (2014年、ワッヘンフィルムスタジオ) - 忍者マスター ※特別出演

  • 修羅の伝承 荒ぶる凶犬 (2014年、アスプロスドラーゴ) - 主演・秋山秀平


  • 歌舞伎町はいすくーる (2014年、コンセプトフィルム / NKTエンターテイメント) - 八海山理事長 ※特別出演


  • エイプリルフールズ (2015年、CX / 共同テレビジョン) - 強面暴力団幹部


  • 騒音 (2015年、浅井企画 / スタジオブルー) -


  • 極道天下布武シリーズ (2017年、オールインエンタテインメント) - 安芸毛利屋一家総長 毛利屋元就

    • 極道天下布武 第一幕

    • 極道天下布武 第二幕

    • 極道天下布武 第四幕




  • 写真甲子園 0.5秒の夏 (2017年、シネボイス) - 椅子工房の職人



海外


☆太字は主演やスタッフ兼務作品で、日本との合作映画も含む。



  • カミカゼ野郎 真昼の決斗 (1966年、日台合作) - 主演・御手洗健

  • 海底大戦争 (1966年、日米合作) - 主演・安部

  • 東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯 (1973年、日香泰韓合作) - 主演・和田達也

  • 激殺! 邪道拳 (1977年、日香泰合作) - 主演・無音笛 兼 企画

  • ゴルゴ13 九竜の首 (1977年、日香合作) - 主演・ゴルゴ13(デューク東郷)


  • 武士道ブレード (1981年、英米合作) - 井戸守

  • HAKEN 覇拳 ふりむけば修羅 (1992年、日香合作) - 山田警視 兼 監督


  • エイセス / 大空の誓い (1992年、米) - スエオ・ホリコシ大佐

  • 地雷原 A mine field. (1992年、日泰合作) - 主演・高木弘道 兼 原案

  • リゾート・トゥ・キル (1994年、米墨合作) - 主演・Jiro 'J.J.' Jintani

  • ザ・サイレンサー MAGNUM357 (1994年、日米合作) - 主演・マコト

  • 風雲 ストームライダーズ (1998年、香港) - 主演・雄覇 ※第18回香港電影金像奨 優秀主演男優賞

  • 小李飛刀之飛刀外傳 The Legend Of The Flying Swordsman (2000年、香港) - 李元覇


  • 狼たちの伝説 亜州黒社会戦争 (2000年、香港) - 草刈一雄


  • キル・ビル (2003年、米) - 服部半蔵 兼 剣術指導 ※第30回サターン賞 助演男優賞


  • 爆裂都市 / Explosive City (2004年、香港) - Otosan


  • ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT (2006年、米) - カマタ組長


  • SUSHI GIRL (2012年、米) - 寿司職人


  • テイク・ア・チャンス〜アメリカの内弟子〜 (2015年、米) - 宮本武蔵



ドラマ


☆太字は主演やスタッフ兼務作品。


日本のテレビドラマ


  • 新 七色仮面 (1960年、MBS ) - 主演・二代目七色仮面 / 蘭光太郎

  • ドキュメンタリードラマ / 指名手配 第38回 悪魔の火 (1960年7月6日、NET ) - 主演

  • アラーの使者 (1960年、NET ) - 主演・鳴海五郎 / アラーの使者


  • 浅草の灯 (1963年、NET


  • 鉄道公安36号 (NET ) - 主演・早川公安官

    • 第53話「シグナルは赤だ」(1964年)

    • 第72話「終電車」(1964年)

    • 第78話「影ある牙」(1964年)

    • 第79話「消えた荷箱」(1964年)




  • 東芝日曜劇場 (TBS )


