ピール伯爵















































ピール伯
Earl Peel

Coronet of a British Earl.svg
Arms of Earl Peel

紋章記述



Arms: Argent, three Sheaves of three Arrows proper, two and one banded Gules, on a Chief Azure, a Bee volant Or. Crest: A Demi-Lion rampant Argent, gorged with a Collar Azure, charged with three Bezants, holding between the paws a Shuttle Or. Supporters: Dexter: A Lion reguardant Argent. Sinister: A Gryphon reguardent Or. Both gorged with a Chain Or, pendent therefrom an Escutcheon Azure, charged with a Mace erect Or.
Note:The Martlet for difference was only on the arms until the 2nd Earl inherited the baronetcy in 1942.[1]




創設時期
1929年7月10日
創設者
ジョージ5世
貴族
連合王国貴族
初代
ウィリアム・ピール(初代伯)
現所有者
ウィリアム・ピール(英語版)(3代伯)
相続人
アシュトン・ピール(クランフィールド子爵)
相続資格
初代伯の直系の嫡出の男系男子
付随称号
ピール子爵、クランフィールド子爵、(ドレイトン・マナーの)準男爵
現況
存続
紋章標語
INDUSTRIA

ピール伯爵(英語: Earl Peel)は、連合王国貴族の伯爵位。第2代ピール子爵ウィリアム・ピールが1929年に叙されたのに始まる。




目次






  • 1 歴史


  • 2 現当主の保有爵位/準男爵位


  • 3 歴代当主


    • 3.1 (ドレイトン・マナーの)準男爵 (1800年)


    • 3.2 ピール子爵 (1895年)


    • 3.3 ピール伯爵 (1929年)




  • 4 家系図


  • 5 脚注


    • 5.1 出典




  • 6 参考文献





歴史


巨大な紡績工場の経営者で下院議員でもあったロバート・ピール(英語版)(1750–1830)は、1800年11月29日にグレートブリテン準男爵位(ドレイトン・マナーの)準男爵(Baronet "of Drayton Manor")に叙せられた[2][3]





ヴィクトリア朝前期に英国首相を務めた第2代準男爵ロバート・ピール(ロバート・リチャード・スカンラン(英語版)画)


その息子の2代準男爵ロバート・ピール(1788–1850)はトーリー党(保守党)の下院議員として政界入りし、閣僚職を歴任した後、1834年から1835年と1841年から1846年にかけて保守党政権の首相を務めた。ピール銀行条例制定や穀物法廃止などの事績がある[4][5]


2代準男爵の死後、その長男ロバート・ピール(英語版)(1822–1895)が3代準男爵を継承した。彼はピール派・自由党の庶民院議員を務め、1861年から1865年にかけて第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル内閣のアイルランド担当大臣(英語版)を務めた[6]


一方2代準男爵の五男アーサー・ウェルズリー・ピール(1829–1912)も自由党の下院議員となり、1884年から1895年まで下院議長(英語版)を務めた後、1895年5月9日に連合王国貴族爵位ベッドフォード州におけるサンディーのピール子爵(Viscount Peel, of Sandy in the County of Bedford)に叙せられ、貴族院議員に転じた[7][8]


その息子である2代ピール子爵ウィリアム・ロバート・ウェルズリー・ピール(1867–1937)は、襲爵前に保守党の庶民院議員を務め、襲爵して貴族院議員に転じた後、保守党政権(もしくは保守党参加政権)においてインド担当大臣(在職1922年-1924年、1928年-1929年)をはじめ閣僚職を歴任し、1929年7月10日に連合王国貴族爵位ピール伯爵(Earl Peel)、およびハンプシャー州におけるクランフィールドのクランフィールド子爵(Viscount Clanfield of Clanfield in the County of Hampshire)に叙せられた[9][10]


一方準男爵位の方はこれと別系統で継承され続けていたが、6代準男爵ロバート・ピール(1920–1942)が第二次世界大戦中の1942年4月5日に英領スリランカ・コロンボにおける日本軍との戦闘で戦死した[11]。彼には子供がなかったため、2代準男爵に遡っての分流である2代ピール伯爵アーサー・ウィリアム・アシュトン・ピール(英語版)(1901–1969)が7代準男爵も継承することになった[9][12]


その息子で現在の当主である3代ピール伯ウィリアム・ジェイムズ・ロバート・ピール(英語版)(1947-)は、1999年に世襲貴族の議席が92議席に限定された後も世襲貴族枠の貴族院議員に選ばれている[9][13]。また2006年から宮内長官(英語版)を務めている[14]


紋章に刻まれるモットーは「産業(Industria)」[9]



現当主の保有爵位/準男爵位


現当主ウィリアム・ジェイムズ・ロバート・ピール(英語版)は以下の爵位・準男爵位を保持している[9][13]




  • 第3代ピール伯爵 (3rd Earl Peel)
    (1929年7月10日の勅許状による連合王国貴族爵位)



