ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス





















































ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス

ビートルズの楽曲
収録アルバム
ザ・ビートルズ
リリース
1968年11月22日
録音
1968年7月25日
1968年9月5日 - 6日
アビー・ロード・スタジオ
ジャンル
ハードロック[1]
ブルース[2]
ロック[3]
時間
4分44秒
レーベル
アップル・レコード
パーロフォン
EMI
作詞者
ジョージ・ハリスン
作曲者
ジョージ・ハリスン
プロデュース

ジョージ・マーティン



ビートルズ 日本 年表






ヘイ・ジュード
b/w
レヴォリューション
(1968年)

オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ
b/w
ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
(1969年)

ゲット・バック
b/w
ドント・レット・ミー・ダウン
(1969年)

その他収録アルバム



バングラデシュ・コンサート
ザ・ビートルズ1967年〜1970年 - 通称 青盤
ザ・ベスト・オブ・ジョージ・ハリスン
ライヴ・イン・ジャパン
ザ・ビートルズ・アンソロジー3
ラヴ
















ザ・ビートルズ 収録曲

A面


  1. 「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」

  2. 「ディア・プルーデンス」

  3. 「グラス・オニオン」

  4. 「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」

  5. 「ワイルド・ハニー・パイ」

  6. 「ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル」

  7. ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス

  8. 「ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」


B面


  1. 「マーサ・マイ・ディア」

  2. 「アイム・ソー・タイアード」

  3. 「ブラックバード」

  4. 「ピッギーズ」

  5. 「ロッキー・ラクーン」

  6. 「ドント・パス・ミー・バイ」

  7. 「ホワイ・ドント・ウイ・ドゥ・イット・イン・ザ・ロード」

  8. 「アイ・ウィル」

  9. 「ジュリア」


C面


  1. 「バースデイ」

  2. 「ヤー・ブルース」

  3. 「マザー・ネイチャーズ・サン」

  4. 「エヴリボディーズ・ゴット・サムシング・トゥ・ハイド・エクセプト・ミー・アンド・マイ・モンキー」

  5. 「セクシー・セディー」

  6. 「ヘルター・スケルター」

  7. 「ロング・ロング・ロング」


D面


  1. 「レヴォリューション1」

  2. 「ハニー・パイ」

  3. 「サヴォイ・トラッフル」

  4. 「クライ・ベイビー・クライ」

  5. 「レヴォリューション9」

  6. 「グッド・ナイト」


ミュージックビデオ

「While My Guitar Gently Weeps」 - YouTube


ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス (While My Guitar Gently Weeps) は、1968年に発表された2枚組アルバム『ザ・ビートルズ』(通称『ホワイト・アルバム』) に収録されているビートルズの楽曲。作詞作曲はジョージ・ハリスン。




目次






  • 1 解説


  • 2 レコーディング


  • 3 演奏


  • 4 収録シングル/アルバム


  • 5 関連項目


  • 6 脚注


    • 6.1 注釈


    • 6.2 出典







解説


「サムシング」や「ヒア・カムズ・ザ・サン」と並んでジョージの代表曲で、ライブのレパートリーに必ずこの曲を加えていた。


『ローリング・ストーン(Rolling Stone)』誌が選んだ「オールタイム・グレイテスト・ソング500」と「オールタイム・グレイテスト・ギター・ソングス100」、さらに「グレイテスト・ビートルズ・ソングス100」に於いて、それぞれ136位[4]と7位[5]、10位[6]にランクイン。


ギターソロは、ジョージの親友であるエリック・クラプトンが演奏している[7]。一説に、ジョージがこの曲の特徴であるギターの「泣き」を表現しようとしたが上手く出来ず、クラプトンに依頼した。また、この頃のグループの雰囲気の悪さを少しでも緩和するための配慮でもあった。実際、クラプトンがスタジオに姿を現すと「それまで不機嫌だったジョンとポールが急によそいきの態度に変わったんだ」とジョージ自身が語っている[8]。ここでの経験が、翌年の「ゲット・バック・セッション」でのビリー・プレストン起用に繋がっていった。


当初クラプトンは、「ビートルズの曲で演奏するなんて恐れ多くて……」と尻込みしており、相当なプレッシャーがかかっていた。これに対しジョージは、「これはビートルズの曲ではなくて、僕の曲だ。僕の曲の演奏を、僕がやってくれと頼んでいるんだから、気にしないでいいんだ」と説得した。


クラプトンは、ジョージに譲渡したギブソン・レスポール(ルーシー)を使って演奏した。このギターは後に盗難の被害に遭うが、のちに発見され、ジョージが所有者(盗んだ者とは別人)に新品レスポールとの交換を持ちかけ、所有者はそれに同意した。


この曲は、日本初のアップル・レコードからのシングル[注 1]として発売されている[9]。ちなみに日本でシングル発売された時のタイトルは「マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」と、何故か「ホワイル」が抜け落ちていた。


現在、この曲以降のジョージ作のビートルズ・ナンバーはジョージの個人楽曲出版社ハリソングス・コープスが保有しているが、この曲と同アルバムに収録されている「ピッギーズ」「ロング・ロング・ロング」「サボイ・トラッフル」の4曲は最初アップル・パブリッシング[注 2]が保有していた。