    • 栄光の旗 前編 (1965年4月4日) - 山中中尉


    • 足で見る山 (1990年9月9日) - 倉橋




  • 特別機動捜査隊 第207話「大都会 後編」(1965年、NET ) - 小松刑事


  • 黄色い風土 (1965年 - 1966年、NET

  • くらやみ五段 (1965年 - 1966年、NET ) - 主演・倉見達也

  • キイハンター (1968年 - 1973年、TBS ) - 主演・風間洋介


  • 特命捜査室 第9話「デートは殺しのタイム」(1969年8月28日、CX


  • 柔道一直線 (TBS ) - 鷲尾

    • 第41話「荒鷲よはばたけ! -高校とはなにか-」(1970年4月5日)

    • 第45話「火の鳥よ翼を燃やせ -師とはなにか-」(1970年5月3日)

    • 第68話「鬼車と講道館 -自信とはなにか-」(1970年10月18日)




  • 刑事くん (TBS ) - 矢吹刑事

    • 第一部第31話「きらめく星は我が胸に」(1972年4月3日)

    • 第二部第1話「ぼくたちの春」(1973年4月16日)

    • 第二部第38話「輝かしき道へ」(1974年1月7日)




  • ロボット刑事 (1973年、CX ) - 新條敬太郎

    • 第1話「バドーの殺人セールスマン」(1973年4月5日)

    • 第2話「目撃者はゼロ」(1973年4月12日)



  • サスペンスシリーズ / 現代鬼婆考 殺愛 (1973年9月28日、MBS ) - 主演・老婆しげ

  • ザ・ボディガード (1974年、NET ) - 主演・鷲見秀介

  • ザ★ゴリラ7 (1975年、NET ) - 主演・風見大介

  • 燃える捜査網 (1975年 - 1976年、NET ) - 主演・大神史郎

  • 大非常線 (1976年、NET ) - 主演・五代正弘

  • ナショナルゴールデン劇場 / 七色とんがらし (1976年、NET ) - 主演・鮫島鉄男

  • 新伍とんでけ捕物帳 (1977年、TBS

  • 土曜ドラマ 鎌田敏夫シリーズ / 十字路 (1978年、NHK ) - 主演・木原潤三


  • 土曜ワイド劇場

    • 想い出の海辺 パパ、ぼく死にたくない!! (1978年9月9日、ANB ) - 主演


    • 旅行けば連続殺人 (1988年7月16日、ANB ) - 南条哲也


    • OL潜入! ニッポン風俗名所 (1989年6月17日、ABC ) - 岩田



  • 柳生一族の陰謀 (1978年 - 1979年、KTV ) - 主演・柳生十兵衛三厳

  • ドラマ ネットワーク 第3弾 / 雪山讃歌・ある青春 〜 立てた! 滑れた! (1978年10月28日、CX ) -


  • 南十字星 コルネリアお雪異聞 わたしの山田長政 (1978年、ABC ) - 宮本武蔵 ※特別出演


  • 影の軍団シリーズ (KTV )

    • 服部半蔵 影の軍団 (1980年) - 主演・三代目服部半蔵

    • 影の軍団II (1981年 - 1982年) - 主演・柘植新八

    • 影の軍団III (1982年) - 主演・多羅尾半蔵

    • 影の軍団IV (1985年) - 主演・十五代目服部半蔵

    • 影の軍団 幕末編 (1985年) - 主演・十五代目服部半蔵



  • 木曜ゴールデンドラマスペシャル / 東京大地震マグニチュード8.1 (1980年4月17日、ytv ) - 主演・小林


  • 柳生あばれ旅シリーズ (ANB ) - 主演・柳生十兵衛三厳

    • 柳生あばれ旅 (1980年 - 1981年)

    • 柳生十兵衛あばれ旅 (1982年 - 1983年)




  • 警視庁殺人課 第1話「復讐のバラード」(1981年4月13日、ANB ) -


  • 宇宙刑事ギャバン (ANB ) - ボイサー ※特別出演

    • 第1話「東京地底の怪要塞」(1982年3月5日) ※写真のみでノンクレジット

    • 第11話「父は生きているのか?謎のSOS信号」(6月4日) ※写真のみでノンクレジット

    • 第19話「午前6時蒸着!Zビームチャージ完了」(7月30日) ※写真のみでノンクレジット

    • 第42話「烈よ急げ! 父よ」(1983年2月11日) ※ノンクレジット

    • 第43話「再会」(2月18日)

