河内町 (熊本県)

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かわちまち 河内町 |
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| 廃止日 |
1991年2月1日 |
| 廃止理由 |
編入合併 河内町、北部町、飽田町、天明町 → 熊本市
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| 現在の自治体 |
熊本市 |
| 廃止時点のデータ |
| 国 |
日本
|
| 地方 |
九州地方
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| 都道府県 |
熊本県
|
| 郡 |
飽託郡
|
| 団体コード |
43302-1 |
| 面積 |
34.40km2. |
| 総人口 |
8,525人 (国勢調査、1990年) |
| 隣接自治体 |
熊本市、飽託郡北部町、玉名郡玉東町、天水町、横島町、鹿本郡植木町
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| 町の木 |
ミカン
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| 町の花 |
ミカンの花 |
| 河内町役場 |
| 所在地 |
熊本県飽託郡河内町大字船津2069番地5 (現・熊本市西区河内町船津2069番地5)

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河内町(かわちまち)は、かつて熊本県にあった町である。飽託郡に属していた。
1991年2月1日に北部町・飽田町・天明町とともに熊本市に編入され、2012年4月1日に熊本市の政令指定都市移行に伴い西区の一部となった。
目次
1 地理
2 歴史
3 地域
4 産業
5 交通
6 地区名
7 脚注
8 関連項目
地理
- 海洋 : 有明海(島原湾)
- 河川 : 河内川、小責川(おぜきがわ)、白浜川、西谷川、立福寺川
- 山岳 : 金峰山、熊ノ岳(二ノ岳)、三ノ岳、河内山
- 温泉 : 河内温泉
歴史
1889年(明治22年)4月1日 - 大多尾村、野出村、岳村、東門寺村、面木村が合併し、芳野村(よしのむら)が成立。河内村、白浜村、船津村の3村はそのまま単独村政を継続。
1902年(明治35年)4月1日 - 河内村、白浜村、船津村が合併し、河内村が成立。
1956年(昭和31年)9月30日 - 河内村と芳野村が合併し、河内芳野村(かわちよしのむら)が成立。[1]
1971年(昭和46年)4月1日 - 河内芳野村が町制施行、河内町と改称。
1991年(平成3年)2月1日 - 熊本市へ編入され、河内町閉町。[2]
地域
中学校
小学校
産業
特産物
交通
道路
国道501号 (本町閉町当時は熊本県道7号大牟田熊本宇土線)
熊本県道1号熊本玉名線 (本町閉町当時は熊本県道114号天水熊本線)
- 熊本県道101号植木河内港線
- 熊本県道332号小天下硯川線
地区名
船津(本町閉町当時は河内町役場があった場所であった。現在は、熊本市役所河内総合支所を経て、平成24年4月の熊本市政令指定都市化に伴い、西区役所河内総合出張所となっている)
河内(河内町の南部である)
白浜(河内町の北部である)
大多尾(西谷川の源流がある)
- 野出
岳(河内川の源流がある)
- 東門寺
- 面木
脚注
^ 河内村側は河内みかんの名声が全国に知られているので「河内村」を主張。芳野村側は新しい村名を主張。結局は県の仲介で河内芳野村になった。河内町史通史編下、p1008、河内町、1991年
^ ただし、合併後の地名は熊本市河内町○○のように河内町の名を残すことになった。河内町史通史編下、p1132、河内町、1991年
関連項目
- 熊本県の廃止市町村一覧
- 河内町
- 有明海
河内晩柑 - 河内町に由来するブンタン類の品種。生産地は愛媛県南予地方および熊本県天草地方。
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