ピール伯爵
ピール伯 Earl Peel | |
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紋章記述 Arms: Argent, three Sheaves of three Arrows proper, two and one banded Gules, on a Chief Azure, a Bee volant Or. Crest: A Demi-Lion rampant Argent, gorged with a Collar Azure, charged with three Bezants, holding between the paws a Shuttle Or. Supporters: Dexter: A Lion reguardant Argent. Sinister: A Gryphon reguardent Or. Both gorged with a Chain Or, pendent therefrom an Escutcheon Azure, charged with a Mace erect Or. | |
創設時期 | 1929年7月10日 |
創設者 | ジョージ5世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | ウィリアム・ピール(初代伯) |
現所有者 | ウィリアム・ピール(3代伯) |
相続人 | アシュトン・ピール(クランフィールド子爵) |
相続資格 | 初代伯の直系の嫡出の男系男子 |
付随称号 | ピール子爵、クランフィールド子爵、(ドレイトン・マナーの)準男爵 |
現況 | 存続 |
紋章標語 | INDUSTRIA |
ピール伯爵(英語: Earl Peel)は、連合王国貴族の伯爵位。第2代ピール子爵ウィリアム・ピールが1929年に叙されたのに始まる。
目次
1 歴史
2 現当主の保有爵位/準男爵位
3 歴代当主
3.1 (ドレイトン・マナーの)準男爵 (1800年)
3.2 ピール子爵 (1895年)
3.3 ピール伯爵 (1929年)
4 家系図
5 脚注
5.1 出典
6 参考文献
歴史
巨大な紡績工場の経営者で下院議員でもあったロバート・ピール(1750–1830)は、1800年11月29日にグレートブリテン準男爵位(ドレイトン・マナーの)準男爵(Baronet "of Drayton Manor")に叙せられた[2][3]
その息子の2代準男爵ロバート・ピール(1788–1850)はトーリー党(保守党)の下院議員として政界入りし、閣僚職を歴任した後、1834年から1835年と1841年から1846年にかけて保守党政権の首相を務めた。ピール銀行条例制定や穀物法廃止などの事績がある[4][5]
2代準男爵の死後、その長男ロバート・ピール(1822–1895)が3代準男爵を継承した。彼はピール派・自由党の庶民院議員を務め、1861年から1865年にかけて第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル内閣のアイルランド担当大臣を務めた[6]。
一方2代準男爵の五男アーサー・ウェルズリー・ピール(1829–1912)も自由党の下院議員となり、1884年から1895年まで下院議長を務めた後、1895年5月9日に連合王国貴族爵位ベッドフォード州におけるサンディーのピール子爵(Viscount Peel, of Sandy in the County of Bedford)に叙せられ、貴族院議員に転じた[7][8]。
その息子である2代ピール子爵ウィリアム・ロバート・ウェルズリー・ピール(1867–1937)は、襲爵前に保守党の庶民院議員を務め、襲爵して貴族院議員に転じた後、保守党政権(もしくは保守党参加政権)においてインド担当大臣(在職1922年-1924年、1928年-1929年)をはじめ閣僚職を歴任し、1929年7月10日に連合王国貴族爵位ピール伯爵(Earl Peel)、およびハンプシャー州におけるクランフィールドのクランフィールド子爵(Viscount Clanfield of Clanfield in the County of Hampshire)に叙せられた[9][10]。
一方準男爵位の方はこれと別系統で継承され続けていたが、6代準男爵ロバート・ピール(1920–1942)が第二次世界大戦中の1942年4月5日に英領スリランカ・コロンボにおける日本軍との戦闘で戦死した[11]。彼には子供がなかったため、2代準男爵に遡っての分流である2代ピール伯爵アーサー・ウィリアム・アシュトン・ピール(1901–1969)が7代準男爵も継承することになった[9][12]
その息子で現在の当主である3代ピール伯ウィリアム・ジェイムズ・ロバート・ピール(1947-)は、1999年に世襲貴族の議席が92議席に限定された後も世襲貴族枠の貴族院議員に選ばれている[9][13]。また2006年から宮内長官を務めている[14]。
紋章に刻まれるモットーは「産業(Industria)」[9]。
現当主の保有爵位/準男爵位
現当主ウィリアム・ジェイムズ・ロバート・ピールは以下の爵位・準男爵位を保持している[9][13]。
第3代ピール伯爵 (3rd Earl Peel)
- (1929年7月10日の勅許状による連合王国貴族爵位)
ベッドフォード州におけるサンディーの第4代ピール子爵 (4th Viscount Peel, of Sandy in the County of Bedford)
- (1895年5月9日の勅許状による連合王国貴族爵位)
ハンプシャー州におけるクランフィールドの第3代クランフィールド子爵 (3rd Viscount Clanfield, of Clanfield in the County of Hampshire)
- (1929年7月10日の勅許状による連合王国貴族爵位。法定推定相続人の儀礼称号)
(ドレイトン・マナーの)第8代準男爵 (8th Baronet "of Drayton Manor")
- (1800年11月29日の勅許状によるグレートブリテン準男爵位)
歴代当主
(ドレイトン・マナーの)準男爵 (1800年)
- 初代準男爵サー・ロバート・ピール (Robert Peel, 1750–1830)
- 2代準男爵サー・ロバート・ピール (Robert Peel, 1788–1850) 先代の長男。英国首相
- 3代準男爵サー・ロバート・ピール (Robert Peel, 1822–1895) 先代の長男