    • 第44話「ドンホラーの首」(2月25日) ※ノンクレジット




  • 宇宙刑事シャリバン 第15話「海鳴りの仕掛島」(1983年6月10日、ANB ) - ボイサー ※ノンクレジット

  • 水曜ロードショー特別企画 / 素晴らしきサーカス野郎 (1984年1月4日、NTV ) - 主演・前島大学 兼 企画

  • 金曜ドラマ / 深夜にようこそ (1986年、TBS ) - 主演・村田耕三


  • TBS大型時代劇スペシャル (TBS )


    • 太閤記 (1987年) - 明智光秀


    • 徳川家康 (1988年) - 石川数正


    • 織田信長 (1989年) - 織田信秀


    • 源義経 (1990年) - 禅林坊覚日


    • 武田信玄 (1991年) - 武田信虎




  • 金曜女のドラマスペシャル / 雪の朝に (1987年5月1日、CX ) - 坂本医師


  • 旅少女 (1987年、NHK ) - 石川猛志

  • SAISON SPECIAL / 秋のシナリオ (1987年11月6日、NTV ) - 辰巳プロデューサー


  • 新春時代劇スペシャル (ANB )


    • 家光と彦左と一心太助 天下の一大事 (1989年) - 柳生十兵衛三厳


    • 新吾十番勝負 (1990年) - 梅井多門


    • 戦国乱世の暴れん坊 斎藤道三 怒涛の天下取り (1991年) - 明智光綱



  • シリーズ街 / 夢に見た日々 (1989年、ANB ) - 主演・関本慎作

  • 時代劇スペシャル / 十七人の忍者 (1990年10月10日、CX ) - 主演・伊賀三ノ組 組頭 甚伍左 兼 監督補

  • 徳川無頼帳 (1992年、TX ) - 主演・廓幻之介(松平忠輝) 兼 監修


  • 森蘭丸〜戦国を駆け抜けた若獅子〜 (1993年8月10日、TX ) - 森三左衛門可成


  • 土曜グランド劇場 / 聖龍伝説 (1996年、NTV ) - 冴木勇次


  • 金曜時代劇 (NHK )


    • 寺子屋ゆめ指南 (1997年) - 泉水又十郎


    • 柳生十兵衛七番勝負 第5話「邪の剣光の剣」(2005年) - 宮本武蔵




  • できちゃった結婚 (2001年、CX ) - 小谷一徹


  • アストロ球団 (2005年、EX ) - J. シュウロ


  • 大河ドラマ / 風林火山 (2007年、NHK ) - 板垣信方


  • 木曜ミステリーシアター / 秘密諜報員 エリカ #13 最終話 (2011年12月29日、ytv ) - 聖フランシスコ教会の牧師 ※友情出演


  • プレミアムよるドラマ / おわこんTV (2014年、BS-P ) - 主演・荒巻源次郎 ※文化庁芸術祭参加作品[104]


海外のテレビドラマ

  • 風雲 (2002年、台湾ドラマ) - 主演・雄覇

ラジオドラマ


  • セイ!ヤングスペシャル 宇宙からのメッセージ (1978年4月19日、QR ) - ハンス王子


演劇


☆太字は主演やスタッフ兼務作品。




  • 柳生十兵衛 魔界転生 (1981年7月3日 - 7月28日、新宿コマ劇場) - 主演・柳生十兵衛光厳[注釈 17] ※第1回JAC ミュージカル『スタントマン物語』と同時上演


