ユル・ブリンナー








































Yul Brynner
ユル・ブリンナー

ユル・ブリンナー
『十戒』(1956)でのブリンナー

本名
Yuliy Borisovich Brynner
生年月日
(1920-07-11) 1920年7月11日
没年月日
(1985-10-10) 1985年10月10日(65歳没)
出生地
Flag of the Far Eastern Republic.svg 極東共和国、ウラジオストク
国籍
スイスの旗 スイス
配偶者
ヴァージニア・ギルモア(1944 - 1960)
ドリス・クライナー(1960 - 1967)
ジャクリーヌ・ド・クロワセ(1971 - 1981)
キャシー・リー(1983 - 1985)
著名な家族
ユル(息子)
ラーク(娘)
ヴィクトリア(娘)
ミア(養女)
メロディ(養女)
主な作品

『荒野の七人』








ユル・ブリンナーYul Brynner, 1920年7月11日 - 1985年10月10日)はロシアのウラジオストク出身の俳優である。本名Юлий Бори́сович Бри́нерユーリイ・バリーサヴィチ・ブリーニェル)。




目次






  • 1 経歴


    • 1.1 プライベート




  • 2 主な出演作品


  • 3 CM


  • 4 参照


  • 5 外部リンク





経歴


スイスとモンゴルの血を引く父親と、ユダヤ系ロシア人の母親の間にウラジオストク[1]で生まれた。また、生年月日についても長年1915年7月7日とされていたが、実際は1920年7月11日と言われている[2][3]。幼少時代は中国やフランスで育った。パリでナイトクラブのミュージシャンやブランコ曲芸師として働いていたが、俳優を志すようになり、1941年にアメリカに移り演技の勉強をした。ラジオやテレビシリーズに出演するようになり、1950年代中盤からアクション映画や歴史大作でエキゾチックな魅力を発揮するようになった。


『王様と私』のシャムの王様役はあたり役で、1952年にはロジャース&ハマースタインのミュージカルでトニー賞を、1956年には映画版に主演してアカデミー主演男優賞を受賞した。当初は髪を生やしていたものの、シャム王役のイメージが定着したため、すべて剃り落とし、以後は坊主頭がトレードマークとなる。その後は西部劇やスパイ映画にも手を広げ、精悍な古きよきヒーロー像を演じつづける。1970年代以降はSFやカルト的な映画での悪役など、強烈な個性を武器にした性格俳優としての顔も見せた。


癌により死期が近いことが分かったブリンナーは、1985年1月7日から6月30日まで当たり役であった『王様と私』に出演した。彼はこの舞台に生涯を通して4633回出演した[4]



プライベート


4度結婚しており、5人の子供がいる。


肺癌で亡くなったが、生前に撮影されたタバコの害を警告するCM[5]が没後に放映され、話題となった。CMは「自分が肺癌になったのは喫煙のせい」と告白する内容であり、後に娘も禁煙運動に参加することになった。


祖父は長崎で商社員として働き、長崎通詞


との間に今も子孫がいる。



主な出演作品





















































































































































































































公開年 邦題
原題
役名 備考
1949 ニューヨーク港
Port of New York
ポール
1956
王様と私
The King and I
王様
アカデミー主演男優賞 受賞

十戒
The Ten Commandments
ラメシス

追想
Anastasia
パヴロヴィッチ・ボーニン
1958
カラマゾフの兄弟
The Brothers Karamazov
ドミトリイ
大海賊
The Buccaneer

1959
The Journey

悶え
The Sound and the Fury
ジェイソン・コンプソン

ソロモンとシバの女王
Solomon and Sheba
ソロモン
1960 オルフェの遺言-私に何故と問い給うな-
Le testament d'Orphée, ou ne me demandez pas pourquoi!
クレジットなし

荒野の七人
The Magnificent Seven
クリス
1961
ザーレンからの脱出
Escape from Zahrain

1962
隊長ブーリバ
Taras Bulba
タラス・ブーリバ
1963
太陽の帝王
Kings of the Sun

1964
あしやからの飛行
Flight from Ashiya
マイク高島

ガンファイトへの招待
Invitation to a Gunfighter

1965 モリツリ/南太平洋爆破作戦
Morituri

1966 巨大なる戦場
Cast a Giant Shadow
アッシャー
悪のシンフォニー
Poppies Are Also Flowers
サレム テレビ映画

続・荒野の七人
Return of the Seven
クリス
トリプルクロス
Triple Cross

1967 ダブルマン
The Double Man

1968
長い長い決闘
The Long Duel


戦うパンチョ・ビラ
Villa Rides
パンチョ・ビラ
1969
黄金線上の男
The File of the Golden Goose
ピーター・ノヴァク

ネレトバの戦い
Bitka na Neretvi
ヴラド(工兵指揮官)

シャイヨの伯爵夫人
The Madwoman of Chaillot


マジック・クリスチャン
The Magic Christian
キャバレー歌手 クレジットなし
1971 大西部無頼列伝
Indio Black, sai che ti dico: Sei un gran figlio di...
インディオ・ブラック(サバタ)
カーク・ダグラスとユル・ブリンナーの 世界の果ての大冒険
The Light at the Edge of the World
ジョナサン

マーベリックの黄金
Catlow

1972 複数犯罪
Fuzz
耳の聞こえない男
1973
エスピオナージ
Le Serpent
アレクセイ・ウラソフKGB大佐

ウエストワールド
Westworld
ガンスリンガー
1975
SF最後の巨人
The Ultimate Warrior
カーソン
1976
未来世界
Futureworld
ザ・ガンスリンガー
ユル・ブリンナーの 殺人ライセンス
Con la rabbia agli occhi
ピーター


CM



  • 富士フイルム フジカラー400(1976年)


参照


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  1. ^ Bryner Residence


  2. ^ United States Declaration of Intent (Document No. 541593), Record Group 21: Records of District Courts of the United States, 1685 - 2004, filed June 4, 1943


  3. ^ Some sources cite July 7, 1915 as his date of birth, though Brynner himself always gave the 1920 date in immigration and naturalization documents.


  4. ^ "A King's Legacy", Cancer Today magazine,Winter 2011


  5. ^ Anti-smoking PSA




外部リンク







  • ユル・ブリンナー allcinema


  • ユル・ブリンナー - インターネット・ムービー・データベース(英語)










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