マルタ・アルゲリッチ








































マルタ・アルゲリッチ
Martha Argerich

Martha Argerich
マルタ・アルゲリッチ(1962年)

本名
Maria Martha Argerich
生年月日
(1941-06-05) 1941年6月5日(77歳)
出生地
アルゼンチンの旗 アルゼンチン・ブエノスアイレス
職業
ピアニスト
ジャンル
クラシック音楽
活動期間
1949年 -
活動内容
1965年:ショパン国際ピアノコンクール優勝








備考

フランス政府芸術文化勲章オフィシェ
ローマ・サンタ・チェチーリア協会員
ミュージカル・アメリカ誌・Musician of the Year
第17回高松宮殿下記念世界文化賞
旭日小綬章
旭日中綬章
ショパン国際コンクール審査員











1960年代のマルタ・アルゲリッチ




マルタ・アルゲリッチ(2015年)



Martha Argerich concierto.jpg



Martha argerich cck jul15.jpg


マリア・マルタ・アルゲリッチ(Maria[1] Martha Argerich[注釈 1][注釈 2], 1941年6月5日 - )は、アルゼンチンのブエノスアイレス出身のピアニスト。現在、世界のクラシック音楽界で最も高い評価を受けているピアニストの一人である。




目次






  • 1 人物・来歴


  • 2 演奏スタイル


  • 3 レパートリー


  • 4 人物像


  • 5 日本とのつながり


  • 6 脚注


    • 6.1 注釈


    • 6.2 出典




  • 7 外部リンク





人物・来歴


ブエノスアイレスの中産階級に生まれた。父フワン・マヌエル・アルゲリッチは経済学教授や会計士を務め[2]、 その祖先は18世紀にスペインのカタロニア地方からアルゼンチンへ移住しており、「アルゲリッチ」はカタロニア由来の姓である。母フワニータ(旧姓ヘラー)はベラルーシからのユダヤ系移民の二世だが、ユダヤ教からプロテスタントに改宗していた[3]


保育園時代に同じ組の男の子から「どうせピアノは弾けないよね」と挑発された時やすやすと弾きこなした[4]ことがきっかけで才能を見出され、2歳8ヶ月からピアノを弾き始める。5歳の時にアルゼンチンの名教師ヴィンチェンツォ・スカラムッツァにピアノを学び始める。


1949年(8歳)、公開の場でベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15を演奏した。翌1950年(9歳)にはモーツァルトのピアノ協奏曲ニ短調K466とバッハのフランス組曲ト長調BWV816を演奏した。


ブエノスアイレス知事のサベテという人物がマルタの熱烈なファンだったため[5]、1954年8月13日、サベテの仲立ちにより大統領府でアルゲリッチ親子と会ったフアン・ペロン大統領は、マルタに留学希望の有無を尋ね、「フリードリヒ・グルダに習いたい」との申し出に従って、彼女の父を外交官に、母を大使館職員にそれぞれ任命し[6]、1955年初頭から一家でウィーンに赴任させた[7]。これに伴って家族とともにオーストリアに移住した彼女は、ウィーンとザルツブルクで2年間グルダに師事した後[注釈 3]、ジュネーヴでマガロフ、マドレーヌ・リパッティ(ディヌ・リパッティ夫人)、イタリアでミケランジェリ、ブリュッセルでアスケナーゼに師事した。ウィーン時代、プエルトリコ出身の「最高にハンサムな男の子」を相手に処女を喪失したと自ら発言している[8]


1957年、ブゾーニ国際ピアノコンクール優勝。またジュネーブ国際音楽コンクールの女性ピアニストの部門においても優勝し、第一線のピアニストとして認められるものの、更にその後も研鑽を続ける。1959年には、ブルーノ・ザイドルフォーファーのマスタークラスを数回受講している。なお、絶対音感の持ち主ではなく、調性を正しく認識していないこともあり、聴衆の一人から「ト長調の前奏曲」の演奏を褒められても自分が弾いた曲のどれを褒められたのか判らず、考え込んだことがある[9]


1960年、ドイツ・グラモフォンからデビューレコードをリリースする。22歳のとき作曲家で指揮者のロバート・チェンと最初の結婚をするが、1964年、長女リダの出産前に離婚。


1965年、ショパン国際ピアノコンクールで優勝し、最優秀マズルカ演奏者に贈られるポーランド放送局賞(マズルカ賞)も受賞した[注釈 4]


1969年、1957年に出会った指揮者のシャルル・デュトワと結婚(2度目)、後に彼との間に娘が出来る。


1970年1月、万博の年の幕開けに初来日。浜松市などの諸都市でリサイタルを開く。当時は、アルゲリッヒと呼ばれていた。因みに、当時のチケット価格は、リヒテルが¥1800-4500、アルゲリッチは¥1000均一と格安だった。