  • ゆかいな海賊大冒険 - 主演・ダイダロス船長 兼 演出


    • (1982年、新宿コマ劇場) ※第2回JAC ミュージカル


    • (1983年、梅田コマ劇場) ※第3回JAC ミュージカル


    • (1984年、新宿コマ劇場) ※第4回JAC ミュージカル




  • 酔いどれ公爵 (1985年、新宿コマ劇場) - 主演・ロベール公爵 兼 企画・原案・演出 ※第5回JAC ミュージカル


  • スタントマン 愛の物語 (1986年4月3日 - 4月27日) - 主演 兼 企画監修 ※第6回JAC ミュージカル、新美正雄演出、『アドベンチャー 青春の出発』と同時上演、新宿コマ劇場開場30周年記念

  • 千葉真一奮闘公演 影の軍団 (1987年、大阪府中座)


  • 風林火山 晴信燃ゆ (2008年4月5日 - 4月27日、日生劇場) - 板垣信方


  • BIOHAZARD THE STAGE (2015年10月22日 - 11月1日、EX THEATER ROPPONGI ) - エズラ・セネット



オリジナルビデオ


☆海外で公開された作品、シリーズに映画とOV両方がある作品は#映画を参照。




  • 悲しきヒットマン (2001年、GP ミュージアム)


  • 悪名シリーズ (シネマパラダイス) - 黒島東洋蔵


    • 悪名 AKUMYOH (2001年)


    • 悪名2 〜荒ぶる喧嘩魂〜 (2002年)



  • 殺しの軍団シリーズ (2001年、シネマパラダイス) - 竜神会 三好組長

    • 殺しの軍団

    • 殺しの軍団 関西制圧への道




  • 浪商のヤマモトじゃ! 喧嘩野球編 (2003年、GP ミュージアム)

  • 新実録・九州やくざ烈伝 兇健と呼ばれた男シリーズ - 雄仁会初代会長 大賀磯治


    • 新実録・九州やくざ烈伝 兇健と呼ばれた男 (2003年、シネマパラダイス)


    • 実録九州やくざ抗争 誠への道 (2006年、GP ミュージアム) ※特別出演

    • 実録九州やくざ抗争 誠への道 完結編 (2007年、GP ミュージアム) ※特別出演




  • 新・日本の首領シリーズ (2004年、シネマパラダイス) - 高野松雄

    • 新・日本の首領

    • 新・日本の首領II 非情篇

    • 新・日本の首領III 激闘篇




  • 千年の松シリーズ (2009年、GPミュージアム)

    • 千年の松

    • 千年の松 完結篇




  • 極道の紋章 第十八章 (2012年、オールインエンタテインメント) ※特別出演


  • 首領の道シリーズ (2013年、オールインエンタテインメント) - 東和総業総長・高木


    • 首領の道6

    • 首領の道7

    • 首領の道8

    • 首領の道9




  • 関東極道連合会シリーズ (オールインエンタテインメント)

    • 関東極道連合会 第一章(2014年)

    • 関東極道連合会 第二章(2015年)




  • 頂点(てっぺん)シリーズ (2017年、オールインエンタテインメント)

    • 頂点(てっぺん)

    • 頂点(てっぺん)2

    • 頂点(てっぺん)3





ライブ



  • 千葉真一ショー (1967年 - 1969年) - ザ・サタンズと共に歌謡ショーを地方公演

  • 春を呼ぶフェスティバル (1971年1月30・31日、梅田コマ・スタジアム)



ドキュメンタリー



  • 千葉真一 4,000メートルのマンモスマウンテンを滑る (1974年5月6日、東京12ch)

  • アクションスターはこうして作る!! -汗と涙の特訓合宿- (1985年、NTV

  • なんだ、こいつら。JAC スーパーアクション in 激突 (1989年、東映ビデオ)