レコーディング


この楽曲は1968年7月25日にレコーディングが開始された。この日はジョージがギブソン・J-200を用いた弾き語りによるデモ音源となっており、[10][11]。同日にポール・マッカートニーが演奏するハーモニウムのオーバー・ダビングも行われている。この当時のヴァース部分の歌詞は完成版と異なり、「I look from the wings at the play you are staging / While my guitar gently weeps / As I'm sitting here, doing nothing but aging / Still my guitar gently weeps」と歌われていた[12]。ちなみにこの時の演奏は、1996年に発売された『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』に収録された。


その後8月16日にバンド編成でのリメイクが開始された。9月3日のセッションでは初めて8トラックレコーダーが導入され[10]、逆回転のギターソロが加えられたが、このテイクは破棄された[13]


9月5日に8月22日のセッションを最後に離脱していたリンゴ・スターが復帰し、基本トラックの作り直しに取りかかった[11]。9月6日にエリック・クラプトンによるギターソロがオーバー・ダビングされて完成となった。



演奏


『ザ・ビートルズ』収録テイク




  • ジョージ・ハリスン:ダブルトラックボーカル、コーラス、アコースティック・ギター、ハモンドオルガン


  • ジョン・レノン:エレクトリック・ギター


  • ポール・マッカートニー:コーラス、ピアノ、ベース


  • リンゴ・スター:ドラム、タンバリン、カスタネット


  • エリック・クラプトン:リードギター


『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』収録テイク



  • ジョージ・ハリスン:ボーカル、アコースティック・ギター

  • ポール・マッカートニー:ハーモニウム


『ラヴ』収録テイク



  • ジョージ・ハリスン:ボーカル、アコースティック・ギター


  • ジョージ・マーティン:ストリングス編曲



収録シングル/アルバム



  • 「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」 - シングル盤。B面に収録。

  • 『ザ・ビートルズ』 - 通称『ホワイト・アルバム』。

  • 『ザ・ベスト・オブ・ジョージ・ハリスン』 - ジョージのベストアルバム。

  • 『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』 - 通称青盤。

  • 『バングラデシュ・コンサート』 - ジョージのコンサート・アルバム。ライヴ・バージョン。

  • 『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』 - デモテイクで、伴奏はアコースティックギターとハーモニウムのみ。キーが全音低く、歌詞も一部異なる。

  • 『ラヴ』 - 前述のアンソロジー・バージョンをベースに、ジョージ・マーティンがスコアを書いたオーケストレーションが追加されたもの。

  • 『ライヴ・イン・ジャパン』 - ジョージのコンサート・アルバム。エリック・クラプトンが参加したライヴ・バージョン。

  • 『コンサート・フォー・ジョージ』 - ジョージの1周忌に主立った友人が 集合した追悼コンサート。エリック・クラプトン、ポール・マッカートニー、リンゴ・スター他が参加。



関連項目


  • エリック・クラプトン


脚注


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注釈





  1. ^ 1969年に「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」のB面としてリリース。


  2. ^ ビートルズが設立したアップル・コアの傘下企業でジョン・レノンとポール・マッカートニー以外の作品の版権を管理する会社。現在は解散している。




出典





  1. ^ MacDonald, Ian (2005). Revolution in the Head: The Beatles' Records and the Sixties (2nd rev. edn). Chicago, IL: Chicago Review Press. p. 300. ISBN 978-1-55652-733-3. 


  2. ^ Riley, Tim (2002) [1988]. Tell Me Why: A Beatles Commentary. Cambridge, MA: Da Capo Press. p. 268. ISBN 978-0-306-81120-3. 


  3. ^ Wyman, Bill. “All 213 Beatles Songs, Ranked From Worst to Best” (英語). Vulture. 2019年1月24日閲覧。


  4. ^ [1]


  5. ^ [2]


  6. ^ [3]


  7. ^ Lewisohn, Mark (2005) [1988]. The Complete Beatles Recording Sessions: The Official Story of the Abbey Road Years 1962–1970. London: Bounty Books. p. 154. ISBN 978-0-7537-2545-0. 


  8. ^ 「ビートルズ・アンソロジー」でのインタビュー


  9. ^ Spizer, Bruce (2003). The Beatles on Apple Records. New Orleans, LA: 498 Productions. ISBN 0-9662649-4-0. 

  10. ^ abWinn, John C. (2009). That Magic Feeling: The Beatles' Recorded Legacy, Volume Two, 1966–1970. New York, NY: Three Rivers Press. p. 209. ISBN 978-0-307-45239-9. 

  11. ^ abEverett, Walter (1999). The Beatles as Musicians: Revolver Through the Anthology. New York, NY: Oxford University Press. p. 201. ISBN 978-0-19-512941-0. https://books.google.com/books?id=eTkHAldi4bEC&dq. 


  12. ^ Spizer, Bruce (2003). The Beatles on Apple Records. New Orleans, LA: 498 Productions. p. 106. ISBN 0-9662649-4-0. 


  13. ^ Lewisohn, Mark (2005) [1988]. The Complete Beatles Recording Sessions: The Official Story of the Abbey Road Years 1962–1970. London: Bounty Books. p. 153. ISBN 978-0-7537-2545-0. 









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