1973年頃の2度目の来日の際に飛行機の中で夫婦喧嘩となり、彼女は日本の地を踏まずUターンし離婚。後にピアニストのスティーヴン・コヴァセヴィチと3度目の結婚。


ソロやピアノ協奏曲の演奏を数多くこなすが、1983年頃からソロ・リサイタルを行わないようになり室内楽に傾倒していく。ヴァイオリニストのクレマー、イヴリー・ギトリス、ルッジェーロ・リッチ、チェリストのロストロポーヴィチ、マイスキーなど世界第一級の弦楽奏者との演奏も歴史的価値を認められている。


1990年代後半からは、自身の名を冠した音楽祭やコンクールを開催し、若手の育成にも力を入れている。1998年から別府アルゲリッチ音楽祭、1999年からブエノスアイレスにてマルタ・アルゲリッチ国際ピアノコンクール、2001年からブエノスアイレス-マルタ・アルゲリッチ音楽祭、2002年からルガーノにてマルタ・アルゲリッチ・プロジェクトを開催している。


受賞歴にはフランス政府芸術文化勲章オフィシェ(1996年)、ローマ・サンタ・チェチーリア協会員(1997年)、グラミー賞(1999年、2004年、2005年)、ミュージカル・アメリカ誌・Musician of the Year(2001年)、第17回高松宮殿下記念世界文化賞(音楽部門、2005年)、旭日小綬章(若手音楽家の育成等に寄与したとして、2005年)、旭日中綬章(2016年)などがある。



演奏スタイル






第一に挙げられるのは、ライヴでも録音でも極度にテンポが速いという事である。しかし、打鍵は極めて強く正確で、リズム感が抜群である。



レパートリー


レパートリーはバロック音楽から古典派、ロマン派、印象派、現代音楽まで非常に幅広い。J.S.バッハ、スカルラッティ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ショパン、リスト、メンデルスゾーン、ブラームス、チャイコフスキー、ドビュッシー、ラヴェル、フランク、サン=サーンス、クライスラー、バルトーク、ラフマニノフ、スクリャービン、プロコフィエフ、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチ、ルトスワフスキ、メシアンなど。一方で、スティーヴン・コヴァセヴィチ、ネルソン・フレイレ、アレクサンドル・ラビノヴィチ、近年ではアルゲリッチお気に入りの若手ピアニストたちとともにピアノ2重奏や連弾による演奏会も行っている。母国アルゼンチンの作曲家では、ヒナステラ、ピアソラ、ロペス=ブチャルド、グアスタビーノ、ラーサラ、ラミレスなど。日本人の作品では、1995年に小澤征爾のバースデイ・コンサートで、大江光のチェロとピアノのための「お話-A Talk」をロストロポーヴィチと共演(世界初演)した。



人物像






母語であるスペイン語の他に、フランス語、英語、ポルトガル語、ドイツ語、イタリア語などを自在に操ることができる。精神的に納得できない場合は、しばしば演奏会をキャンセルすることもある(ただし、逆にどうしても演奏したいときには体調不良でも演奏することもある)。メディア嫌いで知られ、インタビューの回数は多くない。


若い頃、職業ピアニストであることが嫌になり、語学が堪能なことから秘書になろうと思ったことがあると、インタビューで語っている。また、この当時は、ピアノを弾かずテレビばかり観ていたとも語っている。


3度の結婚で3人の娘をもうけたが、いずれも離婚している[注釈 5]。子どもたちはみなアルゲリッチが引き取り育てた。アルゲリッチの3人の娘には、いずれもプロフェッショナルの音楽家はいない。しかし、中国人指揮者との長女であるリダ・チェンは、ヴィオラ奏者として母親と共演することがしばしばある[注釈 6]。シャルル・デュトワとの娘アニー・デュトワは、アルゲリッチのいくつかのCDをはじめ、しばしばクラシック音楽のCDのライナーノートや音楽専門誌に執筆している。デュトワとの結婚生活は、デュトワがチョン・キョンファと浮気したことにより終焉を迎えた[10]。ピアニストのスティーヴン・コヴァセヴィチとの間に生まれたステファニー・アルゲリッチは、主にアルゲリッチのCDの表紙やドキュメンタリー映像などを撮影しているプロの映像アーティストである。コヴァセヴィチとの別離の後、「わたしは恋愛に向いていないと思う」と語っていたが、10歳下のミシェル・ベロフと4年間、4歳下のアレクサンドル・ラビノヴィチと10年間、恋愛関係にあった[11]。ロストロポーヴィチと恋仲だった旨が取沙汰されたこともあるが、アルゲリッチは「何も記憶にない」と言っている[12]