  • Japanorama 「伝説〔Legends 〕」(2007年4月9日、BBC



情報



紀行・旅番組


  • いい旅・夢気分 (TX ) ※各年の夏に家族で出演


    • 2005年 - 五島列島の旅


    • 2006年 - 知床半島の旅


    • 2007年 - 高知・四万十川の旅


    • 2008年 - 長崎・対馬の旅




情報・ワイド番組



  • リビング2 千葉真一のハッスル料理 (1977年5月3日、CX


  • やじうまテレビ! 千葉真一の金曜ハンター (2013年、EX ) - コメンテーター ※毎週金曜日レギュラー



ニュース・教養番組



  • 本格報道 INsideOUT 「銀幕にかける情熱 夢・ロマン そて挑戦」(2013年3月20日、BS11


  • 謎解き! 江戸のススメ 「柳生一族」〜知られざる真実〜 (2013年9月2日、BS-TBS



語り手・雑誌


語り手



  • 少林寺 (1982年) - ナレーション ※日本で2005年8月3日に発売されたアルティメット・エディションDVD


  • BS時代劇 / 猿飛三世 (2012年、BS-P ) - 初代猿飛佐助


雑誌

  • 過去のない男・胡蝶幻太郎探偵シリーズ - 胡蝶幻太郎 (写真出演)

※『中一コース』(学研)の1971年4月号 - 1972年3月号に連載されたミステリ


CM




  • トヨタ自動車 : トヨタ・カリーナ (1970年 - 1988年) ※初代から4代目まで


  • 日本盛 : 清酒 日本盛 (1970年 - 1971年)


  • オリエント時計 : 液晶クオーツ (1976年 - 1978年)


  • ハウス食品 : ジャワカレー (1976年 - 1982年) ※野際陽子と共演[注釈 18]


  • 合同酒精 : ワリッカ (1979年 - 1984年)


  • PHILIPS : フィリシェーブ (1981年 - 1982年[220]


  • 洋服の青山 (1982年 - 1986年)


  • がまかつ : 釣竿がま鮎マークII (1985年)


  • 原ヘルス工業 : バブルスター (1989年 - 1990年) ※梅宮辰夫・松方弘樹・北大路欣也・山城新伍と共演


  • JTB : エース「夫婦いい旅」 (1991年) ※野際と共演


  • サントリー : ビア吟生 (1991年 - 1992年)


  • 登別伊達時代村 (1992年) ※北海道のみ


  • 関西デジタルホン : しゃべるならデジタルホン (1995年 - 1997年) ※クエンティン・タランティーノと共演で関西のみ

    • しゃべりすぎの男 税関篇

    • しゃべりすぎの男 喫茶店篇

    • しゃべりすぎの男 銭湯篇



  • 千葉県選挙管理委員会 : 千葉県知事選挙 「千葉県にあなたの真剣な一票を」 (2001年)


  • キリンビバレッジ : 超力水 (2002年)

  • サントリー : なっちゃんスムージー (2004年)

    • ノドボトケさん・とても新しい感覚だ 証言篇

    • ノドボトケさん・スムージィー 証言篇

    • ノドボトケさん・発音がなってないな 証言篇

    • ノドボトケさん・おじさん頭が悪いから 証言篇




  • ニューギン : CR 新 影の軍団「忍者隊」 (2006年)


  • フィールズ : CR 七人の侍「雨の中の戦い」 (2008年)

  • ニューギン : CR 柳生一族の陰謀 (2011年)

  • 百年の活力 砂漠人参カンカ (2013年)


  • エバーライフ : 鮫肝海王 (2013年)


  • 湯浅温泉 湯浅城 (2013年 - ) ※和歌山県のみ


  • NTTドコモ : ドコモ光「何がはじまる?」篇 (2015年 - ) ※渡辺謙・安藤玉恵・佐藤江梨子・マキタスポーツと共演 兼 ナレーション



監督・演出・監修


☆出演兼務の作品は#出演を参照。


映画



  • 燃える勇者 (1981年、東映) - アクション監督


  • リメインズ 美しき勇者たち (1990年、松竹 / サニー千葉エンタープライズ / JTB / 京都映画) - 兼 製作


演劇



  • スタントマン物語 (1981年7月3日 - 28日、新宿コマ劇場、第1回JAC ミュージカル) ※深作欣二監修、『柳生十兵衛 魔界転生』と同時上演


  • アドベンチャー 青春の出発 (1986年4月3日 - 4月27日、第6回JAC ミュージカル) - 兼 企画 ※『スタントマン 愛の物語』と同時上演、新宿コマ劇場開場30周年記念


