ブコビナ
ブコビナ | ||
ブコビナの紋章。 | ||
ブコビナの地図(20世紀)。 | ||
チェルニウツィー劇場広場。 |
ブコビナ(ウクライナ語:Буковина、ブコヴィナ、ルーマニア語:Bucovina、ブコヴィナ)はウクライナ、ルーマニアの歴史的地名である。カルパティア山脈とドニエストル川に挟まれた地帯一帯を指す地理名称。「ブナの国」の意味で、北部がウクライナのチェルニウツィー州、南部がルーマニアのスチャヴァ県及びボトシャニ県にあたる。
トランシルバニア、ドナウ・デルタと共に「ヨーロッパ最後の秘境」と呼ばれ、多くの動植物が生息する地域。また、16世紀モルダビア公国時代に建設されたルーマニア正教会の修道院やフレスコ画が現在も世界遺産として残されており、観光地としても有名。
目次
1 歴史
2 関連項目
3 参考文献
4 外部リンク
歴史
紀元前2世紀: ダキア人が入植する。
106年: ダキア王・デケバルスがローマ帝国に敗れ、ローマの影響下に置かれる。
3世紀: ゴート人に侵略される。
4世紀: フン族の侵入を許す。
6世紀: アヴァール人の侵略を受ける。またこの頃からスラブ人のこの地域への移住が本格化した。
797年: 現在のハンガリーを本拠地に南西ヨーロッパの広大な地域に勢力のあったアヴァール人であったが、カール大帝に敗北を喫す。
10世紀から11世紀:キエフ大公国に属す。
12世紀から14世紀はハールィチ・ヴォルィーニ大公国の領土となる。
14世紀から黒海まで広大な領土を広げたモルダビア公国の一部となる。
15世紀: プルト川沿いの北部はポーランド王国とモルダビア公国の係争地となるが、1497年、モルドヴァ公・シュテファン3世はポーランド王・ヤン1世を撃破した。
1513年:モルダビア公国はオスマン帝国に朝貢を始めるが、自治を許される。
17世紀初頭: ポーランド王国がモルダビア北部を占領するが、ポーランドはすぐに昔の国境を承認する。
1768年からの露土戦争でオスマン帝国に代わり、ロシア帝国が占領する。
1775年:ハプスブルク君主国領となる。
1918年:ルーマニア王国領となる。→南部地方のみ現在に至る。
1940年:北部地方一部をソビエトが占領、モルダビア・ソビエト社会主義共和国ではなく、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国領となる。
1991年:ウクライナ独立に伴い、北部地方がウクライナ領となる。→現在に至る。
関連項目
ルーマニア正教会のモルダヴィア北部の壁画教会群:世界遺産。- プトナ修道院
- 2月革命 (1917年)
ゴルリッツ突破作戦:戦乱の舞台となった。
参考文献
- 『ヨーロッパ国際関係史』- 西川吉光(2007年,ISBN 9784762016448)
- 『ポーランド・ウクライナ・バルト史 』/ 伊東孝之,井内敏夫,中井和夫. 山川出版社, 1998.12.(新版世界各国史 ; 20)
外部リンク
(ウクライナ語) Довідник з історії України. За ред. І. Підкови та Р. Шуста. — Київ: Генеза, 1993.
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