  • ベッドフォード州におけるサンディーの第4代ピール子爵 (4th Viscount Peel, of Sandy in the County of Bedford)
    (1895年5月9日の勅許状による連合王国貴族爵位)



  • ハンプシャー州におけるクランフィールドの第3代クランフィールド子爵 (3rd Viscount Clanfield, of Clanfield in the County of Hampshire)
    (1929年7月10日の勅許状による連合王国貴族爵位。法定推定相続人の儀礼称号)



  • (ドレイトン・マナーの)第8代準男爵 (8th Baronet "of Drayton Manor")
    (1800年11月29日の勅許状によるグレートブリテン準男爵位)




歴代当主



(ドレイトン・マナーの)準男爵 (1800年)



  • 初代準男爵サー・ロバート・ピール(英語版) (Robert Peel, 1750–1830)

  • 2代準男爵サー・ロバート・ピール (Robert Peel, 1788–1850) 先代の長男。英国首相

  • 3代準男爵サー・ロバート・ピール(英語版) (Robert Peel, 1822–1895) 先代の長男

  • 4代準男爵サー・ロバート・ピール (Robert Peel, 1867–1925) 先代の長男

  • 5代準男爵サー・ロバート・ピール (Robert Peel, 1898–1934) 先代の長男

  • 6代準男爵サー・ロバート・ピール (Robert Peel, 1920–1942) 先代の長男

  • 7代準男爵アーサー・ウィリアム・アシュトン・ピール(英語版) (Arthur William Ashton Peel, 1901–1969) 2代ピール伯



ピール子爵 (1895年)



  • 初代ピール子爵アーサー・ウェルズリー・ピール (Arthur Wellesley Peel, 1829–1912) 2代準男爵の五男

  • 2代ピール子爵ウィリアム・ロバート・ウェルズリー・ピール (William Robert Wellesley Peel, 1867–1937) 先代の長男。1929年にピール伯爵



ピール伯爵 (1929年)



  • 初代ピール伯ウィリアム・ロバート・ウェルズリー・ピール (William Robert Wellesley Peel, 1867–1937)

  • 2代ピール伯アーサー・ウィリアム・アシュトン・ピール(英語版) (Arthur William Ashton Peel, 1901–1969) 先代の長男。1942年に7代準男爵位を継承

  • 3代ピール伯ウィリアム・ジェイムズ・ロバート・ピール(英語版) (William James Robert Peel, 1947-) 先代の長男

    • 法定推定相続人は現当主の長男クランフィールド子爵(儀礼称号)アシュトン・ロバート・ジェラード・ピール(Ashton Robert Gerard Peel, 1976-)
      • その法定推定相続人はその息子のニコラス・ロバート・ウィリアム・ピール(Nicholas Robert William Peel, 2015-)





家系図




脚注


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出典





  1. ^ Debrett's 2015 page P965


  2. ^ 世界伝記大事典(1981)世界編8巻 p.223


  3. ^ Lundy, Darryl. “Sir Robert Peel, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2018年3月1日閲覧。


  4. ^ 依光良馨 1967, p. 339-350.


  5. ^ 村岡健次 & 木畑洋一 1991, p. 94-95.


  6. ^ Lundy, Darryl. “Rt. Hon. Sir Robert Peel, 3rd Bt.” (英語). thepeerage.com. 2018年3月1日閲覧。


  7. ^ Heraldic Media Limited. “Peel, Viscount (UK, 1895)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2018年3月1日閲覧。


  8. ^ Lundy, Darryl. “Arthur Wellesley Peel, 1st Viscount Peel of Sandy” (英語). thepeerage.com. 2018年3月1日閲覧。

  9. ^ abcdeHeraldic Media Limited. “Peel, Earl (UK, 1929)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2018年3月1日閲覧。


  10. ^ Lundy, Darryl. “William Robert Wellesley Peel, 1st Earl Peel” (英語). thepeerage.com. 2018年3月1日閲覧。


  11. ^ Lundy, Darryl. “Sir Robert Peel, 6th Bt.” (英語). thepeerage.com. 2018年3月1日閲覧。


  12. ^ Lundy, Darryl. “Arthur William Ashton Peel, 2nd Earl Peel” (英語). thepeerage.com. 2018年3月1日閲覧。

  13. ^ abLundy, Darryl. “Arthur William Ashton Peel, 2nd Earl Peel” (英語). thepeerage.com. 2018年3月1日閲覧。


  14. ^ “Earl Peel - UK Parliament”. Official Parliament Website. 2018年3月3日閲覧。




参考文献



  • 依光良馨 『イギリス金本位制成立史』 東洋経済新報社、1967年。ISBN 978-4492670033。

  • 村岡健次、木畑洋一 『イギリス史〈3〉近現代』 山川出版社〈世界歴史大系〉、1991年。ISBN 978-4634460300。

  • 『世界伝記大事典〈世界編 8〉ハルーフユ』 ほるぷ出版、1981年。ASIN B000J7VF5S。




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