監修

  • 斬 (2011年) ※徳島産・芋焼酎の監修


ディスコグラフィ


☆太字は作曲兼務。


シングル



  • 男一匹生きるなら (1963年、歌謡コダマ)


  • ともしび (1963年、特選歌謡コダマ)


  • 本当だぜ 君 (1963年、特選歌謡コダマ)


  • 東京紳士 (1963年、別冊歌謡コダマ) ※『歌う東映スター』の1曲目に収録[221]


  • 東横線で帰ろうよ (1963年、歌謡コダマ)


  • くらやみ五段 (1965年、コダマプレス) ※テレビドラマ『くらやみ五段』の主題歌


  • 素敵なカミカゼ野郎 (1966年、クラウンレコード) ※映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』の主題歌


  • 太陽も笑っている (1966年、ミノルフォン) ※映画『太陽に突っ走れ』の主題歌


  • 妻に捧げる歌 (1966年、ミノルフォン) ※映画『太陽に突っ走れ』の挿入歌


  • 男の子守唄 (1968年、キングレコード)


  • 一匹狼 (1970年、キングレコード) ※映画『やくざ刑事』の主題歌


  • 白いワゴン (1970年、キングレコード)


  • 俺たちに墓はないから (1971年、キングレコード) ※映画『やくざ刑事 俺たちに墓はない』の主題歌


  • 夕日に立つ乙 (1971年、キングレコード)


  • 野良犬のブルース (1971年、キングレコード)


  • 白い月の浜辺 (1971年、キングレコード)


  • 葬いは俺が出す (1972年、キングレコード) ※映画『狼やくざ 葬いは俺が出す』の主題歌


  • 母を亡くした禿鷹よ (1972年、キングレコード)


  • 流れ唄 (1973年、キングレコード)


  • 街角のエトランゼ (1973年、キングレコード)


  • 旅人ひとり (1975年、テイチクレコード) ※テレビドラマ『燃える捜査網』の主題歌


  • 限りなき愛 〜千葉真一のラブテーマ〜 (1976年、テイチクレコード)


  • 小さな旅立ち (1976年、テイチクレコード)

  • 曠野 (1985年、VAP※テレビ時代劇『影の軍団IV』、『影の軍団 幕末編』の主題歌


  • 影 (1985年、VAP※『影の軍団IV』、『影の軍団 幕末編』の挿入歌


アルバム



  • 千葉真一のともしび (1963年3月、特選歌謡コダマ) ※2枚収録のミニアルバム


  • アクションスターNo.1 - 千葉真一の魅力 (1971年、キング)


作詞



  • 光への叫び (1981年) ※ミュージカル『スタントマン物語』の主題歌


  • 誓い(JACのテーマ) (1983年) ※テレビ時代劇『影の軍団III』の主題歌


エグゼクティブ・プロデューサー


  • 青春ワンウェイ (1983年) ※高木淳也のアルバム


著書



  • 『千葉ちゃんのスポーツ特訓』 KOUSAIDO BOOKS(原著1977年5月25日)。

  • 『千葉真一 改め 和千永倫道』 山と渓谷社(原著2008年5月5日)。ISBN 4635340228。

  • 『千葉流 サムライへの道』 ぶんか社(原著2010年9月20日)。ISBN 4821142694。OCLC 662404923。


  • 『DVD BOOK 千葉真一のキッズアクション入門』 ベースボールマガジン社(原著2014年8月)。ISBN 4583107390。 ※監修



脚注


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注釈




  1. ^ 母は野際陽子。


  2. ^ 母は一般人。

  3. ^ ab1969年の近代映画の『千葉真一特集号』では東映東京撮影所の所長である山崎真一郎が「千葉県出身ということで千葉、そして仕事を忠実に真心込めて」という意味で命名したと紹介しているが[7]、千葉自身は「山崎所長から『千葉から来たから名字を千葉、名前はオレの名前をとって真一にしろ』と言われた」と述べている[8]