1980年の第10回ショパン国際コンクールの審査員であったアルゲリッチは、ユーゴスラヴィアからの参加者イーヴォ・ポゴレリチが本選に選ばれなかったことに猛烈に抗議して、審査員を辞退した。ポゴレリチのことを「だって彼は天才よ!」と言い残して帰国した件だけが取り上げられることが多いが、アルゲリッチは「審査席に座った事を恥じる」と述べ、「魂の無い機械がはじき出した点数だけで合否を決めてしまうのではなく、審査員間でも協議するべきだ」と発言した。1990年代後半ドイツで、急病のポゴレリチに代わって、アルゲリッチが登場したことがある。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番ハ長調 Op.26を演奏した。



日本とのつながり


1970年に初来日し、以後、幾度も来日している。


大分県別府市とは特につながりが深く、1994年に別府ビーコンプラザ・フィルハーモニアホール名誉音楽監督に就任し、1998年から開催されている別府アルゲリッチ音楽祭の総監督を務め、2007年には同音楽祭の主催団体である財団法人アルゲリッチ芸術振興財団(Argerich Arts Foundation)の総裁に就任している。


支援者が資金を拠出し、別府アルゲリッチ音楽祭の拠点となるコンサートホール「しいきアルゲリッチハウス」が2015年に完成している[13][14]


アルゲリッチは、1998年以降は毎年の別府アルゲリッチ音楽祭のために欠かさずに来日している。



脚注



注釈





  1. ^ Argerichの読み方については、「アルゲリッチ」が普通であるが、彼女の母国であるアルゼンチンがスペイン語を公用語としていることから、その読み方で「アルヘリッチ」、「アルヘリチ」などとも表記される。また、日本ではドイツ語読みで「アルゲリッヒ」「アルゲリヒ」と表記されていた時期もある。アルゲリッチ自身は来日時のインタビューで「どちらの呼び方が正しいのかよく聞かれるが、自分の先祖はスペインのカタルーニャ地方出身で、カタルーニャ語の読み方では『アルジェリーク』になる。しかし、自分としては『アルゲリッチ』が気に入っているので、これに決めている」という主旨の発言をおこなっている。なお映画『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』では、三女のステファニーが自らの苗字をアルゲリッシュと発音している。


  2. ^ アルゲリッチという苗字は珍しく、バルセロナに一族がいると言われるほか、クロアチアのアルゲリチという村にルーツがあるとの説もある。オリヴィエ・ベラミー『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.10。


  3. ^ 当時グルダに恋をしていた、と自ら語っている。オリヴィエ・ベラミー『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.57。


  4. ^ 1965年の第7回ショパン国際ピアノコンクール出場時の映像の一部を観ることができるが、第1次予選での「英雄ポロネーズ」作品53の映像は、客席側から撮影されているフィルム以外は、全てコンクール後に撮影された時の物が使われている。正面(及び手のアップ)から撮影されたフィルムは音とアルゲリッチの動きと合致していない部分がほとんどであること、また、コンクール時アルゲリッチが使用したピアノはスタインウェイ社製であったにもかかわらず、ベヒシュタイン社のピアノを弾いているという事が挙げられる。スケルツォ第3番の映像もコンクール後撮影された時のフィルムであり、第2次予選での実況録画・録音ではない。


  5. ^ 稀に語られることがあるが、ロストロポーヴィチとの間に子どもがいるというのは全くの誤りである。当然彼とは結婚もしていない。


  6. ^ なお、リダ・チェンがピアニストのフー・ツォンとの間に生まれた子どもだと言うのは間違いである。




出典





  1. ^ オリヴィエ・ベラミー『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.11。


  2. ^ オリヴィエ・ベラミー『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.12。


  3. ^ オリヴィエ・ベラミー『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.15, 17。


  4. ^ オリヴィエ・ベラミー『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.10-11。


  5. ^ オリヴィエ・ベラミー『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.57。


  6. ^ オリヴィエ・ベラミー『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.58。


  7. ^ "People" April 07, 1980 "A Top Woman Pianist, Martha Argerich, Nearly Gave Up Her Steinway for Steno" By Fred Hauptfuhrer, Mary Vespa


  8. ^ オリヴィエ・ベラミー『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.66。


  9. ^ オリヴィエ・ベラミー『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.102。


  10. ^ オリヴィエ・ベラミー『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.192。


  11. ^ オリヴィエ・ベラミー『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.211-212, 215。


  12. ^ オリヴィエ・ベラミー『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』p.231。


  13. ^ “別府にアルゲリッチハウス/本人演奏、市民と完成祝う”. 四国新聞. (2015年5月15日). オリジナルの2018年9月7日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180907195912/https://www.shikoku-np.co.jp/national/life_topic/20150515000537 2018年9月7日閲覧。 


  14. ^ “しいきアルゲリッチハウス” (日本語). 公益財団法人アルゲリッチ芸術振興財団. 2018年9月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月7日閲覧。




外部リンク







  • 招聘会社KAJIMOTOによるプロフィール

  • ドイツ・グラモフォンによる紹介

  • 別府アルゲリッチ音楽祭

  • 高松宮殿下記念世界文化賞











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