石見国
石見国 | |
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■-石見国 ■-山陰道 | |
別称 | 石州(せきしゅう) |
所属 | 山陰道 |
相当領域 | 島根県西部(石見地方) |
諸元 | |
国力 | 中国 |
距離 | 遠国 |
郡・郷数 | 6郡37郷 |
国内主要施設 | |
石見国府 | 島根県浜田市 |
石見国分寺 | 島根県浜田市(石見国分寺跡) |
石見国分尼寺 | 島根県浜田市(石見国分尼寺跡) |
一宮 | 物部神社(島根県大田市) |
石見国(いわみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。
目次
1 概要
2 領域
3 沿革
3.1 近世以降の沿革
4 国内の施設
4.1 国府
4.2 国分寺・国分尼寺
4.3 神社
5 地域
5.1 郡
5.2 江戸時代の藩
6 人物
6.1 国司
6.1.1 石見守
6.2 守護
6.2.1 鎌倉幕府
6.2.2 室町幕府
6.3 戦国大名
6.4 武家官位としての石見守
6.4.1 江戸時代以前
6.4.2 江戸時代
7 名産
8 脚注
9 参考文献
10 関連項目
概要
東西に長いため、大田市を中心とする東部を「石東」、江津市や浜田市を中心とする中部を「石央」、益田市を中心とする西部を「石西」と呼び、三分される。
また、中国山地を唯一越える江の川が流れており、安芸国との結びつきも強い。
領域
明治維新の直前の領域は、浜田市、益田市、江津市、邑智郡、鹿足郡および大田市の大部分(山口町山口・山口町佐津目を除く)、出雲市の一部(多伎町神原)、飯石郡の一部(飯南町塩谷・井戸谷・畑田)、広島県山県郡の一部(北広島町西八幡原の一部)にあたる。
該当区域の面積は3,585.41k㎡、人口は21万1940人(2010年国勢調査)。(1)
沿革
7世紀に設置された。
『延喜式』に石見国の駅として、波祢(はね)・託農(たくの)・樟道(くすち)・江東・江西・伊甘(いかみ)がみえる。駅は郷と同じ行政単位でもあった。
近世以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳データベース」に記載されている明治初年時点での国内の支配は以下の通り[1](451村・172,209石余)。太字は当該郡内に藩庁が所在。幕府領は大森代官所が管轄。
安濃郡(30村・14,510石余) - 幕府領
邇摩郡(46村・16,647石余) - 幕府領
邑智郡(102村・36,781石余) - 幕府領、津和野藩、浜田藩
那賀郡(116村・48,549石余) - 幕府領、津和野藩、浜田藩
美濃郡(96村・33,108石余) - 幕府領、津和野藩、浜田藩
鹿足郡(61村・22,613石余) - 幕府領、津和野藩
慶応2年2月15日(1866年3月31日) - 長州戦争により浜田藩が移転して美作鶴田藩となり、領地が周防山口藩預地となる。
明治2年8月2日(1869年9月7日) - 幕府領・山口藩預地が大森県の管轄となる。- 明治3年1月9日(1870年2月9日) - 大森県の管轄地域が浜田県の管轄となる。
- 明治4年6月25日(1871年8月11日) - 津和野藩が廃藩。全域が浜田県の管轄となる。
- 明治9年(1876年)4月18日 - 第2次府県統合により島根県の管轄となる。
昭和28年(1953年)12月1日 - 那賀郡波佐村の一部(波佐字滝平の一部)が広島県山県郡八幡村(現・北広島町)に編入。
国内の施設
国府
『和名抄』によれば、国府は那賀郡にあった。現在の浜田市の伊甘(いかみ)脇遺跡付近や上府(かみこう)遺跡・古市遺跡辺りなど諸説あるが、遺構が発見されていない。また、浜田市下府町(しもこう)へ移転したとする説もある。
国分寺・国分尼寺
石見国の国分寺・国分尼寺は浜田市国分町にある。現在の曹洞宗の国分寺が国分尼寺跡と推定されている。その近くの金蔵寺(こんぞうじ)境内が国分寺と考えられている。部分的な発掘であるが、当時の山門・金堂・講堂・塔跡などの礎石と推定されるものが検出されている。
神社
- 延喜式内社
- 『延喜式神名帳』には、小社34座34社が記載されている。大社はない。石見国の式内社一覧を参照。
総社・一宮以下
- 総社 庄社 - 伊甘神社(浜田市下府町)境内社。