  4. ^ abcdeニュー・ライン・シネマがアメリカで『激突! 殺人拳』を『The Street Fighter 』のタイトルで封切公開した際に、同社の社長が命名して千葉をアメリカに紹介した[9][10]。それが他国に広まり、世界での通称となったが、英語圏でSonny (サニー)は男性の名前に使われるほか、口語で「兄ちゃん・坊や」という意味があり、愛称の“千葉ちゃん”を欧米風に訳した。その後、JJ Sonny Chiba と改名したが、JJJustice Japan (正義の日本)の略である[9][10][11]

  5. ^ abc出典により、夏または秋としている。

  6. ^ abc日本体育大学は「3年以上の在籍で100単位以上の取得。その後の社会的な活躍や貢献によって、特別卒業認定証を授与する」という新たな規約を設け、千葉を特別卒業認定証第1号とし、2013年3月10日に卒業を認定[6][23][27][30][31]。在学時の成績は優が多く、教授会でも満場一致で同規約の適用を認めていた[6][32]


  7. ^ 1970年から放送されていたトヨタ・カリーナのCM でも、「決まってるね、千葉ちゃん!」が使われていた。

  8. ^ abc自分の役でもないのに「投げ飛ばされる」、「板にぶつかる」、「海に放り込まれる」など数々のスタントを引き受けて演じていたが[44]、人材不足を憂いていたこともJAC 設立へ繋がっていく。(⇒ #JAC


  9. ^ 2013年現在、千葉真一自身は座右の銘を「肉体は永遠の言葉である」としている[6][32]


  10. ^ 当時のハイスピードカメラは今と比べると遥かに重たく、外見もかさばっていた。


  11. ^ 特にアメリカ州[13][55]・ヨーロッパ[13][55]・東南アジア[56]・香港など[57]


  12. ^ 2年後にギャラは千葉のほうが上になった[136]


  13. ^ 北大路欣也は戦前からの大スターで東映の役員を兼務していた市川右太衛門の御曹司であることから、東映は北大路の意向を幾度となく受け入れてきた[47]


  14. ^ 大石代悟と二宮城光はケガのため、対抗戦を欠場した[176]


  15. ^ テレビドラマ『おわこんTV』の発表会見で小泉は、2014年6月14日のサッカーW杯・日本 vs コートジボワールに交代出場して試合の流れを変えたドログバに、千葉をなぞらえた[185]


  16. ^ 千葉真一は映画の撮影で、真樹日佐夫は梶原一騎と共に極真会館の北米支部長会議に出席する大山倍達の随行で、それぞれニューヨークを訪れていた[187]

  17. ^ ab柳生十兵衛光厳の「光厳」だが、「三厳」ではなく「光厳」とパンフレット『魔界転生』の登場人物・キャスト一覧に表記されているため、当該記事もこれに則った[218][219]


  18. ^ 「芸能人のおしどり夫婦がCMで共演」という流れの始まりだった。



出典



  1. ^ abc「君津のガキ大将時代」、38 - 39頁。

  2. ^ abcde「気骨ある明治生まれの軍人、子供心に誇らしかった飛行機姿の親父」、81 - 82頁。

  3. ^ abc「千葉真一特集」、144 - 145頁。

  4. ^ ab“千葉真一 - プロフィール”. YAHOO! JAPAN 人物名鑑. 日本タレント名鑑. 2013年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月26日閲覧。