- 4代準男爵サー・ロバート・ピール (Robert Peel, 1867–1925) 先代の長男
- 5代準男爵サー・ロバート・ピール (Robert Peel, 1898–1934) 先代の長男
- 6代準男爵サー・ロバート・ピール (Robert Peel, 1920–1942) 先代の長男
- 7代準男爵アーサー・ウィリアム・アシュトン・ピール (Arthur William Ashton Peel, 1901–1969) 2代ピール伯
ピール子爵 (1895年)
- 初代ピール子爵アーサー・ウェルズリー・ピール (Arthur Wellesley Peel, 1829–1912) 2代準男爵の五男
- 2代ピール子爵ウィリアム・ロバート・ウェルズリー・ピール (William Robert Wellesley Peel, 1867–1937) 先代の長男。1929年にピール伯爵
ピール伯爵 (1929年)
- 初代ピール伯ウィリアム・ロバート・ウェルズリー・ピール (William Robert Wellesley Peel, 1867–1937)
- 2代ピール伯アーサー・ウィリアム・アシュトン・ピール (Arthur William Ashton Peel, 1901–1969) 先代の長男。1942年に7代準男爵位を継承
- 3代ピール伯ウィリアム・ジェイムズ・ロバート・ピール (William James Robert Peel, 1947-) 先代の長男
法定推定相続人は現当主の長男クランフィールド子爵(儀礼称号)アシュトン・ロバート・ジェラード・ピール(Ashton Robert Gerard Peel, 1976-)
- その法定推定相続人はその息子のニコラス・ロバート・ウィリアム・ピール(Nicholas Robert William Peel, 2015-)
- その法定推定相続人はその息子のニコラス・ロバート・ウィリアム・ピール(Nicholas Robert William Peel, 2015-)
家系図
1800年準男爵 | |||||||||||||||
初代準男爵 ロバート・ピール (1750-1830) | |||||||||||||||
2代準男爵 ロバート・ピール (1788–1850) (英国首相) | ジョナサン・ピール (1799–1879) | ||||||||||||||
1895年ピール子爵 | |||||||||||||||
3代準男爵 ロバート・ピール (1822–1895) | 初代ピール子爵 アーサー・ピール (1829–1912) | ||||||||||||||
1929年ピール伯 | |||||||||||||||
4代準男爵 ロバート・ピール (1867–1925) | 初代ピール伯 2代ピール子爵 ウィリアム・ピール (1867–1937) | ||||||||||||||
5代準男爵 ロバート・ピール (1898–1934) | 2代ピール伯 3代ピール子爵 7代準男爵 アーサー・ピール (1901-1969) | ||||||||||||||
6代準男爵 ロバート・ピール (1920–1942) | 3代ピール伯 4代ピール子爵 8代準男爵 ウィリアム・ピール (1947–) | ||||||||||||||
クランフィールド子爵(儀礼称号) アシュトン・ピール (1976-) | |||||||||||||||
ニコラス・ピール (2015-) | |||||||||||||||
脚注
出典
^ Debrett's 2015 page P965
^ 世界伝記大事典(1981)世界編8巻 p.223
^ Lundy, Darryl. “Sir Robert Peel, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2018年3月1日閲覧。
^ 依光良馨 1967, p. 339-350.
^ 村岡健次 & 木畑洋一 1991, p. 94-95.
^ Lundy, Darryl. “Rt. Hon. Sir Robert Peel, 3rd Bt.” (英語). thepeerage.com. 2018年3月1日閲覧。
^ Heraldic Media Limited. “Peel, Viscount (UK, 1895)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2018年3月1日閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Arthur Wellesley Peel, 1st Viscount Peel of Sandy” (英語). thepeerage.com. 2018年3月1日閲覧。
- ^ abcdeHeraldic Media Limited. “Peel, Earl (UK, 1929)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2018年3月1日閲覧。
^ Lundy, Darryl. “William Robert Wellesley Peel, 1st Earl Peel” (英語). thepeerage.com. 2018年3月1日閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Sir Robert Peel, 6th Bt.” (英語). thepeerage.com. 2018年3月1日閲覧。
^ Lundy, Darryl. “Arthur William Ashton Peel, 2nd Earl Peel” (英語). thepeerage.com. 2018年3月1日閲覧。
- ^ abLundy, Darryl. “Arthur William Ashton Peel, 2nd Earl Peel” (英語). thepeerage.com. 2018年3月1日閲覧。
^ “Earl Peel - UK Parliament”. Official Parliament Website. 2018年3月3日閲覧。
参考文献
- 依光良馨 『イギリス金本位制成立史』 東洋経済新報社、1967年。ISBN 978-4492670033。
- 村岡健次、木畑洋一 『イギリス史〈3〉近現代』 山川出版社〈世界歴史大系〉、1991年。ISBN 978-4634460300。
- 『世界伝記大事典〈世界編 8〉ハルーフユ』 ほるぷ出版、1981年。ASIN B000J7VF5S。