襄州
















































































中国地名の変遷

建置
漢代

使用状況
襄陽市
前漢 襄陽県
後漢 襄陽郡
三国 襄陽郡
西晋 襄陽郡

東晋十六国
雍州
南北朝 襄州
襄州
襄陽郡
襄州
五代 襄州

北宋/遼
襄陽府

南宋/金
襄陽府
襄陽路
襄陽府
襄陽府
中華民国 襄陽県
現代 襄陽市

襄州(じょうしゅう)は、中国にかつて設置された州。現在の湖北省襄陽市一帯に相当する。




目次






  • 1 魏晋南北朝時代


  • 2 隋代


  • 3 唐代


  • 4 宋代


  • 5 関連項目


  • 6 注釈





魏晋南北朝時代


東晋の太元年間に僑州として設置された雍州を前身とする。西魏により雍州は襄州と改称された。



隋代


隋も当初は襄州を設置したが、607年(大業3年)、郡制施行に伴い襄州は襄陽郡と改称され下部に11県を管轄した。隋朝の行政区分に関しては下表を参照。








































隋朝の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
襄州 鄀州
襄陽郡
襄陽郡 河南郡 徳広郡 武泉郡 南襄陽郡 長湖郡 武寧郡
襄陽県 陰城県 穀城県
安養県 上洪県 率道県
漢南県 義清県 南漳県
常平県 鄀県

襄陽県
陽城県
築陽県
義城県
安養県 上洪県
率道県
漢南県
義清県
思安県
常平県
旱停県

鄀県


唐代


621年(武徳4年)、隋が王世充を平定すると、襄陽郡を襄州と改めた。襄州は襄陽・安養・漢南・義清・南漳・常平の6県を管轄した。襄州には山南道行台が置かれ、交州・広州・安州・黄州・寿州など257州を統轄した。624年(武徳7年)、山南道行台が廃止され、襄州都督府が置かれて襄州・鄧州・唐州・均州・淅州・重州を監督した。742年(天宝元年)に襄州は襄陽郡と改称されたが、758年(乾元元年)に再び襄州に戻された。761年(上元2年)、襄州節度使が置かれ、襄州・鄧州・均州・房州・金州・商州などを領知した。後に山南東道節度使の治所となった。



宋代


1119年(宣和元年)、襄陽府に昇格した。



関連項目



注釈














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