  5. ^ abc“千葉真一”. プロフィール. アストライア. 2017年10月24日閲覧。

  6. ^ abcdefghijkl“千葉真一 53年ぶりに母校・日体大を“卒業”し「もうひと花」とさらなる意欲”. 映画.com. (2013年3月10日). http://eiga.com/news/20130310/7/ 2012年3月12日閲覧。 


  7. ^ 「千葉真一特集」、148頁。


  8. ^ 「オリンピックで金メダルを目指した学生時代、味わった栄光と挫折」、101頁。

  9. ^ abcd「序章」、11頁。

  10. ^ abcd「全米でブルース・リーを超える興行収入、サニー千葉の名を広めた空手映画」、51頁。

  11. ^ ab特典映像 「劇場初日舞台挨拶」

  12. ^ abcdefghijklmnopqrstuv「とっておきの『先生』特集」、『SPORTS CITY』第1巻第2号、鎌倉書房、1981年6月25日、 32頁。

  13. ^ abcdef「プロフィール」、30頁。


  14. ^ 橋本与志夫 「出演者陣の“酔いどれ講釈”」、32頁。

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参考文献


※異なる頁を複数参照をしている文献のみ。発表年順。


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  • 「千葉真一特集」、『近代映画』臨時増刊号、近代映画社、1969年10月。

  • 『月刊平凡』第25巻第12号、平凡出版、1969年12月1日

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  • 『戦国自衛隊』、角川春樹事務所、1979年12月15日

  • 『魔界転生』、角川春樹事務所 / 東映、1981年6月6日

  • 『冒険者(アドベンチャー)カミカゼ』、東映、1981年11月7日

  • 『ジャパン・アクション・クラブ12周年記念 JAC特集号』第8巻第4号、近代映画社、1982年3月5日

  • 『第IV回JACミュージカル 酔いどれ公爵』、新宿コマ・スタジアム、1985年4月1日

  • 真樹日佐夫 「第11話 学生時代からの大山門下生 千葉真一三段」『極真カラテ 二十七人の侍』 サンケイ出版(原著1986年7月10日)、初版。ISBN 4383025064。

  • 『超人画報 国産架空ヒーロー40年の歩み』 竹書房 / イオン編、竹書房、1995年11月30日。C0076。ISBN 4-88475-874-9。

  • 能村庸一 『実録テレビ時代劇史』 東京新聞出版局(原著1999年2月10日)、二刷。ISBN 4808306549。

  • 中村カタブツ 『極真外伝 〜極真空手もう一つの闘い〜』 ぴいぷる社(原著1999年12月25日)、初版第一刷。ISBN 4893741373。

  • 『極真カラテ総鑑』 株式会社I.K.O. 出版事務局(原著2001年4月20日)、初版。ISBN 4816412506。

  • 『キル・ビル Vol.1』、ユニバーサル・ピクチャーズ、2003年10月25日


  • 新・影の軍団 ~最終章~ 服部半蔵最期の戦い (DVD). シネマパラダイス.. (2005年6月25日) 

  • 「史上最強のカラテ映画大戦争!」、『映画秘宝』第12巻第5号、洋泉社、2006年4月21日

  • 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』 文化通信社、指田洋・渡邉裕二・大川仁志、ヤマハミュージックメディア(原著2012年6月15日)、初版。ISBN 4636885198。

  • 春日太一 『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』 文藝春秋(原著2013年11月15日)、初版第一刷。ISBN 4163768106。

  • 中島貞夫 『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫(上)』 ワイズ出版(原著2014年10月20日)、初版第一刷。ISBN 978-4898302835。

  • 『宇宙刑事ダイナミックガイドブック』 杉作J太郎・伴ジャクソン、徳間書店(原著2015年1月30日)、初版。C9476。ISBN 4197301324。

  • 春日太一 『役者は一日にしてならず』 小学館(原著2015年2月28日)、初版第一刷。ISBN 4093798699。



関連項目



  • ジャパンアクションエンタープライズ - ジャパンアクションクラブ (JAC ) から派生


外部リンク







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