- 一宮 物部神社 (大田市川合町)
- 二宮 多鳩神社 (江津市二宮町)
- 三宮 大祭天石門彦神社 (浜田市相生町)
地域
郡
- 安濃郡
- 邇摩郡
- 那賀郡
邑智郡(邑知郡)- 美濃郡
鹿足郡 - 承和10年5月8日(843年6月9日)、美濃郡から鹿足・能濃2郷を分割して設置。
江戸時代の藩
吉永藩、加藤家(1万石)→水口藩に転封
浜田藩、古田家(5.4万石)→松井松平家(5万石)→本多家(5万石、10万石格)→松井松平家(5.5万石→6.5万石)→越智松平家(6.1万石)
津和野藩、坂崎家(3万石→4万3468石)→亀井家(4.3万石)
人物
国司
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石見守
三園千桂:天暦2年(948年)任官
安倍衆与:天徳元年(957年)任官
安倍良明:応和元年(961年)任官
坂上望城:天延3年(975年)任官
藤原在国:天元2年(979年)任官
大原忠亮:天元5年(982年)任官
守護
鎌倉幕府
1193年~1200年 - 佐々木定綱
- ?~1275年頃 - 伊東氏
- 1275年頃~? - 北条氏
室町幕府
1336年~1349年 - 上野頼兼
1350年~1351年 - 高師泰
1352年~1364年 - 荒川詮頼
1366年~1376年 - 大内弘世
- 1376年~1379年 - 荒川詮頼
- 1379年~1399年 - 大内義弘
- 1399年~1401年 - 京極高詮
- 1401年~? - 山名氏利
1429年~? - 山名教清
1437年~1440年 - 山名熙貴
1441年~1455年 - 山名教清
1465年~1467年 - 山名成清
- 1467年~1477年 - 山名政清
1481年~1495年 - 大内政弘
- 1495年~1528年 - 大内義興
- 1528年~1551年 - 大内義隆
戦国大名
- 尼子氏
- 毛利氏
- 小笠原氏
武家官位としての石見守
江戸時代以前
服部正成:戦国時代から安土桃山時代にかけての三河の武将、初代服部半蔵
松下之綱:戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。木下藤吉郎の元主君
江戸時代
大和小泉藩片桐家
片桐貞昌:第2代藩主。茶道石州流の祖、片桐石州
片桐貞起:第4代藩主
片桐貞芳:第6代藩主
片桐貞信:第8代藩主
片桐貞照:第10代藩主
出羽松山藩左衛門尉酒井家分家
酒井忠予:第2代藩主
酒井忠休:第3代藩主
酒井忠崇:第4代藩主
酒井忠方:第6代藩主
三河奥殿藩大給松平家
松平乗成:第2代藩主
松平乗穏:第3代藩主
松平乗利:第7代藩主
- その他
井上正棠:常陸下妻藩第5代藩主
大久保長安:戦国時代武田氏の家臣、江戸幕府勘定奉行、老中
木下利恭:備中足守藩第12代藩主
近藤秀用:戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。遠江井伊谷藩藩主
徳永寿昌:戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。美濃高須藩初代藩主
平岡頼資:美濃徳野藩第2代藩主
堀親賢:信濃飯田藩第4代藩主
松下長綱:陸奥二本松藩第2代藩主、陸奥三春藩主
松平定長:伊予松山藩第3代藩主
松平忠喬:信濃飯山藩第2代藩主、遠江掛川藩主、摂津尼崎藩初代藩主
松平康英:陸奥棚倉藩第4代藩主、武蔵川越藩初代藩主・老中
名産
- 石州瓦
- 石見銀
脚注
^ 「旧高旧領取調帳」は石見国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書16 旧高旧領取調帳 中国四国編」(近藤出版社、1978年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。
参考文献
角川日本地名大辞典 32 島根県- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
石見 (戦艦)‐旧日本海軍の戦艦。元はロシア帝国海軍の戦艦オリョール。艦名は石見国に因む。- 令制国一覧
- 山陰地方
- 柿本人麻呂
- 石見で始まる記事の一覧
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